菩提樹の猫

無一物

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5章 一枚の油絵

番外編 ジェゼロからの帰り道

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 バルナバーシュは、ジェゼロからの帰り道、カレルと二人でチェスタの『子栗鼠亭』へとやって来た。
 行きは一人でここに泊まったが、帰り道は一人お供がいる。

「あれ団長さん、帰りはカレルと一緒なんですね。二人部屋でいいですか?」
 
 カウンターに座る小柄な老人が、明るい顔で声をかける。
 ここの親仁は元リーパの団員で、チェスタへ来た時は必ずといっていいほど団員たちが『子栗鼠亭』を利用するので、団員たちの名前も一人一人憶えている。

「ああ構わん」
 
 後ろでカレルが「俺は大部屋でいいっス!」という顔をしているが無視する。

「夕食はどうします?」
 
「食堂で食うから大丈夫だ」
 
 部屋まで持って来てもらった方が楽なのだが、食堂で食べた方がメニューが豊富だ。

「はい、じゃあ二階の一番奥の部屋で」
 
「団長、荷物を」
 
 カレルが鍵を受け取って、二人分の荷物を背負い先へと急ぐ。
 
「えらく気が利くな」
 
 バルナバーシュは重い荷物から解放され、先に歩いて行ったカレルの背中を振り返って見た。

「あいつも、入団してずいぶんと経ちますからね。最初はこんな悪ガキに団員が務まるかって心配していたんですけどねぇ」
 
 宿屋の親仁もまるで自分の孫の話でもするかのように、しみじみと語った。
 カレルはジェゼロ出身なので、里帰りをする時は、通過点であるチェスタのこの宿を必ず利用する。

「もう年数だけで言うとベテランだからな」
 
 入団してきた時はまだ十代だったのに、今はもう二十五だ。

(そりゃあ年取るはずだよなぁ……)

 感慨に耽りながらバルナバーシュは、もう何度上ったかもわからない木の階段を、ギイギイと音を立て上って行った。


 
 夕食を済ませ、風呂から上がり暫くぼうっとした後、バルナバーシュは食堂に行って酒を一本貰って来た。
 カレルには一度話しておかなければいけない大事な話がある。
 部屋に戻り、いつの間にか風呂から上がっていたカレルに酒を勧め、グラスへ注いだ。


「なあ、お前は自分の知らない所でなにかがはじまっていることに薄々気付いてるだろ?」

「……レネに関係することですか?」
 
 この前の事件も、カレルが責任者だったのに、レネのまわりで起きた詳細を知らないままだ。

「そうだ。でもな、お前は知らなくていい」
 
 そう言うと、バルナバーシュはグラスの酒を呷った。

「……どうして!?」
 
 カレルの赤銅色の目が揺らぐ。

「カレル、人にはな……それぞれ役割がある。お前はゲルトの大切な弟子だ。俺はお前をゲルトから預かっている」

 ゲルトは実の子供もいるが、カレルのことをいつも気にかけている。
 そうじゃないと、家に忍び込んできた不良少年を、鍛え直してそのまま居候させたりしないだろう。
 リーパに入団する時も『弟子を宜しく頼む』とバルナバーシュはゲルトに言われていた。

「だからなんです? そんなこと言ったって、俺も任務でいつ死ぬかもわからないんですよ?」
 
「それとこれとは別だ。レネの問題はプライベートなことで、リーパには一切関係ない」
 
「……でもバルトロメイやゼラは……」
 
「バルトロメイはレネの騎士だ。それにゼラも全てを承知の上で協力している」
 
「……俺は必要ないんですね……」

 そう来るだろうと思っていた。
 誰だってそんなことを言われたら疎外感を感じるはずだ。

「違う。お前の力がリーパにとって必要だから、レネのことには加担させたくないんだ」
 
「……?」

「バルトロメイとゼラがレネのことで手一杯になって、お前まであっちにいったら、リーパを纏める人間がいなくなるだろ?」
 
「え……」
 
 やはりカレルは自分が除け者にされたと誤解しているみたいだ。

「お前は、ボリスやバルトロメイより勝っている所がある。自分でわかるか?」
 
「いや……」

「バランス感覚だよ。お前は団員たちになにが起ろうとも冷静な判断ができる。決して誰か一人を特別扱いしたりしないだろ? お前とロランドがいたら、大概のことは対処できると思っている」

「……まるで、団長や副団長までいなくなるような言い方じゃないですか……」
 
 グラスに口を付けながら、カレルは眉を顰める。

「最悪そうなるかもしれない……その時は俺たちが戻るまで、お前が団長代理でロランドが副団長代理だ。まだ先代がピンピンしてたら補佐に来てもらう」

 カレルは一見お調子者だが、そこら辺の分別はちゃんとできている。
 それに客あしらいも得意なロランドがいたら、自分たちが留守にしても大丈夫だろう。
 まだオレクが元気にしていたら、色々アドバイスをしてくれるはずだ。

「——そんなっ!?」
 
「これは最悪の事態を想定した場合だ。頼めるのはお前しかいない」

 除け者にされているとばかり思っていたのに。まさかそんな責任のある役を押し付けられるとは思っていなかったのだろう。
 カレルは明らかに動揺している。


「……俺は、レネみたいに人の上に立つような器じゃねえし、ゼラやバートみたいに強くもない。そのうち団員たちから不満も出るでしょう」

(コイツはちゃんと客観的に分析ができる……)
 
 バルナバーシュは自分の人選が間違っていなかったと再認識する。

「わかってる——今言ったことは何度も言うが、最悪の場合だ。俺とルカーシュが同時に空けることはたぶんない」

「団長代理なんて御免ですよ……」
 
 いきなりそんなことを告げられて、はいわかりましたと簡単にいくわけがない。

 自分のことを正当に評価されていると知ったからなのか、それとも酒のせいなのか、カレルの表情は先ほどよりも幾分リラックスしていた。


「——レネのことは訊かなくていいのか?」
 
 さっきは『知らなくていい』と言ったが、訊かれたら全てを喋るつもりでいる。

「いいです。知ってたら、もし団長たちが席を空けた時に、団員たちに問い詰められてポロっと喋っちまうでしょ」

 バルナバーシュもそう思っているから、カレルにはもともと言うつもりはなかった。
 最初からなにも知らない方が楽なのだ。


 そしてもう一つ、伝えておかなければいけないことがある。

「——実はな、レネ本人もなに一つ知らないんだ」

 カレルは「あ~」とつぶやきながら、グラスを口に運ぼうとしていた手を止め、少し思案した後に「……やっぱ、余計に俺はなにも知らない方がいいですね」と酒を口にする。


(そう、コイツはそういう奴だ)
 
 欲しい答えが返って来たことに、バルナバーシュほくそ笑んだ。



 酒の瓶の中身が三分の一程まで減ったところで、今度はカレルから口を開く。

「——団長はときたま工房に顔を出してた、吟遊詩人って憶えてます?」

「……ルカのことか?」

(いきなりなにを言い出す……?)
 
 バルナバーシュはこの先の展開が見えないままルカーシュの本名を出した。
 
「そうです。ガキのころ裏庭で唄ってたのをこっそり聴いてたんです。この前ふっとあの人の顔を思い出して、元気にしてるのかなって思って……」

(……こいつ……まさか……気付いてないのか?)

 バルナバーシュはどういう反応をしていいのか戸惑う。
 てっきり『吟遊詩人ルカ』の正体には気付いているが、敢えて曖昧なままにしているのだとばかり思っていた。

 カレルが懐かしそうに目を細めるものだから、なんだか思い出を壊す様で「しょっちゅう会ってるじゃねえか」とは言えなかった。

「ゲルトやアネタに訊けばいいだろうに……」

「それが師匠もアネタも、団長の方が詳しいから団長に訊いてみろって言うんですよ」

(あいつらめ……人で遊びやがって……)
 
 わざわざこっちに振って、バルナバーシュの困った顔を想像して今ごろ笑っているに違いない。


 それにしても、もう何年も顔を突き合わせているのに、気付かないとはどうしたものだ。
 いや……ルカーシュは姿形だけではなく、性格までもを変えているので、並大抵の人間では見破ることができないのかもしれない。

(……だったらここは、カレルに付き合うしかねえか……)


「あいつは、この前までテプレ・ヤロに行ってたらしいぞ」
 
「メストでは唄わないんですか? 近くで唄うんだったら聴きに行きたいのに……」

 ジェゼロにいた頃からこっそり歌を聴いてたというくらいだから、ルカの歌声が好きなのだろう。

「……あいつはメストには立ち寄らない。……身元がバレると困るんだとさ」

 リーパだけでなく『山猫』の仕事もあるし、身バレしないようにメストでは吟遊詩人としては活動していない。
 隠し通すのも面倒なので、ここまではありのままに喋る。

「——えっ!? 身元がバレるって……あの人何者なんです?」
 
「言えるかよ」

(言ったらつまらねえだろ?)
 
 バルナバーシュもゲルトやアネタのように、もう少しこのネタを温めて楽しむことにした。
 

「……そうですよね。でも元気そうならよかったです」
 
 カレルとしてもこれ以上詮索する気はないようだ。



「今でもびっくりするくらい昔と変わってねえぞ——いつかまた会えるさ……」
 
 そう言うと、思わせぶりにバルナバーシュは口元に笑みを浮かべた。
 



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