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12章 伯爵令息の夏休暇
番外編 ベルナルトの懺悔2
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高台にある別荘地を登って行くと、馬車の窓から白い壁にコバルトグリーンの屋根の建物が見えてきた。
広い土地にあるのでダルシー伯爵家の別荘よりも大きく、ベルナルトの劣等感を刺激する。
クルトと二人で屋敷の中に入ると、まず伯爵との面会を求めた。
背の高い栗毛の従僕からリンブルク伯爵がいる遊戯室へ案内される。
「こちらでございます」
従僕が扉を開け二人は中へと入る。
薄暗い廊下から一気に明るい室内へと移ってきたので眩しさに、視界が真っ白になる。
「そう来たか……君、もう少し空気を読んで主を勝たせようという気はないのかい?」
白と黒の碁盤の目を睨みながら、屋敷の主人は対面に座るお付の騎士に苦言を呈す。
「アルベルト様に気持ち良く勝っていただくために、私は二重三重と誘導してきたのに、それに気付かず自ら墓穴を掘ってらっしゃるじゃないですか……」
「今日はやけに辛辣だね。さては君……お茶の時に君の大好物のチョコレートをうっかり私が食べたから怒ってるのかい?」
「——旦那様、ダルシー伯爵家のベルナルト様がお越しになりました」
従僕が扉を開けるとすぐさま執事が伯爵に取り次ぎ、一般的な主従関係を逸脱した会話は中断された。
ベルナルトはようやく目が光に慣れ、チェス盤に向かい合う主従の姿が鮮明に見えてくる。
護衛として貴族に仕える騎士は忠実な番犬に例えられるが、銀髪に褐色の肌をした稀有な色彩と、逸脱した主従関係とが相まって、ベルナルトには番犬ではなく、リンブルク伯爵はまるで銀色の毛皮を持った雪豹と戯れているようだ。
「やあベルナルト、君に怪我はなかったかい?」
ベルナルトに目を向けると、アルベルトはふっと微笑んだ。
父のダルシー伯爵とは違いアルベルトは物腰は柔らかいのだが、腹の中でなにを考えているのかわからない恐ろしさがある。ベルナルトは昔からこのリンブルク伯爵のことが苦手だった。
「はい。リンブルク伯爵……この度はアンドレイを危険な目に遭わせてしまい大変申し訳ありませんでした」
謝罪の言葉と共に恭しく頭を下げる。
「少年時代を思い出したよ。領地が近いこともあって君の父上としょっちゅう諍いを起こしていたなあ。少年時代は落とし穴に落としたり、仕返しにゴム矢で撃たれたり。とある令嬢を巡って決闘騒ぎを起こしたこともあってね」
アルベルトは昔を懐かしむように遠くを見つめながら、顎に手をやる。
「……え!? そんなことが……」
決闘騒ぎとは聞き捨てならない。
「お互いの騎士が代わりに戦ったんだけどね、私の騎士が負けてね、その怪我が原因で結局彼は亡くなってしまった。自分の浅はかな行動のせいで大切な騎士を死なせてしまったことが堪えてね、それ以来、君の父上と争うことはなくなった。今ではダルシー伯爵とはなんでも話せる仲になったよ。今回だって大人同士の話し合いはついている。後は君たち子供同士で話し合いなさい。殴り合いの喧嘩になってもいい。二人の間に蟠りの残らないようにしなさい。まあ私が一つ忠告するとすれば、騎士同士を戦わせて解決するのだけは止めておくことかな……」
「……伯爵」
我が父親との意外な過去にベルナルトは驚くばかりだ。
「こんな所で油を売ってないで早くアンドレイの所に行きなさい。シモン、アンドレイの所にベルナルトを案内して」
先ほどと同じように栗毛の従僕の案内で二階のアンドレイの部屋へ向かい廊下を歩いてゆく。
緊張していてあの従者の容態を尋ねるのを忘れていた。
「アンドレイの従者の容態はどうなってるんだ?」
ある程度情報を頭に入れてからアンドレイに謝った方がいいと思い、ベルナルトは先を行く従僕に探りを入れることにした。
「相当酷い怪我のようです」
シモンと呼ばれていた従僕は、後ろを振り返り気の毒そうな顔をしてベルナルトの質問に答えた。
「……どんな?」
