菩提樹の猫

無一物

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4章 癒し手を救出せよ

3 雨の野営

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◆◆◆◆◆


 通常、馬を使えばザトカまでは一日で行くことができるが、今回のように徒歩と変わらない速度でゆっくりと進む荷馬車だと、倍の二日はかかってしまう。
 今回は護衛だけでも十六名いる。御者や商人たちを合わせれば総勢三十人を超える大掛かりなものだ。

 長い列になった荷馬車の前後に騎馬の団員が二名ずつ、後の団員たちは徒歩で荷馬車を囲むように進んでいた。
 

 メストとザトカの中間にある小さな村で、一同は野営することになった。

「あ~~あ……雨降ってきたよ」
「これじゃあ火を焚けないじゃねえか」
「あったけえ飯も食えないのかよ……」

 寒さも弛んできたとはいえ、この時期に焚火ができないのは辛い。

「みんな幌馬車で雑魚寝だな……」

 隊商の荷馬車に加え、今回はリーパでも幌馬車を用意して必要な荷物を運んだり、悪天候になった時の寝床として使用することにしている。

「馬鹿、あんな狭い所で十人以上も雑魚寝できるかよ。座ったまま寝るしかねえ……」

 夜も寝ずの見張りがあるので、総勢十六名が一度に寝ることはないのだが、ギュウギュウなのは変わらない。

「……マジかよ……」
「うげぇ……」

 団員たちの間に落胆の声が上がる。
 凍えることはないのだが、なんせガタイの良いのが身を寄せ合って眠るのだ。むさ苦しいことこの上ない。
 
 一人だけ例外がいるが……。

「……はぁ……このまま見張り役かよ……」

 赤く塗られた棒の先を見て、レネは力なく肩を落とす。
 こんな雨降りの夜に当たりくじを引いてしまった。

「ちぇっ……」
「なんだよ……」

 それを見て、見張りを免れた団員たちもなぜか肩を落とした。
 むさ苦しい男たちの中で唯一の清涼剤が来ないとなると、幌の中は一気に雄臭くなる。


「レネも当たりか。私も一緒だ」

 隣で、ボリスがレネと同じく赤く塗られた棒きれをもって苦笑いしている。

「あれ~~ボリスにしてはくじ運悪いな」

「なんだ、レネは見張りなのか……」

 そういいながら、バルトロメイがなにも塗られていない棒の先を眺め、残念そうな顔をする。

 大人数で野営をする時は、寝ずの見張り役をいちいち話し合いで決めるのが面倒なので、くじ引きで決めている。
 見張りは二交代制で、先が赤く塗られた棒を引いた者が夜半まで、青く塗られた棒を引いた者が夜半から朝まで見張りを行い、なにも塗られていない棒を引いた者は見張りをしなくてよい。
 
 レネとボリスは、揃って赤を引き前半の見張りをすることになった。

 安全のために荷車の周りは明々と夜光石の光に照らされている。
 見張りは総勢六人で、列に並んでいる荷馬車の前・真ん中・後ろの三か所をそれぞれ二人ずつでペアを組むことになった。

 レネとボリスは列の真ん中の担当だ。

「小雨ていどでよかったね」

 雨は思ったよりも小降りで外套を被っておけば凌げる程度だ。

「そうだな。でもお前は風邪が治ったばかりだし、ぶり返さないように気を付けないと」

「こっちの海沿いはウチェル方面に比べたら暖かいからぜんぜん平気だって」

 ボリスは心配性なのでレネのことばかり気にしているが、レネはここを出る前に大会議室に団員全員が集められ、団長から告げられた言葉が頭から離れないでいた。

『さいきん癒し手のことをしつこく訊いてくる連中がいるようだが、決して情報を漏らさないように。わかっているな』
 
 癒し手は貴重な存在だ。
 神殿に所属していない癒し手はリーパにしかいないだろう。
 そんな貴重な癒し手を狙っている輩もいる。
 だから癒し手については部外者にはできるだけ情報が漏れないように団員たちも神経質になっていた。

 周囲は荷馬車に提げた夜光石のランプで照らされているので、夜とは言え見張りやすい。
 雨音も激しくないので、神経を張り巡らせておけば不審者もすぐに見分けがつくだろう。

