243 / 506
12章 伯爵令息の夏休暇
34 騎士の涙
しおりを挟む
◆◆◆◆◆
「デニスさんがあちらに向かったのなら、わたしたちも行きますか」
ルカはゲルトに背負われたアンドレイを振り返った。
「そうね。今は北よりもなんだか西の桟橋の方が騒々しくなってきたわよ」
「もしあのまま桟橋の方に進んでいたら、敵とかち合ったかもしれない。若君の決断のお陰です」
そんな会話を聞きながら、アンドレイはいつもより高い視点からポツポツと転がる山賊たちの死体を眺める。
大きく斬られた痕はないので、ナイフも扱うレネの仕業だろうか。
アンドレイを背負いながらも、ゲルトはまるで手ぶらで歩いているかのように軽々と進んでいく。
なぜ吟遊詩人と編物工房の代表が一緒に行動しているのか、普段ならアンドレイも気になる所だが、今はレネのことで頭が一杯でそこまで気が回らない。
「たぶん、あいつが若君から離れた桟橋の方へ山賊たちを誘導したんだな」
「じゃあ、レネも桟橋の方へ?」
ルカが言うことが当たっているなら、北へ向かうよりも南から回った方が近い。
「……どうでしょう——」
『——ぐぉぉぉぉぉぉぉぉぉっっっ!!!!!!』
森の方から、獣の咆哮の様な声が聴こえてきた。
「デニスの声だっ!?」
アンドレイは自分の騎士の只事ではない叫声にビクリと身体を震わす。
「なにかあったな。急ぐぞっ!」
そう言い出す前にルカは走り出していた。
アンドレイの安全が最優先と言いながらも、この吟遊詩人はレネのことが気になって仕方ないのだ。
レネの姉が編んだショールを持っているくらいなので、夜会の時は互いに知らぬ顔で通していたが、レネとも顔見知りなのかもしれない。
「まあ……やっぱりレネのことが気になるのね。若君、しっかり掴まっていて下さい」
「わっ!?」
先に行くルカの背を追う様に、ゲルトはアンドレイを背負ったまま全力疾走で森の中へと駆けた。
暗い森の中に、一箇所だけ松明がぼんやりと光る場所がある。
ゲルトの背中越しにそこへ目を凝らすとデニスとルカが、しゃがんで地面を見下ろしているのが見えた。
「デニスっ!」
(よかった無事だ……)
ゲルトがそこへ向かって足を進めると、夜光石を持って地面を照らしていたルカが手で制した。
誰かが地面に転がっている。
「レネはっ!」
なんだかとても嫌な予感がして、アンドレイは声に出さずにはいられなかった。
「生きてるの?」
ゲルトの単刀直入の問いかけに、ルカは振り返って頷く。
「……まあな」
だがその顔は肯定したにも関わらず、厳しいものだった。
視線をデニスへとずらし、アンドレイは思わず息を呑む。
俯いた褐色の頬が濡れて、顎に雫が滴っていた。
(デニスが泣いている!?……どうして……)
この騎士とは十年来の付き合いだが、涙を流している姿を見るのは初めてだった。
辺りを見回すと、山賊と思われる男たちの死体が転がっていたが、その異様な光景にアンドレイは目を瞠る。
滅多刺しにされた無惨な死体は、局部を出したままのだらしのない格好だ。
(……なに……?)
アンドレイの無意識が答えを探すために、地面に横たわっているレネの姿を追う。
ゲルトの背から降りると、足を引きずりながらデニスたちの方へと歩いて行った。
デニスとルカに挟まれるようにレネが横たわっているのが見えたが、その尋常ではない姿に、アンドレイは自分から進んで歩み出て来たはずなのに後ずさりしてしまう。
「う…そ……」
大声を上げそうになった口を自らの手で覆った。
ルカが手で制したのも頷ける。
アンドレイが個人的に気に入っていた紺色の御仕着せが、原型もわからないほどズタズタにされ、白い肌が露出している。これで先ほどの山賊との答え合わせができてしまった。
だがアンドレイに衝撃を与えたのは、身体に刺さる二本の矢だった。
ルカが止血のためか、右足の太腿の根本をシャツの残骸でギリギリと縛りながらこちらをチラリと見る。
「若君、あなたが気に病む必要はありません。こいつは自分の仕事をしただけです」
あの夜会で見た吟遊詩人とはまるで別人だ。
(——僕を守るために……レネが……)
馬鹿みたいに膝が笑っている。
自分はなにをした?
