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4章 癒し手を救出せよ
9 どちらが嘘を吐いているのか?
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「クソがっ!! 手を煩わせやがって!!」
「ぐうぅぅっ……!!」
エゴールが容赦なくレネの腹に蹴りを入れ、衝撃でレネの身体が吹っ飛ぶ。
その振動が縄で胴体同士を繋がれているボリスにも伝わって、ナイフで刺された太腿の傷に響く。
レネは暴力による耐性があるとは言え、ボリスはとてもじゃないが見ていられない。
今まで何度もレネが酷い暴行を受けた後の治療をしてきたが、目の前で痛めつけられるところを目の当たりにすると、自分が傷付けられるよりも辛かった。
「……ボリス……オレのせいで……ごめん……」
レネが腹にダメージを受けて蹲ったまま、自分の発言のせいで傷付いたボリスに謝る。
レネは全然わかっていない。
自分の足の傷などよりも、レネが傷付けられているのを癒すことができないことの方が……どんなに苦痛なのか。
(レネ……気にするな……)
口にだして伝えたかったが、敵を前に自分の本心を悟られたらいけない。
「——ボリス、お前はさっき言ってたよな? 自分が癒し手だって……」
エゴールの残忍さを帯びた瞳が、今度はボリスへと向けられる。
「咄嗟に出た嘘だ……」
今までの成り行きだと、自分が癒し手だと認めたら次はレネが傷付けられ、その傷を癒してみせろと言われる。
レネをなにもせずに解放してくれるのだったら、ボリスは喜んで癒し手だと名乗るが、言ってしまったら用無しになったレネをさっさと殺し、ボリスを連れて移動するだろう。
移動に二人も連れ歩くのは危険なので早く一人に絞りたいはずだ。
だから、癒し手であることを隠し通し、助けが来るまで時間稼ぎをするしかない。
「どうして嘘をついた?」
自分を真っ直ぐに見つめて来る濁った眼を見ていると、エゴールという男がいかに尋問に慣れているかがわかる。
「コイツの一番の弱みはなんだ?」と心の奥底まで覗き込んでくるのだ。
「——癒し手だと名乗ったら殺されずに済むと思ったから」
「違うだろ? お前はレネだけでも逃がしたいと思ってる」
「…………」
やはり、痛い所を突いて来る。
「男ばっかりの所にいると、こんな綺麗な奴は貴重だよな? 俺だって妙な気になってくる。ソゾン、上半身裸にしてこいつを梁に吊るせ」
「——ぐッ…」
エゴールがボリスと繋ぎ合わされていた縄を解いて、ソゾンの方へとレネの身体を乱暴に蹴った。
ミシミシとレネの体重が掛かった梁が軋んだ音を立てる。
「美青年が吊るされると絵になるねぇ」
想像以上の嵌り具合だったのだろう、ソゾンがゴクリと唾を飲み込む。
両手首を繋いだ鎖に縄を通し、ちょうど膝立ちになる高さで吊るされ、粗末な小屋の中に白い身体が浮かび上がった。
蹴られた脇腹と背中が痣になり、余計に艶めかしく見える。
周りの男たちも獲物を見るような目でレネを見ていた。
「雰囲気がでてきたな。さあ、どうやって傷めつけてやろうか?」
「くっ……」
エゴールはパンっと乾いた音をさせレネの頬を張り、血のを滲ませた薄いピンクの唇を親指の腹で撫でた。
レネは抵抗をすればするほど相手の思う壺だと知っているのか、先ほどからなにをしても口も挟まず無抵抗だ。
先ほど、妙なマネをしてボリスが怪我をしたのが効いているのかもしれない。
(これは、心理戦だ。間違えばレネが殺される)
ボリスはどうしたらレネがこれ以上傷付けられずに済むのか、必死に答えを導き出す。
「——仮に……私が癒し手だったとしても……この傷ではもう歩けない。癒し手は自分で自分の傷は癒すことができないのは知っているだろ? どうやって移動するんだ? 誰か背負ってくれるのか? 私は重いぞ? まずは夜が明ける前に村から荷車でも盗み出して来ないといけないんじゃないか?」
ボリスの言葉は想像よりも効力があったようだ。
エゴールがソゾンを咄嗟に振り返ると、すぐにソゾンが行動を起こす。
『クソっ……おい、そこの三人、村人に見つからないように荷車を盗んで来い』
ソゾンがツィホニー語でなにやら男たちに叫ぶと、すぐさま反応して、三人の男たちが小屋から出て行く。
どうやら、ボリスの言葉が効いたみたいだ。
せめて腕を刺せばよかったのに、足なんか刺すからこんなことになるのだ。
冷静な振りをしながらも、エゴールという男は頭に血が上りやすい性分なのかもしれない。
(——よし……この調子だ)
「お前たちは癒し手についての知識が足らないようだな。今までも東国の人間に癒し手たちは攫われ、暴力に支配され奴隷のように扱われて来た。だから今の癒し手はそうならないために訓練を受けている。自由を奪われどんなに脅されても、嫌だと思えば自らの力を使って自決できる」
「どういうことだ……」