 昼間の目まぐるしく人々が行きかう時と比べ、なんの変化のない夜の見張りは暇だ。
 野営での見張りに限って、寝るよりかはマシだとある程度の私語も許されている。

「なあ……ボリスはなんでリーパに来たの?」

 レネは隣に居るボリスにしか聴きとれないくらいの声でボソボソと喋る。

 元々ボリスは孤児で、神殿の癒し手が孤児院を訪ねて来た時に癒しの力を見出されると、そのまま神殿に引き取られ、癒し手になったと聞いている。

 だがレネは、ボリスがリーパにやって来た経緯を知らない。
 
「……前にも言ったと思うが、神殿に引き取られ、聖都シエトに連れて行かれた。そこでゾタヴェニの祝福を受け、ある癒し手の下で修業することになったんだ」

「ボリスにも師匠がいたんだね」

「ああ。あの人がいなかったら自分は癒し手にはなれなかっただろうな……」

 そこには尊敬の念が感じられる。
 自分の師匠とは違って、ボリスの師匠はきっとまともな人物に違いないと、レネは想像する。

「でも、どうして神殿を出ることになったの? よっぽどのことがない限り外には出られないよね?」

 神殿によって癒し手は手厚く保護されているが、言い換えれば……厳しく管理されているとも言える。

「私の師匠が次の大神官候補といわれていた。だが何者かによって暗殺されたんだ。いつも側にいたのに、ちょっと目を離した隙にナイフが胸に刺さり即死だった。自分の中にあった、ありったけの癒しの力を注いでも、師を蘇生することはできなかった……第一発見者だった私が犯人だと疑われた。結局……全く動機がないので疑いは晴れたが、ショックのあまり私は癒しの力を失ってしまった……」

「……え……」

 ボリスの思わぬ過去に、なんと相槌を打っていいのかわからない。
 戸惑うレネをよそに、ボリスは淡々と話を続けてゆく。

「……私が十六の時の話だ。あんなどす黒い欲望が渦巻く場所には……もういたくなかった。ゾタヴェニには人を癒すことはできても、人を裁いてはくれない。私はどこか癒しの神にも失望してたのかもしれない。どちらにせよ癒しの力を失った男など神殿側も必要ない。私は神殿を出ることを許され、シエトからメストに向かった」

(貴族たちとやってることが同じじゃん……)

 レネが抱いていた神聖な癒し手たちのイメージがバラバラと崩れていく。

「非道い話だな……でも、どうしてメストへ?」
 
「師匠から言われていたんだ。『もし自分になにかあった時は、リーパ護衛団にいるイグナーツという癒し手を頼りなさい』ってね……」
 
「じゃあ……ボリスの師匠とイグナーツは知り合いだったの?」

 同じ癒し手同士だし、その可能性は高い。

「ああ。二人とも東国の大戦に従軍していてね、リーパの先代団長に命を救われている。だから私はメストに着いてすぐにリーパ護衛団を訪ねたのさ。まだ団長が傭兵として東国へ行っていた時だった。当時団長だった先代も、私の師匠のことを覚えてくれていて暖かく迎え入れてくれた。それから剣の稽古をして護衛見習いをしてたんだ」

「だから癒し手なのに剣が使えるんだ……」

 癒し手は人を癒す存在だ。だから人を傷付ける剣は持ってはいけないとされている。
 リーパでも他の二人は武器を持たないのに、ボリスだけが帯剣しているのをずっと疑問に思っていたのだ。

「力を失ったので癒し手としてではなく、護衛として生きて行こうと決めたんだ。それに、ゾタヴェニからも見捨てられたと思っていたから。……だけど、イグナーツからは『まだお前には神の息吹が感じられる』と言われて、毎朝一緒に精神統一をさせられたな……」

 そう言ってボリスは懐かしそうに笑う。

 イグナーツは年老いていることもあって第一線では働いていない。
 若いボリスとイェロニームが中心となり、リーパの癒し手として団員たちの傷を癒している。
 本部に通ってはいるが、普段は休憩室でのんびり過ごし団員たちの相談相手になっているいいお爺ちゃん的存在だ。

「ある日、任務中に瀕死の重傷を負った団員へ咄嗟に手を翳したら、力が戻ってきたんだよ。イグナーツの言っていたことは本当だったんだって思ったね」

 忙しそうなボリスとのんびりしているイグナーツが一緒にいる所をあまり見たことがないので、二人にそんな過去があったのかと、レネは意外な気持ちになる。

「イグナーツはそんなことまでわかるんだね」

 そう言えば昔……『イグナーツは神殿に残っていたらお偉いさんになっていた』とオレクが言っていたことを思い出した。
 怪我の治癒だけではなく、病気に対しても知識が深く、本部の敷地の隅で自ら薬草を育てて煎じ薬を作っている。
 イェロニームが一人前になったら、自分もオレクのいる牧場に移って、本格的に薬草園でも作ろうか……なんて話していた。

「イグナーツほどではないけど、私もある程度はわかるよ。例えばお腹に赤ちゃんが宿っている……とかね」

 悪戯っぽい笑みを浮かべるボリスに、レネは思わず詰め寄った。

「!?……じゃあ、お腹の子が男の子か女の子かわかるのっ!?」

 レネは生まれてくる子が甥っ子になるのか姪っ子になるのか、ワクワクしていた。
 
 どちらを想像しても可愛くて……顔がニヤケてしまうのだ。
 きっと傍から見たらさぞかし気持ちの悪い顔をしていることだろう。
 
「もちろんわかるさ。……でもね、それは生まれてきてからのお楽しみだよ」

「なんだよ自分だけ……ズルいな……」

 不満を表し頬を膨らませるが、ボリスは優しく微笑むだけで教えてくれない。
 レネは頬を膨らませてボリスを睨む。


 もう十年以上も一緒にいて、今日初めてリーパに来た経緯を知ったように、レネはボリスのすべてをまだ知らない。

 ボリスは心の奥までレネに見せてくれない。
 
 


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