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2章 時計職人を護衛せよ
9 お屋敷で
しおりを挟む道の状態がよかったせいか夕方前にはウチェルへと到着し、まだ時間も早いので商品を届けそのまま領主であるホディニー子爵の屋敷へと向かうことにした。
ウチェルの町の一番高台にある屋敷へ着き、要件を告げると使用人によって待合室へと案内される。
商人用の待合室は狭、寒々としていた。
「商品を持って来いって言った割には、私たちが来て驚いてたよね?」
部屋から使用人が出て行くのを確認するとすぐさまレネたちの方を振り返り、アーモスは怪訝な顔をする。
時計を盗賊たちから取り戻し、待っているであろうウチェルの領主の所へと持って来たのに、どうも様子がおかしい。
「なんか、バタバタ焦った様子でしたね」
「まさか本当に来るなんて、って顔してたな」
領主に頼まれたからわざわざ来たのに、なぜ驚かれた。
「ところで……その時計なんですけど、一体いくらするんです?」
あとは渡すだけになり、ムクムクと好奇心が頭を擡げたのか、ヤンが躊躇いながらもアーモスに尋ねる。
盗賊たちも時計の価値がわかっていたのか、箱に収めたままの綺麗な状態でアジトに置かれていた。
レネも中身を確認するために中を見てみたが、『金の卵時計』といわれ王侯貴族の間でもてはやされるその時計は、女性が使うコンパクトのような丸い形をしており、繊細な細工が施された金属の蓋を開けると文字盤が顔を出す。
そこには色とりどりの夜光石が埋め込まれ、夜になると鮮やかに光り出しさぞかし幻想的な光景に違いない。
そんな時計が、安いはずがない。
「それは君たちにも言えないな」
流石にこれは顧客情報になるので、そこまでは教えてくれなかった。
暫くすると待合室の扉が開き、先ほどの使用人が入って来た。
「お待たせしました。これから主の所へご案内します」
そう言ってアーモスだけを連れると、二人は領主の所へと向かって行った。
二人っきりになり、レネが隣に座るヤンへピタリと身体をくっつけると「お?」という顔をしてレネを見下ろした。
「寒いのか?」
「——うん」
以前、『運び屋』を護衛した時にゼラだって『寒い時はヤン相手でも同じことをしている』と言ってレネとくっついていたんだし。気にする必要はない。
ヤンはなにを言うでもなく、好きなようにさせてくれた。
普段はベドジフとつるんでいることが多いが、レネと二人の時はこうして穏やかな時間を過ごすことが多い。
足音が近付いて来たので、レネはヤンに凭れ掛かっていた身体を起き上がらせる。
待合室の扉が開きアーモスが戻って来た。
「あれ? 意外と早かったですね」
時計の修理あると聞いていたので、もう少し時間がかかるのかと思っていたのだが。
もしかしたら、修理に時間がかかりそうなので明日に持ち越したのだろうか?
「それが、修理があるからこんな所まで呼び出されたものとばかり思ってたら、修理はいいって言われたんだ……」
「じゃあ、もう用事は終わりですか?」
わざわざ苦労してきた割にはあっさり終わった。
本来なら喜ぶところなのだが、レネは本当にこれで終わるのかという漠然とした不安に襲われる。
「ああ。今夜はウチェルに一泊して後は帰るだけだな」
しかしアーモスは時計を無事に渡すことができ肩の荷が下りたのだろう、随分表情が和らいでいる。
確かウチェルには食堂と一緒になった宿と、素泊まりだけの安宿がある。
レネが子供の頃オレクの牧場に預けられていた時は、十日に一度ほどダニエラの家族たちと一緒にウチェルの町に日用品の買い出しに来ていた。
牧場の食料は基本的に自給自足だが、調味料や雑貨などはどうしても必要になる。
だからウチェルの町についてはあるていど土地勘が働く。
「だったら、表通りに食堂付きの宿がありますよ」
あそこは買い出しのついでに何度か食事をしたことがあるが、ウチェルの特産物でもあるチーズを使った料理が美味しかった記憶がある。
「詳しいんだな」
アーモスが意外な顔をしてレネを見る。
「子供の頃よく来てたんで」
「親戚の家でもあったのかい?」
アーモスが興味を示したように聞き返す。
こんな辺鄙な場所なんかよっぽどのことがない限り来たりしないだろう。
「祖父がこの先の牧場にいるので、親の仕事が忙しい時はそこに預けられていたんです」
「へぇーだから詳しいんだ」
「ぶっ……確かにそうだな」
隣で聞いていたヤンが吹き出すが、「嘘はなに一つ言っていないぞ」とばかりにレネは睨み返す。
オレクは養父のバルナバーシュの父なので、レネの祖父にあたる。
バルナバーシュを父だと思ったことがないのと同じように、オレクを祖父だとは一度も思ったことがない。
だが、色々教えてくれる人生の先輩としてオレクを尊敬している。
「じゃあ、レネのおすすめの宿屋に行こうか」
大役を終えてアーモスの顔には疲労の色が見えた。
領主の屋敷と違い、宿屋ならゆっくりと寛ぐことができるだろう。
屋敷を出ると空もすっかり暗くなっており、寒さが増してきた夜道をウチェルの中心部へと向かって歩き出した。
ここの高台から領民が暮らす町の中心部までは、ホディニー子爵の所有する葡萄畑になっており民家はない。
高台にある領主の屋敷は砦といっても差し支えない作りになっており、東の国境に近いことを思わせる。
現在、ウチェルから東は国王の直轄地になっているので、直接侵略の危機に曝されることはないが、オゼロと同盟を結ぶ以前はこの地域も重要な防衛の拠点だったに違いない。
オレクから教えられるまでは、この道の先が、オゼロにあるルカーシュの故郷の村に繋がっているなんて思いもしなかった。
(あれ?)
そう言えば……あまり深く考えたことがなかったが、オレクの牧場はウチェルを治めるホディニー子爵領か、国王の直轄地のどちらなのだろうか?
(どっちだ?)
しかしオレクの口からここの領主の話なんて聞いたこともないし、ここから離れているので、国王の直轄地なのかもしれない。
そんなとりとめもないことを考えていたら、葡萄畑に繋がる生垣の影から人の気配を感じて、レネはヤンに目で合図を送った。
『俺の後ろに隠れて』
ヤンが小声で呟き、サッとアーモスを背に隠すと、レネが挟むように後ろを護る。
(間違いなく敵だ……)
生垣の向こうから明確な殺気を感じ、レネは唇を噛み締める。
「何者だ? そこに隠れてるのは」
ヤンが中々姿を現さない連中に焦れて自分から相手に問いかける。
「お前たちを生きては帰さん」
武装した男たちが十数名、ぞろぞろと現れ道を塞いだ。
「うわぁぁっっ!!」
こういう場面になれていないアーモスが、パニックを起こし悲鳴を上げた。
「アーモスさん、落ち着いて。大丈夫だから」
剣を抜きながらも、護衛対象を安心させるためにレネは言葉をかける。
「レネっ、ここは俺が時間稼ぎするから、屋敷へ引き返せっ!!」
襲撃者たちを背後にいるアーモスへ近付けまいと戦斧を振り回し、ヤンが叫んだ。
「わかった、お前もそこそこにして戻って来いよ!」
片手でアーモスの手を引いて空いた手で剣を構えながら、レネが来た道を振り返ると、少し離れた所にある屋敷の窓から、明るい青色の夜光石の光が合図を送るよう規則的に揺れていた。
(——なんだ?)
不思議に思いながらも、アーモスの手を引きレネは屋敷へと向かって必死に走った。
なんとか追いつかれることなく屋敷の門までたどり着いた。
門番たちも見送ったばかりの相手がまた戻ってきたので驚いていたが、「途中で男たちから襲われて」と事情を説明し保護を求め、再び中へと入れてもらう。
(あいつ大丈夫か……)
今度は一人置いてきたヤンのことが心配になる。
玄関に入る前に、もう一度立ち止まり後ろを振り返る。
遠くで蹄の音が聞こえた気がした。
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