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弐、次男の苛立ち
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しおりを挟むモーリスがお使いを頼まれ、ヴィヴィアンが外で遊んでいた頃。
残されたエルドレッドは、黙々と研究を続けるノアを守るために家に残っていた。
「…チッ…なんで俺が…」
留守番を任されてしまったことに不服そうなエルドレッド。
忠実なモーリスや甘えん坊のヴィヴィアンとは違い、彼だけは唯一創造主に対して反感を抱いていた。
その理由は…反抗期。
ノアの手により精神を『一般的な男性』として生み出されたエルドレッド。
当初は赤ん坊のようだった純粋無垢な精神もノアの設計通りに成長していき、ちょうど今になって思春期、及び反抗期を迎えていたのだ。
(…よりによってクソオヤジと二人きり…せめてヴィヴィアンが居れば俺も外に出てたんだが)
通常であればエルドレッドは家の外で野犬を追い払ったり、または独学で狩人の勉強をしている。
しかし留守番兼ノアの警護を任された今、いつものように好き勝手に動くことは出来ない。
…それを無視して外に出ることもしないエルドレッドもまた過保護気味と言えるだろうが、本人その自覚はなかった。
「………はぁ…」
そして長い沈黙の後に大きなため息をつくと、エルドレッドはリビングのソファから立ち上がる。
(とりあえず様子を見てくるか…何回か様子を見ておけばモーリスも文句は言わないだろ)
眉間に皺を寄せながら廊下を歩き、研究室のドアを静かに開けるエルドレッド。
そのドアの隙間から部屋の中を伺えば、そこには熱心に釜へと向かうノアの姿が。
「……ふむ…やはりこれでは…しかし…」
(…相変わらず陰気臭ぇ顔しやがって、あんな釜見て何が楽しいんだ?)
錬金術の研究をするノアは真面目な表情をしながらも何処か楽しそうで……エルドレッドは、その顔がとにかく気に入らなかった。
「………チッ」
胸に渦巻く苛立ちと不快感に舌打ちを抑えきれず、エルドレッドは静かにその場を立ち去る。
しかし…
ーーガシャンっ!
『っ、うあ…!』
「っー!?」
研究室から聞こえてきた大きな物音とノアの声。
それを聞いた瞬間、エルドレッドは反射的に踵を返して研究室へと飛び込む。
バンッ!
「オヤジっ!?」
「っ……あぁ、エルドレッドか」
緊迫した様子のエルドレッドとは違い、ノアは意外にも落ち着いた様子だった。
しかしその足元には割れたガラス容器が散乱し、何かしらの薬品と思われる液体が床を濡らしている。
「………何があった」
「いや、誤ってフラスコを落としてしまってな。中身は改良中の培養液だったから触れても害はない物だが…驚かせてしまってすまなかったな」
怪我がないことを安堵しながらも、エルドレッドは不機嫌そうに目を細めてノアを睨みつける。
しかし当のノアはその視線の意味に気付くことも無く、床を拭いて割れたガラス容器を回収していた。
「…退いてろ。俺がやる」
「む。しかし落とした私が片付けるのが道理だろう?」
「下手に怪我でもされたら困るんだよ」
突き放すような息子の言葉にノアは少し眉尻を下げながらも大人しく引き下がる。
「……そうか…すまないな」
「…チッ」
(…なんだよその顔は……クソっ、気に食わねぇ…)
また胸の奥から湧き上がってきた苛立ちや不快感に 大きな舌打ちをするエルドレッド。
そのままノアを無視し、雑にガラスの破片を拾い集め始める。
その間にノアは机の上を綺麗に片付けて実験途中だった釜の火を弱めていた。
そして、その数分後…
「……エルドレッド。それが終わったら…」
「アァ?急に話しかけてくんじゃねぇよクソオヤ…っ!!」
不意にノアが声をかけた瞬間、エルドレッドは指先に走った痛みに声を詰まらせる。
ふと指先を見ればほんの数ミリに渡って血が溢れ、切り傷のようなものが出来ていた。
「チッ…切っちまったか…」
「っ!エルドレッド!」
その様子に今度はノアが珍しく声を荒らげる。
突然大きな声をあげた父親にエルドレッドが目を丸くしていると、不意打ちのようにノアの唇が傷口に触れる。
「………っー!?ば、バカっ!何して…!」
「ガラス片は刺さってないようだな…よかった」
至極真面目な表情でエルドレッドの怪我を心配するノア。
しかし当のエルドレッドは、ノアの唇に付いた自身の血液に釘付けになっていた。
(…オヤジの、唇に…俺の血が…)
「まずは綺麗な水で傷口を洗ってから薬を……エルドレッド?どうした?」
「………………」
無言で俯くエルドレッドにノアは訝しげに眉間にシワを寄せる。
「傷が痛むか?エル……」
『黙れ』
ードンッ!
不意にそう呟いたかと思えば、エルドレッドはノアの細腕を掴んでその細い体躯を勢いよく本棚へと押し付けた。
「っ…え、エルドレ…っ!?」
そして…突然ノアの唇に触れた、ぬるりとした生暖かい感触。
それがエルドレッドの舌だと理解するのに10秒ほどかかり、ノアは驚愕と困惑に言葉を失った。
(……今、のは…舌?エルドレッドが、私の唇を舐めた…?しかし、何故…)
「……………クソっ」
思考を停止させ困惑するノアをよそに、エルドレッドは突然舌打ちをすると掴んでいた腕を離す。
「……手当はもういい。これ(ガラス片)、捨ててくる」
それだけ告げると、エルドレッドはガラス片を紙に包んで逃げるように研究室を立ち去ってしまった。
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