菩提樹の猫

無一物

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7章 人質を救出せよ

12 契約違反

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「——アルノーさん。これを」

 少し離れた場所に座っている護衛対象のアルノーにロランドは懐から取り出した紙を見せる。
 人質に取られたことがよっぽどショックだったのか、太った商人は解放されてからもずっと元気がない。

「…………」

 なにかが書かれた紙を読み、それを持つ手がプルプルと震えている。
 明らかに動揺しているのが見て取れる。

「貴方はこの契約書にサインを書いているということは、此処に書いてあることを全て承諾しているということです」

「…………」

「今回はメストでの護衛だとそこに書いてありますよね? なぜザクラトゥコ村へ?」

「……急に用事が入ったんだ」

 焦った顔をしながらアルノーはロランドに説明するが、明らかに疚しい所がある人間の喋り方だ。

「先ほどザクラトゥコ村で貴方の仕入れ先の農家から話を聞いて行きましたが、村へ仕入れに来る予定は一月前から決まっていたと言ってましたよ?」
 
「あいつめっ……ペラペラ喋りやがって」

 嘘を吐き通すのも無理だと思ったのかアルノーは開き直り、ただ訊かれたことを喋った農家に文句を垂れる始末だ。
 残念なことに、このような依頼人は一定の割合でいるので、こうしてちゃんと契約書を交わして違約したら違約金を払ってもらうことになっている。

「そこに書いてあるように今回は契約違反ということで違約金が発生します」

 ロランドは淡々と告げる。

「なにを言う、儂につけた護衛はちっとも役立たずだったじゃないか。護衛さえしっかりしてればこんな危険な目にも遭う必要がなかったっ! それなのに違約金とはあんまりじゃないか」

「少しでも費用を安くしたいと、一番下のランクの護衛を選ばれたのは貴方です。メスト内だったら彼らでも充分だったのに、どうしてサーコートを脱がせて遠出したんです? 流石にこれでは護衛たちも力を発揮できません」

「そんなこと言ったって、こっちだって事情があるんだよ。あんな物々しい格好じゃあ…………」

「契約書通り今回は違約金に、私たち四人の料金も加えさせていただきます」

「なんだそれは! そんなこと聞いてないぞ」

「私たちは最も指名料の高い部類に入ります。アルノーさんもご覧になったと思いますが、四人で二十人以上の盗賊を倒しました。本来ならこんな値段では済みません。身代金よりも随分安い値段ですよ?」

 ロランドは次々とアルノーの痛い所を突いて、高額の違約金とレネたち四人の護衛の追加料金を払うことを了承させた。


◆◆◆◆◆


「おい、お前が飯の下拵えをしろ」
 
「……は?」

 ゼラの突然の言葉に、ロランドが固まった。
 暖炉の前の床に座ってその様子を見ていたレネとフィリプも、思わずゼラとロランドの方を見上げる。
 
「ここに来る途中、旨そうなキジがいたから仕留めてきた。俺は今からヘークの傷を縫うからお前が羽を毟って捌け」

「……は?」

「それともお前が縫うか?」

(ゼラ……なにを言ってるんだ……!?)

 ロランドに足を縫われるヘークを想像してレネは蒼白になる。
 あとでボリスから治療してもらえるといえども、裁縫などしたこともないような男から足を縫われるなんて大惨事になりかねない。

「俺に裁縫ができると思うか?」

 少し首を傾げて、灰色がかった翡翠色の瞳を見開き、真顔でゼラを見つめる。
 ゼラに問いかけるロランドの顔が既に怖い。

 なぜ優し気な顔をしておきながら、こんな狂気じみた表情ができるのだろうか?
 いや……優し気な顔をしているから余計に怖いのかもしれない。

(こわっ……)

 こんな男に針など持たせてはいけない。
 きっと余計に傷が広がってしまう。

「あの……是非ともゼラさんでお願いします」

 ロランドのことをあまり知らないはずのヘークでさえもなにかを察知しているではないか。

 麻酔なしの傷の縫合は、叫び出したくなるほど痛い。
 レネも以前ゼラに縫われたことがあるのでその痛さはよくわかる。
 不器用な人間には針を持たせてはいけない。
 大惨事しか待っていない。


「……じゃあお前がキジを捌け。そこの麻袋の中に入ってる」

 ゼラが縫合の道具を出しながら、鞄の横に置かれてる麻袋を顎で示す。

「仕方ない……縫うよりも切り刻む方が得意だ」
 
 ロランドの言葉を聞いてヘークが安堵の溜息を吐いている。
 そんなヘークを一瞥すると、ロランドは指示された通リ、麻袋の中から丸々と太ったキジを取り出した。
 確かに脂が乗っていて旨そうだ。

 一人で先に森の中に入って行ったと思ったら、ゼラはそんなことをしていたのか……。
 レネがそんなことに気をとられていると、ロランドが目の前にキジをぶら下げじっと見ている。
 
(なんだかとてつもなく嫌な予感がする……)

 先ほど敵を目の前にした表情と同じだ。
 とてもじゃないが食料を前にして浮かべていい表情ではない。

「……オレが——」

 ロランドにやらせるよりもマシだろうとレネが口を開こうとすると、後ろからフィリプに口を塞がれる。

『せっかくおもしれぇのに邪魔すんな』

 二人に聴こえないようにフィリプはレネの耳元でコソコソと喋る。

『でも……』

 口ではそう言ったものの、レネも料理をするロランドを見てみたいという、いけない好奇心が湧いてきて、『オレが代わりにやる』という言葉を飲み込んでしまった。
 それにふだん口数の少ないゼラと、なぜか大人しく言うことを聞くロランドの図など滅多にお目に掛かれるものではない。
 たぶん此処にカレルがいたら、今ごろ爆笑してるだろう。

 こうして、なんとも奇妙な光景が繰り広げられることとなった。


 ロランドは自分のナイフを取り出すと、いきなり腹に切っ先を当てる。

「……おい、まさかそのまま捌くつもりなのか?」

 針を持ってヘークの皮膚に針を入れようとしていた直前で、ゼラは動きを止めロランドの方を見た。
 息を詰めて苦痛の瞬間を覚悟していたヘークは、食いしばれるよう口に布を咥えたまま硬直している。
 寸止めされ、とんだ肩透かしだ。
 

「——違うのか?」
 
 純粋になにも知らないといった顔でロランドが訊き返すと、ゼラが目を見開く。
「嘘だろう?」と言わんばかりに、群青の瞳がロランドの手元と顔を何度も往復した。
 きょとんとしたロランドと、ゼラの動揺した顔の対比に、レネはついつい肩を揺らして笑いを堪える。
 よく見たら隣にいるフィリプの肩も揺れている。

「羽根を毟るのが先だ」

「こうか?」

「おいそれじゃあ床に散らかるだろ。麻袋を広げてその中で毟るんだ」

 まるで初めて料理の手伝いをする子どもと、それを指導する母親みたいだ。
 レネはもう何年もロランドと一緒に仕事をしてきたが、料理している所など一度も見たことがない。
 ロランドはメストでの仕事が中心で、自分たちで料理を作らなけれならないような任務に就くことは殆どなかった。
 泊りでメストを離れるにしてもちゃんと宿に泊まるような仕事ばかりだ。
 普段の食事も本部の食堂か外食で、ロランドの家の台所は使われている気配はない。

 そんな男に料理の下拵えを申し付けるとは、ゼラはなかなか勇気のある。
 いや……裁縫と料理という究極の二択をロランドに迫るあたり、猛者と呼んでも過言ではないかもしれない。


「ぐぅぅぅっっっっ」

 足を麻酔なしで縫われる痛みにくぐもった声を上げるヘークの傍らでは、ロランドが無心になってキジの羽を毟っているというシュールな光景が繰り広げられている。

「羽根を毟ったら今度は、尻の近くから腹側に向かって刃を入れて内臓を取り出せ」

 ゼラは針仕事を行いながらも、ロランドに指示を出すのは怠らない。
 
 二人とも手を血塗れにしながら、それぞれの作業を続けた。

 
 

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