「相手は山賊ですから残酷な方法で痛めつけられたと聞いています。実は私もまだ彼に会えていません」
「…………」
軽い眩暈を覚え、一瞬気が遠くなる。
「ベルナルト? 大丈夫か?」
クルトが様子のおかしい主を見て声をかける。
「……ああ。大丈夫だ」
これは覚悟した方がいいようだ。
リンブルク伯爵も過去に、父との決闘でお付の騎士を亡くし自分の浅はかな行動を後悔していると聞いたばかりだ。アンドレイの従者と亡くなった騎士が重なり、ベルナルトの心によりいっそう重荷が伸し掛かる。
「こちらです」
この別荘には何度も顔を出したことはあるが、アンドレイの私室に入るのはこれが初めてだ。
「アンドレイお坊ちゃま、お客様がお越しです」
「どうぞ」
アンドレイには前もって手紙を送り、今日ここに来ることを伝えてある。
侍女によって室内にお茶が運ばれた後、重苦しい沈黙が続く。
「クルト、俺たちもちょっと席を外さないか?」
アンドレイの騎士デニスが様子を見かねて、従者用の部屋へとクルトを誘い消えていった。
いつも一緒にいるクルトが居なくなるとなんだか心細いが、これはベルナルト一人でやり遂げなければいけないことだった。
「……アンドレイ、まさか本当にお前の命が狙われているなんて思わなかった。あの従者のことは聞いた。済まないことをしたと思ってる、この通りだ……」
生まれてこの方、面と向かって人に謝ったことなどないベルナルトは、アンドレイに対してどう謝罪したらいいのかわからなかったが、今は思ったままに行動するしかない。
そんなベルナルトを一瞥すると、アンドレイが口を開く。
「——レネは……足を挫いて動けない僕を洞穴に隠して、大勢の山賊たち相手に一人で立ち向かっていった。別れる時にレネは僕になんと言ったと思う? デニスが来るまで絶対ここを出てはいけない、例え自分が名前を呼んでも絶対返事をしてはいけないって言ったんだ。最初はなんでレネにも返事をしてはいけないのかわからなかった……」
アンドレイはここで言葉を切って、お茶で一度口を潤す。
あの従者が、美しい外見とは裏腹に戦いの場数を踏んでいる剣士であることは、あの戦い振りを見ているだけでわかった。レネがなにを意図してそんなことを言ったのか、ベルナルトにも皆目見当がつかない。
「爆竹の合図に気付いたデニスが、一緒に来た助っ人たちと共に僕を見つけに来てくれて僕は無事に助け出された。デニスは急いで北の森にレネを探しに行き、僕が後でデニスに追いついた時には、他の死体と共にレネが地面に倒れていて……デニスが泣いていたんだ。僕は、デニスが泣いている所なんて初めて見たよ」
(デニスが泣く!?)
ベルナルトは信じられない思いでアンドレイを見つめた。
その時の情景を思い出しているのか、アンドレイの目にうっすら涙が浮かんでいる。
「その……従者はいったいどんな状態だったんだ……?」
ベルナルトは一番気になることを恐る恐る尋ねる。
「——僕が行った時には意識はなかった……レネは僕の居場所とは正反対の場所を山賊たちに教えていたらしく、騙されたと気付いた山賊たちが僕たちに気付かず戻って来ているところだった。山賊たちは口々にもっと従者を痛い目に遭わせて僕の名前を叫ばせれば僕が我慢できなくなって出てくるんじゃないかと言っていた」
「——じゃあ……さっきの……」
ここでやっと、アンドレイが言っていた最初の答えに辿り着く。
「そうさ。レネは最初から自分は敵の手に落ちるとわかった上で一人で立ち向かって行ったんだ。自分が戻って来るまで待ってろとは決して言わなかった……最初から死を覚悟してたんだ」
そこまで想定して行動するとは、ただの従者だとは思えない。まるで戦場の騎士や傭兵のようではないか。
「ミミズを怖がっていた姿からは想像もつかないだろ? あんな容姿だから君たちは軽く見ていたかもしれないけど、最初に言ったようにレネは立派な剣士なんだ。君も目の前でレネが敵を倒す所を見ていただろ?」
確かに、あの従者を初めて見かけたヴルビツキー男爵の夜会で、アンドレイはそうベルナルトに紹介していた。
「……彼のお陰で俺は死なずにすんだ。できることなら彼に直接感謝の気持ちを伝えたい」
「——僕の大切なレネを……もう君なんかに会わせたくもないよ」
強い眼差しで睨まれ、ズキンと胸が痛む。
だがもう一つ、ベルナルトには告白しなければいけないことがあった。
広い土地にあるのでダルシー伯爵家の別荘よりも大きく、ベルナルトの劣等感を刺激する。
クルトと二人で屋敷の中に入ると、まず伯爵との面会を求めた。
背の高い栗毛の従僕からリンブルク伯爵がいる遊戯室へ案内される。
「こちらでございます」
従僕が扉を開け二人は中へと入る。
薄暗い廊下から一気に明るい室内へと移ってきたので眩しさに、視界が真っ白になる。
「そう来たか……君、もう少し空気を読んで主を勝たせようという気はないのかい?」
白と黒の碁盤の目を睨みながら、屋敷の主人は対面に座るお付の騎士に苦言を呈す。
「アルベルト様に気持ち良く勝っていただくために、私は二重三重と誘導してきたのに、それに気付かず自ら墓穴を掘ってらっしゃるじゃないですか……」
「今日はやけに辛辣だね。さては君……お茶の時に君の大好物のチョコレートをうっかり私が食べたから怒ってるのかい?」
「——旦那様、ダルシー伯爵家のベルナルト様がお越しになりました」
従僕が扉を開けるとすぐさま執事が伯爵に取り次ぎ、一般的な主従関係を逸脱した会話は中断された。
ベルナルトはようやく目が光に慣れ、チェス盤に向かい合う主従の姿が鮮明に見えてくる。
護衛として貴族に仕える騎士は忠実な番犬に例えられるが、銀髪に褐色の肌をした稀有な色彩と、逸脱した主従関係とが相まって、ベルナルトには番犬ではなく、リンブルク伯爵はまるで銀色の毛皮を持った雪豹と戯れているようだ。
「やあベルナルト、君に怪我はなかったかい?」
ベルナルトに目を向けると、アルベルトはふっと微笑んだ。
父のダルシー伯爵とは違いアルベルトは物腰は柔らかいのだが、腹の中でなにを考えているのかわからない恐ろしさがある。ベルナルトは昔からこのリンブルク伯爵のことが苦手だった。
「はい。リンブルク伯爵……この度はアンドレイを危険な目に遭わせてしまい大変申し訳ありませんでした」
謝罪の言葉と共に恭しく頭を下げる。
「少年時代を思い出したよ。領地が近いこともあって君の父上としょっちゅう諍いを起こしていたなあ。少年時代は落とし穴に落としたり、仕返しにゴム矢で撃たれたり。とある令嬢を巡って決闘騒ぎを起こしたこともあってね」
アルベルトは昔を懐かしむように遠くを見つめながら、顎に手をやる。
「……え!? そんなことが……」
決闘騒ぎとは聞き捨てならない。
「お互いの騎士が代わりに戦ったんだけどね、私の騎士が負けてね、その怪我が原因で結局彼は亡くなってしまった。自分の浅はかな行動のせいで大切な騎士を死なせてしまったことが堪えてね、それ以来、君の父上と争うことはなくなった。今ではダルシー伯爵とはなんでも話せる仲になったよ。今回だって大人同士の話し合いはついている。後は君たち子供同士で話し合いなさい。殴り合いの喧嘩になってもいい。二人の間に蟠りの残らないようにしなさい。まあ私が一つ忠告するとすれば、騎士同士を戦わせて解決するのだけは止めておくことかな……」
「……伯爵」
我が父親との意外な過去にベルナルトは驚くばかりだ。
「こんな所で油を売ってないで早くアンドレイの所に行きなさい。シモン、アンドレイの所にベルナルトを案内して」
先ほどと同じように栗毛の従僕の案内で二階のアンドレイの部屋へ向かい廊下を歩いてゆく。
緊張していてあの従者の容態を尋ねるのを忘れていた。
「アンドレイの従者の容態はどうなってるんだ?」
ある程度情報を頭に入れてからアンドレイに謝った方がいいと思い、ベルナルトは先を行く従僕に探りを入れることにした。
「相当酷い怪我のようです」
シモンと呼ばれていた従僕は、後ろを振り返り気の毒そうな顔をしてベルナルトの質問に答えた。
「……どんな?」
「相手は山賊ですから残酷な方法で痛めつけられたと聞いています。実は私もまだ彼に会えていません」
「…………」
軽い眩暈を覚え、一瞬気が遠くなる。
「ベルナルト? 大丈夫か?」
クルトが様子のおかしい主を見て声をかける。
「……ああ。大丈夫だ」
これは覚悟した方がいいようだ。
リンブルク伯爵も過去に、父との決闘でお付の騎士を亡くし自分の浅はかな行動を後悔していると聞いたばかりだ。アンドレイの従者と亡くなった騎士が重なり、ベルナルトの心によりいっそう重荷が伸し掛かる。
「こちらです」
この別荘には何度も顔を出したことはあるが、アンドレイの私室に入るのはこれが初めてだ。
「アンドレイお坊ちゃま、お客様がお越しです」
「どうぞ」
アンドレイには前もって手紙を送り、今日ここに来ることを伝えてある。
侍女によって室内にお茶が運ばれた後、重苦しい沈黙が続く。
「クルト、俺たちもちょっと席を外さないか?」
アンドレイの騎士デニスが様子を見かねて、従者用の部屋へとクルトを誘い消えていった。
いつも一緒にいるクルトが居なくなるとなんだか心細いが、これはベルナルト一人でやり遂げなければいけないことだった。
「……アンドレイ、まさか本当にお前の命が狙われているなんて思わなかった。あの従者のことは聞いた。済まないことをしたと思ってる、この通りだ……」
生まれてこの方、面と向かって人に謝ったことなどないベルナルトは、アンドレイに対してどう謝罪したらいいのかわからなかったが、今は思ったままに行動するしかない。
そんなベルナルトを一瞥すると、アンドレイが口を開く。
「——レネは……足を挫いて動けない僕を洞穴に隠して、大勢の山賊たち相手に一人で立ち向かっていった。別れる時にレネは僕になんと言ったと思う? デニスが来るまで絶対ここを出てはいけない、例え自分が名前を呼んでも絶対返事をしてはいけないって言ったんだ。最初はなんでレネにも返事をしてはいけないのかわからなかった……」
アンドレイはここで言葉を切って、お茶で一度口を潤す。
あの従者が、美しい外見とは裏腹に戦いの場数を踏んでいる剣士であることは、あの戦い振りを見ているだけでわかった。レネがなにを意図してそんなことを言ったのか、ベルナルトにも皆目見当がつかない。
「爆竹の合図に気付いたデニスが、一緒に来た助っ人たちと共に僕を見つけに来てくれて僕は無事に助け出された。デニスは急いで北の森にレネを探しに行き、僕が後でデニスに追いついた時には、他の死体と共にレネが地面に倒れていて……デニスが泣いていたんだ。僕は、デニスが泣いている所なんて初めて見たよ」
(デニスが泣く!?)
ベルナルトは信じられない思いでアンドレイを見つめた。
その時の情景を思い出しているのか、アンドレイの目にうっすら涙が浮かんでいる。
「その……従者はいったいどんな状態だったんだ……?」
ベルナルトは一番気になることを恐る恐る尋ねる。
「——僕が行った時には意識はなかった……レネは僕の居場所とは正反対の場所を山賊たちに教えていたらしく、騙されたと気付いた山賊たちが僕たちに気付かず戻って来ているところだった。山賊たちは口々にもっと従者を痛い目に遭わせて僕の名前を叫ばせれば僕が我慢できなくなって出てくるんじゃないかと言っていた」
「——じゃあ……さっきの……」
ここでやっと、アンドレイが言っていた最初の答えに辿り着く。
「そうさ。レネは最初から自分は敵の手に落ちるとわかった上で一人で立ち向かって行ったんだ。自分が戻って来るまで待ってろとは決して言わなかった……最初から死を覚悟してたんだ」
そこまで想定して行動するとは、ただの従者だとは思えない。まるで戦場の騎士や傭兵のようではないか。
「ミミズを怖がっていた姿からは想像もつかないだろ? あんな容姿だから君たちは軽く見ていたかもしれないけど、最初に言ったようにレネは立派な剣士なんだ。君も目の前でレネが敵を倒す所を見ていただろ?」
確かに、あの従者を初めて見かけたヴルビツキー男爵の夜会で、アンドレイはそうベルナルトに紹介していた。
「……彼のお陰で俺は死なずにすんだ。できることなら彼に直接感謝の気持ちを伝えたい」
「——僕の大切なレネを……もう君なんかに会わせたくもないよ」
強い眼差しで睨まれ、ズキンと胸が痛む。
だがもう一つ、ベルナルトには告白しなければいけないことがあった。
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