菩提樹の猫

無一物

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12章 伯爵令息の夏休暇

14 プレテニ編物工房

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◆◆◆◆◆


 翌日、アンドレイたちを乗せた馬車は下町にあるプレテニ編物工房へと向かっていた。
 馬車の中は、アンドレイとレネ、そして療養から戻ってきたデニスの三人だ。

「しかし、お前たち二人で無人島とか本当に大丈夫か?」

 デニスが苦い顔で、対面に座っている二人を睨む。
 アンドレイは昨晩の出来事を思い出し、デニス視線を上目遣いで受け止める。

 本来なら、今日から復帰する予定だったデニスだが、予定を押して昨夜アンドレイの元に戻ってきた。
 それも最悪のタイミングで——

 デニスのいない間にと、こっそりレネと二人で湯船に浸かっていたところを、デニス本人によって発見される。
 そして二人は、大雷を落とされた。

『——お前たちは、今の状況をわかってるのかっ! さっさと服を着ろっ!』


「デニス、まだ怒ってるの? あれはレネに無理矢理僕がお願いしたんだよ。レネはデニスが見張ってくれている時じゃないと駄目だって何度も断ったんだからね。だからもうレネを責めるのは止めてよ」
 
「こっちは部屋に姿が見えないから、なにがあったかと必死に探してたのに、呑気に二人で湯船に浸かりやがって……」

 デニスが昨日の出来事を思い出しているのか、眉間の皺が一層深くなる。
 風呂から上がって、二人はデニスからこってり油を絞られた。

 アンドレイは自分がお願いした約束を、レネに無理を押し切って強行したことを後悔していた。
 だが理由は、デニスにお説教を受けたからではない。

(——あそこまで凄いとは思ってなかった……)

 以前は暗闇の中で、炎のオレンジ色に照らされて浮かぶ白い肌しか認識できなかったが、明るい夜光石に照らされた浴室で見たレネは、想像の遥か上を行っていた。
 
 湯船に向き合って浸かっている間中、アンドレイ俯いたままレネを直視することができなかった。
 そんな時、一日早く戻ってきたデニスに見つかり、大目玉を食らったというわけだ。

 叱られて渋々とお湯から上がったレネの裸を見て、デニスが目を細めて盛大なため息を吐いて放った一言を思い出す。

『——アンドレイ……これでわかっただろ? 風呂は一人で入るものだ』

 きっとデニスは、アンドレイがレネと一緒に風呂に入ったらこうなることを、最初っから予測できていたのだ。
 
 昨日からデニスは渋い顔をより一層渋くさせている。
 こうやって見ると、デニスの兄のラデクより老けて見えるかもしれない。

「無人島ではなにが待ち受けてるかわからないんだからな」

「大丈夫だって」

「わかってます」

 二人の心もとない返事に、デニスの眉間の皺は取れないままだ。
 このままだと、デニスの機嫌が悪くなるだけだと思ったのだろうか、レネが話題を変えた。

「なんで、編物工房へ行くの? お母さんが持ってたのと同じショールが欲しいの?」

 昨夜、吟遊詩人のルカの話を聞いて思いつきで決めた話なので、レネにも詳しいことは話していなかった。

「マリアナ嬢への贈り物にどうかなって思ったんだよ」

「……ああっ、そういうことか!?」

 これが十四歳の少女への贈り物に相応しいのかどうかは、周りに親しい女性がいないアンドレイにはわからなかったが、きっとこういう贈り物は自分で探し出して選んだ方がいいのではないかとは思っていた。
 
「なんかアンドレイって意外とそういう所は気が回るんだな」

「意外とってなんだよ」

 レネのよけいな一言にアンドレイは唇を尖らせる。

 そうこうしている内に馬車が止まり窓から外を覗くと、編物工房の看板が目に入って来た。

「着いたみたいだね」

 御者が扉を開けて、アンドレイたちは馬車から降りて外へ出る。

「オレちょっと店の人に知らせてくる」

 従者らしくレネはそそくさと店の中へと入って行き、しばらくすると、店から男と一緒に戻って来た。

「ようこそいらっしゃいました。リンブルク伯爵家の若様。私《わたくし》、プレテニ編物工房の代表のゲルトと申します」

 綺麗に整えられた髭が特徴的な四十代前半の男が、優雅にお辞儀をしてアンドレイを迎えた。
 
「よろしくゲルトさん。実は昨夜、吟遊詩人のルカさんの持っていたショールがあまりにも素敵で、どこで作られたのか尋ねたら、ここを教えられたので来てみました」

「それはそれは、ありがとうございます。どうぞこちらへ」

 レンガ造りの建物の中に入ると、たくさんの編物製品で室内があふれていた。

「わあ……レースだけじゃなくて、紳士用のセーターやベストもあるんですね」

 婦人用のレース製品だけがあるとアンドレイは想像していたので、多様な品揃えに目を丸くする。

「ええ。ジェゼロレースとボジ・ルゼ編みは、クーデンホーフ地方の伝統的な編み方で、ボジ・ルゼ編みはハンティング用のセーターとして、先代王がご愛用されたことで一躍有名になりました」

 アンドレイは、何色もの毛糸を使った複雑な模様のベストをまじまじと見つめた。

「凄くたくさんの色を使っているんですね。よく見ると凄く派手な色も入ってるのに、全体的に見ると統一された落ち着いた色合いに見えるのが不思議です」

 一枚のベストなのに、いくら眺めていても飽きない魅力がある。

「ここが編み手の腕の見せ所です」

 男二人が目を輝かせて編物の話をしているという不思議な光景だが、アンドレイの食いつきのよさにゲルトもいつも以上に熱が入っているようだ。
 
「実は……僕の亡くなった母がルカさんのショールと似たものを持っていたので気になっていたのです」

 アンドレイが二歳の時に亡くなっているので、優しげな声と、胸の中に抱かれた時の柔らかな温かさを覚えている程度だ。
 だから、あの部屋に飾ってある絵の中の母の姿が、アンドレイにとってはすべてだった。その母が羽織っているショールは、アンドレイにとっては特別なものだ。

「左様でございますか。私がここを継ぐ前のことですが、リンブルク伯爵と前伯爵夫人がお越しになったと先代が申しておりました」

「じゃあやっぱり、母が持っていたのはここのショールかもしれないんですね」

 アンドレイの顔がぱっと明るくなった。
 夜会から帰宅して、改めて部屋の壁に掛けられている親子の肖像画を見たのだが、ルカーシュが羽織っていたショールと色は違うが、よく似ていた。

「ジェゼロレースを扱う工房はドロステアでもここだけですので、その可能性が高いかと思われます。せっかくですので、奥の工房で作業の様子を覗かれてみませんか?」

「ぜひ見てみたいです!」



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