菩提樹の猫

無一物

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12章 伯爵令息の夏休暇

34 騎士の涙

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◆◆◆◆◆


「デニスさんがあちらに向かったのなら、わたしたちも行きますか」

 ルカはゲルトに背負われたアンドレイを振り返った。

「そうね。今は北よりもなんだか西の桟橋の方が騒々しくなってきたわよ」

「もしあのまま桟橋の方に進んでいたら、敵とかち合ったかもしれない。若君の決断のお陰です」

 そんな会話を聞きながら、アンドレイはいつもより高い視点からポツポツと転がる山賊たちの死体を眺める。
 大きく斬られた痕はないので、ナイフも扱うレネの仕業だろうか。

 アンドレイを背負いながらも、ゲルトはまるで手ぶらで歩いているかのように軽々と進んでいく。
 なぜ吟遊詩人と編物工房の代表が一緒に行動しているのか、普段ならアンドレイも気になる所だが、今はレネのことで頭が一杯でそこまで気が回らない。

「たぶん、あいつが若君から離れた桟橋の方へ山賊たちを誘導したんだな」

「じゃあ、レネも桟橋の方へ?」

 ルカが言うことが当たっているなら、北へ向かうよりも南から回った方が近い。

「……どうでしょう——」

『——ぐぉぉぉぉぉぉぉぉぉっっっ!!!!!!』

 森の方から、獣の咆哮の様な声が聴こえてきた。

「デニスの声だっ!?」

 アンドレイは自分の騎士の只事ではない叫声にビクリと身体を震わす。

「なにかあったな。急ぐぞっ!」

 そう言い出す前にルカは走り出していた。
 アンドレイの安全が最優先と言いながらも、この吟遊詩人はレネのことが気になって仕方ないのだ。
 レネの姉が編んだショールを持っているくらいなので、夜会の時は互いに知らぬ顔で通していたが、レネとも顔見知りなのかもしれない。

「まあ……やっぱりレネのことが気になるのね。若君、しっかり掴まっていて下さい」

「わっ!?」

 先に行くルカの背を追う様に、ゲルトはアンドレイを背負ったまま全力疾走で森の中へと駆けた。

 暗い森の中に、一箇所だけ松明がぼんやりと光る場所がある。
 ゲルトの背中越しにそこへ目を凝らすとデニスとルカが、しゃがんで地面を見下ろしているのが見えた。

「デニスっ!」

(よかった無事だ……)

 ゲルトがそこへ向かって足を進めると、夜光石を持って地面を照らしていたルカが手で制した。
 誰かが地面に転がっている。

「レネはっ!」

 なんだかとても嫌な予感がして、アンドレイは声に出さずにはいられなかった。

「生きてるの?」

 ゲルトの単刀直入の問いかけに、ルカは振り返って頷く。

「……まあな」

 だがその顔は肯定したにも関わらず、厳しいものだった。

 視線をデニスへとずらし、アンドレイは思わず息を呑む。
 俯いた褐色の頬が濡れて、顎に雫が滴っていた。

(デニスが泣いている!?……どうして……)

 この騎士とは十年来の付き合いだが、涙を流している姿を見るのは初めてだった。

 辺りを見回すと、山賊と思われる男たちの死体が転がっていたが、その異様な光景にアンドレイは目を瞠る。
 滅多刺しにされた無惨な死体は、局部を出したままのだらしのない格好だ。

(……なに……?)

 アンドレイの無意識が答えを探すために、地面に横たわっているレネの姿を追う。
 ゲルトの背から降りると、足を引きずりながらデニスたちの方へと歩いて行った。
 
 デニスとルカに挟まれるようにレネが横たわっているのが見えたが、その尋常ではない姿に、アンドレイは自分から進んで歩み出て来たはずなのに後ずさりしてしまう。

「う…そ……」

 大声を上げそうになった口を自らの手で覆った。

 ルカが手で制したのも頷ける。
 アンドレイが個人的に気に入っていた紺色の御仕着せが、原型もわからないほどズタズタにされ、白い肌が露出している。これで先ほどの山賊との答え合わせができてしまった。
 だがアンドレイに衝撃を与えたのは、身体に刺さる二本の矢だった。

 ルカが止血のためか、右足の太腿の根本をシャツの残骸でギリギリと縛りながらこちらをチラリと見る。

「若君、あなたが気に病む必要はありません。こいつは自分の仕事をしただけです」

 あの夜会で見た吟遊詩人とはまるで別人だ。

(——僕を守るために……レネが……)

 馬鹿みたいに膝が笑っている。

 自分はなにをした?

 レネに逢いたい一心で、父親にレネを護衛に付けるように頼んだのは自分だ。
 自分の浅はかな望みのせいで、レネがこんなことになってしまった。

「……僕のせいで……」

 新たな涙がアンドレイの頬を伝う。

「アンドレイ、つまらないことは言うな。一緒にいたのがレネだからお前が無事だったんだ。お前が悪いんじゃない。襲った奴とそれを依頼した奴が悪いんだ。これ以上言ったらお前を守りきったレネにも失礼だ」

 アイスブルーの瞳に諌められるが、デニスだって泣いているではないか。きっと前日にレネから無人島行きを止められ、そのまま大人しく引き下がったことを悔やんでいるのではないのか?

 アンドレイがそんな思いに駆られている間に、開けた島の西側から数多くの松明の火が近付いてくる。

『おいっ! そいつが嘘ついてやがったぞっ!! ガキなんていやしねえ』
『あんな生易しいやり方じゃ足りなかったんだ』
『あいつをもっと痛めつけてガキの名前を呼ばせよう』
『泣き叫ばせると、流石にガキも我慢できねーだろ』

 暗闇でよく見えないのでアンドレイたちを仲間と勘違いしているのか、口々に悪態を吐きながら、山賊たちが桟橋方面から続々と舞い戻って来た。

 数にして二十人はいるだろうか。
 男たちの言葉を聞いて、アンドレイは悟る。
 レネが自分を洞穴に置いて出ていった時に言った——本当の言葉の意味を。

『いいかっ、デニスさんがお前を探しに来るまでここから顔を出すな。たとえオレが名前を呼んでも絶対返事するなよ』

(——レネはここまで予測して行動していたのか……)


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