菩提樹の猫

無一物

文字の大きさ
上 下
250 / 445
12章 伯爵令息の夏休暇

41 準備は整った

しおりを挟む
◆◆◆◆◆


「上手くいってよかったよ。まさかアンドレイがあんな気の利いた贈り物を選んでいるなんてね」

 この前の午餐会でアンドレイとマリアナが微笑ましく会話している様子を思い出し、父親であるアルベルトは頬を緩めた。

「お似合いのお二人でした」

 ラデクもニッコリと微笑んでいる。

 クーデンホーフ侯爵と話し合った結果、これから起こるであろうゴタゴタを考慮して、正式な婚約は来年の夏に行おうという手筈になった。

 ヘルミーナとは正式に離婚する手続きを進めていた。
 本当はアンドレイを殺そうとした罪にも問いたいのだが、この事件を表沙汰にするとリンブルクだけではなく、ヘルミーナと共謀したベルナルトのいるダルシー伯爵家までもが恥をかくことになる。

 だから表向きは、妻の不貞ということにした。
 これからのことを考えれば、まあある意味ヘルミーナにとって地獄の様な日々が待ち受けているだろう。

 息子のタデアーシュはアルベルトが引き取り、そのままリンブルクの次男として今まで通りに育てるつもりだ。
 ショックを受けてふさぎ込んでいるが、自分の生きる場所はここしかないいと気付くはずだ。

(アンドレイだって今まで頑張って来たんだ、タデアーシュもきっと大丈夫だ……)

 今はそう願うしかない。

 これでヴルビツキーを追い詰めることができる。


 きっかけは去年の夏にクーデンホーフ侯爵との雑談からだ。

『ヴルビツキー男爵家にいた下男をいまウチで雇っているんだが、その下男がヴルビツキー男爵について吃驚する内容の話をしたんだよ。男爵の従者が高齢で寝たきりになり、その下男が世話をしていたようなんだが——死ぬ前にすべて誰かに打ち明けておきたい……と男爵についての信じられない秘密を下男に明かしたと言うんだよ』

 そう言って侯爵から聞かされた内容は、アルベルトに衝撃を与えた。

『もしこれが本当なら、君はヴルビツキーから手を引いた方がいいかもしれない。君の家の複雑な状況は私も知っている。上手く使えば君にとってもチャンスになるじゃないかと思ってね』

 それからクーデンホーフ侯爵と何度か話し合い、ある機関に調査を依頼することになった。
 

 アルベルトは遅い時間になったので、書斎から寝室に向かおうとしていた。

「——何者っ!?」

 寝室の窓が開いており、カーテンが風に揺られてひらひらと舞っていた。

「今晩はリンブルク伯爵」

 夜光石の明かりに照らされ、侵入者の姿が明らかになる。
 フードの付いたローブを身に纏い、顔にはヴルビツキー男爵のような仮面を被っていた。

「曲者めっ!」

 ラデクがアルベルトを背に隠して、声のした方にナイフを投げたが、侵襲者の男は器用に避ける。

(手練のようだが、いったい誰の差し金だ!?)

 同時に複数の顔が浮かぶほど、アルベルトのことをよく思ってない人間が多くいる。

「こんな格好で申しわけありませんが、素顔を晒すわけにはいきませんのでお許しください。今夜は伯爵にお知らせすることがあり、こちらに参りました」

 剣を抜いて威嚇するラデクに臆することなく、仮面の男は淡々と喋り続ける。

「ラデク待て。君は何者だ?」

 どうも相手は刺客ではなさそうだ。

「これでおわかりになりますか?」

 男の手に握られた記章を見つめ、アルベルトは驚きのあまり固まった。

山猫ディヴォカ・コチカ!?』

 人前には滅多に姿を現さないドロステア山猫に例えられる、王直属の調査機関。
 アンドレイは文章でのやり取りは何度かしていたが、組織の人間と会うのは初めてだった。

「調査が無事に終わりましたのでそのお知らせです。伯爵にも少しお手伝いしてほしいことがありまして」

 仮面に覆われていない口がニコリと笑う。花びらのような唇は肉厚的で、男にしては艶やかだ。
 その唇とは裏腹に、男は事務的に次々と明らかになった事実と今後の段取りを話す。

「では、あの話は本当だったんだね」

 男から話を聞き終わると、アルベルトはなんともいえない罪悪感に苛まれる。

「お坊ちゃまはそんなおつもりではなかったのでしょうが、皮肉にも決定的な証拠となってしまいました」

 自分がこれから行うことは本当に間違っていないのだろうか?
 アルベルトの中にまだ迷いがある。

 しかし、このままではアンドレイは間違いなく命を狙われ続ける。これだけは疑いようのない事実だ。
 ここまでやられっぱなしで黙っておくわけにはいかない。

 災いの種は徹底的に潰すしかない。
 苦渋の決断だったが、自分の選択ミスが招いた結果だ。

(——ヘルミーナと結婚しなければ……)

 これについては、今まで何度も後悔の念に駆られた。
 しかしヘルミーナとの結婚で、タデアーシュという可愛い息子が生まれたのも事実だ。
 アンドレイとタデアーシュは、アルベルトにとってはどちらも愛おしい我が子に変わりない。

「あの子にはこの事実を伏せておくよ。——君の提案通り実行しよう」

 責任は自身で負わなければいけない。
 
「承知しました」

 そう言い残すと、男は最初に入って来た窓からサッと姿を消した。

「……!? ここ二階ですよ?」

 ラデクがすぐに仮面の男が出て行った窓から外を覗き、目を瞬かせている。
 突然やって来て、風のように消えていった。
 

 もうすぐ、すべてが終わる。

 やっとアンドレイが命の危険から解放されるという安堵感と、人を陥れる憂鬱が交ぜになる。
 まるで年代物の美酒のように、言葉では言い表せない複雑な気持ちだ。



しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

孕めないオメガでもいいですか?

月夜野レオン
BL
病院で子供を孕めない体といきなり診断された俺は、どうして良いのか判らず大好きな幼馴染の前から消える選択をした。不完全なオメガはお前に相応しくないから…… オメガバース作品です。

男子学園でエロい運動会!

ミクリ21 (新)
BL
エロい運動会の話。

一宿一飯の恩義で竜伯爵様に抱かれたら、なぜか監禁されちゃいました!

当麻月菜
恋愛
宮坂 朱音(みやさか あかね)は、電車に跳ねられる寸前に異世界転移した。そして異世界人を保護する役目を担う竜伯爵の元でお世話になることになった。 しかしある日の晩、竜伯爵当主であり、朱音の保護者であり、ひそかに恋心を抱いているデュアロスが瀕死の状態で屋敷に戻ってきた。 彼は強い媚薬を盛られて苦しんでいたのだ。 このまま一晩ナニをしなければ、死んでしまうと知って、朱音は一宿一飯の恩義と、淡い恋心からデュアロスにその身を捧げた。 しかしそこから、なぜだかわからないけれど監禁生活が始まってしまい……。 好きだからこそ身を捧げた異世界女性と、強い覚悟を持って異世界女性を抱いた男が異世界婚をするまでの、しょーもないアレコレですれ違う二人の恋のおはなし。 ※いつもコメントありがとうございます!現在、返信が遅れて申し訳ありません(o*。_。)oペコッ 甘口も辛口もどれもありがたく読ませていただいてます(*´ω`*) ※他のサイトにも重複投稿しています。

爺ちゃん陛下の23番目の側室になった俺の話

Q.➽
BL
やんちゃが過ぎて爺ちゃん陛下の後宮に入る事になった、とある貴族の息子(Ω)の話。 爺ちゃんはあくまで爺ちゃんです。御安心下さい。 思いつきで息抜きにざっくり書いただけの話ですが、反応が良ければちゃんと構成を考えて書くかもしれません。 万が一その時はR18になると思われますので、よろしくお願いします。

愛などもう求めない

白兪
BL
とある国の皇子、ヴェリテは長い長い夢を見た。夢ではヴェリテは偽物の皇子だと罪にかけられてしまう。情を交わした婚約者は真の皇子であるファクティスの側につき、兄は睨みつけてくる。そして、とうとう父親である皇帝は処刑を命じた。 「僕のことを1度でも愛してくれたことはありましたか?」 「お前のことを一度も息子だと思ったことはない。」 目が覚め、現実に戻ったヴェリテは安心するが、本当にただの夢だったのだろうか?もし予知夢だとしたら、今すぐここから逃げなくては。 本当に自分を愛してくれる人と生きたい。 ヴェリテの切実な願いが周りを変えていく。  ハッピーエンド大好きなので、絶対に主人公は幸せに終わらせたいです。 最後まで読んでいただけると嬉しいです。

平凡顔のΩですが、何かご用でしょうか。

無糸
BL
Ωなのに顔は平凡、しかも表情の変化が乏しい俺。 そんな俺に番などできるわけ無いとそうそう諦めていたのだが、なんと超絶美系でお優しい旦那様と結婚できる事になった。 でも愛しては貰えて無いようなので、俺はこの気持ちを心に閉じ込めて置こうと思います。 ___________________ 異世界オメガバース、受け視点では異世界感ほとんど出ません(多分) わりかし感想お待ちしてます。誰が好きとか 現在体調不良により休止中 2021/9月20日 最新話更新 2022/12月27日

ふしだらオメガ王子の嫁入り

金剛@キット
BL
初恋の騎士の気を引くために、ふしだらなフリをして、嫁ぎ先が無くなったペルデルセ王子Ωは、10番目の側妃として、隣国へ嫁ぐコトが決まった。孤独が染みる冷たい後宮で、王子は何を思い生きるのか? お話に都合の良い、ユルユル設定のオメガバースです。

処理中です...