夏の青さに

詩葉

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第3話 夢

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          ***

「じゃあ颯人はやと、この問題の答えを書いてくれ」
 宮城県仙台市にある喧騒から離れた場所に建つ小学校の一つの教室に、崎川さきかわ颯人はやと、宮野瀬奈、泉日向、湯川渉がいた。
「はい、先生」
 黒縁の四角いメガネをかけた賢そうな男の子、颯人は担任の先生に従って黒板の前に立つと、すらすらと白いチョークで導いた答えの数字を書いた。
 お昼休みが終わり、眠たくなってくる午後の算数の授業。
 後ろの席から二番目、瀬奈は欠伸を隠そうともせず、眠たそうなだるそうな表情でノートに板書している。その隣の席にいる日向は、いたって真面目にノートをとっているが少し遅れているようで、焦りながら文字を書いていた。
 教室の一番後ろ、瀬奈の真後ろには渉がいびきをかいて寝こけている。
 それがこの教室の普通らしく、誰も渉のいびきを咎める者はいない。しいていえば先生がいつも通り眉をひそめるばかりだ。
 無事、合っている答えを書き出した颯人は自席である渉の隣、日向の真後ろの席へと腰掛けた。
「渉、もうすぐ授業終わるよ」
 コソッと耳元で颯人が言うと、渉は突然目を見開いて急いでノートを取り出し始める。
 その様子を颯人は困ったような笑っているような微妙な顔で見ていた。
 そうこうしているうちに授業の終わりを告げるチャイムが鳴り、教室は一気にざわめきが強くなった。
「あーー! ちょっと待って消さないで! まだ書いてる!」
 本日の黒板消し係のクラスメイトに渉が大声で呼びかけると、日向はどこかホッとしたような表情をした。
 どうしたのかと日向の手元を覗き込んだ瀬奈は、あぁと納得する。
「日向、渉が止めてくれてよかったわね」
 クスッと笑いながら瀬奈は顔にかかった黒髪をいじった。
「う、うん」
 真面目に書いていたはずなのに、授業が終わるまで板書が間に合わなかった日向は丁寧な女の子らしい可愛い字で、残りの文字をノートに写した。
「渉、そういえば次の授業の宿題やってきた?」
「へ?」
 次の六時間目の授業で使う国語の教科書を準備しながら、颯人はなんとなく聞いてみた。
 渉はそれに対して口をぽかんと開けたまま、首を横に振る。
「怒られる?」
「多分……ね」
「なに? 宿題忘れてきたの? 宿題自体を忘れてたの?」
 渉と颯人の会話を聞いていた瀬奈が話に入ってきた。
「宿題自体知らなかったし、教科書もノートも忘れてきた……」
 渉の返答に颯人と瀬奈は頭を抱えた。
 ただ、そんな状況にも関わらず当の本人はあっけらかんとしている。
「あの私、予備のノートあるからあげるよ」
 黒板を写し終えた日向がシンプルなパステルピンクのノートを渉に差し出した。
「おぉ! ありがとうな日向!」
 歯を見せて笑う渉に、日向はとても嬉しそうに微笑んだ。
「あんまし甘やかさないほうがいいよ日向」
「渉は調子乗るからねぇ……」
 その様子を見て瀬奈と颯人は辛辣な言葉を投げかける。
 それは彼らにとっての日常だった。
 いつも渉は何か問題をやらかして、瀬奈はそれを叱って、日向はそれをなだめて、颯人は困った顔で解決策を考える。
 四人はずっと一緒だった。
 
「転校生を紹介します」
 始業の鐘が鳴り、急に変更された六時間目の学活の授業で先生はいつもと違う挨拶で始めた。
「転校生?」
「クラスに新しい子が来るってこと?」
「どっから来たんだろー?」
 ざわざわと教室内がざわめいて、皆各々、思いおもいに疑問を口にしている。
「はーい、皆静かにしろー」
 先生がそう言うと、しんと静まり返る子供たち。しかし、少しするとまたこそこそと話し声がどこかしらから聞こえてくる。
「それじゃあ入ってもらって良いかな?」
 少し大きめの声で先生は教室のドアに向かってそう言った。
 ガラリと音を立てて開いたドアの先から、一人の少年が歩いてくる。
 ストレートに下に向かって伸びた短髪、若干他の子よりも背格好が小さく身長も低い。もうすぐ夏本番だというのに、長袖のシャツ長い丈のズボンを着ている彼は、教卓まで来るとこちら側に向き直った。
「初めまして、僕は三条さんじょうあおと言います」
 白くて小さい顔から優しそうな瞳を向けて、ぺこりとお辞儀をする。小学生にしては礼儀正しい挨拶に、教室内は少しざわついた。
「青くんはまだ学校に慣れていないだろうから、皆、色々教えてあげてね」
「「「はーい!」」」
 先生が優しくそう言うと子供たちは元気よく返事をした。
「それじゃあ、青くんの席は……一番後ろの空いてるところね」
 その空いている席は、今現在机に突っ伏して寝ている渉の隣をひとつ開けて、ぽつんと一つだけある場所だった。
 横を通る青の気配に、目を開けた渉は朧気な意識を保ったまま青の方を見た。
 視線に気づいた青は、渉に微笑むと。
「宜しくね」
 と小さな声で囁いた。
 
 今日の学活の授業は『夏休みにしたいこと』というテーマらしく、渉たちは各々の班で間近に迫った夏休みをどう過ごしたいか話し合うことになった。
 青は渉と同じ班に入り、離れていた机をお互いにくっつけてお互いに顔を見合せて話し始める。
「青はどこから来たの?」
「あ、あの青くんは好きなものとかある?」
 しかし、新しく来たクラスの一員のことが気になり夏休みの話どころではない様子で、渉の班のメンバーである瀬奈と日向は、青へ質問をなげかけた。
「仙台から北の方、ここより田舎から来たよ。えっと、好きなものは……本かなぁ」
「ふぅん、ここより田舎ねぇ。東京から来たんだったら面白かったのに」
「本! わ、私も好きなの!」
 授業のテーマから逸れた話で盛り上がる三人に、颯人はいつ話を戻そうか困った顔で考えている。
「仙台ってもここら辺は、ほぼ田んぼだらけだし田舎と大差ないべ~」
 話にのるわけでもなく、戻すわけでもなく眠たそうに欠伸をしながら渉がわざと訛りながらそう言った。
「はぁ? 私の家がある場所は住宅街だしあんたんとことは違うんだけど? 一緒にしないでくれない?」
 反感を買ったのは瀬奈だ。彼女は親が仙台市内の会社を経営していて、いわゆるお金持ちの娘だった。
「はーいはい、瀬奈様は俺たち庶民とは違うんですねー凄いですねー」
 鼻をほじくりながら馬鹿にしたように、瀬奈を煽る渉。
「うざっ!」
 瀬奈はそれにカチンときて、椅子から立ち上がると渉に殴りかかろうとする。
「まぁまぁ、落ち着こうよ二人とも」
 颯人は瀬奈と渉の間に入って、二人をなだめた。
「「だって」」
 言い訳をしようとしてハモった二人は、顔を見合わせてお互いを睨みつけた。
「……ふふっ」
 そんな二人を見て、青は思わず笑った。
「何がおかしいんだよ、転校生」
 渉は鋭い視線を瀬奈から青に移して、疑問を口にする。
「……ごめん、なんか可笑しくて」
 口に手を当てて、笑いを我慢する青。
「ふふっ」
 それを見た日向も何故か吹き出した。
「……日向までなんなの?」
 瀬奈は意味が分からないという顔で、笑いをこらえている二人を見ている。
「ふっ、ふふっ」
 ついには颯人まで笑いだしてしまって、三人が笑っている中、渉と瀬奈は困惑した顔でお互いを見合わせた。
「…………」
「…………」
「……ぶはっ」
「……ふっ」
 お互い、間抜けな表情で顔を見合わせていたからか渉と瀬奈も吹き出す。
 それをきっかけに、班全員が笑いを止められなくなってしまって、結局、先生に怒られる羽目になった。
 次の日、今日は一時間目から学活の授業がある日で、渉たちのクラスは昨日の続きで『夏休みにしたいこと』をテーマに話していた。
 昨日の一件からすっかり仲良くなった五人は、今度は真剣に夏休みのことを話し合っている。
「ちょっと渉、何してんの?」
 一人以外は。
「絵を描いてる」
 渉は日向から昨日貰ったノートに鉛筆で、マントを羽織って仮面を着けたヒーローのようなものを描いていた。
「少しは授業に参加しなさいよ」
「後で発表もしなくちゃいけないらしいから、渉も参加してくれないと困るな」
 瀬奈と颯人は至って真面目に話し合いをしていたから渉を真面目に注意するが、本人は絵を描く手を止めようとしない。
「ちゃんと話は聞いてるから大丈夫大丈夫」
 目線をノートから離さずに頭で会話する渉に、二人は諦めたようにため息をついた。
「じゃあ、後で渉にも聞くからその時、何も聞いてないとか言わないでね」
「へーい」
 渉以外の班員が話し合いをする中、黙々とヒーローを描き続ける渉。
 決めポーズをして高らかに笑うそのヒーローを見て青は渉に聞いた。
「渉くんはヒーローが好きなの?」
「ん、好きだよ! だって、かっけぇじゃん!」
 顔を突然上げて、渉は満面の笑みを見せた。
「かっこいい?」
「うん! 誰かを助けるために何処にでも行くヒーローはかっこいいだろ!?」
「……確かに」
 青はとても大事なことに気づいたような表情で一瞬固まると言葉を繋げた。
「確かに凄いかっこいい!」
「へへっ! だろ?」
 花が咲いたような笑顔で嬉しそうにそう言う青に対して、まるで自分がヒーローのように得意げな顔をする渉。
 渉は気分が良くなって、ヒーローに細かい小物を付け足していく。
「戦うための剣を持って、赤いマフラーはその戦いで破れていて、この仮面で顔を隠しているんだ」
 全ての小物に説明を付け足して、意気揚々と青に話すさまはとてもきらきらしていた。当然、青の表情もそれと同じできらめいている。
「ヒーローは仮面をしているから、助けられた人はヒーローの素顔を知らないんだね!」
「そうなんだよ! だからヒーローが感謝されるのは戦ってる時だけなんだ!」
 盛り上がる二人を日向と瀬奈と颯人の三人は、呆気に取られながら見ていた。それぐらい、二人は二人だけの世界に入っている。
「このヒーローが主役の本が読みたいなあ」
「そういえば青は本が好きなんだっけ?」
「うん! 小説も漫画も読むよ! あ、ねぇ」
 笑みを浮かべたまま青は言葉を紡いでいく。
「渉くん、漫画家になろうよ!」

          ***

 秒針を刻む音がどんどん大きくなっていき渉は、ガラクタの布団の中で目を覚ました。すっかり薄暗くなってしまった部屋は、クーラーをつけていなかったせいで蒸し暑い。
 窓から差し込む夕日の奥からはヒグラシの声が聞こえたような気がした。
「……夢……?」
 とても懐かしい昔の自分の夢を彼は見ていた。今とは全く違う自分の夢、でも確かに自分自身が体験したもの。
 たかが夢だと一蹴されそうなものだったが、彼はそうしなかった。
 それはあることを思い出したから。
 遠い夏の日、夢を抱いた時のことを、今の渉がこうなってしまった一つのきっかけを思い出したから。
「……青」
 渉は今の今まで忘れていた彼の名前を口にした。
「なんで忘れていたんだ……?」
 幼い頃のあの日、あの時、彼が渉にあんなことを言わなければ、渉は今の最悪な状態になってなかったのかもしれない。
 いや、しかしそれよりもそんな大切なことを忘れていたのが不思議だった。
 小学校の時、そんな印象的な出会い方をしていたら忘れるはずがない。
 まるで今まであったのに見えていなかった霞が一気に見えるようになって、それが一瞬で晴れるように、渉は一つの記憶を思い出した。
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