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3章 バルナバーシュの決断
6 こんな所に伏兵かと思いきや……
しおりを挟む◇◇◇◇◇
目を開けると、いつも五人の人たちと目が合った。
赤い髪の人は怒ったような顔をして、
青い髪の人は湖の底のような冷たい顔をして、
茶色い髪の人は自信に満ちたような顔をして、
黄色い髪の人はなにか悪戯を企んでいるような顔をして、
緑色の髪の人は優しい微笑みを浮かべて、
レネを見下ろしていた。
睨めっこに飽きて横に顔を向けると、光の射す窓からは綺麗な円錐状した大きな山が見える。
その山に掛かかる雲を、ただぼんやりと眺めていた。
「れぇねぇーーれぇねーー」
部屋の向こうから、自分の名を呼ぶ声が聞こえる。
「アネタっ……お昼寝してるんだから静かにしてあげて」
姉がレネの居る部屋に入ろうとするが、母親がそれを止める。
(ボクはもう起きてるのに……)
「んぐ…うううう……うんああああああぁぁぁぁっっっ」
アネタに会いたくて、「ボクは起きてるよ」と大声で知らせる。
「ほら、泣いちゃった……」
母親の溜息が聞こえる。
「ちぃがぅ~~アネタのせ~じゃない~~~」
レネが泣いたのを自分のせいにされ、とうとうアネタまで泣きだした。
大声で知らせたつもりだが結果的にアネタを泣かせレネも悲しくなり、わんわんと大声をだして泣いた。
「ほらほら、泣かないで」
ベッドから抱き起上げられ母の腕の中であやされるが、あーあーと声をだして泣くことしかできなかった。
◇◇◇◇◇
「……あ…?」
目の前が明るくなり、ぼんやりとしていた視界が明るくなる。
「レネ、目が覚めたか?」
バルトロメイの声がして、仕事が終わってからの記憶がないことに気付く。
(——あ……れ……?)
「つぅッ……」
起き上がろうとしても思うように力がはいらず、少し頭を動かしただけでも激しい頭痛に襲われる。
「無理するな。お前は仕事が終わって具合が悪くなったまま動けなくなったから、ハヴェルさんの家に運んでお世話になってる」
「あ……おっさん……ち……か……」
口の中がカラカラで思うように声もでないし、息が続かない。
通りで見たことのある部屋だと思った。
ここは、前の家にあったレネの部屋をそのまま再現したような作りになっている。
よく見たら、カーテンの色まで同じだ。
なんだか懐かしい。
子供の頃も、こうやって風邪を引いて寝込んだことがよくあった。
バルナバーシュの私邸では使用人も二人しかおらず、手の空いた大人がいなかったので、具合が悪くなるといつもこちらで面倒を見て貰っていた気がする。
コンコンとノックの音がしてバルトロメイが返事をすると、昔からよくレネの世話をしてくれた女中のエマと、ハヴェルが中へと入って来た。
「あら、レネ君がお目覚めのようですよ」
「倒れたって聞いたけど、大丈夫か?」
「ハヴェルさん、勝手に伺ってお世話になってます」
バルトロメイが立ち上がり屋敷の主であるハヴェルに礼を述べると、それを片手で制して、優しく笑った。
「礼はいらないって。困った時にはいつでも来いって言ったろ。逆に頼ってくれて嬉しいくらいだ。——レネ、具合はどうだ?」
ハヴェルは帰宅して直接こちらへ来たのだろう外出着のまま、心配そうにレネを覗き込んだ。
少し下がり気味の眉毛と目尻がますます下がって、視線だけで人が殺せそうな養父とは大違いだ。
「……だい……じょぶ……じゃ……ない……」
昔からの癖で、甘やかしてくれるハヴェルにはついつい弱音を吐いてしまう。
隣で聞いていたバルトロメイが、「は?」と目を瞠った。
「おいコラ、そんなこと言うんじゃねえよ……心配するだろうが。なんか食いたいもんはあるか?」
困らせるなとばかりに溜息を吐きながらレネの頬を冷たい手が撫でる。
火照った身体にはその冷たさが心地良く、思わず目を細める。
「あれが……食べたい」
子供の頃から、風邪を引いた時にここの料理人のハンスが作ってくれていたあれだ。
「やっぱりそうきたか」
あれと言っただけで、ハヴェルはすぐにレネがなにを食べたいのかわかってくれる。
「言わなくとも、ちゃんとハンスが作ってくれてましたよ。ほら」
エマが持っているお盆には、飲み物や薬と一緒にレネが望んだものが乗っている。
あれとは……レネが風邪を引いた時や食欲がないとき特別に作ってくれていた、色々な果物のコンポートが沢山入ったカラフルなゼリーだ。
夏から春にかけて取れた果物をそれぞれコンポートにして瓶詰保存したものを、透明なゼリーで固めたもので、このゼリーを作るために何種類もの瓶詰を開封して作る贅沢なデザートだ。
(ちゃんと覚えててくれたんだ……)
そんな些細なことまで、ここの屋敷の人たちが忘れないでいてくれたのが嬉しい。
「少しでも食欲があってよかった」
エマとレネは親子と言えるほどの年齢差はなにいのに、母親のような優しい笑顔をレネに向けてくれる。
「バルトロメイ、お前も飯まだだろ? あっちで一緒に食うぞ。エマ、後は頼んでいいか?」
「ええ勿論です!」
任せとけと言わんばかりにエマは自分の胸を叩いた。
「えっ!? でも……」
レネのことを気遣ってか、それともハヴェルと食事をするのを遠慮してか、バルトロメイは戸惑っている。
「オレはいいから……いってこいって……」
これ以上バルトロメイに迷惑は掛けたくなかったし、久しぶりに子供時代の気分に浸っていたかったので、レネはバルトロメイに食事へ行くよう促した。
◆◆◆◆◆
流石、王家御用達の老舗陶器ブランドの代表だけあって、その食卓はリーパの食堂とは大違いだ。
だからといって、バルトロメイが気後れするほど畏まった食事ではなく、出される料理は家庭料理の範疇に納まっている。
「あの……レネはずいぶん普段と様子が違うのですが……」
セロリアックのポタージュに口を付けながら、バルトロメイはその疑問をハヴェルにぶつける。
いつもはどんなに体調が悪くても痩せ我慢をして強がるレネが、ハヴェルに向かって弱音を吐いていたので、吃驚したのだ。
「ああ、あいつか? あいつは子供の頃からバルとルカーシュが厳しく当たるもんだから、俺が好き勝手に甘やかして息抜きさせてたんだ。だからいつも俺の前では我儘し放題なんだよ……」
苦笑いしながらも、ハヴェルの頬は弛みまくっている。
(……惚気か?)
「なんだ……お前、もしかして俺に嫉妬してんのか?」
バルトロメイがなんと返事をしていいのか迷っていると、ハヴェルはじっと顔を覗き込んだ後に、ニヤッと笑った。
「べ……別に……そんなことは……でもあんな衣装なんて着せるから、レオポルトに目を付けられたんだなあってのはわかりましたけど……」
図星を指され言葉を詰まらせたが、バルトロメイもただでは起きない。
「まあ、それはそうかもしれないが、——似合ってるだろ?」
「……ま、まあ…」
反撃したつもりだが、ハヴェルは意にも介さない。
大人の余裕を見せつけられると、バルトロメイは自分の子供じみた態度が急に恥ずかしくなってきた。
メインの鹿肉の赤ワイン煮が来たところで、ハヴェルが改まった表情で口を開いた。
「レネに剣を捧げたんだって?」
「——ええ」
いつか聞かれるだろうなと思っていたことだ。
「俺はお前が生まれて、バルがどれだけ喜んで、お前に逢わせて貰えず苦しんでいたのをずっと側で見てた。そしてレネを養子にして、あの男が慣れない子育てに手こずっていたことも全部知っている。養子のレネと、認知されていない実子のお前が、同じ組織の中にいるだけで色々な軋轢があったと思う。——だから俺は嬉しいんだ。お前がレネの騎士になったことが」
「……父はハヴェルさんにそんなことまで話していたんですね」
自分が生まれた時から知っているなんて、改めてこの男が父親の昔からの親友だったのだと実感する。
「——レネは小さい頃から知ってるし、俺には子供もいないし、たぶん目に入れても痛くねえくらいには可愛いな」
(溺愛じゃねえか……)
しかし唐突にこの男はなにを言いだすのかと、年若いバルトロメイは話の方向性を読めないでいる。
「……そうでしょうね。あの部屋を見てもわかります」
愛情がなかったら、子供の頃の部屋をそのままにしておいたりしない。
それはハヴェルだけではなく、この屋敷の使用人たちまでもが、レネに愛情をもって接しているのがわかった。
「でもな……俺にとっては……お前もバルの大切な息子なんだよ。お前が俺に頼ってくれたことが嬉しいんだ」
「ハヴェルさん……」
まだ数度しか会っていないのに、まさかそこまで自分を想ってくれているとは予想外だ。
てっきり、自分なんかよりもレネの方が思い入れがあるとでも言われるのかと思った。
「なんなら、お前の部屋もこの家に作るか?」
しんみりとした空気を払拭するかのように、ハヴェルは笑う。
「いや、レネの部屋のベッドを広くしてもらえればそれで充分です」
なんとなく今までの会話と、レネのハヴェルに対する態度から人間性がつかめてきた。
たぶんこの男はこれくらい言っても大丈夫だ。
それと予想外に優しい言葉をかけられた照れ隠しもある。
「お前、レネから返り討ちに遭ったんだろ? 懲りねえ奴だな……」
ハヴェルは呆れ顔をしながら鼻を鳴らした。
言葉から察するに、やはりバルナバーシュからある程度二人の間になにが起こったのか聞かされているようだ。
「あの時はやり方を間違ったので、これからは誠意をもって愛を伝えていけば、いつかきっと……」
今までは胸に秘めていた想いを、こうして口にできるだけでも随分と前進したと思う。
その言葉を聞いて、ハヴェルが急にゲラゲラと笑いはじめた。
「忠告しとくが、レネは難攻不落だぞ。まあ……頑張れよ。その方法で十年以上かかった馬鹿を一人知ってるから、お前も気長に行け」
その馬鹿とやらは、もしかしたら……バルトロメイのよく知った人物ではないだろうか?
そんな疑念が頭を過る。
「その馬鹿って、俺と同じ顔をした人のことですか?」と尋ねたくてたまらないが、ここは我慢して黙っておこう。
デザートには、レネがリクエストしていたあれが登場した。スプーンですくって口に入れると、酸味と甘みが上手い具合に合わさって、さっぱりとした口当たりだ。
確かに熱がでて食欲がない時に食べたくなる味かもしれない。
「美味いだろ?」
「ええ。俺も今度風邪を引いたらここにお世話になりたくなってきました」
「遠慮するな、いつでも来い」
二人は、そんな言葉を交わしお互い顔を見合わせて笑った。
ハヴェルは気さくで優しいだけでなく、ちゃんと一人一人の人間性まで見てくれている。
父親に話せないことでも相談できる気がした。
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