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3章 バルナバーシュの決断
4 困ったときは……
しおりを挟む◆◆◆◆◆
レネとバルトロメイはある宝石商から納品の際の護衛を依頼され、納品先の貴族の屋敷に来ていた。
(はぁ……怠い……)
レネは体調の悪さを誤魔化すように、長い溜息を漏らす。
朝からはなんともなかったのだが、商人用の出入り口の外で護衛対象が納品を済ませるのを待っている間、急に熱っぽくなり風邪の引き始めのような悪寒に襲われていた。
表情にはださないよう頑張っていだが、ペアを組んでいたバルトロメイに体調がよくないことを見破られてしまった。
「お前顔にでてるぞ。あと少しだから気合入れろ」
隣からバルトロメイの厳しい声がかかり、レネは歯を食いしばり気合を入れ直す。
バルトロメイは仕事に厳しい。
移動の際は一人が馬車の中に乗り込み、もう一人が御者台に乗り込む。
ナイフが得意なレネは狭い所でも力を発揮できるので、商人と一緒に馬車の中へと乗り込むことにしていた。
レネは車内で直接商人と顔を合わせるので、体調不良を護衛対象へ悟られてはいけない。
だからバルトロメイの言うように、気合でなんとか乗り切らなければいけない。
「帰りは俺と代わるか?」
バルトロメイが心配そうに顔を覗き込んでいるが、それをしたらまるで自分が甘えているようで嫌だった。
「いや、このままで大丈夫だ」
バルトロメイがレネに剣を捧げてから、余計にそれを意識するようになっていた。
『お前には騎士がいるから』なんて他の団員たちに言われたら最悪だ。
公私混同するのが嫌なので、仕事中はバルトロメイに一切頼ることはない。
彼もそんなレネの気持ちをわかってくれていて、他の団員とできるだけ同じように接する。
「わかった。自分で決めたんだから最後までやり通せよ」
「うん」
専用出口から商人が現れると、二人は急いで仕事の顔に戻りきびきびとした動作で商人の護衛についた。
馬車に乗り込み商人になにも言われることはなかったが、やたらジロジロ視線を向けられたので、具合が悪いのを気付かれているのではないかとドキドキしながらも、レネはひたすら悪寒に耐え続けた。
なんとか仕事を終わらせ商人の店を出る頃には、気が抜けて遂に足元がふらつく。
「おいっ!?」
倒れそうになったところを隣にいたバルトロメイに支えられ、レネは倒れずに済んだ。
「……あ…ごめん……」
だが喋るのも苦しくて、気の抜けた言葉しかでてこない。
「お前まで風邪か?」
ウチェルで一緒だったヤンが昨日から風邪で寝込み、もしかしたら……とレネも思っていたが、この症状は間違いないようだ。
「っぽいね……」
その言葉の後、すぐさま冷たい掌が額に添えられたので、心地良さにうっとりと目を細める。
「熱でてるじゃねえか……立っとくのもキツイだろ?」
バルトロメイはハシバミ色の瞳を険しく眇め、レネがサーコートの上から羽織っていた外套のフードを顔が見えないように被せた。
「……なに……?」
頭がぼんやりとしているので、バルトロメイがなにをしようとしているのかよくわからない。
「お前、歩くのも辛いだろ? ほら、おぶされよ」
(なるほど……フードを被せたのはオレが恥ずかしくないようにか……)
「や……いいって……」
頭を横にいやいやと振るが、その度に頭がガンガンと殴られたように痛む。
たったそれだけの動作なのい眩暈に襲われ、またフラッと倒れそうになる。
「ほらっ、言わんこっちゃない! このまま横抱きにされるのとどっちがいい?」
力のはいらない身体を支えられながら、バルトロメイが究極の選択を迫ってくる。
どうやら他には選択肢がないらしい。
「……おんぶ」
もう自分で身体を支えられないのは事実なので、レネは無難な方を選んだ。
「……ほら」
差し出された背中におずおずと覆いかぶさり、スッと伸びた逞しい首へと手を伸ばす。
レネはこの広い背中に全てを委ねる。
バルトロメイは仕事には厳しいが、その反動なのか仕事が終わると嘘みたいに態度を軟化させるようになった。
待てを解除された犬みたいにレネの側から離れず、遠慮なく自分だけを見つめてくる。
以前は目が合うと、なにかを押し隠すかの様に視線を逸らされることがあった。
だが今は秘められていたバルトロメイの気持ちを知ってしまった。
もう、二人の間に隠しごとはない。
レネの中でも、あの一連の決闘騒ぎの中でバルトロメイとの関係性をはっきりさせたことで、心に余裕ができたのか、差し伸べられる手を撥ね退けるような反抗心もなくなった。
以前だったら、意地でもバルトロメイに背負われたりしなかったが、今は素直に従い身を委ねる。
「おい、首の後ろでゴソゴソすんなよ、くすぐってぇな」
レネは文句を言われながらも、首の後ろに赤く残っている傷痕に鼻を埋め、まるで針葉樹の森のようなバルトロメイの香りを嗅いでいたら、次第に意識がぼんやりと霞んできた。
◆◆◆◆◆
途中からバルトロメイは、レネの異変に気付いていた。
頬が紅潮し目許を潤ませながらも、必死に体調不良を押し隠していたので、きっと意地でも仕事はやり通すだろうと、バルトロメイも無理に休ませることはしなかった。
レネは気付いていないが、中性的な美青年の弱っている姿は、その気がない者にとっても気の迷いを起こさせるくらいの魔力がある。
護衛対象である商人も、妙にねっとりとした目でレネのことを見つめていた。
店に着いて任務が終了した際にも『せっかくだからお茶でも飲んでいかないかね』と言う商人の誘いを丁寧に断って、バルトロメイはレネのために仕事をさっさと終わらせた。
首元に浅く熱い息がかかる。
緊張から解放され気が緩み、一気に症状が悪化したのだろう。
お屋敷通りの北側にあるとはいえ、本部まではかなり距離があった。
レネを背負って帰る体力は充分あるのだが、それよりもレネを早く休ませてあげたい。
バルトロメイの中に、ある考えが浮かぶ。
お屋敷通りと北に進みながらも、目抜き通りへ出る前にリーパ護衛団とは反対の西に舵を切り、高級住宅街が立ち並ぶ一角へと足を向けた。
仕事で何度か、団長の親友でもあるハヴェルの護衛をしたことがある。
その時にハヴェルから、レネが子供の頃に自宅で預かっていたということを聞いた。
『お前もバルの息子だ。なにか困ったことがあればいつでも俺に相談しろよ』と、ありがたい言葉をハヴェルからかけて貰っていた。
だったら今がその時ではないかと、バルトロメイはハヴェルの屋敷の門を潜る。
「——あの、リーパ護衛団のバルトロメイといいますが、レネが急に体調を崩して」
「えっ!? レネ君っ!!」
玄関にやって来た年配の女中が、バルトロメイの言葉と、背中に力なく背負われているレネの姿を見て慌てふためく。
「心配しないで下さい。お屋敷通りで仕事中に風邪が悪化したみたいで」
「あらあら、風邪引いてお熱がでたのね」
バルトロメイの言葉に、年配の女中はホッとしたように溜息を吐くと、後ろに背負われているレネの外套のフードを外し、そのまま意識を失うように眠っているレネの頬を愛おしむように撫でた。
(本当にレネは子供の頃、ここに預けられていたんだ……)
ハヴェルが言っていたことを実感する。
「エマ、早くお部屋に案内してあげて」
なにごとだと様子を見に来た少し若い女中に指示すると、年配の女中は急いで別の場所へと消えて行った。
「お部屋はこちらです。さっ、入って」
案内された二階の南側にある日当たりの良い部屋は、明るい色彩で統一され、本棚には子供向けの本から文学集までが並べられ、その隅には馬車や騎士の人形が置かれている。
まるで幼い男の子の部屋の様だった。
(でも、ハヴェルさんって子供いないよな……?)
部屋を見回しながら、バルトロメイが考えを巡らせていると、女中が若草色を基調とするベッドカバーを除けて、レネをベッドに寝かせやすいように整えてくれる。
「ここは?」
バルトロメイはレネを起こさぬようにそっとベッドに下ろしながら女中へ尋ねる。
「レネ君の部屋です。昔住んでいた家から、レネ君が子供時代に使ってたものをそのままこちらに持ってきてたんです。折角一通り揃えたので処分できなくって。でもよかったわ……役に立つ時がきて」
そう言って、昔を懐かしむように女中はしみじみと語る。
外套やサーコートを脱がせていると、女中がクローゼットの中から取り出した着替えを見て、バルトロメイは「うっ」と息を呑んだ。
とても男物とは思えないナイトウェアがその手の中に握られている。
「あら、驚かせましたか? でもねせっかく旦那様が金に糸目を付けずに作って下さったんだもの、使わないと勿体なくって。それに意外とシルクは温かいのよ」
エマと呼ばれた女中が、悩ましいデザインのナイトウェアと愛人グッズ一式を作った経緯を話しながら楽しそうに「うふふ」と笑い、そこをどけとばかりに尻でバルトロメイを押しやると、手早くレネを着替えさせてゆく。
「…………」
ただ圧倒されてその様子を見ていると、エマはバルトロメイを見てまた「ふふっ」と笑う。
「レネ君が小さい頃は、来る度に私たちがお風呂に入れてましたし。この時期になると風邪引くのも昔っから変わってないんだから。だからそんなに心配しなくっても大丈夫ですよ」
「はあ……色々とありがとうございます」
この女中を見ていると、伯母のヨハナを思い出す。
思っていた以上に家庭的な雰囲気の屋敷に、バルトロメイの緊張の糸が解れていった。
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