初めて知る内容に、エゴールが目を瞠らせる。
「——癒しの力がなぜ自分に使えないかわかるか? 自分に使うと力が反対に作用し、自分を傷付けてしまうからなんだよ。どんなに手足の自由を奪っても死にたいと願えば、一発で安楽死ができる」
「はったりを言うんじゃないっ!!」
我慢できなくなったエゴールがボリスの胸倉を掴んで揺する。
「いいや、残念ながら本当だ。大戦時に攫われたい癒し手たちはその訓練を受けていないから悲惨な目あっている」
「…………」
先程の有利な立場はどこに行ったのか、エゴールはギリギリと悔しさに歯噛みしている。
(まだだ……)
その怒りをレネに飛び火させたらいけない。
「……さっきは嘘を吐いたが、お前が察している通り私はレネのことをなにあよりも大切に思っている。私が癒し手だったとしたら、レネになにかあった時は私も迷わず死を選ぶだろう」
「ボリスっ!!」
そんなことを言うなとばかりにレネがこちらを睨むが、ボリスは知らん顔をする。
(——これで、レネがすぐに殺されることはない……)
だがそれは、殺されることがなくなったというだけで、傷付けられる危険はまだ残っていた。
「……言ってくれるじゃねえか。やっぱりコイツが大事なのか」
エゴールはレネの身体に後ろから手を回し、脇腹から胸へと思わせぶりに撫で上げる。
レネのことをなによりも大切だと言ったのだ。
ボリスにいうことを聞かせるには、レネを脅しに使うのが一番いいと教えたのも同じだ。
「もう、ボリスが癒し手で間違いないんじゃないか?」
さっきからボリスはずっと自分が癒し手であると匂わせているのだ、ソゾンがそう言いだすのは自然の成り行きだ。
だがこのままでは次にレネが傷付けられて、試しに癒しの力を使えと言われるだけだ。
「——お前たち、まさか……私が癒し手だと思っているのか?」
ボリスはここで、もう一歩攻勢へと踏み出した。
「……!?」
「なに……?」
ここまで言っておきながら、急にボリスの梯子を外すような発言に、二人は動揺を隠せない。
「レネばかりじゃなく、私の服も脱がせてみろよ」
ボリスは思わせぶりな笑みを浮かべ、エゴールとソゾンに目を向ける。
エゴールとソゾンは、完全にボリスのペースに乗せられていた。
言われた通りに、ソゾンがごそごそとボリスの服を脱がせにかかる。
袖を抜けないので完全には脱がすことができないが、十分効果はある。
癒しの力を失っている間は、ボリスは普通に護衛として訓練を受けて働いてきた。
あの頃は、まだイグナーツ一人しか癒し手がいなかったので、大きな怪我ではない限り自然治癒に任せていた。
だからボリスの身体には、戦いでできた幾つかの傷がある。
それに今でも剣の稽古は欠かしていないので、筋肉が付いて引き締まっている。
「お前たちと同じで傷だらけだろ? 非戦闘員の癒し手じゃない限り、傭兵なんてこんなもんだ」
「……!?」
「あっ!?」
エゴールとソゾンに視線が、レネの傷一つない裸の上半身に一斉に向けられた。
そう……レネの身体は傷一つ見当たらない。
果たして、そんな男が戦闘員に見えるだろうか?
やっと男たちは、その不自然さに気が付いた。
「でもおかしいぞっ! だったらどうして自分から癒し手だと名乗っておいて、レネはお前の治療をしなかったんだ?」
エゴールも馬鹿ではない、話の辻褄が合わない所をすぐに突いてくる。
「それは簡単だ。レネ自身が癒し手だとわかったら、私が用無しになって殺されると途中で気付き、治療を拒否したんだ。このくらいの傷じゃあ死んだりしないだろ?」
「レネ、お前が癒し手なのか?」
「さあ……でももしオレが癒し手だったら……ボリスになにかあれば、オレはすぐに自決する」
レネもちゃんとボリスの意図を読んで話を進めていく。
普段はちょっと頭のネジが緩い所もあるが、実践ではそれなりに使える頭脳を持っている。
「もうレネに乱暴はするな、癒し手は自分を癒すことができないと言っただろ?」
ボリスはレネがこれ以上傷付くのを見たくはなかった。
「クソっ!!」
「……ぐっ!!」
ソゾンが悪態を吐いてボリスの顔を殴ったが、今度はレネの一言で余計に怒りを募らせることになる。
「ボリスを傷付けるな! まさかオレを癒し手だと思ってるのか? オレの身体に傷がない意味をよく考えろ。怪我するごとに癒し手から治療してもらってるからだぞ。ボリスの身体に傷があるのは、癒し手が自分では傷を癒すことができないからだ。お前たちはそんなこともわからないのか?」
(よし、いいぞ)
レネがまたひっくり返すようなことを言うので、エゴールとソゾンは余計に混乱したまま、二人に手をだすことができなくなってしまった。
それに荷車を探しに行った男たちもまだ帰ってこない。
(これで、まだしばらくは時間が稼げる)
ボリスは心の中で、そっと安堵の吐息をついた。
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