レネに逢いたい一心で、父親にレネを護衛に付けるように頼んだのは自分だ。
自分の浅はかな望みのせいで、レネがこんなことになってしまった。
「……僕のせいで……」
新たな涙がアンドレイの頬を伝う。
「アンドレイ、つまらないことは言うな。一緒にいたのがレネだからお前が無事だったんだ。お前が悪いんじゃない。襲った奴とそれを依頼した奴が悪いんだ。これ以上言ったらお前を守りきったレネにも失礼だ」
アイスブルーの瞳に諌められるが、デニスだって泣いているではないか。きっと前日にレネから無人島行きを止められ、そのまま大人しく引き下がったことを悔やんでいるのではないのか?
アンドレイがそんな思いに駆られている間に、開けた島の西側から数多くの松明の火が近付いてくる。
『おいっ! そいつが嘘ついてやがったぞっ!! ガキなんていやしねえ』
『あんな生易しいやり方じゃ足りなかったんだ』
『あいつをもっと痛めつけてガキの名前を呼ばせよう』
『泣き叫ばせると、流石にガキも我慢できねーだろ』
暗闇でよく見えないのでアンドレイたちを仲間と勘違いしているのか、口々に悪態を吐きながら、山賊たちが桟橋方面から続々と舞い戻って来た。
数にして二十人はいるだろうか。
男たちの言葉を聞いて、アンドレイは悟る。
レネが自分を洞穴に置いて出ていった時に言った——本当の言葉の意味を。
『いいかっ、デニスさんがお前を探しに来るまでここから顔を出すな。たとえオレが名前を呼んでも絶対返事するなよ』
(——レネはここまで予測して行動していたのか……)
「デニスさんがあちらに向かったのなら、わたしたちも行きますか」
ルカはゲルトに背負われたアンドレイを振り返った。
「そうね。今は北よりもなんだか西の桟橋の方が騒々しくなってきたわよ」
「もしあのまま桟橋の方に進んでいたら、敵とかち合ったかもしれない。若君の決断のお陰です」
そんな会話を聞きながら、アンドレイはいつもより高い視点からポツポツと転がる山賊たちの死体を眺める。
大きく斬られた痕はないので、ナイフも扱うレネの仕業だろうか。
アンドレイを背負いながらも、ゲルトはまるで手ぶらで歩いているかのように軽々と進んでいく。
なぜ吟遊詩人と編物工房の代表が一緒に行動しているのか、普段ならアンドレイも気になる所だが、今はレネのことで頭が一杯でそこまで気が回らない。
「たぶん、あいつが若君から離れた桟橋の方へ山賊たちを誘導したんだな」
「じゃあ、レネも桟橋の方へ?」
ルカが言うことが当たっているなら、北へ向かうよりも南から回った方が近い。
「……どうでしょう——」
『——ぐぉぉぉぉぉぉぉぉぉっっっ!!!!!!』
森の方から、獣の咆哮の様な声が聴こえてきた。
「デニスの声だっ!?」
アンドレイは自分の騎士の只事ではない叫声にビクリと身体を震わす。
「なにかあったな。急ぐぞっ!」
そう言い出す前にルカは走り出していた。
アンドレイの安全が最優先と言いながらも、この吟遊詩人はレネのことが気になって仕方ないのだ。
レネの姉が編んだショールを持っているくらいなので、夜会の時は互いに知らぬ顔で通していたが、レネとも顔見知りなのかもしれない。
