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13章 ヴィートの決断
20 決断
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◆◆◆◆◆
応接間で一人酒を片手に剣の手入れをしていると、濃墨が中へと入って来た。
「……なんだ?」
バルナバーシュは作業の手を止め顔を上げると、いつになく真剣な顔の千歳人の顔がそこにあった。
「——決めたよ。ヴィートを連れて行く」
濃墨が向かい側の椅子に座ったのを見計らい、バルナバーシュは来客用のグラスを後ろの棚から取り出し、酒を注いで差し出す。
「俺ぁてっきり、違う奴を攫って行くのかと思ってたが?」
ニヤリと笑い、傭兵時代から思慮深く、けして我欲を出さない修行僧のような漢を見つめる。
「……そんなことをさせるつもりもない癖によく言うよ。それに師匠がいなくなったらお前の息子が困るだろ?」
グラスに入った液体で口を潤し、千歳人はかつての戦友に問い返す。
「あいつもまだ完成にはほど遠いからな……」
レネがバルナバーシュの跡を継ぐには、大きな壁を乗り越えなければいけない。
心技体が整うまで、あと十年は必要だろう。
脂が乗ったら、バルナバーシュはレネを大舞台に上げるつもりだ。
「師匠だけじゃなく弟子も鈍い所はそっくりだな。ヴィートを見ていると昔の俺を見てるみたいで可哀想になってきた」
「なんだよ、だからあいつを弟子にするのか?」
「……それもあるな。いま近くにいても苦しむだけだ。それにあいつは度胸もあるし筋がいい。まだ視界は狭いが実戦を積めばなんとかなるだろう。お前が育てている二人に劣らないよう化けさせる」
ゼラやバルトロメイのレベルまで引き上げてくれるのなら、ヴィートも充分レネの補佐として考えることができる。
「頼もしいじゃないか。で、どこで育てるつもりだ?」
実戦といっても東国の争いごとは収まったし、この大陸では傭兵の活躍する場所が最近めっきり少なくなってきている。
「今、千歳の南部で内乱が起こっている。昔仕えていた藩主が窮地に立たされていてな、そこへ加勢に行くつもりだ」
「あいつにとってはまたとない機会だな」
戦のないドロステアで過ごすより戦場に立った方が、何倍ものスピードで成長する。
まっさらな状態のヴィートだと、ますますそれは顕著になる。
「死んだら元も子もないがな」
濃墨の言う通り、その分、命を落とす可能性は高い。
いわば劇薬だ。
「こればっかりは運任せだ。——そう言えば、このまえ言い忘れてたことがあってな。ドロステアへ来る前にセキアを横断して来たんだが、王都のラバトで妙な盗賊団の噂を聞いてな」
「盗賊団?」
濃墨がわざわざそんな話をしはじめるということは、きっと重要な話に違いない。
バルナバーシュは思わず身を乗り出す。
「ああ、なんでも古代王朝に所縁のある品々だけを盗んでいるらしい。お前の言っていたことと関係があるんじゃないかと思ってな」
「——ほう……」
嫌な予感がする。
「本拠地はラバトだが、どうも三国を股にかけて活動しているらしい。確か……盗賊団の名前はセヴトラ・ヴクリセニ」
古代語で『復活の灯火』
「間違いない。奴らだ」
◆◆◆◆◆
カレルがいきなり扉を開けてヴィートを呼んだ。
「なんだよ、ノックもなしにいきなり入って来るなよ」
疚しいことはなにもしていないが、突然部屋に入って来られるとびっくりする。
「団長がお呼びだ」
「へ?」
団長の私室に呼び出されたことなんてまだ一度もない。
「お前呼び出しなんて初めてだよな? まだこの前の説教が終わってなかったか?」
この男は完全に面白がっている。憎たらしいことに大人しいのは師匠の前だけだ。
「俺団長の部屋がどこにあるかしらねえし……」
ここの二階には言いつけ通り、まだ一度も足を踏み入れたことがない。
「階段上って廊下を真っすぐ突き当りだよ」
カレルが言うように、この前の説教の続きなのだろうか?
しかしどうも違う気がする。
ここ数日ヴィートはなにか胸騒ぎを感じていた。
ノックをすると、奥の方から返事が聞こえて来た。
扉を開けると目の前の部屋は書斎になっており、左の方にあるもう一つの扉から「こっちに来い」という声がした。
いわれた通り奥の部屋に入って行くとそこは応接間になっていた。
背の低い長方形のテーブルを囲う形で長椅子が置かれ、向かい合う形でバルナバーシュと濃墨が座っている。
団長から隣に座れと促され、ヴィートは素直に従った。
「話とはなんですか?」
「お前、濃墨の下で本格的に修行する気はないか?」
バルナバーシュの言葉に、ヴィートは即座に濃墨の顔を見た。
視線を受けて濃墨が静かに頷く。
なんだろうか、この不思議な気持ちは——
魂の奥に眠るもう一人の自分が濃墨を求めている。
「あの……実は……俺からもお願いしようと思っていたんです」
昨夜、娯楽室で他の団員たちから告げられた事実に、ヴィートは未だ立ち直れないでいた。
一晩中眠らず考えても、これ以上自分がレネと一緒にいたら、足を引っ張ることしかできず迷惑をかけてしまうという答えしか出てこなかった。
このまま惰性でリーパにいても自分はレネよりも弱いまま。
しょせん自分は飼い犬どまりだ。
それも主に噛みついた駄犬。
どんなに頑張っても一人前の男として見てくれることはない。
「お前、レネに惚れてるか?」
鬼のように恐ろしいレネの養父から、ド直球ストレートな質問をされ、ヴィートは背中に冷たい汗が流れるのを感じたが、バルナバーシュの方を見て、目を逸らすことなく答える。
「命を捧げてもいいくらいには」
この言葉に嘘はない。
「そうか……——お前にはレネのことを話しておこうと思う」
そうして聞かされたレネの出生の秘密に、ヴィートは驚きを隠せないでいた。
団員たちも、そしてレネ本人さえもこの事実を知らないと言う。
「——どうして俺に……そんな話を?」
「お前は弱い。弱い人間が強くなるにはそれに見合った理由が必要だろ?」
静かな真っすぐな目がヴィートを捉える。
その狼のような美しい瞳に、完全に魅入られてしまった。
「俺……濃墨さんの下でもっと強くなってレネの力になりたいです……」
自分の生まれてきた理由はここにあるとヴィートは確信した。
「俺が行く所は戦場だ。今より何倍も危険だ。死ぬかもしれないぞ?」
いつにもなく厳しい目で濃墨はヴィートを見つめる。
「それを言うなら、この前だって濃墨さんが助けてくれなきゃ死んでました。弱いままだとどこにいたって一緒です。それに……ここにいてもレネの足を引っ張るだけです」
今でさえ、レネに迷惑をかけているのに、このままだと自分の欲望をレネにぶつけてしまう。
「——わかった。明後日の朝にここを出て千歳へ向かう」
ヴィートの熱い想いはどうやら濃墨に受け入れられた様だ。
「はいよろしくお願いします。——あの……団長に一つお願いがあります」
ヴィートには一つだけ心配なことがあった。
これはバルナバーシュにお願いするしかない。
「——なんだ?」
「俺にもしなにかあった時は、妹のミルシェを宜しくお願いします。俺知ってます。『お菓子をくれるおじちゃん』って団長のことでしょう?」
妹が、お屋敷にいたおじちゃんが八百屋で働くようになっても、ちょくちょく様子を見に来てお菓子をくれると言っていたので、外見の特徴を詳しく訊いたらどう考えても団長以外考えられなかった。
頼んでもいないのに、気になって様子を見に行っているくらいだ、もし自分になにかあったら団長に頼んでおくのが一番いいだろうと判断した。
「……知ってたのか……——安心しろ。お前が死んだら、ミルシェは俺の養女にする」
予想以上の言葉が帰って来て、ヴィートは目を見開いた。
「……なんだよ、俺の娘になるのが嫌なのか?」
固まって動かないヴィートを自分の返事に納得いっていないと思ったのか、バルナバーシュはヴィートを覗き込む。
「——いや……まさかそこまでやってくれるとは思ってなかったから驚いて……もし、そうなった時はよろしくお願いします」
ヴィートは当初、バルナバーシュが鬼畜な人物だと勝手に思い込んでいたが、実は情に厚い人物であることがだんだんとわかってきた。
レネの育ての親が、薄情なわけがないと少し考えればわかることなのだが、羨望と嫉妬で目が曇りバルナバーシュの人物像を見誤っていた。
ヴィートはそんな自分を改めて恥じる。
「任せとけ。修行中も寂しい思いはさせないように手は尽くす。妹を悲しませないためにも生きて帰って来いよ」
「——はい」
返事だけはいっぱしにしたものの、バルナバーシュの部屋から出て長い廊下を歩いていると、凄まじいほどの喪失感に襲われる。
(——レネの側を離れる……)
ヴィートは初めてレネに逢った時のことを思い出す。
馬乗りになられ、意識が無くなるまで殴りつけられた時のなんとも言いようのない安堵感。
ボリスに治療される時、黄色い光に包まれながら神々しいほどに輝いていた姿。
やっと自分を支配してくれる者を見つけた喜びは、ヴィートの灰色の世界に鮮やかな色をもたらした。
そしてリーパに入団してからというもの、レネの強さを知るたびに陶酔し、レネの弱さを知るたびに自分の存在意義を見出す。
それがあんなやり方で、一度レネの身体に触れてしまった。
本当は……自分の熱い想いを伝えて、あのしなやかな身体を抱きしめて口付けをしたかった。
だが結果的にレネを傷付けることになってしまい、ヴィートは完全にやり方を間違えてしまった。
心はもう決まったのだが、レネへの未練が残り、生きたまま弱火でじっくり焼かれていくような苦しさがヴィートを襲った。
レネを守れる強さを手に入れるため、濃墨の下で修業をすることに決めた。
それなのに、自分がいない間にレネが他の男から狙われたらどうしようかと、黒い感情がヴィートを蝕んでいく。
(ダメだ……ダメだ……)
ぐしゃぐしゃと髪を掻き乱すと、自分の気持ちを落ち着けるために一旦建物の外へと出た。
夏の盛りも過ぎて、夜の空気は少し涼しさが増してきた。
敷地内を取り囲むレンガの壁に寄りかかり、植え込みから聴こえてくる虫の声に耳を澄ます。
心地良い虫の鳴き声が共鳴するように身体に振動が伝わる……いつの間にか虫の声なのか自分の心音なのかも曖昧になっていく。
上を向いてぼんやりと星空を眺めていると、心がどこか遠い所に飛んで行って、自分の身体が空っぽになっていた。
気が付けばあんなに荒波を立てていた心が凪いでいる。
スッと肚が温かくなり、すとんと心が落ち着いた。
出て行く前に、もう一度レネと話そう。
応接間で一人酒を片手に剣の手入れをしていると、濃墨が中へと入って来た。
「……なんだ?」
バルナバーシュは作業の手を止め顔を上げると、いつになく真剣な顔の千歳人の顔がそこにあった。
「——決めたよ。ヴィートを連れて行く」
濃墨が向かい側の椅子に座ったのを見計らい、バルナバーシュは来客用のグラスを後ろの棚から取り出し、酒を注いで差し出す。
「俺ぁてっきり、違う奴を攫って行くのかと思ってたが?」
ニヤリと笑い、傭兵時代から思慮深く、けして我欲を出さない修行僧のような漢を見つめる。
「……そんなことをさせるつもりもない癖によく言うよ。それに師匠がいなくなったらお前の息子が困るだろ?」
グラスに入った液体で口を潤し、千歳人はかつての戦友に問い返す。
「あいつもまだ完成にはほど遠いからな……」
レネがバルナバーシュの跡を継ぐには、大きな壁を乗り越えなければいけない。
心技体が整うまで、あと十年は必要だろう。
脂が乗ったら、バルナバーシュはレネを大舞台に上げるつもりだ。
「師匠だけじゃなく弟子も鈍い所はそっくりだな。ヴィートを見ていると昔の俺を見てるみたいで可哀想になってきた」
「なんだよ、だからあいつを弟子にするのか?」
「……それもあるな。いま近くにいても苦しむだけだ。それにあいつは度胸もあるし筋がいい。まだ視界は狭いが実戦を積めばなんとかなるだろう。お前が育てている二人に劣らないよう化けさせる」
ゼラやバルトロメイのレベルまで引き上げてくれるのなら、ヴィートも充分レネの補佐として考えることができる。
「頼もしいじゃないか。で、どこで育てるつもりだ?」
実戦といっても東国の争いごとは収まったし、この大陸では傭兵の活躍する場所が最近めっきり少なくなってきている。
「今、千歳の南部で内乱が起こっている。昔仕えていた藩主が窮地に立たされていてな、そこへ加勢に行くつもりだ」
「あいつにとってはまたとない機会だな」
戦のないドロステアで過ごすより戦場に立った方が、何倍ものスピードで成長する。
まっさらな状態のヴィートだと、ますますそれは顕著になる。
「死んだら元も子もないがな」
濃墨の言う通り、その分、命を落とす可能性は高い。
いわば劇薬だ。
「こればっかりは運任せだ。——そう言えば、このまえ言い忘れてたことがあってな。ドロステアへ来る前にセキアを横断して来たんだが、王都のラバトで妙な盗賊団の噂を聞いてな」
「盗賊団?」
濃墨がわざわざそんな話をしはじめるということは、きっと重要な話に違いない。
バルナバーシュは思わず身を乗り出す。
「ああ、なんでも古代王朝に所縁のある品々だけを盗んでいるらしい。お前の言っていたことと関係があるんじゃないかと思ってな」
「——ほう……」
嫌な予感がする。
「本拠地はラバトだが、どうも三国を股にかけて活動しているらしい。確か……盗賊団の名前はセヴトラ・ヴクリセニ」
古代語で『復活の灯火』
「間違いない。奴らだ」
◆◆◆◆◆
カレルがいきなり扉を開けてヴィートを呼んだ。
「なんだよ、ノックもなしにいきなり入って来るなよ」
疚しいことはなにもしていないが、突然部屋に入って来られるとびっくりする。
「団長がお呼びだ」
「へ?」
団長の私室に呼び出されたことなんてまだ一度もない。
「お前呼び出しなんて初めてだよな? まだこの前の説教が終わってなかったか?」
この男は完全に面白がっている。憎たらしいことに大人しいのは師匠の前だけだ。
「俺団長の部屋がどこにあるかしらねえし……」
ここの二階には言いつけ通り、まだ一度も足を踏み入れたことがない。
「階段上って廊下を真っすぐ突き当りだよ」
カレルが言うように、この前の説教の続きなのだろうか?
しかしどうも違う気がする。
ここ数日ヴィートはなにか胸騒ぎを感じていた。
ノックをすると、奥の方から返事が聞こえて来た。
扉を開けると目の前の部屋は書斎になっており、左の方にあるもう一つの扉から「こっちに来い」という声がした。
いわれた通り奥の部屋に入って行くとそこは応接間になっていた。
背の低い長方形のテーブルを囲う形で長椅子が置かれ、向かい合う形でバルナバーシュと濃墨が座っている。
団長から隣に座れと促され、ヴィートは素直に従った。
「話とはなんですか?」
「お前、濃墨の下で本格的に修行する気はないか?」
バルナバーシュの言葉に、ヴィートは即座に濃墨の顔を見た。
視線を受けて濃墨が静かに頷く。
なんだろうか、この不思議な気持ちは——
魂の奥に眠るもう一人の自分が濃墨を求めている。
「あの……実は……俺からもお願いしようと思っていたんです」
昨夜、娯楽室で他の団員たちから告げられた事実に、ヴィートは未だ立ち直れないでいた。
一晩中眠らず考えても、これ以上自分がレネと一緒にいたら、足を引っ張ることしかできず迷惑をかけてしまうという答えしか出てこなかった。
このまま惰性でリーパにいても自分はレネよりも弱いまま。
しょせん自分は飼い犬どまりだ。
それも主に噛みついた駄犬。
どんなに頑張っても一人前の男として見てくれることはない。
「お前、レネに惚れてるか?」
鬼のように恐ろしいレネの養父から、ド直球ストレートな質問をされ、ヴィートは背中に冷たい汗が流れるのを感じたが、バルナバーシュの方を見て、目を逸らすことなく答える。
「命を捧げてもいいくらいには」
この言葉に嘘はない。
「そうか……——お前にはレネのことを話しておこうと思う」
そうして聞かされたレネの出生の秘密に、ヴィートは驚きを隠せないでいた。
団員たちも、そしてレネ本人さえもこの事実を知らないと言う。
「——どうして俺に……そんな話を?」
「お前は弱い。弱い人間が強くなるにはそれに見合った理由が必要だろ?」
静かな真っすぐな目がヴィートを捉える。
その狼のような美しい瞳に、完全に魅入られてしまった。
「俺……濃墨さんの下でもっと強くなってレネの力になりたいです……」
自分の生まれてきた理由はここにあるとヴィートは確信した。
「俺が行く所は戦場だ。今より何倍も危険だ。死ぬかもしれないぞ?」
いつにもなく厳しい目で濃墨はヴィートを見つめる。
「それを言うなら、この前だって濃墨さんが助けてくれなきゃ死んでました。弱いままだとどこにいたって一緒です。それに……ここにいてもレネの足を引っ張るだけです」
今でさえ、レネに迷惑をかけているのに、このままだと自分の欲望をレネにぶつけてしまう。
「——わかった。明後日の朝にここを出て千歳へ向かう」
ヴィートの熱い想いはどうやら濃墨に受け入れられた様だ。
「はいよろしくお願いします。——あの……団長に一つお願いがあります」
ヴィートには一つだけ心配なことがあった。
これはバルナバーシュにお願いするしかない。
「——なんだ?」
「俺にもしなにかあった時は、妹のミルシェを宜しくお願いします。俺知ってます。『お菓子をくれるおじちゃん』って団長のことでしょう?」
妹が、お屋敷にいたおじちゃんが八百屋で働くようになっても、ちょくちょく様子を見に来てお菓子をくれると言っていたので、外見の特徴を詳しく訊いたらどう考えても団長以外考えられなかった。
頼んでもいないのに、気になって様子を見に行っているくらいだ、もし自分になにかあったら団長に頼んでおくのが一番いいだろうと判断した。
「……知ってたのか……——安心しろ。お前が死んだら、ミルシェは俺の養女にする」
予想以上の言葉が帰って来て、ヴィートは目を見開いた。
「……なんだよ、俺の娘になるのが嫌なのか?」
固まって動かないヴィートを自分の返事に納得いっていないと思ったのか、バルナバーシュはヴィートを覗き込む。
「——いや……まさかそこまでやってくれるとは思ってなかったから驚いて……もし、そうなった時はよろしくお願いします」
ヴィートは当初、バルナバーシュが鬼畜な人物だと勝手に思い込んでいたが、実は情に厚い人物であることがだんだんとわかってきた。
レネの育ての親が、薄情なわけがないと少し考えればわかることなのだが、羨望と嫉妬で目が曇りバルナバーシュの人物像を見誤っていた。
ヴィートはそんな自分を改めて恥じる。
「任せとけ。修行中も寂しい思いはさせないように手は尽くす。妹を悲しませないためにも生きて帰って来いよ」
「——はい」
返事だけはいっぱしにしたものの、バルナバーシュの部屋から出て長い廊下を歩いていると、凄まじいほどの喪失感に襲われる。
(——レネの側を離れる……)
ヴィートは初めてレネに逢った時のことを思い出す。
馬乗りになられ、意識が無くなるまで殴りつけられた時のなんとも言いようのない安堵感。
ボリスに治療される時、黄色い光に包まれながら神々しいほどに輝いていた姿。
やっと自分を支配してくれる者を見つけた喜びは、ヴィートの灰色の世界に鮮やかな色をもたらした。
そしてリーパに入団してからというもの、レネの強さを知るたびに陶酔し、レネの弱さを知るたびに自分の存在意義を見出す。
それがあんなやり方で、一度レネの身体に触れてしまった。
本当は……自分の熱い想いを伝えて、あのしなやかな身体を抱きしめて口付けをしたかった。
だが結果的にレネを傷付けることになってしまい、ヴィートは完全にやり方を間違えてしまった。
心はもう決まったのだが、レネへの未練が残り、生きたまま弱火でじっくり焼かれていくような苦しさがヴィートを襲った。
レネを守れる強さを手に入れるため、濃墨の下で修業をすることに決めた。
それなのに、自分がいない間にレネが他の男から狙われたらどうしようかと、黒い感情がヴィートを蝕んでいく。
(ダメだ……ダメだ……)
ぐしゃぐしゃと髪を掻き乱すと、自分の気持ちを落ち着けるために一旦建物の外へと出た。
夏の盛りも過ぎて、夜の空気は少し涼しさが増してきた。
敷地内を取り囲むレンガの壁に寄りかかり、植え込みから聴こえてくる虫の声に耳を澄ます。
心地良い虫の鳴き声が共鳴するように身体に振動が伝わる……いつの間にか虫の声なのか自分の心音なのかも曖昧になっていく。
上を向いてぼんやりと星空を眺めていると、心がどこか遠い所に飛んで行って、自分の身体が空っぽになっていた。
気が付けばあんなに荒波を立てていた心が凪いでいる。
スッと肚が温かくなり、すとんと心が落ち着いた。
出て行く前に、もう一度レネと話そう。
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