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12章 伯爵令息の夏休暇
1 大発見
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◆◆◆◆◆
夏の日差しが眩しい中、アルベルトが白百合の咲きほこる庭を歩いていると、奥でイーゼルを広げ誰かが絵を描いている姿が見えた。
「タデアーシュ、また今日も描いてるのかい?」
「父上」
息子のタデアーシュは絵を描くのが大好きで、この時期は庭に出て毎日絵を描いている。
アルベルトもそれを知っていて、時間がある時はその様子を見に行っていた。
「どれどれ」
キャンバスの中を覗いてみると、白い百合の花の奥には、孔雀青をしたボジ・ルゼ湖が顔を見せている。
白と青緑の色合いが実に清々しい。
「よく描けているじゃないか」
褒めると、そばかすの浮く白い頬を赤らめる。
「そうですか?」
我が息子ながら、タデアーシュは素直で心根が優しい。
どうやらアルベルトの性格はすべて長男の方が引き継いだようだ。
リンブルク伯爵家は夏の間は、別荘のあるジェゼロで過ごすのが恒例になっている。
少し高台にあるリンブルク家の別荘からは、青く輝くボジ・ルゼ湖を見渡せる。
白く反射する湖面を目を細めながら眺めると、湖の岸から少し離れた小島に大きな屋敷が建っているのが見えた。塔のてっぺんにはその土地の領主しか掲げることのできない、家紋入りの旗がはためいている。
ジェゼロ一帯を治めるクーデンホーフ侯爵家の屋敷だ。
その島には馬車が通るほどの立派な橋が架かっており、なんの不自由もなく行き来できるようになっていた。
二十日ほど後に行われる侯爵家主催の午餐会のことが、アルベルトの頭によぎる。
ジェゼロに別荘を持つ貴族たちの交流のために、領主が気さくに集える昼食会を開くのが毎年の恒例になっている。
実は今の妻であるヘルミーナと再婚したのも、この昼食会がきっかけだ。
アンドレイの母である前妻を病気で失い、失意に暮れるアルベルトに、ヴルビツキー男爵から仕事話を持ちかけられ、それからあれよあれよという間にヘルミーナとの再婚が決まった。
ヘルミーナとの間には息子のタデアーシュが生まれたが「妻を愛しているか」と問われれば、答えは「ノー」だ。再婚した当初からヘルミーナとの仲は冷えきっている。
息子のタデアーシュは愛おしいのに、不思議なものだ。
元々、ヴルビツキー男爵家との繋がりを持つための政略結婚なので、そこに愛などいらない。
アルベルトが自分の領地に帰っている時は、ヘルミーナはメストで若いツバメとよろしくやっているようだが、それを咎めるつもりなどなかった。
伯爵夫人の役割をこなしてくれればそれでいい。
貴族同士の結婚にはよくあることだ。
そんなクーデンホーフ侯爵家の午餐会に、今年初めてアンドレイが招待された。
侯爵家の次女マリアナとの縁談が持ち上がっているからだ。
今回の午餐会で二人を対面させて、お互い気に入れば話を進めていこうというのが両家の魂胆である。
頑固者の我が長男は、最初に話を聞いた時にどの様な反応するのか、父親であるアルベルトにも想像がつかない。
だが事情を説明したら、きっとアンドレイは理解してくれるだろうとアルベルトは踏んでいる。
「父上、なにか悩みごとでも?」
タデアーシュが心配そうな顔をしてアルベルトを見つめていた。
いつの間にか、一人で考え込んでいた。
「ん? そんな風に見えたかい?」
「難しそうなお顔をされていたので」
まだ十歳の息子に心配されるようではいけない。アルベルトはニッコリ笑い返すとタデアーシュの頭を撫でた。
「大人は色々と面倒臭いことがあるんだよ。君も大きくなればわかるさ。それよりもジェゼロに来てなにか面白いことはあったかい?」
去年タデアーシュは、庭でスケッチをしている途中に、ジェゼロにはいないとされている鳥を見つけて大騒ぎをしていた。
アルベルトの言葉を聞いて、なにかを思い出したのかタデアーシュがはっと息を呑む。
「父上、これはお祖父様には黙っておいて頂けますか?」
急になにを言い出すのかと思ったが、アルベルトは顔に出すことなくニッコリと微笑む。
「もちろんだよ。お祖父様にもお祖母様にも言わない」
(ヴルビツキー男爵に言うなとはいったいどうしたんだ?)
「昨日お祖父様の別荘の倉庫で、僕は大変なものを発見したのです」
「ほう。君はいったいどんな大発見をしたんだい?」
倉庫の中に入るとは、同年代の従兄弟とかくれんぼでもしていたのだろう。
十歳の少年の大発見とは、きっと微笑ましいものに違いないと、アルベルトは思っていた。
「実は、物置の中にバラーチェクの描いた肖像画があったのです。騎士の姿をした若い男の人で、ちゃんと本人のサインも確認してきました」
「なんだって!?」
バラーチェクと聞いて、アルベルトは思わず驚きの声を上げた。
バラーチェクとは十数年前に亡くなったドロステアを代表する画家で、ジェゼロを中心に活動をしていた。
亡くなる数年前に、前妻と長男の三人で肖像画を描いてもらったことがあり、アルベルトの思い出の宝物になっている。
今は前妻のことを嫌うヘルミーナの目につかないよう、アンドレイの部屋にひっそりと飾ってある。
「——凄い発見じゃないか」
十歳の少年といえど、タデアーシュの絵の才能はなかなかのものだ。色々な貴族の屋敷で名画を見て回っていることもあり、それなりに目も肥えている。
(信憑性はあるな……)
「でもお祖父様はなぜあんな偉大な画家の絵画を、物置にしまってらっしゃるのでしょうか?」
絵の好きなタデアーシュは祖父の考えが解らないといった顔をしている。
「お祖父様はきっと複雑な事情を抱えてらっしゃるんだよ」
アルベルトは、ヴルビツキー男爵の姿を思い浮かべもう一度タデアーシュの頭を撫でた。
もしかしたら、その絵が鍵になるかもしれない。
夏の日差しが眩しい中、アルベルトが白百合の咲きほこる庭を歩いていると、奥でイーゼルを広げ誰かが絵を描いている姿が見えた。
「タデアーシュ、また今日も描いてるのかい?」
「父上」
息子のタデアーシュは絵を描くのが大好きで、この時期は庭に出て毎日絵を描いている。
アルベルトもそれを知っていて、時間がある時はその様子を見に行っていた。
「どれどれ」
キャンバスの中を覗いてみると、白い百合の花の奥には、孔雀青をしたボジ・ルゼ湖が顔を見せている。
白と青緑の色合いが実に清々しい。
「よく描けているじゃないか」
褒めると、そばかすの浮く白い頬を赤らめる。
「そうですか?」
我が息子ながら、タデアーシュは素直で心根が優しい。
どうやらアルベルトの性格はすべて長男の方が引き継いだようだ。
リンブルク伯爵家は夏の間は、別荘のあるジェゼロで過ごすのが恒例になっている。
少し高台にあるリンブルク家の別荘からは、青く輝くボジ・ルゼ湖を見渡せる。
白く反射する湖面を目を細めながら眺めると、湖の岸から少し離れた小島に大きな屋敷が建っているのが見えた。塔のてっぺんにはその土地の領主しか掲げることのできない、家紋入りの旗がはためいている。
ジェゼロ一帯を治めるクーデンホーフ侯爵家の屋敷だ。
その島には馬車が通るほどの立派な橋が架かっており、なんの不自由もなく行き来できるようになっていた。
二十日ほど後に行われる侯爵家主催の午餐会のことが、アルベルトの頭によぎる。
ジェゼロに別荘を持つ貴族たちの交流のために、領主が気さくに集える昼食会を開くのが毎年の恒例になっている。
実は今の妻であるヘルミーナと再婚したのも、この昼食会がきっかけだ。
アンドレイの母である前妻を病気で失い、失意に暮れるアルベルトに、ヴルビツキー男爵から仕事話を持ちかけられ、それからあれよあれよという間にヘルミーナとの再婚が決まった。
ヘルミーナとの間には息子のタデアーシュが生まれたが「妻を愛しているか」と問われれば、答えは「ノー」だ。再婚した当初からヘルミーナとの仲は冷えきっている。
息子のタデアーシュは愛おしいのに、不思議なものだ。
元々、ヴルビツキー男爵家との繋がりを持つための政略結婚なので、そこに愛などいらない。
アルベルトが自分の領地に帰っている時は、ヘルミーナはメストで若いツバメとよろしくやっているようだが、それを咎めるつもりなどなかった。
伯爵夫人の役割をこなしてくれればそれでいい。
貴族同士の結婚にはよくあることだ。
そんなクーデンホーフ侯爵家の午餐会に、今年初めてアンドレイが招待された。
侯爵家の次女マリアナとの縁談が持ち上がっているからだ。
今回の午餐会で二人を対面させて、お互い気に入れば話を進めていこうというのが両家の魂胆である。
頑固者の我が長男は、最初に話を聞いた時にどの様な反応するのか、父親であるアルベルトにも想像がつかない。
だが事情を説明したら、きっとアンドレイは理解してくれるだろうとアルベルトは踏んでいる。
「父上、なにか悩みごとでも?」
タデアーシュが心配そうな顔をしてアルベルトを見つめていた。
いつの間にか、一人で考え込んでいた。
「ん? そんな風に見えたかい?」
「難しそうなお顔をされていたので」
まだ十歳の息子に心配されるようではいけない。アルベルトはニッコリ笑い返すとタデアーシュの頭を撫でた。
「大人は色々と面倒臭いことがあるんだよ。君も大きくなればわかるさ。それよりもジェゼロに来てなにか面白いことはあったかい?」
去年タデアーシュは、庭でスケッチをしている途中に、ジェゼロにはいないとされている鳥を見つけて大騒ぎをしていた。
アルベルトの言葉を聞いて、なにかを思い出したのかタデアーシュがはっと息を呑む。
「父上、これはお祖父様には黙っておいて頂けますか?」
急になにを言い出すのかと思ったが、アルベルトは顔に出すことなくニッコリと微笑む。
「もちろんだよ。お祖父様にもお祖母様にも言わない」
(ヴルビツキー男爵に言うなとはいったいどうしたんだ?)
「昨日お祖父様の別荘の倉庫で、僕は大変なものを発見したのです」
「ほう。君はいったいどんな大発見をしたんだい?」
倉庫の中に入るとは、同年代の従兄弟とかくれんぼでもしていたのだろう。
十歳の少年の大発見とは、きっと微笑ましいものに違いないと、アルベルトは思っていた。
「実は、物置の中にバラーチェクの描いた肖像画があったのです。騎士の姿をした若い男の人で、ちゃんと本人のサインも確認してきました」
「なんだって!?」
バラーチェクと聞いて、アルベルトは思わず驚きの声を上げた。
バラーチェクとは十数年前に亡くなったドロステアを代表する画家で、ジェゼロを中心に活動をしていた。
亡くなる数年前に、前妻と長男の三人で肖像画を描いてもらったことがあり、アルベルトの思い出の宝物になっている。
今は前妻のことを嫌うヘルミーナの目につかないよう、アンドレイの部屋にひっそりと飾ってある。
「——凄い発見じゃないか」
十歳の少年といえど、タデアーシュの絵の才能はなかなかのものだ。色々な貴族の屋敷で名画を見て回っていることもあり、それなりに目も肥えている。
(信憑性はあるな……)
「でもお祖父様はなぜあんな偉大な画家の絵画を、物置にしまってらっしゃるのでしょうか?」
絵の好きなタデアーシュは祖父の考えが解らないといった顔をしている。
「お祖父様はきっと複雑な事情を抱えてらっしゃるんだよ」
アルベルトは、ヴルビツキー男爵の姿を思い浮かべもう一度タデアーシュの頭を撫でた。
もしかしたら、その絵が鍵になるかもしれない。
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