「まあ……やっぱりレネのことが気になるのね。若君、しっかり掴まっていて下さい」
「わっ!?」
先に行くルカの背を追う様に、ゲルトはアンドレイを背負ったまま全力疾走で森の中へと駆けた。
暗い森の中に、一箇所だけ松明がぼんやりと光る場所がある。
ゲルトの背中越しにそこへ目を凝らすとデニスとルカが、しゃがんで地面を見下ろしているのが見えた。
「デニスっ!」
(よかった無事だ……)
ゲルトがそこへ向かって足を進めると、夜光石を持って地面を照らしていたルカが手で制した。
誰かが地面に転がっている。
「レネはっ!」
なんだかとても嫌な予感がして、アンドレイは声に出さずにはいられなかった。
「生きてるの?」
ゲルトの単刀直入の問いかけに、ルカは振り返って頷く。
「……まあな」
だがその顔は肯定したにも関わらず、厳しいものだった。
視線をデニスへとずらし、アンドレイは思わず息を呑む。
俯いた褐色の頬が濡れて、顎に雫が滴っていた。
(デニスが泣いている!?……どうして……)
この騎士とは十年来の付き合いだが、涙を流している姿を見るのは初めてだった。
辺りを見回すと、山賊と思われる男たちの死体が転がっていたが、その異様な光景にアンドレイは目を瞠る。
滅多刺しにされた無惨な死体は、局部を出したままのだらしのない格好だ。
(……なに……?)
アンドレイの無意識が答えを探すために、地面に横たわっているレネの姿を追う。
ゲルトの背から降りると、足を引きずりながらデニスたちの方へと歩いて行った。
デニスとルカに挟まれるようにレネが横たわっているのが見えたが、その尋常ではない姿に、アンドレイは自分から進んで歩み出て来たはずなのに後ずさりしてしまう。
「う…そ……」
大声を上げそうになった口を自らの手で覆った。
ルカが手で制したのも頷ける。
アンドレイが個人的に気に入っていた紺色の御仕着せが、原型もわからないほどズタズタにされ、白い肌が露出している。これで先ほどの山賊との答え合わせができてしまった。
だがアンドレイに衝撃を与えたのは、身体に刺さる二本の矢だった。
ルカが止血のためか、右足の太腿の根本をシャツの残骸でギリギリと縛りながらこちらをチラリと見る。
「若君、あなたが気に病む必要はありません。こいつは自分の仕事をしただけです」
あの夜会で見た吟遊詩人とはまるで別人だ。
(——僕を守るために……レネが……)
馬鹿みたいに膝が笑っている。
自分はなにをした?
レネに逢いたい一心で、父親にレネを護衛に付けるように頼んだのは自分だ。
自分の浅はかな望みのせいで、レネがこんなことになってしまった。
「……僕のせいで……」
新たな涙がアンドレイの頬を伝う。
「アンドレイ、つまらないことは言うな。一緒にいたのがレネだからお前が無事だったんだ。お前が悪いんじゃない。襲った奴とそれを依頼した奴が悪いんだ。これ以上言ったらお前を守りきったレネにも失礼だ」
アイスブルーの瞳に諌められるが、デニスだって泣いているではないか。きっと前日にレネから無人島行きを止められ、そのまま大人しく引き下がったことを悔やんでいるのではないのか?
アンドレイがそんな思いに駆られている間に、開けた島の西側から数多くの松明の火が近付いてくる。
『おいっ! そいつが嘘ついてやがったぞっ!! ガキなんていやしねえ』
『あんな生易しいやり方じゃ足りなかったんだ』
『あいつをもっと痛めつけてガキの名前を呼ばせよう』
『泣き叫ばせると、流石にガキも我慢できねーだろ』
暗闇でよく見えないのでアンドレイたちを仲間と勘違いしているのか、口々に悪態を吐きながら、山賊たちが桟橋方面から続々と舞い戻って来た。
数にして二十人はいるだろうか。
男たちの言葉を聞いて、アンドレイは悟る。
レネが自分を洞穴に置いて出ていった時に言った——本当の言葉の意味を。
『いいかっ、デニスさんがお前を探しに来るまでここから顔を出すな。たとえオレが名前を呼んでも絶対返事するなよ』
(——レネはここまで予測して行動していたのか……)
63
お気に入りに追加
180
あなたにおすすめの小説
君のことなんてもう知らない
ぽぽ
BL
早乙女琥珀は幼馴染の佐伯慶也に毎日のように告白しては振られてしまう。
告白をOKする素振りも見せず、軽く琥珀をあしらう慶也に憤りを覚えていた。
だがある日、琥珀は記憶喪失になってしまい、慶也の記憶を失ってしまう。
今まで自分のことをあしらってきた慶也のことを忘れて、他の人と恋を始めようとするが…
「お前なんて知らないから」
社畜だけど異世界では推し騎士の伴侶になってます⁈
めがねあざらし
BL
気がつくと、そこはゲーム『クレセント・ナイツ』の世界だった。
しかも俺は、推しキャラ・レイ=エヴァンスの“伴侶”になっていて……⁈
記憶喪失の俺に課されたのは、彼と共に“世界を救う鍵”として戦う使命。
しかし、レイとの誓いに隠された真実や、迫りくる敵の陰謀が俺たちを追い詰める――。
異世界で見つけた愛〜推し騎士との奇跡の絆!
推しとの距離が近すぎる、命懸けの異世界ラブファンタジー、ここに開幕!
俺にとってはあなたが運命でした
ハル
BL
第2次性が浸透し、αを引き付ける発情期があるΩへの差別が医療の発達により緩和され始めた社会
βの少し人付き合いが苦手で友人がいないだけの平凡な大学生、浅野瑞穂
彼は一人暮らしをしていたが、コンビニ生活を母に知られ実家に戻される。
その隣に引っ越してきたαΩ夫夫、嵯峨彰彦と菜桜、αの子供、理人と香菜と出会い、彼らと交流を深める。
それと同時に、彼ら家族が頼りにする彰彦の幼馴染で同僚である遠月晴哉とも親睦を深め、やがて2人は惹かれ合う。
【完結】帝王様は、表でも裏でも有名な飼い猫を溺愛する
綾雅(要らない悪役令嬢1/7発売)
BL
離地暦201年――人類は地球を離れ、宇宙で新たな生活を始め200年近くが経過した。貧困の差が広がる地球を捨て、裕福な人々は宇宙へ進出していく。
狙撃手として裏で名を馳せたルーイは、地球での狙撃の帰りに公安に拘束された。逃走経路を疎かにした結果だ。表では一流モデルとして有名な青年が裏路地で保護される、滅多にない事態に公安は彼を疑うが……。
表も裏もひっくるめてルーイの『飼い主』である権力者リューアは公安からの問い合わせに対し、彼の保護と称した強制連行を指示する。
権力者一族の争いに巻き込まれるルーイと、ひたすらに彼に甘いリューアの愛の行方は?
【重複投稿】エブリスタ、アルファポリス、小説家になろう
【注意】※印は性的表現有ります
平凡なSubの俺はスパダリDomに愛されて幸せです
おもち
BL
スパダリDom(いつもの)× 平凡Sub(いつもの)
BDSM要素はほぼ無し。
甘やかすのが好きなDomが好きなので、安定にイチャイチャ溺愛しています。
順次スケベパートも追加していきます
御伽の空は今日も蒼い
霧嶋めぐる
BL
朝日奈想来(あさひなそら)は、腐男子の友人、磯貝に押し付けられたBLゲームの主人公に成り代わってしまった。目が覚めた途端に大勢の美男子から求婚され困惑する冬馬。ゲームの不具合により何故か攻略キャラクター全員の好感度が90%を超えてしまっているらしい。このままでは元の世界に戻れないので、10人の中から1人を選びゲームをクリアしなければならないのだが……
オメガバースってなんですか。男同士で子供が産める世界!?俺、子供を産まないと元の世界に戻れないの!?
・オメガバースもの
・序盤は主人公総受け
・ギャグとシリアスは恐らく半々くらい
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる