菩提樹の猫

無一物

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閑話

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◆◆◆◆◆


「おい、レネ」

 娯楽室のローテーブルに突っ伏したまま、ゼラが名前を呼び揺すってもまったく目の覚める気配がない。
 片付けをあらかた終えて来た時には、既にレネは潰れていた。

「そいつはほっといて、ゼラお前も飲むぞ」

 酒に弱いレネでは相手にならないのか、オレクはゼラにも次から次へと酒を勧めて来る。
 ゼラはどんなに飲んでも、生まれてこのかた、二日酔いになったことがない。
 だから勧められるままどんどん飲む。

 持参の酒が無くなると、ダニエラが副団長の部屋に忍び込んで、高そうな酒を何本か小脇に抱えて来た。

「やっぱり隠し持ってた。今頃お楽しみのはずだから、少しくらい頂いても構わないだろう」

 それは窃盗ではないのか? と思ったが、ダニエラはなにも言わせない迫力があったし、どうやら副団長とも旧知の仲のようなので、ゼラは敢えて言及しないことにした。


「お前もルカから色々聞いているだろ? これからのことを」

 オレクが、改まった顔をしてゼラを正面から見つめて来る。
 大戦で先代王を守る為に失った左目。
 命を救った褒美として王から賜ったこの護衛団と、そこでレネが大切そうに抱えている宝剣。
 リーパ護衛団はすべてこの男から始まっている。

 そんな男が発する迫力はすさまじい。普通の男なら尻尾を巻いて逃げ出している。
 しかしゼラは目を逸らすことなく、その視線を受け止めた。

「ええ」

 以前、ルカーシュとバルトロメイの三人で仕事に当たった時、次の副団長についての話をされた。
 ルカーシュは次の副団長に相応しい人物をこれから見極めていくと。
 ゼラとバルトロメイはその候補に挙がっているという。

 この二人の人選に、ゼラは団長の仕事の補佐もさることながら、レネの護衛としての役割も副団長は担うのだと理解した。
 レネ自身も腕は立つが、それ以上の腕が必要とされる。

「お前は団長がレネに代わっても忠誠を尽くせるか?」

「それが団長バルナバーシュの望むことであるならば」
 
「ふん、どこまでも忠犬だな。俺も詳しくは聞いてないが、こいつを血眼になって探している奴らがいるらしい。倅はそれを承知でレネを養子にした。こいつを篭の中で大事に育てるよりも、自分の身は自分で守れるよう倅は鍛え上げた。なにが起こるか知らねえが、この護衛団もすべて倅に託した。たぶんレネが後を継ぐのはその問題を解決させてからだ。俺はゆっくり傍観させてもらうから、お前らはせいぜい頑張れよ」

 どうやら、これから起こる嵐に備えて心の準備をしておけと忠告されているようだ。
 
「さてと、もういい時間になったし、俺たちも部屋に戻るか」

 グラスに残っていた酒を一気に飲み干すと、オレクはダニエラの方へと向き直る。

「でもこいつはどうする?」

 ダニエラは眠ったまま起きないレネの頭を小突くが、起きる気配もない。

「まだ暖炉の火もあるし、ここに寝せときます」

「宝剣は大丈夫か?」

 養父の代わりにしっかりこの宝剣を護らなければという意識は常にあるのだろう、酔いつぶれても抱え込んでいるが、いざ敵が攻めて来たらレネだけでは心許ない。

「俺も今夜はここにいるんで大丈夫です」

「そうか、酔っ払ったまま宝剣を持って部屋に連れてくより、ここでお前と一緒にいた方が安全だな」

 休みの前日など、この部屋で夜更かしをしてそのまま寝てしまう団員も少なくはないので、予めブランケットが何枚か置いてある。

「お前は忠犬だな。どっかの狼とは大違いだ」

 ゼラの目をしばらくなにかを見極める様に覗き込むと、隻眼の老人はニヤリと笑った。

「言ってやるなよ……自分の孫だろ?」

 ダニエラが肘でオレクを小突いた。

「いや、手が早いのは倅の血だろ」

 自分の息子より十以上若い女にぞんざいに扱われても、怒るどころか老人はガハガハと笑った。

「美味い飯をごちそうさん」

「朝も楽しみにしてる」

 オレクたちはそう言い残し、自室に戻って行った。

 誰もしゃべる者がいなくなり、娯楽室は静寂に包まれる。
 ゼラは部屋の隅にある棚からブランケットを三枚取り出すとテーブルに突っ伏したまま眠るレネの方へと向かった。

「おい、せめてその椅子に横になれ」 

 肩を揺すって起こすが、「う~~~ん」と反応はあっても目覚める気配はない。
 猫のように首根っこを掴んでレネの身体を起こすと、そのまま長椅子に転がした。

 その間もレネは団長から預かっている剣を離さない。
 ブランケットを広げてレネの身体に掛けていると、なにかぼそぼそと呟いているのが聞こえる。

「———置いて行くなよ……バルも……姉ちゃんも……ヴィートも……」

 酔っ払って心の声がダダ漏れになっているようだ。

(やっぱり置いて行かれて寂しかったんじゃないか……)

 レネはやはりわかり易い。

 二枚目のブランケットをレネの身体に掛け終わると、ゼラはテーブルをずらして、床に直に座るとレネの寝る長椅子に凭れ掛かる。
 そして自分の身体にもブランケットを一枚巻きつけた。

「———俺がここにいるだろ」

 酔っ払いになにを話しかけても無駄とわかっているが、ついつい答える。

 ゼラはポーストで恋人と死別してから、残り火のような色のない人生に嫌気が差して祖国を捨てた。
 結局、住む場所を変えても景色は変わったが、失われた色は戻ってこない。
 肌の色が違うためすぐに異国人だとわかるゼラが生きていくには、この国は過酷だった。
 点々と職を変え、盗賊の用心棒になるまで落ちぶれていた時に、一筋の光が差した。

『お前は濁った目をしていない。俺たちと来ないか?』

 狼のような瞳に魅了され、世界が再び鮮やかに彩られた。

 もし、バルナバーシュがゼラの前から消えたら、また灰色の世界に戻ってしまうのだろうか?
 そう思ったこともあったが、最近は違う。
 バルナバーシュが大切にするものそれぞれが鮮やかに発色していることに気付いた。
 
(この鮮やかな世界を守るのが、俺の役目だ)
 
 オレクはレネの周辺で不穏な動きが起こることを匂わせていた。
 自分が拾われたのも、もしかしたらその時の戦力になるかもとバルナバーシュは見越していたのかもしれない。
 もしそうだったら、なおさら責任は重大だ。

 バルナバーシュが一度、団長を辞任までして救い出した存在に目を向ける。
 目を手で覆うように眠っているので、その表情は確認できない。
 レネはこんな仕草まで猫そっくりだと、思わず笑う。

 きっとレネは、憧れの養父を剣の師匠に取られたと思っている。
 ルカーシュのことを剣の師匠として見てはいるが、決してすべてを受け入れているわけではないのが、傍から見てもよくわかる。
 本人は認めないと思うが、多分それは同族嫌悪に近いものだ。
 レネはバルナバーシュのようにありたいと願っているから、属性が近いルカーシュのことを認めたくないのだ。
 それに気付いているから足掻いているとも言える。

 そんなに肩肘張らないで、ありのままの自分を認めてやればいいのに。
 ゼラは思わずにはいられない。

 本人が思っている以上に、レネは強く頼りがいのある男だ。
 この繊細で美しい器の中に、その魂が入っているからこそ人々は魅了されているのをわかっていない。
 
 ゼラがバルナバーシュに対しそうであったように、レネに魅了され強くなろうとする男たちがこれから出てくるだろう。
 レネはそんな男たちを上手く従える術を、これから身に着けていかなければならない。

 ヴィートがここを出て行ったのは自分のせいだとレネは未だに気に病んでいるようだが、あれはまさしくレネに魅了され、もっと強い男になるため、自ら進んで濃墨に弟子入りしたのだ。

 もう一人レネに魅了されている男がいるが、こんな時に限って実家に帰ってしまった。
 
(本来ならここにいるのはあいつの役割なのに……)

 心の中で愚痴をこぼしながらも、たまにはこういう役も悪くないと、ゼラはゆっくり瞼を閉じた。


◆◆◆◆◆


 新年四日目に、ザトカに行っていた二人が、ちょうど昼食時に集まっていた食堂に入ってきた。

「よお! 二人っきりの正月を楽しんで来たか?」

 オレクがニヤリと笑うと、思わせぶりな言葉をかける。

「親父……それにダニエラまでなにしに来てんだよ……」

 厩舎にいる馬を見るだけで誰がここにいるかわかるので、バルナバーシュもさほど驚いてはいない。
 ルカーシュも素顔のままだ。

「!?」

 実家に帰ると言っていたのに、昨日帰って来たバルトロメイが、レネの横でルカーシュを凝視している。素顔を見るのは初めてだから驚いているのだろう。

「団長たちは昼食どうします?」

「食べる。すぐ着替えて来るからちょっと待っててくれ。あっそれとこれは土産だ」

 色々な種類の魚の燻製を荷物の中から取り出す。

「あっ!? 魚」

 好物の出現にレネの目は釘付けだ。

「ほらな、間違いなかっただろ?」

 レネの様子を見てルカーシュが笑う。

「そうだな。お前の言う通りだ」

 バルナバーシュも釣られて笑った。

(なんだこの空気は!?)

 二人のとりまく空気がいつもと違う。
 レネ以外にもそれに勘付き目を泳がせている。

 二人が着替えの為に食堂から出ていくと、各自我慢していた感情を表に出した。

「クソっ……ルカの奴、お肌ピチピチになってやがる。いい年してますます若返ったんじゃないか?」

 ダニエラの方が年下なのだが、ルカの方が若く見えて悔しいのだろう。
 揶揄って笑っているが、目が本気で悔しそうだ。

「燻製か。酒のつまみに丁度いいな」

 飴色に染まった魚を見て顔を弛ます老人は、相変わらず酒のことしか考えていない。

「ルカーシュ……ルカ……」

 バルトロメイが驚いた顔で隣にいるレネを振り返る。

「なんだよ」

 この男はなにを動揺しているのか。
 ゼラなど、眉一つ動かさなかったのに。
 
 再び厨房に戻ろうとしたゼラの後をレネもついて行こうとしたその時、二階から怒鳴り声が炸裂する。

『誰だっ!! 俺の酒を盗んだのはっ!!』

 普段冷静な顔しか見せない副団長の怒声に、バルトロメイとゼラは固まった。
 流石にこれには、ゼラも驚かずにはいられなかったようだ。

 ルカーシュの素を知っているオレクとダニエラはゲラゲラと大爆笑している。
 自分が犯人なのに、笑っていられるダニエラはかなり肝太い。
 レネだったら今ごろ冷や汗をダラダラ流して震えているだろう。

 魚好きのレネのリクエストで昼食は干鱈のトマト煮だ。
 早く好物へありつくために、レネは固まったままのゼラの背中を押して厨房へと向かった。

 
 新年早々の寂しさなどどこかに吹っ飛んで、レネは言いようのない温かな気持ちに包まれた。

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