菩提樹の猫

無一物

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6章 次期団長と親交を深めよ

20 真夜中の訪問者

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◆◆◆◆◆


 シリルはいつものように、翻訳の仕事をしていた。
 夜型のせいか、日が落ちないと作業に集中できない。

 暗くなると自然と発光を始める夜光石の灯りが、シリルの手元を優しく照らし出す。
 この夜光石は数ある色の中から選び抜いたもので、クリーム色と緑色がマーブル模様に入った珍しいものだ。
 薄っすらと緑がかった光が目に優しい。

 シリルのように薄い虹彩の持ち主は、光に敏感だ。
 夜型なのは薄い瞳の色のせいかもしれない。

 人々が寝静まった時間帯に、窓を開けてしっとりとした夜の空気を味わいながら、お気に入りのインクを使いペンを走らせる。
 
 
「さすがにあの手紙は怪しまれたかな……」

 メストに送った手紙の返事は一向にこない。
 あの時は勢いであんな内容の手紙を書いてしまったが、冷静に考えると自分宛てにあんな手紙がきたとしても、きっと返事は書かない。


「——実名と実在の住所を書くなんて不用心なことをして……」

「っ……!?」
 
 とつぜん後ろから声をかけられ、驚いて声もでない。
 人の気配には敏いはずなのに、後ろに人が立っていることに全く気付くことができなかった。

 隣の寝室ではロメオが先に寝ているが、シリルがこのまま殺されてもきっと朝まで気付かないだろう。

 もしかしたら……既にロメオは殺されているかもしれない。
 その可能性にシリルは血の気が引き、頭が真っ白になる。

 シリルは身長の割には身体も細いしおっとりとして見られがちだが、幼少の頃から剣を習っていたため腕には自信があった。

 しかし、この人物は次元が違う。


(いったい何者……?)

 少し掠れた声だけでは性別が判断できない。
 だからといって、後ろを振り向いて確かめる勇気はない。


「ちょっと長い話になりそうなので、そこにあるソファーを借りますよ」
 
 声の主が背後から動き斜め向かいにある休憩用のソファーへと移動する。
 人の部屋に忍び込んできているというのに、その人物は優雅に足を組んでシリルの方へと身体を向けた。

 その人物の外見はやはり声のとおり、性別は曖昧だ。
 全身黒ずくめの身体の線がでるピッタリとした服は、シリルにも馴染みがある。
 
 華奢なのだが、その身体付きは鞭のようにしなやかで、長い髪を後ろで三つ編みに束ねている。
 女性にしては背も高いし、胸もないのでたぶん男性だろう。
 しかしその姿からは隠し切れない妖艶な香りが漂っていた。


「……私でなくもう一人の男がここに来ていたら、きっと貴方は奴の餌食になっていたでしょうね」
 
 そう言って、滲んだインクみたいな瞳がシリルを見つめた。


「——あなたは何者です?」
 
『私はルカ。【喪われた歌】を受け継いだ吟遊詩人です』
 
 サラサラと流れ落ちる砂時計の砂のように、古い言語が花びらを連想させる唇から紡ぎ出された。
 耳慣れないこの言語を聞いた者は、まるで機械仕掛けの人形が喋っているかのような違和感を覚えるに違いない。

『驚きました。あなたも古代語の話者なのですね』

 しかしシリルは違った。
 古代語の翻訳を本業にするほど扱いに長けていた。
 そして数少ない古代語の話者でもある。
 シリルも夜中に現れた侵入者へ、優雅に古代語で返す。
 
 目の前にいる吟遊詩人が古代語を操る人物で、『喪われた歌』と口にするのなら……それは、あの歌しか考えられない。

『……あなたは、『レナトス叙事詩』の唄い手なのですか?』
 
 シリルは単刀直入に質問する。

『ええ。知人の元に貴方の手紙が届いたもので、相談を受けまして、多忙な知人に代わって私がお話を伺いに参りました』

『では、リーパ護衛団の団長殿は、私の手紙を読まれたのですね』

 あの手紙を読んで、わざわざ人が訪ねて来るということは、十中八九、例の青年の両親はシリルが手紙に書いた通り、殺害されていたのだ。

『はい。貴方はなぜあの手紙を団長に送ったのですか?』

 不思議な色に輝く瞳がスッと細められる。
 心の奥底まで見極めようとする視線に、シリルは身を硬くした。

 もう一人の男が来たなら……と最初の方にルカが言っていたが、そのぞんざいな言いようから団長とは別の人物だろう。
 もしその男がここに来ていたら、力ずくでシリルに事情を吐かせていたかもしれない。

 目の前にいるルカも、物腰こそ柔らかいが、その眼差しは金属のように冷たい。
 必要とあらば、なんの感情も動かすことなくシリルを殺すに違いない。

『あなたが唄い手なのなら、おわかりのはずです。残された時間はあまりありません』
 
 ルカが『レナトス叙事詩』の唄い手だということは、その青年の正体にも気付いているはずだ。

『なぜそれを?』
 
 初めて、ルカの表情が動いた。

『私は古代語の翻訳者として生計を立てています。以前、レナトスに関する古文書を翻訳する仕事を手がけました』

『そんな文献があったのですね』
 
 先ほどの無表情の時とは違い、興味深げにルカが目を輝かせる。

『ある所にはあるのです。あなたが受け継いだ歌のように』

 あの屋敷の中に大切に保管されてきた古文書の翻訳をまさか自分が請けるとは思わなかったが、きっとなにかの縁だったのだろう。
 幾つもの暗号が組み合わされたその文章はとても難解で、翻訳するのに苦労した。
 翻訳を依頼した人物は亡くなってしまい、今はその内容を知るのは自分だけとなった。
 
 こんな大きな秘密を自分の中だけに抱えておくことをができず、リーパ護衛団の団長の存在を知った途端に、いても立ってもいられなくなり筆を執ったのだ。


 それが吉とでたのか凶とでたのかは、今の時点でまだシリルは判断できないでいた。





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