菩提樹の猫

無一物

文字の大きさ
上 下
216 / 445
12章 伯爵令息の夏休暇

7 みなさん初めまして

しおりを挟む
 そのままアンドレイの部屋に戻り、レネはため息を漏らした。

「アンドレイのお義母さん、凄いね……オレ一番苦手なタイプかも……」

 人の義母に対してあんまりかとも思ったが、想像の遥かに上をいっていた。

「だから、言ったでしょ?」

 確かに、ここへ来る前にアンドレイは『会ったらわかる』と言っていた。

「レネは特に気を付けて、僕が言うのもなんだけど、あの女……大の美青年好きだから」

「…………」

 今さらながら、レネはあのトラウマの出来事の未亡人と、ヘルミーナが似ていることに気付き、ぶるりと身体を震わせた。
 だが童貞喪失事件のことは、さすがにアンドレイには恥ずかしくて言えなかった。

「本当に気を付けてね。あの女は気に入ったらどんな手を使ってでも手に入れる人だから」

 そう忠告するアンドレイの顔が怖い。

(アンドレイってこんな子だったっけ?)

 以前の旅で見せていたあどけない顔は、この少年のほんの一部だったのかもしれない。

「でもあの感じだと、オレがアンドレイの護衛だなんて思ってもいないだろうね。よかった……」

 大事なのはそこだ。
 敵が油断してくれた方が、レネもアンドレイを護りやすい。
 アンドレイを無事に護り抜くことが、今回レネに与えられた使命だ。

「なんか意外だったんだけど、兄弟でもっと険悪な雰囲気なのかと思ってたら、普通だったね。アンドレイの弟ってもっと我儘な子を想像してたよ」

 レネは、うっすらとそばかすの浮いたタデアーシュの幼い顔を思い出す。

「弟とはほとんどまともに話したことがないんだ。ああやってあの女が弟にべったりだからね」

「……そうなんだ」

 本当はアンドレイとタデアーシュはもっと仲良くしたいのではないだろうか?
 レネはそんな兄弟に同情する。


 夜になり家族で食堂に集まり食事するアンドレイと別れて、レネは執事に教えられた通り、厨房の横にある使用人用の食堂へ向かった。

 漆喰からレンガの剥き出しになった、豪華な主たちの居住スペースとはまったく雰囲気の違う空間に、レネはキョロキョロと周りを見る。
 食堂といっても、部屋の至る所に厨房や食料庫に入りきれなかった穀物や野菜が山積みされていた。

 綺麗に取り澄ました表向きの顔よりも、生活感のあふれる雑然としたこの空間の方が親しみを覚える。

(へぇ……こんな感じなんだ)


「——あの、皆さんはじめまして。アンドレイ坊ちゃまの従者のレネと申します。夕食はここでと教えられたのでお邪魔したのですが……」

 自己紹介をすると、板張りの大きなテーブルで食事を摂っていた使用人たちが、一斉にレネへと目を向けた。
 伯爵家の人々の給仕をしている執事や侍女を除いて、他の使用人たちは主人たちのいない今の時間にさっさと食事を済ませる。

 テーブルの一角で固まって食事をしていた侍女たちがヒソヒソとレネを見ながら耳打ちしあっている。

『あれが……奥様が仰っていた?』
『びっくりするくらい綺麗だけど……もしかして坊ちゃまはそっちの気が?』
『まさか!?』

 わざとレネに聞こえるような声で話す女たちに、レネは心の奥がスッと冷えるのを感じた。


「飯ならそこにある鍋から自分で注いで、パンは一人三切れだからな」

 従僕らしき男が、レネに色々と教えてくれる。
 目を向けると、厨房へと続く入り口の近くに置かれた長机の上に、重ねられた皿とシチューの入った大きな鍋、パンがどんと積まれたバスケットが置かれていた。

「はい。ありがとうございます」
 
 適当に皿に注いで、テーブルの空いた席を探していると、先程の従僕が自分の隣の空いた席を指差しているので、レネはそこへと足を向けた。

「色々とありがとうございます」

 男に改めて礼を言って隣へと座る。

「あんたアンドレイ坊っちゃん付きなんだってな」

 食事を終え、ぞろぞろと席を立つ侍女集団を確認しながら従僕がレネに話しかけてくる。

「はい」

「あるていど事情は知っていると思うけど、今出て行ったあの侍女たちには気を付けろよ。今まで何人もの新人を嫌がらせして辞めさせてきたからな」

「え……そうなんですか!?」

 辞めるほどの嫌がらせとはいったいどういうものだろうか? 
 普段は剣しか持たないレネには、女たちの嫌がらせなど想像もつかない。

「奥様はアンドレイ坊ちゃまを目の敵にしてるからな。デニスも今は怪我していないんだろ?」

「ええ」

「あいつがいないと坊ちゃまも心細いだろうな……」

(そうか……デニスさんとも顔見知りなのか……)

「俺みたいなガキの頃から伯爵家に仕えてるような奴らは、アンドレイ坊っちゃんのことを皆心配してるんだよ。なにかあってからじゃ遅い。くれぐれもアンドレイ坊ちゃまから目を離さないでくれよ」

 男はそう言うと、食べ終わった食器を持って席を立った。

 アンドレイから以前聞いた話では、デニスが十八の時にアンドレイの元にやって来たと言っていた。
 もしかしたら、男とデニスは同年代に見えるし、普段からよく話していたのかもしれない。

(お屋敷の中にもアンドレイのことを心配している人たちがいるんだ……)

「あのっ、お名前は?」

「シモンだ。なにか困ったことがあったらいつでも遠慮せず声をかけてくれ」

 そう言うと、シモンはさっさと仕事に戻るため食堂を出て行った。

 栗色の髪を後ろに綺麗に撫で付けた男は、立ち上がると背も高く見栄えがする。
 ロランドの話では、従僕は客の目に触れることが多いので、長身で見目のいい男が多いと聞いていたが、本当のようだ。
 



しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

孕めないオメガでもいいですか?

月夜野レオン
BL
病院で子供を孕めない体といきなり診断された俺は、どうして良いのか判らず大好きな幼馴染の前から消える選択をした。不完全なオメガはお前に相応しくないから…… オメガバース作品です。

浮気されてもそばにいたいと頑張ったけど限界でした

雨宮里玖
BL
大学の飲み会から帰宅したら、ルームシェアしている恋人の遠堂の部屋から聞こえる艶かしい声。これは浮気だと思ったが、遠堂に捨てられるまでは一緒にいたいと紀平はその行為に目をつぶる——。 遠堂(21)大学生。紀平と同級生。幼馴染。 紀平(20)大学生。 宮内(21)紀平の大学の同級生。 環 (22)遠堂のバイト先の友人。

一宿一飯の恩義で竜伯爵様に抱かれたら、なぜか監禁されちゃいました!

当麻月菜
恋愛
宮坂 朱音(みやさか あかね)は、電車に跳ねられる寸前に異世界転移した。そして異世界人を保護する役目を担う竜伯爵の元でお世話になることになった。 しかしある日の晩、竜伯爵当主であり、朱音の保護者であり、ひそかに恋心を抱いているデュアロスが瀕死の状態で屋敷に戻ってきた。 彼は強い媚薬を盛られて苦しんでいたのだ。 このまま一晩ナニをしなければ、死んでしまうと知って、朱音は一宿一飯の恩義と、淡い恋心からデュアロスにその身を捧げた。 しかしそこから、なぜだかわからないけれど監禁生活が始まってしまい……。 好きだからこそ身を捧げた異世界女性と、強い覚悟を持って異世界女性を抱いた男が異世界婚をするまでの、しょーもないアレコレですれ違う二人の恋のおはなし。 ※いつもコメントありがとうございます!現在、返信が遅れて申し訳ありません(o*。_。)oペコッ 甘口も辛口もどれもありがたく読ませていただいてます(*´ω`*) ※他のサイトにも重複投稿しています。

爺ちゃん陛下の23番目の側室になった俺の話

Q.➽
BL
やんちゃが過ぎて爺ちゃん陛下の後宮に入る事になった、とある貴族の息子(Ω)の話。 爺ちゃんはあくまで爺ちゃんです。御安心下さい。 思いつきで息抜きにざっくり書いただけの話ですが、反応が良ければちゃんと構成を考えて書くかもしれません。 万が一その時はR18になると思われますので、よろしくお願いします。

愛などもう求めない

白兪
BL
とある国の皇子、ヴェリテは長い長い夢を見た。夢ではヴェリテは偽物の皇子だと罪にかけられてしまう。情を交わした婚約者は真の皇子であるファクティスの側につき、兄は睨みつけてくる。そして、とうとう父親である皇帝は処刑を命じた。 「僕のことを1度でも愛してくれたことはありましたか?」 「お前のことを一度も息子だと思ったことはない。」 目が覚め、現実に戻ったヴェリテは安心するが、本当にただの夢だったのだろうか?もし予知夢だとしたら、今すぐここから逃げなくては。 本当に自分を愛してくれる人と生きたい。 ヴェリテの切実な願いが周りを変えていく。  ハッピーエンド大好きなので、絶対に主人公は幸せに終わらせたいです。 最後まで読んでいただけると嬉しいです。

平凡顔のΩですが、何かご用でしょうか。

無糸
BL
Ωなのに顔は平凡、しかも表情の変化が乏しい俺。 そんな俺に番などできるわけ無いとそうそう諦めていたのだが、なんと超絶美系でお優しい旦那様と結婚できる事になった。 でも愛しては貰えて無いようなので、俺はこの気持ちを心に閉じ込めて置こうと思います。 ___________________ 異世界オメガバース、受け視点では異世界感ほとんど出ません(多分) わりかし感想お待ちしてます。誰が好きとか 現在体調不良により休止中 2021/9月20日 最新話更新 2022/12月27日

ふしだらオメガ王子の嫁入り

金剛@キット
BL
初恋の騎士の気を引くために、ふしだらなフリをして、嫁ぎ先が無くなったペルデルセ王子Ωは、10番目の側妃として、隣国へ嫁ぐコトが決まった。孤独が染みる冷たい後宮で、王子は何を思い生きるのか? お話に都合の良い、ユルユル設定のオメガバースです。

処理中です...