菩提樹の猫

無一物

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13章 ヴィートの決断

3 躊躇するなよ

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◆◆◆◆◆


 オネツを出て、昨晩は行きがけと同じ所で野宿をした。
 峠の町スロジットまでは日が暮れるまでには着くだろうという時になって、前を行く旅人が急に姿を消した。

(なんだ?)

 レネの中でなにかがざわめき出す。
 この近くに山賊が出没しているという情報を他の旅人から聞いていた。
 スロジットまでは、生い茂る木々に囲まれた街道の視界が開けることはない。
 山賊たちが旅人を襲うには絶好の場所だ。

「おい、山賊かもしれない。気を付けろよ」

 レネの言葉を聞いて隣で息を飲む音が聴こえた。

 なんとなく気付いていたが、ヴィートはまだ人を殺したことがない。
 まだ駆け出しでメストを中心とする護衛が多かったからか、運よく山賊たちにも遭遇することはなかった。
 今回は依頼者の資金的な問題もあり、予算を安くするために経験の浅いヴィートともう一人の団員が同行する予定だった。
 しかし、もしなにかあったら取り返しがつかなくなるので、レネが代わって行くことになった。
 運良くなにも起きずに済んだので無事に仕事は終わったが、帰り道はそうはいかないようだ。

 街道で山賊や盗賊の類に遭ったら、確実に殺さないとこちらが殺される。

 レネの場合はこの外見のせいか、金品を取られるだけでは済まない場合が多い。
 旅人は町や村を出てしまえば基本的に自己防衛なので、賊たちを殺しても罪に咎められることはない。

「襲われたら躊躇するなよ」

「……わかってる」

 道の先にある気配を探りながら進んでいくレネの背中に、少し緊張した声が返ってくる。

 しばらく行くと案の定、武器を持った男たちに取り囲まれた。

「——おい、お前たち、立ち止まって両手を上げろ」

「あんまり遅いんで待ちくたびれたぜ……」

 前を行っていた旅人が山賊たちに混ざって、こちらを見ながら笑っている。

「お前っ!?」

 ヴィートが驚きの声を上げる。

(……やっぱりグルだったのか……)

 レネはヴィートよりも経験を積んでいるので、こういう場面になっても冷静だ。

 あの男はオネツからずっとレネたちの後を付いてきて、峠へ差しかかったとたんに追い越して行ったので気になっていたのだ。
 きっと若造二人で身綺麗にしているのでいい鴨に見えたのだろう。
 腰から下げている剣だけでも金に換えたら結構な値段になる。

 全部で十数人。
 バルトロメイやゼラと二人だった時は迷わず剣を抜くのだが、今回はヴィートだ。

(躊躇なく殺せるか?)

「こっちの灰色の髪の奴が滅多にいないくらいの美形でして……」

 旅人を装っていた男がレネの方を指さす。
 目深にフードを被ったレネたちの顔は見えない。

(また……顔の話かよ……)

 オネツの宿か食堂で、フードを下ろしたレネの顔を見ていたのだろう。
 今までに何回となく聞いてきた話題に内心呆れながらも、だったら利用してやろうと自らフードを脱いだ。

「……っ!?」
「おおっ!!」
「マジだ……」
「こりゃ、高く売れるんじゃないか?」

 驚く山賊たちを突っ切って、レネは急な坂道を峠に向かって走り出した。
 
「おいっ、逃げたぞっ……捕まえろっ!」

 首領らしき男が叫ぶと、走り出したレネの後を男たちが一斉に追いかけてきた。

(……馬鹿でよかった)

 ほとんどがレネの後を追って来たので、ヴィートの方には二、三人しか残っていない。
 後はヴィートが自分でなんとかするだろう。
 レネは振り返り剣を抜くと、今度は逆に坂道を登ってくる男たちの方へと一気に駆け下りた。
 
 
◆◆◆◆◆ 
 

「レネっ!」

 急にフードを取って走り出したレネに、ヴィートは叫ぶが、すぐにその意図に気付いた。
 たぶんレネはヴィートがまだ人を殺したことがないことに気付いている。
 だからヴィートが最小限の相手で済むように、自分が多くの山賊たちを引き付けたのだ。

 完全に足手まといになっている。

 前にレネからもらったサーベルに手を掛けると、その場に残った三人の男たちと向かい合った。

「おい小僧、俺たちに歯向かうとはどういうことかわかってるだろうな?」

「——ああ……お前らを殺すということだ」

 口にしたとたんに、ヴィートの脳から透明の液体が滲み出し、身体中に巡り『殺せ』『殺せ』と全身に命令を出した。
 
 一人目は農機具のピッチフォークを持った大男。もしかしたら元農民なのかもしれない。
 二人目はなたを持った毛深い男。この男も元は猟師か木こりか。
 三人目は片手剣を持った痩せた男。だが構えがぎこちない。剣は旅人から奪った戦利品か。
 
 身体は熱く興奮しているのに、頭の中は凪いだ海のように静まりかえって冷静だ。
 男たちの特徴を瞬時に把握すると同時に身体が動いていた。
 
 一番前にいるピッチフォークを持った男が、腰を低く構えてヴィートを狙って突いてくる。
 突きを警戒し充分に間合いを空け、攻撃を回避する。
 槍使いのカレルと何度も手合わせをしているのでそう焦る必要もなかった。薙ぎや石突での防御も巧みに混ぜてくるカレルとは違い、この男は突きの攻撃しかしてこない。
 それに大男のピッチフォークは木の柄でできている。先端の金属部分だけ避ければただの棒で攻撃しているのと変わらない。
 ヴィートは大男が突きを繰り出した瞬間に横へ回り込み、間合いの内側に入った。

(——殺せ!! 殺せ!! 殺せ!!)

 脳から出る命令に身体が従い、日ごろの鍛練で何度も何度も練習したように、大男の首をサーベルで斬りつけた。
 ビシャッッ——という音と共に大男の首から大量の血が撒き散らされる。

「——ぐおおおおぉぉぉおッッッっ!」

 真っ赤な液体を見て、身体中に流れる獣の血が目を醒ます。
 抑圧から解き放たれたように、ヴィートは吠えた。

 ドクドクと脈打つ自分の心音を聴きながら、仲間が殺され怒りに任せて鉈を振り回す毛深い男と対峙する。
 一人殺したことにより、相手の攻撃が、脅しやただ怪我を負わせるだけのものから、ただ殺すだけの目的に変わる。
 そこに遠慮などない。

 一人目は、相手もまさかヴィートが本気で殺しに来るとは思っていなかったはずなのでどこか油断があった。
 だが二人目からはそうはいかない。

 同時に三人目の剣を持った男も動き出し、後ろに回り込まれた。
 剣の男は、鉈の男が闇雲に攻撃を繰り出すので、ヴィートの後ろで様子を見ている。
 きっとヴィートが鉈の男に完全に気を取られた瞬間に攻撃をしてくるはずだ。
 
(——どうする?)

 ヴィートは他のベテラン団員たちと違い同時に二人など相手にできない。
 まずは前方の敵を片付けることにした。

 鉈はヴィートの持つサーベルよりも短い。攻撃するならリーチを生かして斬るより突きの方が有効だ。
 攻撃の隙を狙って突きを加えながら、同時に腰に差したナイフの柄に手をかける。
 相手はサーベルを持った右手を狙ってくるので、鉈が腕を掠りヴィートを傷付けていく。

「…くっ……」

 苦痛の声を上げるヴィートに、男は得意げにニヤリと笑った。
 優位に立ったと思った瞬間に男の中に隙ができる。

(——もらったっ!)

 ヴィートは左手に持っていたナイフを男の額めがけて投擲した。

 元々ヴィートは、リーパに来る前はナイフだけを使って戦っていた。左手でもナイフを投げることができる。
 みごと眉間に命中させると、鉈を持ったまま男は後ろへ倒れた。

「……!?」

 後ろに殺気を感じた時、ヴィートは自分が今しがた殺した男と同じ過ちを犯したことに気付く。
 ナイフが命中したことに歓喜したほんの僅かな時間、後ろの剣を持った男の存在がヴィートの頭から消えていた。

 振り向いた時には剣を振りかざす男の姿がスローモーションのように流れた。
「あっ」と声を上げる間もなく、ヴィートは立ち尽くした。

「ぐぁぁぁぁぁぁぁっ……」

 最初は、斬られた時の自分の悲鳴かとヴィートは勘違いした。
 だがそれは、自分に斬り掛かって来た男の悲鳴だった。

 目の前で襲ってきたはずの男が倒れると、その後ろに別の男が立っていた。

(誰だ?)
 
 血の滴った剣を振って血を払うと、男がこちら視線を向けた。
 男の鋭い三白眼の眼差しに捉えられ、ヴィートは背筋にゾクリと震えが走った。
 袖口の広い黒い服を痩躯に纏い、窪んだ眼窩には隈が浮かび、見る者にどこか不吉な印象を与えた。

(死神みてぇだ……)

「——大丈夫か?」

 男に訊かれて、ヴィートはレネのことを思い出す。

「それよりも連れがっ……」

 こっちは三人だったので、レネは十人以上を相手にしているはずだ。
 坂道を登って行ったレネの方へと目を向けると、山賊たちと戦っている真っ最中だった。

「——あそこか」

 男はそう言い残しレネの方へと急いで走って行くので、ヴィートも負けじと全力疾走で後を追った。



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