菩提樹の猫

無一物

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閑話

猫のお正月 1

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 ドロステア王国の国民は新年の五日間は仕事を休むのが決まりだ。
 それに倣いリーパ護衛団もその間は休業する。
 貴重な休暇中に、団員たちも自分の家や故郷に帰って骨を休める。

 身寄りのない団員たちは私邸の宿舎で新年を迎えるのが恒例となっていた。
 しかし今年はいつもと様子が違う。

「休みはアネタと二人で過ごすとこにしたよ。今年はあっちもあまり雪が降ってないみたいだからね」
 
 ボリスが少し申し訳なさそうにレネへ告げた。

 冬のこの時期は標高の高いジェゼロは積雪で陸の孤島になっていることも少なくない。
 今回は運よく、恋人たちは一緒に新年を過ごせるようで、レネはホッと胸を撫で下す。
 レネはジェゼロへ向かうボリスを厩舎まで見送った。

「姉ちゃんによろしく言っといて、くれぐれも食べすぎないようにって」

「またそんなこと言ってると、今度会った時に痛い目見るぞ」

 ボリスは眉尻を下げて困った顔をする。
 確かにボリスの言うように、そんなこと言ったらアネタはぷりぷりと怒りだすに違いない。

「お願い、今の言葉は忘れて」

 いくつになっても姉は恐ろしい存在だ。

「今の一言、俺がアネタに伝えといてやるよ」

 二人の会話に割り込んできたカレルがニタリと笑う。
 今回は師匠のゲルトに呼ばれてカレルも故郷のジェゼロへ帰ることになった。

「なんだよっ、やめろよっ!!」

 カレルはゲルトに拾われてからずっと工房で暮らしてきたので、十二の頃から住み込みで働くアネタとは幼馴染だ。

「そんなこと言うと、今度他の奴らに、カレルは編み物が得意だってバラすからなっ!」

「なんだとテメェ……舐めた真似しやがって」

 レネは知られたくないカレルの秘密を知っていた。

「ほらほら、子供の喧嘩みたいなことは止めろ。明後日には着きたいからな早いうちに出るぞ。じゃあレネ、行ってくるから留守番を頼んだよ」

「うん。気を付けて行って来てね」

 そんなカレルでも、ボリスと一緒にジェゼロへ向かってくれるのは心強い。
 いつでも一人旅は危険がつきものだ。
 馬上で有利な槍使いのカレルは、こんなとき特に頼れる護衛になる。
 旅支度を済ませ馬に乗ると、二人はジェゼロへと向かった。

 いつも馬の世話をしている馬丁も正月は仕事を休む。
 厩舎の馬を世話する人間がいなくなるので、この時期遠くへ帰る団員たちに馬を貸し出している。

 見送りも終わり私邸に戻ろうとしていると、ちょうどそこに旅支度をしたバルトロメイがやって来た。

「あれ? お前も実家に帰んの?」

「ああ。リーパにいることはまだ爺さんに知らせてないし、元気なうちに顔を見せておかないとな」

 なにやら苦い顔をしてバルトロメイは頭を掻く。

 バルトロメイが自分で会いに来るまで、実の父であるバルナバーシュは面会すら許されなかった。
 そんな彼が父親の所で働いているなんて知ったら、家族はあまりいい感情を持たないのではないか……。
 浮かない表情から、実家の事情を察する。

「うわっ!? なんだこいつっ!!」

 少し離れた所から、馬に唾をかけられ、バルトロメイが驚く。
 厩舎にはあと五頭しか馬は残っていない。
 バルトロメイの乗る馬がいなくなったらあと四頭。

「ああ、そいつね。副団長の馬だよ。ひねくれもんだからあんまり近付かない方がいいかも」

「なんかコイツ不細工じゃね? 足も短くて太いし。なんでこんなのが副団長の馬なんだ?」

 耳を倒して自分を睨んでくる馬を、バルトロメイはマジマジと見る。

「きっと、ひねくれもん同士で気が合うんだよ」

 ルカーシュに猫みたいに甘える姿を知っているので、レネは口で言うほどこの馬のことを嫌いではない。
 それに何度も一緒に修行の旅に出たことがあるからか、今まであからさまな嫌がらせをされたことがなかった。

「そ、そうか……」

 レネの言葉に納得したようなしないような煮えきれない顔をしながら、バルトロメイは自分の乗る馬に荷物を積んでいく。
 
「でもまさかお前まで実家に帰るなんて思ってなかったな……」

 そして本来なら身寄りのないヴィートも一緒に休みを過ごすはずだったと思うと、なんだか急に寂しくなってきた。
 今頃どこにいるのだろうか?

「おいコラ、そんな顔すんなよ。行くにいけないだろっ」

 バルトロメイは心配そうな顔をしてレネを覗き込む。
 
「いや、気にすんなよ、どうせ団長と副団長も一緒だし、それにゼラもいるし」

 言葉に出して気付くが、このメンツでどういう会話をするのか想像もつかない。



 新年の休みの間だけ団員たちにも開放される一階の食堂で、日付が変わり新年の祝杯を挙げていた時に、いきなりそれは告げられた。

「俺はルカとザトカにある別荘に行って来る。四日には帰って来るからな。後は二人に任せたぞ」
 
「え……?」

 養父の言葉に、レネは固まる。
 今年はゼラとバルナバーシュとルカの四人で過ごすのか……なんて思っていた。

(二人で別荘……?)

 隣にいるゼラはまったく動じていない。
 ルカが副団長の仮面をとって素顔で食堂に入って来ても、眉一つ動かさなかったこの男の落ち着きぶりは凄い。

(やっぱりゼラは大人だ……)

「日の出前には出発するから、先に休ませてもらうぞ。出発する時に宝剣をお前に預けて行くからな」

 そう言って、養父と師匠は二人揃って食堂から出て行った。
 宝剣とは先代が王から賜った剣のことだ。


「ぜんぜん聞いてないんだけど」

 バタンと扉が閉まると共に、隣にいたゼラの方に身体を向ける。
 夜空の色をした瞳だけが、ジロリとレネの方に動いた。

「知らなかったのか?」

 普段口数の少ない男も、一対一の時はちゃんと喋ってくれる。

「ゼラは知ってた?」

「飯の関係があるからな。随分前から知らされていた」

 新年の休日は、屋敷に住み込みの使用人夫妻も仕事を休んで家に帰っている。
 だからその間だけ、料理上手のゼラが毎年居残り組に料理を振舞っていた。

 普段は三人だけの食堂で、ガヤガヤとみんなで食べるゼラの御馳走は、レネにとって年明けの楽しみになっていた。
 
 留守番するのは別に構わないのだが、バルナバーシュとルカーシュが二人で別荘(そんなものを所有していたのも初耳)に行くなんて、知らなかった。
 ゼラでさえ知ってたのにどうして自分には直前まで教えてくれなかったのだろうか?

(ルカと二人で行くから?)


 ある日の早朝に、バルナバーシュがルカを抱えて自室に連れて行った所を目撃してから、あの二人はそういう関係だったんだと確信した。
 二人はレネの養父と剣の師匠だ。
 元から二人の関係を怪しんでいたので今更なのだが、このような形で目の前現実を突きつけられるとかなりショックを受ける。

 バルナバーシュのことは子供の頃から目指すべき理想の存在として憧れていた。
 今でもその気持ちに変わりはない。

 そんなバルナバーシュが、剣の師匠としてやっと存在を認めることができたルカーシュと……。
 過去に師が行きずりの男と連れ込み宿に入っていたのを見ているだけに、なんだか自分の憧れの存在を汚されたような気持ちになる。
 剣士としては認めるが、養父の相手としては認められない。

「お前、もしかして自分だけ置いて行かれて寂しいのか?」

 一人で黙り込んで物思いに耽っていたら、珍しくゼラから喋りかけてくる。

「……は? まさか……子供じゃないんだし」

 レネはこの気持ちをどう説明していいのかわからなかった。
 祝杯として飲んでいた年代物のワインの残りをゴクゴクと一気に飲み干した。

「あんまり酒に強くないんだから飲むんならちゃんとつまみも食え」

 ゼラはチーズやナッツの入った皿を差し出す。
 いつもは素っ気ないのに、今夜はなにかとお節介な気がする。
 
「ねえ……ゼラの両親は元気なの?」

 あの二人のことばかりに気を取られても仕方ないので、レネは話題を変える。

「さあ……祖国にいるからな。もう死んでるかもしれない」

 無表情のままどこか遠い目で答える。

「ゼラってポーストから来たんだっけ?」

 ポーストは南の大陸にある砂漠の国だ。

「ああ」

「なんでドロステアなんかに来たの?」

 チーズを齧りながら隣を見る。
 やはりいつ見ても、この男は美男だ。長い首のラインが特にレネのお気に入りだ。

「もっと違う世界が見たかったから」

「……なるほど」

 砂漠は絵でしか見たことがないが、他の世界を見てみたい気持ちはわかる。
 この仕事で国中を旅するのはワクワクする。

「ゼラは何人兄弟?」

「……何人いるかわからん。ポーストは一夫多妻制だから腹違いの兄弟がたくさんいる」

「へえ……」

 想像がつかない。

「国に帰ろうとは思わないの?」

 レネの両親は殺されてもう会いたくても会うこともできないが、ゼラの親はまだ祖国で元気にしているかもしれないのに、顔を見たいとは思わないのだろうか?

「なんの未練もないからな」

 無表情のままゼラは即答する。
 本当に未練などこれっぽっちもない顔だ。

「ゼラって大人だよね……」

 まったく関係のないゼラの話を聞きながらも、レネは自分の中でモヤモヤと燻る嫌な気持ちの正体がわかってきた。
 セラから先ほど言われたことは、当たらずといえども遠からずだったのだ。

 唯一の肉親である姉にはボリスという恋人がいる。
 レネを弟のように大切にしてくれるボリスには姉という恋人がいる。

 そして、ずっと独身を貫いていた養父は、どうやらルカーシュと……。
 団長を辞任して貴族に決闘を申し込んでまでレネを救いに来てくれたのに……結局はルカーシュなのだ。

(———じゃあオレは?)

 それに加え、ヴィートが自分のせいでこの国を離れ、レネはまだそのことから立ち直れていない。
 堪らない気持ちになり、瓶からワインをグラスに注いで一気に飲み干した。

「飲みすぎるな。団長に留守を頼まれた身だろ」

 いつもは一日中見張っている門番もおらず、裏門と表門も固く閉ざしてある。
 
「こんな所に泥棒なんて来ないだろ」

 護衛団にわざわざ忍び込むなんて物好きもいいところだ。

「決めつけるな」

 脛に容赦のない蹴りが入る。

「……いって! 今の本気でやっただろっ」

 こう見えてゼラは足癖が悪い。

 だが確かにゼラが言うように油断してはいけない。
 今年はこの広い敷地の中に二人しかいないのだ。

「お前は団長の宝剣を預かる身だぞ」

「……ゴメン」

 ゼラの顔は整っているだけに、睨まれただけでも凄い迫力だ。

「もう、さっさと寝ろ」

「うん……」


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