4 / 39
6月篇
6月篇第1話: 映画の好みが違っていて困ってます
しおりを挟む
今日も青空が広がっている。葉桜の並木も穏やかな風に揺れている。
わりと朝早く家を出る僕らにとってはこの時間帯の夏服は少し冷えるけれど、穏やかにそよぐ風の気持ちよさと引き換えならばそこまで悪くない。
朝から平和なひととき。
人通りのない道の赤信号ものんびりと待てるくらいに、今日は精神的な余裕がたくさんあった。いつもこんな感じならいいのになぁ、とか思ってしまう。
「ねえねえ。この映画知ってる?」
スマホをいじっていたエリカちゃんが、そう言いながら僕ら3人の前に立って画面を見せてきた。
3人が同時に顔を寄せる。画面に表示されていたのは最近話題になっていた恋愛モノの映画の公式サイト。たしか今月下旬に公開になるヤツだった。
「あー、知ってる知ってる。アレでしょ? この映画に合わせて終わっちゃうマンガの」
「そうそう、それそれ! 原作の完結に合わせて公開になるんだよね、これ」
「へえ……」
ちょっと気になったので僕もスマホで軽く検索してみる。ちらっと見えたタイトルを若干うろ覚えながらもささっと打ち込んで、後はグーグル先生の助けを借りてみる。さすがは先生、すぐに見つけてくれた。ありがたいことに、僕の若干のタイピングミスも察した上で教えてくれている。頭が上がらない。
どうやら原作は少女マンガで、その実写化。わりと俳優陣も豪華で、マンガの実写化にはほぼ登場してくる大人気俳優さんが主人公の友人役であることなどが、ネットニュースに書かれている。
ストーリー展開としては、いわゆる『青春恋愛ド真ん中』のタイプ。涙のシーンもきっちり盛り込んだ上で、恐らくはハッピーエンドになってくるタイプ。正直言うとそこまで恋愛モノが得意なタイプではないので、こういうのばかりが続くと胸焼けがしてきそうだが、でもたまには見たくなるタイプの映画だった。
「これ、行きたいんだよねー!」
「私もちょっと気にはなってるんだけどねー」
きゃあきゃあと盛り上がる女子ふたりを余所に、冷静なまでに信号が青になる。スマホをポケットにねじ込んで歩き出すと、ふたりもちょっと遅れてついてきた。
「……どんな話? それ」
「ん? ……あ、これ見る?」
盛り上がり損ねたシュウスケがエリカちゃんに訊くと、エリカちゃんはぱちっとした目を向けつつシュウスケにスマホを渡した。開かれていた公式サイトの画面を、いかにも適当な感じに時々タップを混ぜながらスワイプして、何やら少し思案顔になった。
――何だ。そこまで考えるようなことがあったか?
シュウスケの横顔を見ながら、こちらまで少し思案顔になっていると――。
「へえ。……エリカって、そんなのがイイんだ?」
「ぅわ」
――風が、止んだ。穏やかにそよいでいた風がスッと止んだ。
ぴたりと葉擦れの音も止まった瞬間だったので、僕の変な声が聞こえてはいないか不安になったが、シュウスケとエリカちゃんには聞こえていなかったらしい。
シュウスケ。たとえそれを思っていたとしても、その言い方は、マズいってば。
好みの映画ジャンルを訊くにしても、もう少し訊き方があるってば。
いくら幼なじみでも、それは――。
「……ふーん?」
ああ、ほら。言わんこっちゃない。思ったとおり。
エリカちゃんの声のトーンが3段階くらい下がった。それと同時に、パチッと開いていた目が一瞬で半開きになる。いわゆるジト目、絵に描いたようなジト目ってヤツだ。
僕は極力ふたりに悟られないように、歩く速度を7割くらいに下げる。気付かれてしまわないように、歩くのだけは止めずに、すーっと後ろに下がるように。
すると、僕とエリカちゃんの間を歩いていたルミも同じように、すーっと後ろに下がってきた。
ふたり分空いていたスペースなんて元々無かったかのように、シュウスケとエリカちゃんの距離が縮まる。もちろん、そのムードは険悪。とはいっても、険悪オーラを出しているのはまだエリカちゃんだけ。気が付かないのは男ばかりなりけり。
エリカちゃんはシュウスケの手の中にあった自分のスマホを思い切りひったくって、
「別にー? 私はシュウスケと行きたいとはひとっことも言ってないですけど?」
「は?」
「人の好みを『そんなの』呼ばわりする人とは、いっしょには行きたいとはこれっぽっちも思わないしぃー?」
「俺だって願い下げだ。そもそも俺は、アクションとか、そういうタイプの方が好きだし」
「だから、そんなことも訊いてませんー! 自意識過剰すぎるのよ、アンタは」
「はぁ!? いちいちちっせえことにゴチャゴチャとうるさいのは、お前のほうじゃねえか!」
「なによ!? 図星突かれたからって逆ギレ!?」
――さらば、僕らの平和なひととき。
ため息が漏れる。
ほら、やっぱり思った通り。
せめてそこは『そういうのが好きなのか?』って訊けよ、シュウスケ。
何で『そんなの』なんて言い方をするんだよ。
大抵の人はそんな言い方されたら、好きなモノを貶された、って思っちまうだろうが。
「……ちなみに、補足するとね?」
朝とは思えないくらいに疲れた顔をしていたルミが、正面で繰り広げられている痴話喧嘩を見ながら言った。
「あの子、ああいうストーリーが好きなのは確かなんだけど、メインターゲットは主役と……、この役者さん」
「……ああ、なるほど」
ルミがスマホの画面を見せてきたので、遠慮無く拝見。なるほど納得、即座に納得。
「シュウスケに似てるな、この人」
「でしょ? 思ったよね?」
「そういうことね、なるほどね」
主役がイケメン。これはよくわかる。固定視聴者がしっかりいそうなタイプの役者さんだ。
その主人公の友人が数人いるのだが、その中のひとりが、なかなかどうしてシュウスケによく似ている顔立ちだった。そこそこ身長もありそうだ。これは体躯を含めても似ているような予感がする。
「この俳優さん、ちょっと名前教えて?」
「……はい」
ルミがスマホに出してくれた名前と顔をしっかり脳細胞にインプット。一応画面も写真を撮らせてもらう。
「……あ、そろそろ早めに歩かないとマズいかも」
「マジで?」
時計を見ればたしかに、先ほどまであったはずの余裕がどこかに消えて無くなっていた。このままだといつもの電車には間に合わない。
「ちょっとー! ふたりともー!!」
「いい加減にしないと間に合わなくなるぞ!」
いまだに言い合っているふたりを追い越しつつ、痴話喧嘩に負けない声量で叫んだ。
○
いつもより、席が狭い。
パーソナルスペースの2割くらいは、ルミと重なってしまっている感じがする。
とはいえ、この前と違って準備はできている。座席に着く前に、しっかりとスマホを手に握っておいた。これで下車までの時間を無駄にしないで済む。
反省はしっかりすることが大事だ。
○
下車後、いつも通りにふたりと別れた数分後。飲み物を買うと適当な理由を付けて、地下鉄駅改札近くのコンビニに入った、その後。
「さっき、エリカちゃんが言ってた映画なんだけどさ」
「……ぁん?」
シュウスケはまだ不機嫌モード継続中。どこからどう見ても『アイツの名前、出してくれてんじゃねえぞ』と威圧してくるような態度だ。
だがな、シュウスケ。言っちゃ悪いが、今回はお前が8割以上悪いと思うぞ。
ひとまずこのままでは話にならない。飲み物といっしょに買ったシュウスケの好物のひとつでもあるアーモンドチョコを渡しながら言葉を続ける。ぶすっとしていたシュウスケは気付いていない、さっきの車内で僕が調べていたとっておきの情報だ。
「アレに出てる俳優も出る別の映画、再来月にも公開になるらしいぞ」
「……ふん」
「しかも、アクションコメディだってさ」
「……い、いや。いい、別にいい。行かねえ」
つくづく演技の下手なヤツだ。食指が動いたの、バレバレだぞ。しかもさっきと同じパターン。僕も『公開される』と紹介しただけで、直接お前を誘ってはいないぞ。
「ホントにいいのか?」
「いいっ。……そもそも、俺は家で見る派だし」
――嘘つけ、バカ。
気になる作品が公開になる1週間前には、わりと僕の予定を訊きに来るクセに。
映画見ながら喰う、キャラメルソースのかかったポップコーンが大好物のクセに。
めっちゃお気に入りの映画のときは、それプラス高いカップアイスも頼むクセに。
――何で僕にまで意地張るかなぁ。
「まぁ、いいや。……先回りして前売り券買っといてやろ」
どうせ、話が振られてくるんだろうし。
アーモンドチョコを片手に、早々に改札をくぐり抜けていったシュウスケには絶対に届かないくらいの声で、こっそりと計画を立てておく。
わりと朝早く家を出る僕らにとってはこの時間帯の夏服は少し冷えるけれど、穏やかにそよぐ風の気持ちよさと引き換えならばそこまで悪くない。
朝から平和なひととき。
人通りのない道の赤信号ものんびりと待てるくらいに、今日は精神的な余裕がたくさんあった。いつもこんな感じならいいのになぁ、とか思ってしまう。
「ねえねえ。この映画知ってる?」
スマホをいじっていたエリカちゃんが、そう言いながら僕ら3人の前に立って画面を見せてきた。
3人が同時に顔を寄せる。画面に表示されていたのは最近話題になっていた恋愛モノの映画の公式サイト。たしか今月下旬に公開になるヤツだった。
「あー、知ってる知ってる。アレでしょ? この映画に合わせて終わっちゃうマンガの」
「そうそう、それそれ! 原作の完結に合わせて公開になるんだよね、これ」
「へえ……」
ちょっと気になったので僕もスマホで軽く検索してみる。ちらっと見えたタイトルを若干うろ覚えながらもささっと打ち込んで、後はグーグル先生の助けを借りてみる。さすがは先生、すぐに見つけてくれた。ありがたいことに、僕の若干のタイピングミスも察した上で教えてくれている。頭が上がらない。
どうやら原作は少女マンガで、その実写化。わりと俳優陣も豪華で、マンガの実写化にはほぼ登場してくる大人気俳優さんが主人公の友人役であることなどが、ネットニュースに書かれている。
ストーリー展開としては、いわゆる『青春恋愛ド真ん中』のタイプ。涙のシーンもきっちり盛り込んだ上で、恐らくはハッピーエンドになってくるタイプ。正直言うとそこまで恋愛モノが得意なタイプではないので、こういうのばかりが続くと胸焼けがしてきそうだが、でもたまには見たくなるタイプの映画だった。
「これ、行きたいんだよねー!」
「私もちょっと気にはなってるんだけどねー」
きゃあきゃあと盛り上がる女子ふたりを余所に、冷静なまでに信号が青になる。スマホをポケットにねじ込んで歩き出すと、ふたりもちょっと遅れてついてきた。
「……どんな話? それ」
「ん? ……あ、これ見る?」
盛り上がり損ねたシュウスケがエリカちゃんに訊くと、エリカちゃんはぱちっとした目を向けつつシュウスケにスマホを渡した。開かれていた公式サイトの画面を、いかにも適当な感じに時々タップを混ぜながらスワイプして、何やら少し思案顔になった。
――何だ。そこまで考えるようなことがあったか?
シュウスケの横顔を見ながら、こちらまで少し思案顔になっていると――。
「へえ。……エリカって、そんなのがイイんだ?」
「ぅわ」
――風が、止んだ。穏やかにそよいでいた風がスッと止んだ。
ぴたりと葉擦れの音も止まった瞬間だったので、僕の変な声が聞こえてはいないか不安になったが、シュウスケとエリカちゃんには聞こえていなかったらしい。
シュウスケ。たとえそれを思っていたとしても、その言い方は、マズいってば。
好みの映画ジャンルを訊くにしても、もう少し訊き方があるってば。
いくら幼なじみでも、それは――。
「……ふーん?」
ああ、ほら。言わんこっちゃない。思ったとおり。
エリカちゃんの声のトーンが3段階くらい下がった。それと同時に、パチッと開いていた目が一瞬で半開きになる。いわゆるジト目、絵に描いたようなジト目ってヤツだ。
僕は極力ふたりに悟られないように、歩く速度を7割くらいに下げる。気付かれてしまわないように、歩くのだけは止めずに、すーっと後ろに下がるように。
すると、僕とエリカちゃんの間を歩いていたルミも同じように、すーっと後ろに下がってきた。
ふたり分空いていたスペースなんて元々無かったかのように、シュウスケとエリカちゃんの距離が縮まる。もちろん、そのムードは険悪。とはいっても、険悪オーラを出しているのはまだエリカちゃんだけ。気が付かないのは男ばかりなりけり。
エリカちゃんはシュウスケの手の中にあった自分のスマホを思い切りひったくって、
「別にー? 私はシュウスケと行きたいとはひとっことも言ってないですけど?」
「は?」
「人の好みを『そんなの』呼ばわりする人とは、いっしょには行きたいとはこれっぽっちも思わないしぃー?」
「俺だって願い下げだ。そもそも俺は、アクションとか、そういうタイプの方が好きだし」
「だから、そんなことも訊いてませんー! 自意識過剰すぎるのよ、アンタは」
「はぁ!? いちいちちっせえことにゴチャゴチャとうるさいのは、お前のほうじゃねえか!」
「なによ!? 図星突かれたからって逆ギレ!?」
――さらば、僕らの平和なひととき。
ため息が漏れる。
ほら、やっぱり思った通り。
せめてそこは『そういうのが好きなのか?』って訊けよ、シュウスケ。
何で『そんなの』なんて言い方をするんだよ。
大抵の人はそんな言い方されたら、好きなモノを貶された、って思っちまうだろうが。
「……ちなみに、補足するとね?」
朝とは思えないくらいに疲れた顔をしていたルミが、正面で繰り広げられている痴話喧嘩を見ながら言った。
「あの子、ああいうストーリーが好きなのは確かなんだけど、メインターゲットは主役と……、この役者さん」
「……ああ、なるほど」
ルミがスマホの画面を見せてきたので、遠慮無く拝見。なるほど納得、即座に納得。
「シュウスケに似てるな、この人」
「でしょ? 思ったよね?」
「そういうことね、なるほどね」
主役がイケメン。これはよくわかる。固定視聴者がしっかりいそうなタイプの役者さんだ。
その主人公の友人が数人いるのだが、その中のひとりが、なかなかどうしてシュウスケによく似ている顔立ちだった。そこそこ身長もありそうだ。これは体躯を含めても似ているような予感がする。
「この俳優さん、ちょっと名前教えて?」
「……はい」
ルミがスマホに出してくれた名前と顔をしっかり脳細胞にインプット。一応画面も写真を撮らせてもらう。
「……あ、そろそろ早めに歩かないとマズいかも」
「マジで?」
時計を見ればたしかに、先ほどまであったはずの余裕がどこかに消えて無くなっていた。このままだといつもの電車には間に合わない。
「ちょっとー! ふたりともー!!」
「いい加減にしないと間に合わなくなるぞ!」
いまだに言い合っているふたりを追い越しつつ、痴話喧嘩に負けない声量で叫んだ。
○
いつもより、席が狭い。
パーソナルスペースの2割くらいは、ルミと重なってしまっている感じがする。
とはいえ、この前と違って準備はできている。座席に着く前に、しっかりとスマホを手に握っておいた。これで下車までの時間を無駄にしないで済む。
反省はしっかりすることが大事だ。
○
下車後、いつも通りにふたりと別れた数分後。飲み物を買うと適当な理由を付けて、地下鉄駅改札近くのコンビニに入った、その後。
「さっき、エリカちゃんが言ってた映画なんだけどさ」
「……ぁん?」
シュウスケはまだ不機嫌モード継続中。どこからどう見ても『アイツの名前、出してくれてんじゃねえぞ』と威圧してくるような態度だ。
だがな、シュウスケ。言っちゃ悪いが、今回はお前が8割以上悪いと思うぞ。
ひとまずこのままでは話にならない。飲み物といっしょに買ったシュウスケの好物のひとつでもあるアーモンドチョコを渡しながら言葉を続ける。ぶすっとしていたシュウスケは気付いていない、さっきの車内で僕が調べていたとっておきの情報だ。
「アレに出てる俳優も出る別の映画、再来月にも公開になるらしいぞ」
「……ふん」
「しかも、アクションコメディだってさ」
「……い、いや。いい、別にいい。行かねえ」
つくづく演技の下手なヤツだ。食指が動いたの、バレバレだぞ。しかもさっきと同じパターン。僕も『公開される』と紹介しただけで、直接お前を誘ってはいないぞ。
「ホントにいいのか?」
「いいっ。……そもそも、俺は家で見る派だし」
――嘘つけ、バカ。
気になる作品が公開になる1週間前には、わりと僕の予定を訊きに来るクセに。
映画見ながら喰う、キャラメルソースのかかったポップコーンが大好物のクセに。
めっちゃお気に入りの映画のときは、それプラス高いカップアイスも頼むクセに。
――何で僕にまで意地張るかなぁ。
「まぁ、いいや。……先回りして前売り券買っといてやろ」
どうせ、話が振られてくるんだろうし。
アーモンドチョコを片手に、早々に改札をくぐり抜けていったシュウスケには絶対に届かないくらいの声で、こっそりと計画を立てておく。
0
お気に入りに追加
0
あなたにおすすめの小説
校長室のソファの染みを知っていますか?
フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。
しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。
座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る
女子高生は卒業間近の先輩に告白する。全裸で。
矢木羽研
恋愛
図書委員の女子高生(小柄ちっぱい眼鏡)が、卒業間近の先輩男子に告白します。全裸で。
女の子が裸になるだけの話。それ以上の行為はありません。
取って付けたようなバレンタインネタあり。
カクヨムでも同内容で公開しています。
隣の席の女の子がエッチだったのでおっぱい揉んでみたら発情されました
ねんごろ
恋愛
隣の女の子がエッチすぎて、思わず授業中に胸を揉んでしまったら……
という、とんでもないお話を書きました。
ぜひ読んでください。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる