250 / 506
12章 伯爵令息の夏休暇
41 準備は整った
しおりを挟む
◆◆◆◆◆
「上手くいってよかったよ。まさかアンドレイがあんな気の利いた贈り物を選んでいるなんてね」
この前の午餐会でアンドレイとマリアナが微笑ましく会話している様子を思い出し、父親であるアルベルトは頬を緩めた。
「お似合いのお二人でした」
ラデクもニッコリと微笑んでいる。
クーデンホーフ侯爵と話し合った結果、これから起こるであろうゴタゴタを考慮して、正式な婚約は来年の夏に行おうという手筈になった。
ヘルミーナとは正式に離婚する手続きを進めていた。
本当はアンドレイを殺そうとした罪にも問いたいのだが、この事件を表沙汰にするとリンブルクだけではなく、ヘルミーナと共謀したベルナルトのいるダルシー伯爵家までもが恥をかくことになる。
だから表向きは、妻の不貞ということにした。
これからのことを考えれば、まあある意味ヘルミーナにとって地獄の様な日々が待ち受けているだろう。
息子のタデアーシュはアルベルトが引き取り、そのままリンブルクの次男として今まで通りに育てるつもりだ。
ショックを受けてふさぎ込んでいるが、自分の生きる場所はここしかないいと気付くはずだ。
(アンドレイだって今まで頑張って来たんだ、タデアーシュもきっと大丈夫だ……)
今はそう願うしかない。
これでヴルビツキーを追い詰めることができる。
きっかけは去年の夏にクーデンホーフ侯爵との雑談からだ。
『ヴルビツキー男爵家にいた下男をいまウチで雇っているんだが、その下男がヴルビツキー男爵について吃驚する内容の話をしたんだよ。男爵の従者が高齢で寝たきりになり、その下男が世話をしていたようなんだが——死ぬ前にすべて誰かに打ち明けておきたい……と男爵についての信じられない秘密を下男に明かしたと言うんだよ』
そう言って侯爵から聞かされた内容は、アルベルトに衝撃を与えた。
『もしこれが本当なら、君はヴルビツキーから手を引いた方がいいかもしれない。君の家の複雑な状況は私も知っている。上手く使えば君にとってもチャンスになるじゃないかと思ってね』
それからクーデンホーフ侯爵と何度か話し合い、ある機関に調査を依頼することになった。
アルベルトは遅い時間になったので、書斎から寝室に向かおうとしていた。
「——何者っ!?」
寝室の窓が開いており、カーテンが風に揺られてひらひらと舞っていた。
「今晩はリンブルク伯爵」
夜光石の明かりに照らされ、侵入者の姿が明らかになる。
フードの付いたローブを身に纏い、顔にはヴルビツキー男爵のような仮面を被っていた。
「曲者めっ!」
ラデクがアルベルトを背に隠して、声のした方にナイフを投げたが、侵襲者の男は器用に避ける。
(手練のようだが、いったい誰の差し金だ!?)
同時に複数の顔が浮かぶほど、アルベルトのことをよく思ってない人間が多くいる。
「こんな格好で申しわけありませんが、素顔を晒すわけにはいきませんのでお許しください。今夜は伯爵にお知らせすることがあり、こちらに参りました」
剣を抜いて威嚇するラデクに臆することなく、仮面の男は淡々と喋り続ける。
「ラデク待て。君は何者だ?」
どうも相手は刺客ではなさそうだ。
「これでおわかりになりますか?」
男の手に握られた記章を見つめ、アルベルトは驚きのあまり固まった。
『山猫!?』
人前には滅多に姿を現さないドロステア山猫に例えられる、王直属の調査機関。
アンドレイは文章でのやり取りは何度かしていたが、組織の人間と会うのは初めてだった。
「調査が無事に終わりましたのでそのお知らせです。伯爵にも少しお手伝いしてほしいことがありまして」
仮面に覆われていない口がニコリと笑う。花びらのような唇は肉厚的で、男にしては艶やかだ。
その唇とは裏腹に、男は事務的に次々と明らかになった事実と今後の段取りを話す。
「では、あの話は本当だったんだね」
男から話を聞き終わると、アルベルトはなんともいえない罪悪感に苛まれる。
「お坊ちゃまはそんなおつもりではなかったのでしょうが、皮肉にも決定的な証拠となってしまいました」
自分がこれから行うことは本当に間違っていないのだろうか?
アルベルトの中にまだ迷いがある。
しかし、このままではアンドレイは間違いなく命を狙われ続ける。これだけは疑いようのない事実だ。
ここまでやられっぱなしで黙っておくわけにはいかない。
災いの種は徹底的に潰すしかない。
苦渋の決断だったが、自分の選択ミスが招いた結果だ。
(——ヘルミーナと結婚しなければ……)
これについては、今まで何度も後悔の念に駆られた。
しかしヘルミーナとの結婚で、タデアーシュという可愛い息子が生まれたのも事実だ。
アンドレイとタデアーシュは、アルベルトにとってはどちらも愛おしい我が子に変わりない。
「あの子にはこの事実を伏せておくよ。——君の提案通り実行しよう」
責任は自身で負わなければいけない。
「承知しました」
そう言い残すと、男は最初に入って来た窓からサッと姿を消した。
「……!? ここ二階ですよ?」
ラデクがすぐに仮面の男が出て行った窓から外を覗き、目を瞬かせている。
突然やって来て、風のように消えていった。
もうすぐ、すべてが終わる。
やっとアンドレイが命の危険から解放されるという安堵感と、人を陥れる憂鬱が交ぜになる。
まるで年代物の美酒のように、言葉では言い表せない複雑な気持ちだ。
「上手くいってよかったよ。まさかアンドレイがあんな気の利いた贈り物を選んでいるなんてね」
この前の午餐会でアンドレイとマリアナが微笑ましく会話している様子を思い出し、父親であるアルベルトは頬を緩めた。
「お似合いのお二人でした」
ラデクもニッコリと微笑んでいる。
クーデンホーフ侯爵と話し合った結果、これから起こるであろうゴタゴタを考慮して、正式な婚約は来年の夏に行おうという手筈になった。
ヘルミーナとは正式に離婚する手続きを進めていた。
本当はアンドレイを殺そうとした罪にも問いたいのだが、この事件を表沙汰にするとリンブルクだけではなく、ヘルミーナと共謀したベルナルトのいるダルシー伯爵家までもが恥をかくことになる。
だから表向きは、妻の不貞ということにした。
これからのことを考えれば、まあある意味ヘルミーナにとって地獄の様な日々が待ち受けているだろう。
息子のタデアーシュはアルベルトが引き取り、そのままリンブルクの次男として今まで通りに育てるつもりだ。
ショックを受けてふさぎ込んでいるが、自分の生きる場所はここしかないいと気付くはずだ。
(アンドレイだって今まで頑張って来たんだ、タデアーシュもきっと大丈夫だ……)
今はそう願うしかない。
これでヴルビツキーを追い詰めることができる。
きっかけは去年の夏にクーデンホーフ侯爵との雑談からだ。
『ヴルビツキー男爵家にいた下男をいまウチで雇っているんだが、その下男がヴルビツキー男爵について吃驚する内容の話をしたんだよ。男爵の従者が高齢で寝たきりになり、その下男が世話をしていたようなんだが——死ぬ前にすべて誰かに打ち明けておきたい……と男爵についての信じられない秘密を下男に明かしたと言うんだよ』
そう言って侯爵から聞かされた内容は、アルベルトに衝撃を与えた。
『もしこれが本当なら、君はヴルビツキーから手を引いた方がいいかもしれない。君の家の複雑な状況は私も知っている。上手く使えば君にとってもチャンスになるじゃないかと思ってね』
それからクーデンホーフ侯爵と何度か話し合い、ある機関に調査を依頼することになった。
アルベルトは遅い時間になったので、書斎から寝室に向かおうとしていた。
「——何者っ!?」
寝室の窓が開いており、カーテンが風に揺られてひらひらと舞っていた。
「今晩はリンブルク伯爵」
夜光石の明かりに照らされ、侵入者の姿が明らかになる。
フードの付いたローブを身に纏い、顔にはヴルビツキー男爵のような仮面を被っていた。
「曲者めっ!」
ラデクがアルベルトを背に隠して、声のした方にナイフを投げたが、侵襲者の男は器用に避ける。
(手練のようだが、いったい誰の差し金だ!?)
同時に複数の顔が浮かぶほど、アルベルトのことをよく思ってない人間が多くいる。
「こんな格好で申しわけありませんが、素顔を晒すわけにはいきませんのでお許しください。今夜は伯爵にお知らせすることがあり、こちらに参りました」
剣を抜いて威嚇するラデクに臆することなく、仮面の男は淡々と喋り続ける。
「ラデク待て。君は何者だ?」
どうも相手は刺客ではなさそうだ。
「これでおわかりになりますか?」
男の手に握られた記章を見つめ、アルベルトは驚きのあまり固まった。
『山猫!?』
人前には滅多に姿を現さないドロステア山猫に例えられる、王直属の調査機関。
アンドレイは文章でのやり取りは何度かしていたが、組織の人間と会うのは初めてだった。
「調査が無事に終わりましたのでそのお知らせです。伯爵にも少しお手伝いしてほしいことがありまして」
仮面に覆われていない口がニコリと笑う。花びらのような唇は肉厚的で、男にしては艶やかだ。
その唇とは裏腹に、男は事務的に次々と明らかになった事実と今後の段取りを話す。
「では、あの話は本当だったんだね」
男から話を聞き終わると、アルベルトはなんともいえない罪悪感に苛まれる。
「お坊ちゃまはそんなおつもりではなかったのでしょうが、皮肉にも決定的な証拠となってしまいました」
自分がこれから行うことは本当に間違っていないのだろうか?
アルベルトの中にまだ迷いがある。
しかし、このままではアンドレイは間違いなく命を狙われ続ける。これだけは疑いようのない事実だ。
ここまでやられっぱなしで黙っておくわけにはいかない。
災いの種は徹底的に潰すしかない。
苦渋の決断だったが、自分の選択ミスが招いた結果だ。
(——ヘルミーナと結婚しなければ……)
これについては、今まで何度も後悔の念に駆られた。
しかしヘルミーナとの結婚で、タデアーシュという可愛い息子が生まれたのも事実だ。
アンドレイとタデアーシュは、アルベルトにとってはどちらも愛おしい我が子に変わりない。
「あの子にはこの事実を伏せておくよ。——君の提案通り実行しよう」
責任は自身で負わなければいけない。
「承知しました」
そう言い残すと、男は最初に入って来た窓からサッと姿を消した。
「……!? ここ二階ですよ?」
ラデクがすぐに仮面の男が出て行った窓から外を覗き、目を瞬かせている。
突然やって来て、風のように消えていった。
もうすぐ、すべてが終わる。
やっとアンドレイが命の危険から解放されるという安堵感と、人を陥れる憂鬱が交ぜになる。
まるで年代物の美酒のように、言葉では言い表せない複雑な気持ちだ。
58
お気に入りに追加
180
あなたにおすすめの小説
君のことなんてもう知らない
ぽぽ
BL
早乙女琥珀は幼馴染の佐伯慶也に毎日のように告白しては振られてしまう。
告白をOKする素振りも見せず、軽く琥珀をあしらう慶也に憤りを覚えていた。
だがある日、琥珀は記憶喪失になってしまい、慶也の記憶を失ってしまう。
今まで自分のことをあしらってきた慶也のことを忘れて、他の人と恋を始めようとするが…
「お前なんて知らないから」
社畜だけど異世界では推し騎士の伴侶になってます⁈
めがねあざらし
BL
気がつくと、そこはゲーム『クレセント・ナイツ』の世界だった。
しかも俺は、推しキャラ・レイ=エヴァンスの“伴侶”になっていて……⁈
記憶喪失の俺に課されたのは、彼と共に“世界を救う鍵”として戦う使命。
しかし、レイとの誓いに隠された真実や、迫りくる敵の陰謀が俺たちを追い詰める――。
異世界で見つけた愛〜推し騎士との奇跡の絆!
推しとの距離が近すぎる、命懸けの異世界ラブファンタジー、ここに開幕!
俺にとってはあなたが運命でした
ハル
BL
第2次性が浸透し、αを引き付ける発情期があるΩへの差別が医療の発達により緩和され始めた社会
βの少し人付き合いが苦手で友人がいないだけの平凡な大学生、浅野瑞穂
彼は一人暮らしをしていたが、コンビニ生活を母に知られ実家に戻される。
その隣に引っ越してきたαΩ夫夫、嵯峨彰彦と菜桜、αの子供、理人と香菜と出会い、彼らと交流を深める。
それと同時に、彼ら家族が頼りにする彰彦の幼馴染で同僚である遠月晴哉とも親睦を深め、やがて2人は惹かれ合う。
【完結】帝王様は、表でも裏でも有名な飼い猫を溺愛する
綾雅(要らない悪役令嬢1/7発売)
BL
離地暦201年――人類は地球を離れ、宇宙で新たな生活を始め200年近くが経過した。貧困の差が広がる地球を捨て、裕福な人々は宇宙へ進出していく。
狙撃手として裏で名を馳せたルーイは、地球での狙撃の帰りに公安に拘束された。逃走経路を疎かにした結果だ。表では一流モデルとして有名な青年が裏路地で保護される、滅多にない事態に公安は彼を疑うが……。
表も裏もひっくるめてルーイの『飼い主』である権力者リューアは公安からの問い合わせに対し、彼の保護と称した強制連行を指示する。
権力者一族の争いに巻き込まれるルーイと、ひたすらに彼に甘いリューアの愛の行方は?
【重複投稿】エブリスタ、アルファポリス、小説家になろう
【注意】※印は性的表現有ります
平凡なSubの俺はスパダリDomに愛されて幸せです
おもち
BL
スパダリDom(いつもの)× 平凡Sub(いつもの)
BDSM要素はほぼ無し。
甘やかすのが好きなDomが好きなので、安定にイチャイチャ溺愛しています。
順次スケベパートも追加していきます
御伽の空は今日も蒼い
霧嶋めぐる
BL
朝日奈想来(あさひなそら)は、腐男子の友人、磯貝に押し付けられたBLゲームの主人公に成り代わってしまった。目が覚めた途端に大勢の美男子から求婚され困惑する冬馬。ゲームの不具合により何故か攻略キャラクター全員の好感度が90%を超えてしまっているらしい。このままでは元の世界に戻れないので、10人の中から1人を選びゲームをクリアしなければならないのだが……
オメガバースってなんですか。男同士で子供が産める世界!?俺、子供を産まないと元の世界に戻れないの!?
・オメガバースもの
・序盤は主人公総受け
・ギャグとシリアスは恐らく半々くらい
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる