菩提樹の猫

無一物

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1章 君に剣を捧ぐ

7 完璧すぎる理想のはとこ

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◆◆◆◆◆


 秋に父を亡くし沈んでいたバーラの心は、シモンの屋敷で暮らすようになってから、徐々に浮上してきた。
 まるでバーラを自分の孫や娘のように接してくれるシモンとヨハナの存在は大きい。
 二人にはとても感謝している。

「正月といっても毎年こんなもんだな」

 四人で過ごす元旦の朝に、シモンは苦笑いする。
 正月休みに入ったが、竜騎士団に所属するシモンの息子や孫たちは通常通り駐屯地を基点に国境の警備に当たっている。
 年越しに合わせて帰って来たのは、近くにあるテプレ・ヤロの駐屯地の連隊長を務めるシモンの長男……ヨハナの夫だけだ。

「ふふ、そうですよね。父と二人の時も一緒に新年を迎えることなんて殆どありませんでした」
 
 バーラも思わずつられて笑う。
 騎士の家の正月なんてこんなものだ。
 バーラが父と一緒に暮らしていた時も、正月でさえゆっくり一緒に過ごせたことはなかった。
 ここでは、一緒に過ごせる人たちがいるだけましだ。


 そんな中、一人だけシモンの孫が正月休みに合わせて帰って来た。


「バルトロメイ……!?」
 
 シモンの長男が突然帰って来た甥に、驚きの声を上げる。
 
「騎士団を辞めて暫く顔を見せないと思ってたら……どこをほっつき歩いてたんだ」
 
 シモンも驚きを隠せない様子だ。

 名前を聞いて、ベドジェシュカの息子なのだとバーラは咄嗟に判断することができたが、その姿を見て衝撃を受けた。

(ああ……眩しすぎ……)
 
 まるで理想をそのまま具現化したかのような姿に、バーラは言葉を失って打ち震える。

 テサク家の男たちは、高身長ではないが鷲鼻でガッチリとした身体付きをしている。
 だがベドジェシカの息子バルトロメイは、背も高く、そして恐ろしく美男だった。
 野生的で鋭い目つきなのだがどこか甘さが漂っており、とっつきにくさがない。
 どのパーツをとっても完璧すぎて、バーラは見ているだけでも胸が熱くなり過呼吸になってしまいそうだ。

(——これは……もしかして……一目惚れ……?)


「そう言えば、バーラはバルと会うのは初めてだったわよね」
 
 ヨハナが、固まったままのバーラを覗き込んでくすりと笑うと、バルトロメイを手招きする。
 
「この子はあなたのにあたるバーラよ。お父様がお亡くなりになって、今はここで一緒に暮らしているの」

「初めまして、バーラです」
 
 挨拶のために席を立ってお辞儀をする。

「初めましてバーラ。俺はバルトロメイ。お父上のことはお気の毒に……」

「いえ、父のことはもう大丈夫です」
 
「そっか。ここの暮らしはどう?」
 
 キラキラと光り輝く美男が眩しくて、しどろもどろに答える。
 バルトロメイはそんなバーラの手をとり手の甲にキスをすると、にっこりと優しく微笑んだ。
 鋭い目つきが和らぎ、人懐っこい大型犬みたいだ。

(ああっ……)
 
 その笑顔の破壊力に、バーラは昇天しかける。

「み、皆さんから優しくしていただいてます。あの、私……ベドジェシュカおばさまのお部屋をお借りしてるのですが……」
 
 もしかしたら、勝手に母親の部屋を使っていることをよく思わないかもしれないので、バーラは先に自分から告げた。

「ああ、俺に気を使う必要なんてないよ。使いたいものはどんどん使ってやって。母さんも喜ぶと思うよ」
 
「ありがとうございます」
 
「はとこどうしなんだし、敬語なんて使わないでよ」
 
 どうやら気さくな青年のようだ。
 バーラは胸を撫で下す。

「ほら、こっちに座りなさいよ。お昼は食べたの?」
 
 ヨハナは甥っ子をバーラの向かいの着かせる。
 
「いや、まだだよ」

「ちょうどよかった。今から昼食にしましょう」

「おい、バル——」
 
「——あなた、お説教は後にして。さあ料理を運びましょう」

 なにか言いたげな夫を牽制すると、ヨハナは立ち上がりバーラを連れて厨房へと向かって行った。
 ここ数か月で学んだことといえば、家長はシモンだが、陰でこの屋敷を支配しているのは長男の嫁のヨハナだった。
 男たちはこの屋敷の中では彼女の手のひらの上で転がされており、そしてそれに喜びを感じている。
 

 朝から頑張った甲斐があって、昼食の準備は万端だ。

 ここテサク家の正月料理は、毎年決まっている。
 ドロステアでは定番の鯉料理だ。

 朝一番で、風呂桶を占領して悠々自適に泳いでいた鯉を、ヨハナと一緒に網ですくい、びちびちと暴れる大魚を二人で掴んで厨房まで運んだ。
 今年はバーラがいるからと、奮発して大きな鯉を買ったらしい。

「今年はバーラがいてくれて助かるわ。夫は子供の頃、なにも知らずに浴槽で泳いでいた鯉に名前を付けて可愛がっていたの。でもその鯉がお正月にお皿の上に乗ってでてきて、それがトラウマになって生きた鯉が触れないんだって。鯉料理は食べるくせに。竜騎士団連隊長殿もとんだ名折れね」

 ヨハナが大きな鱗を頬に貼り付け、へらへら笑って夫の愚痴をこぼす。

「ふっ……」
 
 ヨハナがまな板へ乗せ押さえつける鯉に、バーラはアイスピックで止めを刺しながら、あの厳めしい風貌の男にそんな子供時代があったのかと思わす鼻で笑った。
 急所を刺され鯉がビチビチと痙攣し、バーラの顔に血が飛び散る。
 エプロンは血だらけで、正月早々厨房はまるで殺人現場のようだったが、二人の女は互いの顔を見合って笑っていた。
 

 厨房に着くと二人がかりで、鯉が丸ごと入るオーバルの鍋にパプリカとビールを入れて煮込んだ鯉の姿煮をカートに乗せる。
 朝から頑張って作った二人の力作だ。

「あの人が、ベドジェシュカおばさんの?」
 
 ここに来るまで、気になって仕方なかったことをヨハナにぶつけた。
 
「そうよ。いい男過ぎて吃驚したでしょ?」
 
「…………」
 
 図星を指されて、バーナは再び顔を赤くした。
 くすくすとヨハナは笑う。

「前にも話した通り、バルの父親はメストにあるリーパ護衛団の団長さんなんだけどね、あの子は父親似なのよ。私も会ったことがあるけど、もう涎が出そうなほどいい男だったわ。ジェシーは上手いことあんな男捕まえて、よくやったもんだわ。私も久しぶりに甥っ子を見たけど、ますます似てきたわ~~」

 ヨハナはバーラに夫との馴れ初め以外の恋の話もしてくれる、気さくな女だ。
 男勝りのベドジェシュカが一人で遠乗りに出かけた先で、出逢った旅人と恋に落ちた話は、以前ヨハナから聞いていた。

「父親の血なのか、剣の腕も相当で、竜騎士団でも将来を約束されていたのにね……ある日突然騎士団を辞めちゃったのよ。お義父さんは嘆いていたけど、まあ色々と理由があるみたいだし仕方ないわね」
 
 そう言って、ヨハナは苦笑いした。
 テサク家は代々竜騎士団の中でも重役を輩出している家柄で、バルトロメイもそのまま騎士を続けていたら伯父や祖父のように駐屯地一つを任せられるような存在になっていたかもしれない。
 付け合わせや酒類もカートの下段に乗せて、二人は再び食堂へと戻った。

 料理とテーブルに並べると、家長のシモンが、それぞれの皿に鯉を取り分け、長男がグラスにワインを注ぐ。

「懐かしいな、鯉なんて食べるの何年ぶりだろ」
 
 バルトロメイはばくばくとヨハナとバーラの作った料理を平らげていく。
 バーラはその食べっぷりに、頬を染めて見とれていた。


 そこまではよかったのだが、食事が終わり、バルトロメイが実の父親が団長を務めるリーパ護衛団で働いていることを告げる。
 するとシモンは別人のように怒りだし、バルトロメイも黙ってはおらず大喧嘩へと発展した。
 そして久しぶりに顔を見せたというのに、泊まることもせずにバルトロメイはメストへと引き返してしまった。


 夕食が終わり、厨房で片づけものをしていると、ぼそりと隣で食器を洗うヨハナが漏らす。
 
「以前聞いた話なんだけどね、バルが生まれて団長さんが何度も面会を申し出ても、お義父さんが反対して面会を許さなかったの。だからなのかどうかはわからないけど、団長さんは養子をとって育てているみたいよ」
 
「なんでそんなことわかったの?」

「実はね、お義父さんと団長さんの父親は、大むかし騎士団の同期だったらしいの。それであちらの父親から手紙で知らされたみたいよ。『倅には養子がいるから後継ぎの心配はない』って。それでお義父さんも安心してたみたいなのに……あの子ったらなんで父親の所で働いているのかしら……」

 ヨハナは困った顔をしながら話を続ける。

「それならもういっそのこと、あの子が護衛団を継いだらいいのに……どこぞの貴族の護衛をするよりも、リーパ護衛団の団長ならぜんぜんありだわ。お義父さんもブツブツ言ってるけど、それなら納得すると思うの。……もしかして……あの子……そのつもりなのかしら……?」

「でも養子がいるんでしょ?」
 
 今更、実子が現れても、面倒なことになるだけではないだろうか?

「まあ確かに……バルも戸籍上はテサク家の人間になっているから、あちらと親子とは認められていないしね。よく考えたら、迷惑な話よね……」
 
 頬に付いた泡を拭いながら、ヨハナは溜息を吐く。



 バルトロメイが家を出ていき、数日間シモンは機嫌を損ねていたが、バーラの家の買い手が現れたという知らせを受けると、なにやら真剣な顔で考え込んでいた。
 そしてなにかを思い立つと、バーラを連れてメストへと向かったのだ。

「儂はメストまでしかついて行けんが、心配せんでもよい。腕利きの護衛を付けてやるからな」

 そう言って連れて来られたのが、バルトロメイの父親が団長を務めるリーパ護衛団だ。
 バルトロメイもここで働いているらしいので、どこかにいるかもしれない。

(もしかして……ここで護衛を雇うのかしら?)

 受付を終え、二階の応接間へと通されると、中には二人の男が待っていた。
 背の高い四十半ばの男は、バルトロメイがそのまま年を取ったかのような容貌をしていた。

(この人が……)
 
 ヨハナが言っていたように、本当にそっくりだ。
 年はとっていても、苦み走った魅力的な容貌をしている。

「——久しぶりだな。相変わらずの色男振りだな。まだ女たちを泣かせてるんだろ?」
 
 当然ながら、未婚の娘に手を出したバルナバーシュに、シモンは良い感情を持っていない。
 最後に添えられた言葉は、完全に嫌味だろう。
 ヨハナはベドジェシュカの行動にもかなり問題があったので、バルナバーシュだけの責任ではないと言っていたのだが。

「シモン卿、お久しぶりです」
 
 そんなシモンがいきなり訪ねて来ても、バルナバーシュは表情一つ変えない。

「今日は護衛の依頼に来た。この子の護衛にバルトロメイを指名したい」

(——バルトロメイを護衛に!?)

 突如言い渡された、はとことの一緒の旅に、バーラは舞い上がっていた。
 あの青年の姿を見るまでは——

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