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12章 伯爵令息の夏休暇
19 犯人は……
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「わ……私は侍女の後を付いて行っただけなので……く……詳しいことはわかりません。それに階段を上り終えたところでシモンから呼び止められて、廊下に待機しておくように言われました」
「シモン、君はなにを見た?」
紫煙を吐き出しながら、アルベルトは小姓の時からこの家に仕えるシモンを見る。
リンブルク伯爵家の使用人の中では、執事のシュテファンの次にこの青年を信頼していた。
「はい、使用人用の食堂が珍しく空いていたのと、口にした食事が異常に塩辛くて……こんなことは初めてなので、なにか胸騒ぎがして廊下に出たら、階段を上って行くオトが見えたので後を追って行きました。すると肩にアンドレイ坊ちゃまの従者を担いでいたので何事かと思い声をかけました」
シモンが一度アルベルトの方を見て話を切る。
この青年は、アルベルトが少年の頃から目をかけていただけあって、ちゃんとわかっている。
「続けてくれたまえ」
「はい。オトになにをしているのかと尋ねると彼は、『侍女に部屋まで運んでくれ』と答えました。奥様の部屋の扉から様子を窺っていた侍女たちが、私の姿を確認するとパタンと扉を閉めました。異常な事態だと思い、オトをそのまま廊下に待機させ、アンドレイ坊ちゃまの従者のことなので、まずはデニスに知らせた次第です」
「なるほど。オト、君が食べた夕食の味は?」
「いつも通りの味でした」
先ほどの質問と違い、大男は幾分落ち着いた様子で答える。
「…………」
アルベルトは、無言でしばらく考え込む。
「シモン、君は体調に異常はないのか?」
「はい。塩辛かったので水をたくさん飲んだくらいです」
「——水か……水の味には異常はなかったかい?」
「はい。普通の変哲もない水でした」
アルベルトは葉巻を咥え、煙のたなびく天井を見つめ思考を整理する。
「倒れた彼が口にした物の中に薬物が入っていた可能性が高いな。彼が目を覚ましたら詳しく話を訊こう。オトは仕事に戻りなさい。シモン、アンドレイが心配しているだろうから、ここへアンドレイを呼んできてくれ」
(——犯人は間違いなく、あの女だ)
レネの美貌に食指が動き、つまみ食いでもしようと思ったに違いない。
幾ら夫婦間の仲がうまくいってないからと言って、息子の従者を攫おうとするとは只事ではない。
だが完全に尻尾を出すまでは、問い詰めたりせず泳がせておくつもりだ。
それよりも心配なのは、我が長男のことだ。今ごろデニスから事情を聞かされて心を痛めているはずだ。
アンドレイは、義母によって大切にしているものと無理矢理引き離されてきた過去がある。
まだレネに事情を訊き終わるまでは、アンドレイの元に帰すわけにはいけないが、意識は失っていても無事な姿だけでも見せてあげようとアルベルトは思った。
部屋にラデクと二人になり、アルベルトはレネの様子を見に、続きにあるラデクの部屋へと移動した。
まだレネは目覚める気配はなく、灰色の睫毛が頬に落ちたままだ。
意識のないレネは、美の粋を集めて作られた人形のように整っていて、その気のないアルベルトさえも興味を駆り立てられる。
「こうやって見ていると、ヘルミーナが味見してみようと思う気持ちもわからないでもないね……初めて会った時みたいに、仕込まれたのが媚薬じゃなくてよかった」
「……アルベルト様。アンドレイ坊ちゃまの前でそのセリフを言えますか?」
チクリとラデクに苦言を呈される。
「ますます嫌われるだろうね……でも、アンドレイだってこの美貌にくらりときてるだろう? 私もその気持ちを利用させてもらってるけどね」
今回だってレネを餌にしてアンドレイをジェゼロまで呼び出したようなものだ。
親友のバルチーク伯爵から直接聞いたことではないが、風の噂でテプレ・ヤロから帰った後も、レオポルトはレネに執着し続け、あの団長と決闘沙汰になったと聞いた。
だがその後、レオポルトは心を入れ替えたかのように兄のラファエルの仕事を手伝っている。
(うちも、なにかのきっかけで上手くいったらな……)
レネが自分の息子たちにも変化を起こすきっかけになってくれたらいいのにと、他力本願だが思わずにはいられない。
それにリーパ護衛団とは今後も繋がりを持っておきたい。
いずれバルナバーシュの養子であるレネが次期団長になるだろう。
だからアンドレイにはレネと良い関係を築いてほしかった。
◆◆◆◆◆
「父上っ! レネは大丈夫なのですか?」
アルベルトの部屋の中に通されると、アンドレイは開口一番にレネの容態を尋ねた。
「医者には見せてないけど、ラデクが言うにはただ意識を失っているだけらしい。きっと食事に睡眠薬を仕込まれたんじゃないかな」
「坊ちゃまこちらです」
ラデクが自分の部屋へとアンドレイとデニスを案内する。
簡素なベッドに寝かされていたレネは、アンドレイが想像していたより穏やかな顔をしていた。
「よかった……」
アンドレイは思わず、ベッドの前に膝を突いて上半身だけベッドに突っ伏した。
大丈夫だとは思っていたが、実際に目にするまでは気が気じゃなかった。
「証言によると、洗濯室の床に倒れてたみたいだからね、効き目の強い薬だったんだろう。実は以前彼に会った時も睡眠薬を飲まされて、丸一日滾々と眠っていたことがあってね。もしかしたら今回も目を覚ますまでしばらくかかるかもしれない」
「以前にもそんなことが……」
テプレ・ヤロでなにがあったのかも知らないし、アルベルトとはどういう関わりを持っていたのだろうか、皆目見当もつかない。
無事だとわかると途端に、こんな時に不謹慎かもしれないが、今度はレネの美しさに目が吸い寄せられる。
少し開いた唇の薄紅色から、風呂に入った時見た色々なものを連想してしまい、アンドレイは後ろめたい気持ちになる。
「ここに寝かせていてもラデクの邪魔になるでしょう。僕の部屋に連れて帰ります」
「彼にはまだ訊きたいことがあるんだ。それにあの女が犯人なら、ここの方が安全だ。目覚めるまでもうしばらく彼を貸してくれ」
「…………」
こんな無防備なレネを、ラデクの部屋とはいえ父親の元に置いておきたくない気持ちと、もし自分の部屋に連れ帰ってなにかあったらという二つの気持ちがアンドレイの中でせめぎ合う。
もし、意識のないレネが狙われるようなことがあったら、アンドレイは悔やんでも悔やみきれないだろう。
デニスも普通にしているが、まだ万全ではない。
自分の感情だけで判断を間違ったら取り返しのつかないことになる。
「わかりました。目を覚ましたらまた知らせて下さい」
「シモン、君はなにを見た?」
紫煙を吐き出しながら、アルベルトは小姓の時からこの家に仕えるシモンを見る。
リンブルク伯爵家の使用人の中では、執事のシュテファンの次にこの青年を信頼していた。
「はい、使用人用の食堂が珍しく空いていたのと、口にした食事が異常に塩辛くて……こんなことは初めてなので、なにか胸騒ぎがして廊下に出たら、階段を上って行くオトが見えたので後を追って行きました。すると肩にアンドレイ坊ちゃまの従者を担いでいたので何事かと思い声をかけました」
シモンが一度アルベルトの方を見て話を切る。
この青年は、アルベルトが少年の頃から目をかけていただけあって、ちゃんとわかっている。
「続けてくれたまえ」
「はい。オトになにをしているのかと尋ねると彼は、『侍女に部屋まで運んでくれ』と答えました。奥様の部屋の扉から様子を窺っていた侍女たちが、私の姿を確認するとパタンと扉を閉めました。異常な事態だと思い、オトをそのまま廊下に待機させ、アンドレイ坊ちゃまの従者のことなので、まずはデニスに知らせた次第です」
「なるほど。オト、君が食べた夕食の味は?」
「いつも通りの味でした」
先ほどの質問と違い、大男は幾分落ち着いた様子で答える。
「…………」
アルベルトは、無言でしばらく考え込む。
「シモン、君は体調に異常はないのか?」
「はい。塩辛かったので水をたくさん飲んだくらいです」
「——水か……水の味には異常はなかったかい?」
「はい。普通の変哲もない水でした」
アルベルトは葉巻を咥え、煙のたなびく天井を見つめ思考を整理する。
「倒れた彼が口にした物の中に薬物が入っていた可能性が高いな。彼が目を覚ましたら詳しく話を訊こう。オトは仕事に戻りなさい。シモン、アンドレイが心配しているだろうから、ここへアンドレイを呼んできてくれ」
(——犯人は間違いなく、あの女だ)
レネの美貌に食指が動き、つまみ食いでもしようと思ったに違いない。
幾ら夫婦間の仲がうまくいってないからと言って、息子の従者を攫おうとするとは只事ではない。
だが完全に尻尾を出すまでは、問い詰めたりせず泳がせておくつもりだ。
それよりも心配なのは、我が長男のことだ。今ごろデニスから事情を聞かされて心を痛めているはずだ。
アンドレイは、義母によって大切にしているものと無理矢理引き離されてきた過去がある。
まだレネに事情を訊き終わるまでは、アンドレイの元に帰すわけにはいけないが、意識は失っていても無事な姿だけでも見せてあげようとアルベルトは思った。
部屋にラデクと二人になり、アルベルトはレネの様子を見に、続きにあるラデクの部屋へと移動した。
まだレネは目覚める気配はなく、灰色の睫毛が頬に落ちたままだ。
意識のないレネは、美の粋を集めて作られた人形のように整っていて、その気のないアルベルトさえも興味を駆り立てられる。
「こうやって見ていると、ヘルミーナが味見してみようと思う気持ちもわからないでもないね……初めて会った時みたいに、仕込まれたのが媚薬じゃなくてよかった」
「……アルベルト様。アンドレイ坊ちゃまの前でそのセリフを言えますか?」
チクリとラデクに苦言を呈される。
「ますます嫌われるだろうね……でも、アンドレイだってこの美貌にくらりときてるだろう? 私もその気持ちを利用させてもらってるけどね」
今回だってレネを餌にしてアンドレイをジェゼロまで呼び出したようなものだ。
親友のバルチーク伯爵から直接聞いたことではないが、風の噂でテプレ・ヤロから帰った後も、レオポルトはレネに執着し続け、あの団長と決闘沙汰になったと聞いた。
だがその後、レオポルトは心を入れ替えたかのように兄のラファエルの仕事を手伝っている。
(うちも、なにかのきっかけで上手くいったらな……)
レネが自分の息子たちにも変化を起こすきっかけになってくれたらいいのにと、他力本願だが思わずにはいられない。
それにリーパ護衛団とは今後も繋がりを持っておきたい。
いずれバルナバーシュの養子であるレネが次期団長になるだろう。
だからアンドレイにはレネと良い関係を築いてほしかった。
◆◆◆◆◆
「父上っ! レネは大丈夫なのですか?」
アルベルトの部屋の中に通されると、アンドレイは開口一番にレネの容態を尋ねた。
「医者には見せてないけど、ラデクが言うにはただ意識を失っているだけらしい。きっと食事に睡眠薬を仕込まれたんじゃないかな」
「坊ちゃまこちらです」
ラデクが自分の部屋へとアンドレイとデニスを案内する。
簡素なベッドに寝かされていたレネは、アンドレイが想像していたより穏やかな顔をしていた。
「よかった……」
アンドレイは思わず、ベッドの前に膝を突いて上半身だけベッドに突っ伏した。
大丈夫だとは思っていたが、実際に目にするまでは気が気じゃなかった。
「証言によると、洗濯室の床に倒れてたみたいだからね、効き目の強い薬だったんだろう。実は以前彼に会った時も睡眠薬を飲まされて、丸一日滾々と眠っていたことがあってね。もしかしたら今回も目を覚ますまでしばらくかかるかもしれない」
「以前にもそんなことが……」
テプレ・ヤロでなにがあったのかも知らないし、アルベルトとはどういう関わりを持っていたのだろうか、皆目見当もつかない。
無事だとわかると途端に、こんな時に不謹慎かもしれないが、今度はレネの美しさに目が吸い寄せられる。
少し開いた唇の薄紅色から、風呂に入った時見た色々なものを連想してしまい、アンドレイは後ろめたい気持ちになる。
「ここに寝かせていてもラデクの邪魔になるでしょう。僕の部屋に連れて帰ります」
「彼にはまだ訊きたいことがあるんだ。それにあの女が犯人なら、ここの方が安全だ。目覚めるまでもうしばらく彼を貸してくれ」
「…………」
こんな無防備なレネを、ラデクの部屋とはいえ父親の元に置いておきたくない気持ちと、もし自分の部屋に連れ帰ってなにかあったらという二つの気持ちがアンドレイの中でせめぎ合う。
もし、意識のないレネが狙われるようなことがあったら、アンドレイは悔やんでも悔やみきれないだろう。
デニスも普通にしているが、まだ万全ではない。
自分の感情だけで判断を間違ったら取り返しのつかないことになる。
「わかりました。目を覚ましたらまた知らせて下さい」
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