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5章 一枚の油絵
7 画家の卵
しおりを挟む「ようこそ我が屋敷へ」
一分の隙もない笑顔を浮かべ、主《あるじ》自らが来客を迎え入れる。
「リンブルク伯爵、今日はお屋敷にお招きいただきありがとうございます。我儘を言って申し訳ありません」
レーリオは胸に手を当て頭を下げる。
「いやいや、自分の息子の絵を褒められて喜ばない父親がどこにいるんですか。大歓迎にきまっていますよ」
親バカぶりを隠そうとしないリンブルク伯爵の姿は、逆に潔く好感が持てた。
この伯爵は、あまり自分のことをとり繕おうとしない。
「マロヴァーニ伯爵のお宅へお邪魔した時に、魅力的な絵が飾ってあったので、作者は誰なのか尋ねてみましたら、リンブルク伯爵の御子息だと仰るではないですか。だったら是非、絵を描いた本人に会ってみたいと思いまして。このような我儘なお願いを申し出てしまいました」
吟遊詩人が夜会で唄っていたレナトス王の風貌と、御子息が描かれていた青年の絵があまりにも似ていてモデルが誰か気になって……とは流石に言えないので、レーリオは差しさわりのない理由を述べる。
さんさんと陽光の差し込む豪奢な応接間の壁には、大小さまざまな絵画が飾ってある。
レーリオはその中でも、最も目立つ場所に掛けてある大きな肖像画に目を奪われた。
「——もしかしてこの絵は……バラーチェクの作品ですか?」
細かい所までも忠実に描写された写実的な画法は、バラーチェクの絵で間違いないだろう。
しかし、レーリオの視線は隅に書かれた画家のサインよりも、幼い子供を抱いた美しい女性に向けられていた。
「そうです。一人目の妻が存命中に、長男と三人で描いてもらった思い出の絵です。二番目の妻に気を遣い、目につかない所へ置いていたのですが、離婚を機にせっかくのバラーチェクの作品を隠しておくのももったいないと、こちらに移して来たのです」
「とてもお美しい女性ですね」
レーリオはお世辞など抜きに、正直に感じたことを口にした。
「私にはもったいない妻でした。……さあこんな所で道草を食っている場合ではないですね。さっそく息子のアトリエに案内しましょう」
伯爵は亡き妻を心から愛していたのだろう、一瞬だけ寂しい顔をすると、それを振り切る様に明るい笑顔を見せた。
「——こちらです」
案内されたアトリエの中には、まだ幼い少年がイーゼルに向かって熱心に絵を描いていた。
「信じられない……絵の作者がまさか君みたいな少年だとは思っていなかったよ。君は天才だ!!」
少し年齢の高い男子を想像していたので、レーリオは思わずそう叫んでいた。
マロヴァーニ伯爵の屋敷で見た油絵は、日常の一場面を切り抜いたなんてことのない絵だったのだが、その完成度は高くずっと眺めていたいようなそんな魅力のあるものだった。
リンブルク伯爵はアトリエにレーリオを案内すると、『後はゆっくり二人で話して下さい』とすぐに部屋を出て行き、今は部屋にお茶を運んで来た栗毛の従僕と、レーリオと絵の作者であるタデアーシュの三人しかいない。
内気な少年の様で、最初は緊張した様子でおずおずと喋っていたのだが、イーゼルに掛けられている描きかけの絵について幾つか具体的な質問をしていると、すぐに目を輝かせて話してくれるようになった。
「マロヴァーニ伯爵のお宅で拝見した絵について質問してもいいかい?」
「はい」
「あの絵の青年は実在の人物なのかい? 確か『レネ』というタイトルだったと思うけど。あの佇まいや表情が、本当に彼が目の前にいる様な錯覚を覚えたから」
「——レネは兄の従者で実在の人物です」
「……タイトルは彼の名前なんだね」
「そうです」
タデアーシュの言葉を聞いて、レーリオはぞぞぞ……と『レネ』の絵を見た時のように全身に鳥肌が立った。
その姿は、山城で見たレナトス王の姿に瓜二つだった。
そして、絵のタイトルを知った時に、彼は『契約者』に間違いないと確信する。
『レネ』——生まれ変わり。
こんなにわかり易い名前の意味があるだろうか?
