菩提樹の猫

無一物

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12章 伯爵令息の夏休暇

18 今度はレネが

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◆◆◆◆◆


 食事が終わり、デニスがアンドレイと一緒に食堂から廊下へと出ると、なにやらシモンが深刻な顔をしてこちらへとやって来るのが見えた。

(なんだ?)

「デニス、ちょっと」

 どうやらすぐ横にいるアンドレイには聞かせたくない話のようだ。

「あれ……? レネがまだ来てない……」

 いつも廊下で待機しているはずのレネの姿が見えないことに、アンドレイが首をかしげる。

(——まさか……)

『なにかあったのか?』

 アンドレイに聞こえないような小声でシモンに尋ねると、嫌な予感が当たってしまったようだ。

『ああ、坊ちゃまの従者が急に倒れたみたいだ』

(次のターゲットはレネか……)

 先に食堂を出ていたアルベルトも、なにが起きたのかとラデクを引き連れこちらへ戻ってきていた。

「なにかあったのかい?」

 アンドレイに聞こえないようにデニスは小声でアルベルトに伝える。

「どうやらレネが倒れたようです。詳しくはシモンが」

「そうか……ここは私に任せて、まずはアンドレイを部屋に連れて帰ってくれ」

「承知しました」
 
 アルベルトは表情を引き締めると、次々と指示を出す。

「シモン、彼の所に案内してくれ」

「こちらです」

 ラデクを伴い、アルベルトはシモンの案内でオトがいる二階の廊下へと向かった。

 三人の背中が遠ざかるのを見届けると、デニスは事態を飲み込めていないアンドレイの肩を抱いて歩き出す。

「アンドレイ、部屋に戻るぞ」


 部屋に戻ると、アンドレイはすぐさまデニスにせっついてきた。

「ねえ、なにがあったの? レネは?」

 いつもは食事が終わるのを廊下で待っているはずのレネの不在に、アンドレイの瞳が不安に揺れている。
 
「レネが倒れたらしい」

「えっ……嘘だっ! さっきまであんな元気だったじゃないかっ!」

 編物工房に行った帰りに、レネに気を付けろと言ったばかりだったので、デニスもまだ混乱していた。
 アンドレイに服を掴まれ縋りつかれるが、デニスにもレネがいったいどういう状態なのかもわかっていない。
 
「デニスも怪我をして、レネまで……」

 我が主は、幼い頃から何度も大切なものをあの女によって取り上げられてきた経緯があり、大切に飼っていた犬までも、牙を剥いて吠えたからという理由で殺されてしまったことがある。

「レネまでも、マーロみたいに死んじゃったら……」

 アンドレイも同じことを思い出していたのだろう。飼い犬と同じ運命をレネが辿ったらと、デニスの胸に顔を埋めて震えている。
 いつもは『もう十六なのに』と言って、こんな子供じみたマネはさせないのだが、今回だけはアンドレイの好きにさせた。

「レネは夕食の間に、使用人の食堂で賄いを食べていたはずだ。もしかしたらそこになにか盛ってあったのかもしれない」

 ピンピンしていた人間がいきなり倒れるのは不自然なのでそう考えるのが妥当だろう。

「じゃあ毒を飲まされて……」

 アンドレイの顔が、まるで自分が毒でも飲んだかのように真っ青になる。

「俺は違うと思う。お前だって自分でレネに忠告していただろ? あの女は大の美青年好きだって。あいつは黙ってれば、滅多にお目にかかれないくらいの美青年だぞ。あの女がそう簡単に殺したりすると思うか?」

「——確かに……」

 少しアンドレイの顔に血の気が戻ってくる。
 


◆◆◆◆◆



「さて君たち、なにが起こったのか話してもらおうか」

 レネを担いだまま廊下に佇んでいたオトに自室までレネを運ばせ、控えの間にあるラデクのベッドへ寝かせた。
 ラデクがさっと意識のない美青年の胸元をゆるめ、状態を確かめる。
 心音と呼吸は正常で、ただ眠っているようなので、アルベルトは使用人二人にまずはその時の状況を詳しく訊くことにした。

「オト、君はなんでアンドレイの従者を担いでどこに連れて行こうとしていたんだい?」

 気を失ったなら、一階の使用人用の休憩室で休ませれば事足りるはずだ。しかしこの男はどうして二階にある、家族の居住スペースにレネを運び込もうとしていたのだ。
 アルベルトはあるていど見当はついているが、一応話は訊いておく。

 オトは大きな身体を小さく縮めて、おずおずと語りはじめた。

「……食事を終えて仕事に戻ろうとしたら、奥様付きの侍女たちから洗濯室に呼び出されまして……その時にはもうあの青年は床に倒れていて、二階まで青年を運んでほしいと頼まれたんです」

 ぴくりとアルベルトは片眉を上げてオトを見上げた。
 これだけで大男は身体をビクリと震わせて竦み上がる。

 リンブルク領で作られた最高級のベルベット生地を使用した椅子に、頭から足先まで一分の隙もなく整えられ優雅に座る姿は、使用人たちに無言の威圧感を与える。
 テーブルに置かれた木箱から葉巻を取り出し唇に挟むと、さっとラデクが動いて火を付けた。
 本来ならシモンの仕事だろうが、騎士にも関わらずラデクはアルベルトの身の回りのこともなんでもこなす。
 屈強な騎士を従わせ意のままに扱う。こうした振る舞いをアルベルトとラデクは意図して行い、ここの支配者が誰であるかを見せつけるのだ。

「——どこの部屋に?」

 オトは顔を引き攣らせながら、アルベルトの視線を受けると目を反らした。
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