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12章 伯爵令息の夏休暇
16 束の間の休息
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◆◆◆◆◆
「もう帰った?」
プレテニ工房からリンブルクの紋の入った馬車が去って行くと、庭からこっそりと工房の中へ一人の男が入って来た。
「ちょうど入れ違いよ」
アンドレイたちが帰ったばかりだというのに、すでにゲルトは編みかけのベストを手に取り、手慣れた手付きで編み進めている。
視線は突然現れた男に向けていても、ベストを編む手は止まらない。
横に置かれた籠の中には、色とりどりのたくさんの毛糸が入っており、その内の二色がベストへと繋がっている。
「ルカさんこんにちは。リンブルクのお坊ちゃまにショールを紹介してくれてありがとうございます!」
アネタがさっそくルカに気付いて声をかけてくた。
ジェゼロに来るまでやにやら思い悩んでいた弟とは違い、アネタは今日も溌剌と明るい顔で迎えてくれる。
以前から頻繁にこの工房を訪れていたので、アネタは副団長の仮面をとったルカの顔を知っていた。
ルカには年の離れた妹がいた。
ときどき妹とアネタの姿が重なる。
それもあってか、ここへ寄ったら必ず工房へ顔を出し、元気にしているか様子を確かめるようにしていた。
子供の頃に両親を目の前で殺され、唯一の肉親である弟とも引き離されたのだ。アネタもレネと同様、心に大きな傷を持っている。
しかしいつも明るく振る舞っているから、誰もその傷に気付いていない。だからよけいに放っておけなかった。
それと……レネを後戻りできない修羅の道へと引き込んだ罪滅ぼしに、せめてアネタだけは——心の底から笑っていてほしかった。
それがただの自己満足でしかないことは理解している。
「アネタ、あのショール好評だったよ。ヴルビツキー男爵夫人も興味を示されていて、きっとその内お呼びがかかるんじゃないか」
そう言いながら、ちらりとルカはゲルトに目配せした。
この一言を伝えることが、工房へ顔を出した一番の目的だった。
「やっぱり、モデルが良いのもあるわよね~~ルカさんあのショール凄く似合ってたし」
アネタの横にいた中年女性が、うっとりとした目でルカを見つめた。
昨夜とは打って変わって地味な男っぽい服装だが、素顔のままで、リーパ護衛団副団長のルカーシュの仮面は完全に取り払っている。
ここの職人たちは、ルカが堅苦しい肩書を持った男だとは、アネタとゲルト以外誰も知らない。たまに顔を出すゲルトの友人の吟遊詩人だとしか思っていない。
「お茶の時間はまだだよな? これ持ってきたからみんなで食べてよ」
そしてもう一つの目的を果たすため、ルカは手に提げていた大きな籠からミックスベリーのタルトを取り出した。
「わぁっ、ニジマス亭のタルトだぁ!」
アネタが興奮気味に叫ぶと、周りの職人たちのテンションも一気に上る。
ニジマス亭は宿屋だが、一階では食堂も経営しており、女将の作る自慢のケーキはジェゼロでは大人気の品だ。
「ここのケーキは絶品よね」
「ベリーのタルトは夏だけの限定だし」
「また太っちゃう♡」
「あんたボリスさんがもうすぐ来るんでしょ? 少しは痩せなさいよ」
「いいのよ。ありのままのあたしがいいっていうんだから」
「はいはい」
「じゃあ折角だからお茶にしましょうか」
ゲルトもニッコリと笑っていそいそとお茶の準備をしはじめた。
工房でのお茶係はゲルトの担当で、髭面に似合わない花柄の揃いのカップを並べて、お湯を沸かす間に鼻歌を唄いながらタルトを人数分に切っていく。
「いっただきま~す」
きゃっきゃきゃっきゃと姦しく、編物工房のお茶の時間がはじまった。
「ルカさん食べないの?」
アネタが、お茶だけを飲むルカに尋ねると、笑って答える。
「俺、甘いの苦手なんだよ。でも、人が美味しそうに食べてるのを見るのが好きだから」
「あなた、まだその変な趣味治らないのね……」
ゲルトは困ったものでも見るようにルカを見つめた。
昔からの付き合いなので、ルカの性癖はこの男にバレている。
ここで「姉弟でいい食べっぷりだ」なんて言ったら、きっとアネタはぷりぷりと怒りだすだろうから言わないが、アネタたち女性陣の食べっぷりを見るために、わざわざニジマス亭に足を運んでタルトを買ってきた。
タルトを頬張りながら、アネタもいい笑顔になっている。
(この顔が見たかった……)
今日もルカは女性陣の反応に大満足している。
暑いなか大きな籠に二枚もタルトを入れて、ここまで抱えてきたルカの労力は報われる。
リーパ本部の食堂で掻き込むようにガツガツと飯を平らげる男たちもいいが、幸せそうな笑みを浮かべ小鳥のように……いや、うるさいカケスのようにぺちゃくちゃ喋りながらパクパクと甘いもの食べる女たちも捨て難い。
ここは、ルカがほっと息をつける憩いの場所だ。
工房の窓から庭の方に目を向けるとすぐそこにボジ・ルゼ湖が見える。
青茶の瞳に青緑の湖面を映しながら、ルカは束の間の休息を過ごした。
「もう帰った?」
プレテニ工房からリンブルクの紋の入った馬車が去って行くと、庭からこっそりと工房の中へ一人の男が入って来た。
「ちょうど入れ違いよ」
アンドレイたちが帰ったばかりだというのに、すでにゲルトは編みかけのベストを手に取り、手慣れた手付きで編み進めている。
視線は突然現れた男に向けていても、ベストを編む手は止まらない。
横に置かれた籠の中には、色とりどりのたくさんの毛糸が入っており、その内の二色がベストへと繋がっている。
「ルカさんこんにちは。リンブルクのお坊ちゃまにショールを紹介してくれてありがとうございます!」
アネタがさっそくルカに気付いて声をかけてくた。
ジェゼロに来るまでやにやら思い悩んでいた弟とは違い、アネタは今日も溌剌と明るい顔で迎えてくれる。
以前から頻繁にこの工房を訪れていたので、アネタは副団長の仮面をとったルカの顔を知っていた。
ルカには年の離れた妹がいた。
ときどき妹とアネタの姿が重なる。
それもあってか、ここへ寄ったら必ず工房へ顔を出し、元気にしているか様子を確かめるようにしていた。
子供の頃に両親を目の前で殺され、唯一の肉親である弟とも引き離されたのだ。アネタもレネと同様、心に大きな傷を持っている。
しかしいつも明るく振る舞っているから、誰もその傷に気付いていない。だからよけいに放っておけなかった。
それと……レネを後戻りできない修羅の道へと引き込んだ罪滅ぼしに、せめてアネタだけは——心の底から笑っていてほしかった。
それがただの自己満足でしかないことは理解している。
「アネタ、あのショール好評だったよ。ヴルビツキー男爵夫人も興味を示されていて、きっとその内お呼びがかかるんじゃないか」
そう言いながら、ちらりとルカはゲルトに目配せした。
この一言を伝えることが、工房へ顔を出した一番の目的だった。
「やっぱり、モデルが良いのもあるわよね~~ルカさんあのショール凄く似合ってたし」
アネタの横にいた中年女性が、うっとりとした目でルカを見つめた。
昨夜とは打って変わって地味な男っぽい服装だが、素顔のままで、リーパ護衛団副団長のルカーシュの仮面は完全に取り払っている。
ここの職人たちは、ルカが堅苦しい肩書を持った男だとは、アネタとゲルト以外誰も知らない。たまに顔を出すゲルトの友人の吟遊詩人だとしか思っていない。
「お茶の時間はまだだよな? これ持ってきたからみんなで食べてよ」
そしてもう一つの目的を果たすため、ルカは手に提げていた大きな籠からミックスベリーのタルトを取り出した。
「わぁっ、ニジマス亭のタルトだぁ!」
アネタが興奮気味に叫ぶと、周りの職人たちのテンションも一気に上る。
ニジマス亭は宿屋だが、一階では食堂も経営しており、女将の作る自慢のケーキはジェゼロでは大人気の品だ。
「ここのケーキは絶品よね」
「ベリーのタルトは夏だけの限定だし」
「また太っちゃう♡」
「あんたボリスさんがもうすぐ来るんでしょ? 少しは痩せなさいよ」
「いいのよ。ありのままのあたしがいいっていうんだから」
「はいはい」
「じゃあ折角だからお茶にしましょうか」
ゲルトもニッコリと笑っていそいそとお茶の準備をしはじめた。
工房でのお茶係はゲルトの担当で、髭面に似合わない花柄の揃いのカップを並べて、お湯を沸かす間に鼻歌を唄いながらタルトを人数分に切っていく。
「いっただきま~す」
きゃっきゃきゃっきゃと姦しく、編物工房のお茶の時間がはじまった。
「ルカさん食べないの?」
アネタが、お茶だけを飲むルカに尋ねると、笑って答える。
「俺、甘いの苦手なんだよ。でも、人が美味しそうに食べてるのを見るのが好きだから」
「あなた、まだその変な趣味治らないのね……」
ゲルトは困ったものでも見るようにルカを見つめた。
昔からの付き合いなので、ルカの性癖はこの男にバレている。
ここで「姉弟でいい食べっぷりだ」なんて言ったら、きっとアネタはぷりぷりと怒りだすだろうから言わないが、アネタたち女性陣の食べっぷりを見るために、わざわざニジマス亭に足を運んでタルトを買ってきた。
タルトを頬張りながら、アネタもいい笑顔になっている。
(この顔が見たかった……)
今日もルカは女性陣の反応に大満足している。
暑いなか大きな籠に二枚もタルトを入れて、ここまで抱えてきたルカの労力は報われる。
リーパ本部の食堂で掻き込むようにガツガツと飯を平らげる男たちもいいが、幸せそうな笑みを浮かべ小鳥のように……いや、うるさいカケスのようにぺちゃくちゃ喋りながらパクパクと甘いもの食べる女たちも捨て難い。
ここは、ルカがほっと息をつける憩いの場所だ。
工房の窓から庭の方に目を向けるとすぐそこにボジ・ルゼ湖が見える。
青茶の瞳に青緑の湖面を映しながら、ルカは束の間の休息を過ごした。
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