間違いなくこの青年はレナトス王の生まれ変わりだ。
「ジェゼロにある別荘へ滞在していた時に顔を合わせる機会があって、彼が仕事の合間に休憩している様子が僕の部屋から見えたので、こっそりとスケッチしていたのです」
盗み見ていたという気持ちがあるのか、少しバツの悪そうな顔をしながら、タデアーシュはその青年について語る。
「そのスケッチを、もしよければ見せてくれないかな?」
いくら内気だとはいえ、画家を目指す少年が自分の絵を人に見せるのを躊躇ったりはしない。
すぐにタデアーシュはスケッチブックを開いて、今にも動き出しそうな青年のスケッチを見せてくれた。
「……まるで生きてるみたいだ」
背伸びする姿や、ぼうっと地面を歩く昆虫を眺めている姿は、まるで気まぐれな猫のようで、まだ会ったことのない人物なのに親しみが生まれて来る。
顔かたちは全く同じなのに、あの山城で目にした、威厳のあるレナトス王の表情とは正反対のものだった。
「彼とはほとんど話したこともないんですけど、誰もいない場所で寛ぐ姿がとても魅力的だったので」
美しい容姿だけではなく、その仕草や表情に惹かれたのだろう。
「今、彼はどこに?」
「兄は現在ファロに留学中で、彼も一緒いるはずです。なんでも兄の祖父にあたるグリシーヌ公爵が付けた青年だと聞いています」
予備知識としてマロヴァーニ伯爵から聞いたことだが、次男のタデアーシュと長男のアンドレイは母親が違う。
去年の夏に、タデアーシュの母親とは離婚したばかりで、その母親の実家はお取り潰しになり、とても不憫な少年だとマロヴァーニ伯爵は言っていた。
「……グリシーヌ公爵……」
「ええ。今も兄はグリシーヌ公爵のファロの屋敷に滞在しています」
(だからあの絵の中の女性は……——まさかこんな所で繋がってくるとは……)
顔には一切出さないが、思わぬところで出てきたその名前に、レーリオは衝撃を受けた。
「——だから、俺に行けというわけですね」
レーリオはリンブルク伯爵の屋敷から帰ってくると、家に呼び出していたトーニに要件を伝える。
最初は下町通り滞在していたのだが、フォルテ子爵として活動するためにはちゃんと改まった家が必要だと、お屋敷通りから一つ入った閑静な住宅街に居を移していた。
「……俺はもうあの屋敷に近付かない方がいいだろう」
レーリオは過去に、『復活の灯火』の仕事で、グリシーヌ公爵家へ盗みに入ったことがある。
フォルテ子爵として屋敷を訪ね、下見をしてから、グリシーヌ公爵家に伝わる古代王朝について書かれた貴重な書物を盗んだのだ。
グリシーヌ公爵の大切なモノを奪った負い目が、いつも強気な自分を及び腰にさせる。
レーリオにとってあの家は鬼門だった。
◆◆◆◆◆
「——ほう。子爵はレネ君のことを熱心に訊いていたと」
タデアーシュの部屋で二人の様子を観察していた従僕のシモンから報告を受け、アルベルトは思案に耽る。
テプレ・ヤロで知り合ったフォルテ子爵が、マロヴァーニ伯爵を介して、タデアーシュに会いたいと申し出てきた時に、アルベルトは彼の身元を調査していた。
フォルテ子爵はセキア人の実在の人物で、名をレーリオ・デ・モンテフェルトロといい、父はセキアの有力貴族であるカステロ侯爵だ。
成人してからは、カステロ侯爵の持つ爵位の一つであるフォルテ子爵を名乗っている。
本人が言うように、古代王朝浪漫に浸る典型的な道楽息子で、与えられた領地は優秀な部下に管理を任せ、各国の古代王朝所縁の場所を巡っているようだ。
別に不審な所は一つもない。
だが、アルベルトは引っ掛かりを覚える。
テプレ・ヤロで聴いたあの歌のせいかもしれない。
スタロヴェーキ王朝最後の王レナトスを唄ったというレナトス叙事詩。
アルベルトは唄い終わった美貌の吟遊詩人から曲名を聞いて初めてその歌の存在を知る。
あの場にいた者で、古代語の詩の内容を聴きとれた者などほんの一握りだったはずだ。
ルカが口語としては現存していない古代語の歌を敢えて唄ったのは、ごく限られた者に伝えるメッセージだったのかもしれない。
絶世の美貌をもつ王の特徴が、アンドレイの護衛を頼んだレネにそっくりだったのは、単なる偶然だろうか?
マロヴァーニ伯爵に譲った絵の中のレネの姿を見て、フォルテ子爵がタデアーシュを訪ねて来たのも、単なる偶然だろうか?
この一連の出来事の元になった吟遊詩人のルカに、いちど別の場所でアルベルトは会っている。
ラデクとの記憶を擦り合わせていくことで、仮面を着けていた時のもう一つの顔を思い出すことができたのだ。
ルカにあの歌を唄わせたのは、間違いなく連れであるアンブロッシュを名乗る男だ。
彼は、遠い昔に死んでしまったと思っていた少年だった。
自分の周りで起きているこの一連の出来事は、国を巻き込む重要な事柄に違いない。
アルベルトの勘がそう告げている。
無暗に触れたら、自分の身までも危険に曝すような厄介ごとに巻き込まれるかもしれない。
アルベルトは持ち前のバランス感覚で、この件に関わるべきなのかどうかを判断したいが、なんせ材料が少ない。
もう少し今回の登場人物たちの情報を集めて、これからも注視していく必要があった。
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