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8章 真実を知る時
10 高笑い
しおりを挟むカムチヴォスは山城にやって来た赤毛の男を手厚く迎え入れる。
「王宮の宝物庫からこれを盗み出すとは、実に見事に仕事をこなしたな」
侯爵家の跡取りでもあるレーリオが、庶民のふりをして二年間も潜伏していたのだ。
並大抵の苦労ではなかっただろう。
表向きにはフォルテ子爵はセキアへと帰ったことになっているが、実はずっとメストに潜んでいた。
動向を探っていた連中はまんまと騙されて、『復活の灯火』がメストから手を引いたと思っていたに違いない。
「準備に一年半かかかりました」
ドロステア王が飼っている銀虎の首輪を作っている馬具職人が、あの首輪には特殊な仕掛けがあると飲み屋の女が漏らしていたのを、レーリオは偶然耳にする。
盗賊の勘が働き、それからというもの、王が飼っている銀虎について調べた。
銀虎はなんでも、王にしか心を許しておらず、暇があれば王自らの手で餌をやり毛皮の手入れをしているらしい。
(——だったら首輪を取り外しできるのも王しかいない……)
レーリオはその銀虎の首輪に宝物庫の鍵が隠してあるのではないかと睨んだ。
そして見事に、難攻不落といわれる王宮の宝物庫に忍び込むことができた。
「ドロステア王もまさか宝物庫が破られるとは思ってもいなかっただろうな」
悔しそうに歯噛みするドロステア王の顔を想像し、カムチヴォスは自然と浮かび上がる笑みを隠すことができない。
情報によると『契約者』も手紙を読んで、こちらに向かって来ているという。
まだ満月の宴まで半月近くあるので充分に時間はある。
今の所なにもかもが順調に進んでいる。
こんな愉快な気持ちになったのは何年振りだろうか?
「大仕事をやってのけたすぐだが、君にもう一つ頼みたいことがある」
「——なんでしょう?」
「どうも君の報告によると、レネは跳ねっかえりだと聞いた。ここにやって来たとしても大人しく言うことを聞くとは思えん。王としての振舞いを君に仕込んでほしいと思っている」
レーリオの父親はセキアでも有力貴族のカステロ侯爵だ。自らもフォルテ子爵を名乗っている。
母は宮廷女官で、セキア王家とも深いつながりがある。
レーリオ自身も皇太子の学友として少年時代を過ごしてきた。
そういった家柄ともあって『復活の灯火』の中では、一番王族について詳しい。
だがそんなものは、組織の者たちに口を挟まれないための表向きの理由に過ぎない。
カムチヴォスとしては、従順で扱いやすい人物になる様に仕込んでほしいのだ。
「私が……?」
レーリオの瞳は見開かれた後、欲望の色を含んだ光を増す。
カムチヴォスが予想した通りの反応だ。
「——そうだ。神との契約に向け、従順な青年にしてほしい」
宴の日には外部から客を招く。一日くらいだったら大人しくさせることはできるだろう。
しかし半年後に迫った契約の儀式では、『契約者』が主体となって神との契約を行わなければならない。
その後も態のいい傀儡として、新生スタロヴェーキ帝国の皇帝になって貰わなければならない。
『復活の灯火』の本来の目的は神殿の復活だが、カムチヴォスはそんなちっぽけな目標だけで終わらせるつもりはなかった。
レネが神との契約を果たし五つの力を使えるようになったならば、帝国軍を一人で滅ぼしたレナトスのように、西国三国どころか東国のシキドペリア帝国をも支配下に入れることができるだろうとカムチヴォスは考えている。
そしてレネを新たな皇帝とし、西国と東国を統一する巨大帝国へと発展させる。
レナトスの時もあと少しで東の帝国を支配下に置くことができたのに、レナトス自身が謎の死を迎えたことで、スタロヴェーキ王国自体が三つに分裂してしまった。
ボークラード大陸に巨大帝国を作る。
これは『復活の灯火』の悲願ではなく、レナトスの血を引くカムチヴォス……いや……今もひっそりとドホーダに隠れ棲む一族の悲願なのだ。
そのためにはレネを思い通りに操らなければならない。
「そんな大役を任せてもらえるとは大変光栄です」
レーリオは胸に手を当て恭しく礼をする。
未来のカステロ侯爵が自分に家臣の礼をするとは、悪い気分ではない。
だがカムチヴォス自身も、分裂した国の侯爵ごときが直接口をきけるような存在ではないいのだ。
このペリドットの瞳が全てを物語っている。
スタロヴェーキ王家の血の中でも、特に魔力の強いレナトスと同じ瞳の色を持つ自分は、一族の中でも特別な存在なのだ。
いつも思う。
自分の髪が銀髪だったら……直系男子として自分が『契約者』となっていたかもしれないのに……。
レナトスの末裔の中に銀髪はたくさんいる。
だが若草色のこの瞳は、滅多な確率でしか出現しない貴重な存在だった。
年をとり、茶色だったカムチヴォスの髪も白髪へと変わりつつある。
この髪が全て白髪になったら、銀髪と呼べなくもない。
もしかしたら自分も神々との契約を執り行えるのではないか……と思ったこともあった。
だが儀式に詳しいシリルの説明によると、神々はレナートの美貌に魅せられ自分たちの力を分け与えたというではないか。
もともと容姿に自信がなかったカムチヴォスだが、もうすぐ五十に手が届く年齢の自分が、神々に選ばれるとはさすがに思わない。
悔しいが……今はレネに全てを託すしかない。
羨望と憎しみ……そして同じ血が流れる者としての少しの愛情。
レネに抱くカムチヴォスの感情は複雑だった。
◆◆◆◆◆
自分に……『契約者』であるレネの教育を一任された。
レーリオは興奮を隠せないでいた。
山城に滞在するあいだ与えられた自分の部屋に帰って来ると、思わず両手の拳を胸の前で握り締める。
二年前メストの目抜き通りで、自分の胸の中に飛び込んで来た美しい青年の存在を思い出す。
この山城の壁画やリンブルク伯爵の息子が描いた絵の中の『契約者』の姿を見るだけでも心が高鳴ったが、本物はそれとの比ではなかった。
血肉を持ってを具現化された神に愛される存在は、こんなにも素晴らしいものなのかと思い知らされた。
一目見ただけで、『間違いない。この青年がレナトスの生まれ変わりだ』といわせる説得力があった。
レーリオが目にした時は、一緒に歩いていた男と何やら言い争いをしていたが、まるで喧嘩をする兄弟の様で心許した相手のようだった。
口論に夢中で気配を消していたレーリオに気付かず、この胸の中に自ら飛び込んで来たのだが、五感がその全てを記憶している。
その声も……張りのある瑞々しい肉体の感触も。
支配者の威厳を持った壁画の中のレナトスとは違い、レネは虫をも殺さないような険のない表情をして、レーリオにぶつかってしまったことを詫びてきた。
しかしそれから集めた情報によると、レネはどうも見かけ通りの青年ではないようだ。
負けず嫌いで剣の腕も相当のものらしく、護衛団の中でも敵う者は団長を含め数名しかおらず、弱肉強食の物差ししか通用しない傭兵団の中でも一目置かれる存在だという。
レーリオは最初、そのことが信じられなかった。
団長の養子なので団員たちにチヤホヤされているだけだろうと思っていた。
第一あんなに華奢で儚げな青年が、力自慢が集う男たちの中でどうやって自分の存在を誇示するのだ?
そんなレーリオの疑問は、新たな詳しい報告によって覆される。
あの時レネと一緒に歩いていたのは団長の実の息子バルトロメイであり、レネはその息子を決闘で負かせ自分に剣を捧げる騎士としていたのだ。
レーリオが見た限りではかなり砕けた主従関係の様に見えたが、レネは決闘で勝った後に、徹底的にバルトロメイに自分が上であることをその身体に刻み込んだらしい。
証拠としてバルトロメイの首の後ろには、今でも噛み痕が残っているという。
自分が上であるとわからせるために首の後ろを噛むとは、まるで獣のようではないか。
『お前は、自分の所有物だ』とわからせるためなのだろう。
決闘の後日、バルトロメイがレネに剣を捧げた様子は、今でも団員たちの語り草になっているそうだ。
密告者を通して知った情報に、レーリオは身体を熱くした。
バルトロメイは、レーリオと変わらないほど体格のいい男だった。
先の大戦の英雄といわれる団長の血を継いでいるだけあり、剣の腕も相当なものだそうだ。
そんな男を力で従わせるほど、強さと激しい気性を持っているレネ。
壁画に描かれたレナトスは支配者としての圧倒的な威厳を備えていた。
ただの絵にも関わらずレーリオは畏怖を感じた。
それにも関わらず、——これは雄としての性だろうか……こんな高飛車な美青年を屈服させることができたらどんなに素晴らしいかという欲を抱いた。
レネの意外な一面を知ってから、レーリオはレナトスに感じていた欲望をそのままレネに向けた。
肉体のない絵の中の存在よりも、生身の方がいいに決まっている。
見かけ通りただ大人しいだけの青年だったら、そこまで興味は湧かなかったかもしれないが、レネは見かけ通りの青年ではない。
カムチヴォスからそんな青年を『従順にしてほしい。やり方は任せる』と言われた。
本来なら絶対手が出せない存在を自由にできるのだ。
とは言っても、『神々から愛される存在と人間が交わってはいけない』と釘を刺された。
肉体を傷つけないことと、それさえ守れば、こちらの意向を従わせるためになにをやってもいいのだ。
これまでに二年間、耐えに耐え抜いて聖杯を盗み出した褒美として、カムチヴォスは自分にレネを好きにする権利を与えた。
この大役を果たすべく、どうやってレネを従わせようかと頭の中で想像する。
やり方はいくらでもある。
今現在レーリオが持っている駒を最大限に生かして、どうすれば効果的にレネを堕とすことができるか。
レーリオは漏れ出す笑みを抑えることができないでいた。
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