254 / 445
12章 伯爵令息の夏休暇
番外編 ベルナルトの懺悔3
しおりを挟む
「……実は……お前が足を挫いたのも、俺が木の根を掘って仕掛けを作っておいたからなんだ……」
「どうしてそんなことを……」
アンドレイが驚きに目を見開く。
「あの島に二人で取り残されるようにさ。——リンブルク伯爵夫人から、お前がマリアナ嬢と婚約するかもしれないと聞かされて俺は焦っていた。ずっとマリアナ嬢を狙っていたからな。だからその話が取り消しになるくらいの恥をお前にかかせようと思った。偽物の山賊たちがお前たち二人の身ぐるみを剥がして、早朝に街の広場に転がしておけば、住民たちの笑いモノになって領主の娘との婚約話も消えるだろうと簡単に考えていた。偽物の山賊は伯爵夫人が準備すると聞いていたから、俺はそれを信じていたんだ。まさか本物の山賊が来るなんて考えてもなかったんだ」
ベルナルトは一気に自分の罪を告白すると、まだ口をつけていないお茶の入ったカップの花柄をただ眺めた。
アンドレイがどういう反応を示すか恐ろしくて、顔を上げることができないでいた。
今までカップの柄など気にしたこともなかったが、もしかしたらこういう時のためにあるのかもしれないと、現実逃避をする。
「君のせいで……レネは……」
アンドレイの声が震えている。
間違いなく怒りから来るものだ。
「お前の気が済むまで俺のことを殴ってくれ」
たぶん自分が逆の立場だったら、殴っている。
観念してベルナルトが顔を上げると、正面に座るアンドレと当然ながら目が合う。
一つ年下のアンドレイは、どちらかと言うと世間知らずでおっとりとした気の弱い少年だと認識していた。
だが、目の前にいるアンドレイは、怒りどころか底冷えするような冷めた目をしていた。
予想外の表情に、ベルナルトは狼狽し顔を引き攣らせた。
その目は、苦手としているリンブルク伯爵にそっくりだ。
「君、そんなことで済ませようと思っているのかい?」
「…………」
ギュッと心臓を素手で掴まれた心地がした。
だが、いま自分にできることといえばこれくらいしかない。
(……どうすればいいんだ!?)
今は頼りになるクルトもいない。
ベルナルトは自分の無力さに、思考停止して打ちひしがれることしかできなかった。
「第一君なんか殴ったって、僕の手が痛いだけだ。それになんの解決にもならないだろ?」
「……どうすれば……」
「——君のいちばん大切なものを貰おうかな……」
冷たい表情のまま、アンドレイはふわっと笑った。
それはまるで悪魔の微笑みのように残酷だ。
「……まさかっ!?」
ベルナルトは咄嗟にクルトがデニスに誘われ消えていった従者用の控室を振り返った。
「……それだけはやめてくれっ!」
また自分の代わりにクルトが傷付けられることがあったらと思うと、もうベルナルトは耐えられなかった。
「——言ってみただけさ。君がどんな顔をするかと思って。君はどうして僕が幼い頃からデニスと一緒にいるか知ってるかい?」
「……いや…」
自分の反応を試されたうえに、先が見えない話題を振られると、どう答えていいものか返答に困る。
「僕は今回みたいなことが初めてじゃないからだよ。義弟が生まれて、あの女……ヘルミーナが僕を邪魔者扱いするようになったので、父上が僕の身の上を案じて護衛のためにデニスを付けたのさ。そして危惧した通り僕は何度も命を狙われた」
「……そんなことが……」
リンブルク伯爵が幼い息子に、自分の騎士とそっくりな毛色の変わった騎士を付けて見せびらかしているのかとばかり思っていた。
こんなおっとりとした少年が、これまでも危険と隣り合わせに生きて来たと知らず、安易な思考回路で嫉妬していた自分が恥ずかしい。
「君はとても取り返しのつかないことをしてくれたけど、僕が本当に許せないのは、あの女とヴルビツキー男爵だ。君とは、このまま行けば隣の領主として今後も付き合っていかないといけない。だから君を殴ったってなんの解決にもならないんだよ。——デニスっ、もうこっちに来ても大丈夫だよ」
アンドレイの呼びかけに応じて従者用の部屋の扉が開くと、デニスとクルト、そしてもう一人……中から出て来た。
「お……お前は!?」
「お久しぶりです」
灰色の髪をと黄緑色の瞳の珍しい色合わせは間違いようもなく、その美しい顔も、その華奢な肢体も、無人島で見たあの時のままだ。いや、無人島で主人たちの世話に明け暮れていた時よりも肌艶もよく、改めて見ると、従者にしておくのがもったいないほどの麗しさだ。
「……瀕死の重傷だと聞いたが……?」
ベルナルトは、変わり果てた従者の姿を見ることになるかもしれないと覚悟していただけに、目の前にいるこの青年が自分の願望が見せる幻想ではないかと我が目を疑う。
「腕と太腿に矢を射られ、腹を蹴られた際に内臓もやられて、そのうえ山賊たちに陵辱されようとしていた」
「……デニスさん、最後は言わなくていいでしょ」
「俺の気が済まない」
レネが顔を顰めて諌めるが、デニスは真顔でベルナルトに告げる。
それはまるで、お前は全部知っておくべきだと迫られているようだった。
アンドレイはこの屈強な男が、従者の変わり果てた姿を見て涙を流していたと言った。騎士のデニスにしてみてもその姿は見るに堪えないものだったのだろう。
「俺のせいで大変な目に遭わせて本当に申し訳ない。それとあの時、助けてくれてありがとう」
立ち上がり、深く頭を下げた。
ずっと言わなければいけないと思っていたことだ。
「いいんです。偶々運び込まれた宿にいた癒し手から治療してもらうことができたので、跡形もなく綺麗に治りましたし」
(……じゃあ……この綺麗な身体に傷も残ることなく……)
「——よ……よかった……」
安堵した途端に、ベルナルトはヘナヘナと腰が抜けて床に膝をついてしまった。
消えるはずのない自分の過ちさえも、まるで無くなったかのように身体がふっと軽くなる。あの時からずっと食事もまともに喉も通らず、夜眠りについても何度も悪夢にうなされてきた。
いつの間にか視界がぼやけて、頬が濡れていた。
目の前に誰かの手が差し出されている。
ベルナルトはそれに縋るかのように、無意識のうちにその手を掴んだ。
「僕は啀み合いたいわけじゃない。わかってくれればいいんだ。君とは長い付き合いになるだろうし、父上たちを見ているとわかるだろ?」
そう言うと、目の前の人物は力強くベルナルトを引き上げ立ち上がらせる。
「……アンドレイ……」
「これからもお隣さん同士よろしく」
ふわりと優しい温もりに抱きしめられる。
「どうしてそんなことを……」
アンドレイが驚きに目を見開く。
「あの島に二人で取り残されるようにさ。——リンブルク伯爵夫人から、お前がマリアナ嬢と婚約するかもしれないと聞かされて俺は焦っていた。ずっとマリアナ嬢を狙っていたからな。だからその話が取り消しになるくらいの恥をお前にかかせようと思った。偽物の山賊たちがお前たち二人の身ぐるみを剥がして、早朝に街の広場に転がしておけば、住民たちの笑いモノになって領主の娘との婚約話も消えるだろうと簡単に考えていた。偽物の山賊は伯爵夫人が準備すると聞いていたから、俺はそれを信じていたんだ。まさか本物の山賊が来るなんて考えてもなかったんだ」
ベルナルトは一気に自分の罪を告白すると、まだ口をつけていないお茶の入ったカップの花柄をただ眺めた。
アンドレイがどういう反応を示すか恐ろしくて、顔を上げることができないでいた。
今までカップの柄など気にしたこともなかったが、もしかしたらこういう時のためにあるのかもしれないと、現実逃避をする。
「君のせいで……レネは……」
アンドレイの声が震えている。
間違いなく怒りから来るものだ。
「お前の気が済むまで俺のことを殴ってくれ」
たぶん自分が逆の立場だったら、殴っている。
観念してベルナルトが顔を上げると、正面に座るアンドレと当然ながら目が合う。
一つ年下のアンドレイは、どちらかと言うと世間知らずでおっとりとした気の弱い少年だと認識していた。
だが、目の前にいるアンドレイは、怒りどころか底冷えするような冷めた目をしていた。
予想外の表情に、ベルナルトは狼狽し顔を引き攣らせた。
その目は、苦手としているリンブルク伯爵にそっくりだ。
「君、そんなことで済ませようと思っているのかい?」
「…………」
ギュッと心臓を素手で掴まれた心地がした。
だが、いま自分にできることといえばこれくらいしかない。
(……どうすればいいんだ!?)
今は頼りになるクルトもいない。
ベルナルトは自分の無力さに、思考停止して打ちひしがれることしかできなかった。
「第一君なんか殴ったって、僕の手が痛いだけだ。それになんの解決にもならないだろ?」
「……どうすれば……」
「——君のいちばん大切なものを貰おうかな……」
冷たい表情のまま、アンドレイはふわっと笑った。
それはまるで悪魔の微笑みのように残酷だ。
「……まさかっ!?」
ベルナルトは咄嗟にクルトがデニスに誘われ消えていった従者用の控室を振り返った。
「……それだけはやめてくれっ!」
また自分の代わりにクルトが傷付けられることがあったらと思うと、もうベルナルトは耐えられなかった。
「——言ってみただけさ。君がどんな顔をするかと思って。君はどうして僕が幼い頃からデニスと一緒にいるか知ってるかい?」
「……いや…」
自分の反応を試されたうえに、先が見えない話題を振られると、どう答えていいものか返答に困る。
「僕は今回みたいなことが初めてじゃないからだよ。義弟が生まれて、あの女……ヘルミーナが僕を邪魔者扱いするようになったので、父上が僕の身の上を案じて護衛のためにデニスを付けたのさ。そして危惧した通り僕は何度も命を狙われた」
「……そんなことが……」
リンブルク伯爵が幼い息子に、自分の騎士とそっくりな毛色の変わった騎士を付けて見せびらかしているのかとばかり思っていた。
こんなおっとりとした少年が、これまでも危険と隣り合わせに生きて来たと知らず、安易な思考回路で嫉妬していた自分が恥ずかしい。
「君はとても取り返しのつかないことをしてくれたけど、僕が本当に許せないのは、あの女とヴルビツキー男爵だ。君とは、このまま行けば隣の領主として今後も付き合っていかないといけない。だから君を殴ったってなんの解決にもならないんだよ。——デニスっ、もうこっちに来ても大丈夫だよ」
アンドレイの呼びかけに応じて従者用の部屋の扉が開くと、デニスとクルト、そしてもう一人……中から出て来た。
「お……お前は!?」
「お久しぶりです」
灰色の髪をと黄緑色の瞳の珍しい色合わせは間違いようもなく、その美しい顔も、その華奢な肢体も、無人島で見たあの時のままだ。いや、無人島で主人たちの世話に明け暮れていた時よりも肌艶もよく、改めて見ると、従者にしておくのがもったいないほどの麗しさだ。
「……瀕死の重傷だと聞いたが……?」
ベルナルトは、変わり果てた従者の姿を見ることになるかもしれないと覚悟していただけに、目の前にいるこの青年が自分の願望が見せる幻想ではないかと我が目を疑う。
「腕と太腿に矢を射られ、腹を蹴られた際に内臓もやられて、そのうえ山賊たちに陵辱されようとしていた」
「……デニスさん、最後は言わなくていいでしょ」
「俺の気が済まない」
レネが顔を顰めて諌めるが、デニスは真顔でベルナルトに告げる。
それはまるで、お前は全部知っておくべきだと迫られているようだった。
アンドレイはこの屈強な男が、従者の変わり果てた姿を見て涙を流していたと言った。騎士のデニスにしてみてもその姿は見るに堪えないものだったのだろう。
「俺のせいで大変な目に遭わせて本当に申し訳ない。それとあの時、助けてくれてありがとう」
立ち上がり、深く頭を下げた。
ずっと言わなければいけないと思っていたことだ。
「いいんです。偶々運び込まれた宿にいた癒し手から治療してもらうことができたので、跡形もなく綺麗に治りましたし」
(……じゃあ……この綺麗な身体に傷も残ることなく……)
「——よ……よかった……」
安堵した途端に、ベルナルトはヘナヘナと腰が抜けて床に膝をついてしまった。
消えるはずのない自分の過ちさえも、まるで無くなったかのように身体がふっと軽くなる。あの時からずっと食事もまともに喉も通らず、夜眠りについても何度も悪夢にうなされてきた。
いつの間にか視界がぼやけて、頬が濡れていた。
目の前に誰かの手が差し出されている。
ベルナルトはそれに縋るかのように、無意識のうちにその手を掴んだ。
「僕は啀み合いたいわけじゃない。わかってくれればいいんだ。君とは長い付き合いになるだろうし、父上たちを見ているとわかるだろ?」
そう言うと、目の前の人物は力強くベルナルトを引き上げ立ち上がらせる。
「……アンドレイ……」
「これからもお隣さん同士よろしく」
ふわりと優しい温もりに抱きしめられる。
52
お気に入りに追加
165
あなたにおすすめの小説
孕めないオメガでもいいですか?
月夜野レオン
BL
病院で子供を孕めない体といきなり診断された俺は、どうして良いのか判らず大好きな幼馴染の前から消える選択をした。不完全なオメガはお前に相応しくないから……
オメガバース作品です。
一宿一飯の恩義で竜伯爵様に抱かれたら、なぜか監禁されちゃいました!
当麻月菜
恋愛
宮坂 朱音(みやさか あかね)は、電車に跳ねられる寸前に異世界転移した。そして異世界人を保護する役目を担う竜伯爵の元でお世話になることになった。
しかしある日の晩、竜伯爵当主であり、朱音の保護者であり、ひそかに恋心を抱いているデュアロスが瀕死の状態で屋敷に戻ってきた。
彼は強い媚薬を盛られて苦しんでいたのだ。
このまま一晩ナニをしなければ、死んでしまうと知って、朱音は一宿一飯の恩義と、淡い恋心からデュアロスにその身を捧げた。
しかしそこから、なぜだかわからないけれど監禁生活が始まってしまい……。
好きだからこそ身を捧げた異世界女性と、強い覚悟を持って異世界女性を抱いた男が異世界婚をするまでの、しょーもないアレコレですれ違う二人の恋のおはなし。
※いつもコメントありがとうございます!現在、返信が遅れて申し訳ありません(o*。_。)oペコッ 甘口も辛口もどれもありがたく読ませていただいてます(*´ω`*)
※他のサイトにも重複投稿しています。
爺ちゃん陛下の23番目の側室になった俺の話
Q.➽
BL
やんちゃが過ぎて爺ちゃん陛下の後宮に入る事になった、とある貴族の息子(Ω)の話。
爺ちゃんはあくまで爺ちゃんです。御安心下さい。
思いつきで息抜きにざっくり書いただけの話ですが、反応が良ければちゃんと構成を考えて書くかもしれません。
万が一その時はR18になると思われますので、よろしくお願いします。
愛などもう求めない
白兪
BL
とある国の皇子、ヴェリテは長い長い夢を見た。夢ではヴェリテは偽物の皇子だと罪にかけられてしまう。情を交わした婚約者は真の皇子であるファクティスの側につき、兄は睨みつけてくる。そして、とうとう父親である皇帝は処刑を命じた。
「僕のことを1度でも愛してくれたことはありましたか?」
「お前のことを一度も息子だと思ったことはない。」
目が覚め、現実に戻ったヴェリテは安心するが、本当にただの夢だったのだろうか?もし予知夢だとしたら、今すぐここから逃げなくては。
本当に自分を愛してくれる人と生きたい。
ヴェリテの切実な願いが周りを変えていく。
ハッピーエンド大好きなので、絶対に主人公は幸せに終わらせたいです。
最後まで読んでいただけると嬉しいです。
平凡顔のΩですが、何かご用でしょうか。
無糸
BL
Ωなのに顔は平凡、しかも表情の変化が乏しい俺。
そんな俺に番などできるわけ無いとそうそう諦めていたのだが、なんと超絶美系でお優しい旦那様と結婚できる事になった。
でも愛しては貰えて無いようなので、俺はこの気持ちを心に閉じ込めて置こうと思います。
___________________
異世界オメガバース、受け視点では異世界感ほとんど出ません(多分)
わりかし感想お待ちしてます。誰が好きとか
現在体調不良により休止中 2021/9月20日
最新話更新 2022/12月27日
ふしだらオメガ王子の嫁入り
金剛@キット
BL
初恋の騎士の気を引くために、ふしだらなフリをして、嫁ぎ先が無くなったペルデルセ王子Ωは、10番目の側妃として、隣国へ嫁ぐコトが決まった。孤独が染みる冷たい後宮で、王子は何を思い生きるのか?
お話に都合の良い、ユルユル設定のオメガバースです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる