菩提樹の猫

無一物

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10章 運び屋を護衛せよ

16 領主の館

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◆◆◆◆◆


 いつも通り、屋敷の者に誰も知られないよう二階のバルコニーから領主の私室のガラス窓を叩く。
 窓が開き室内へと招かれる。
 いつものこの屋敷の中に入ると、ドプラヴセは陰鬱な気分に陥った。

 過去にニシン漁で巨額の富を得ていたころに作られた大きな屋敷は、ニシンがパソバニの港から姿を消すとともに、まるで幽霊屋敷のように廃れていった。
 なにもかもが古臭く、飴色に日焼けしたタペストリーや肖像画、まるで自分が古い時代に迷い込んだような不思議な気持ちになってくる。

「今回はこれだ」

 ドプラヴセは手紙の入った木箱を渡す。

「ご苦労」

 この屋敷に似つかわしい、幽霊のような生気のない顔をした領主は、木箱を机の引き出しの奥へしまうと、「早く去れ」とばかりにドプラヴセを一瞥し、途中で中断していたのだろう机の上に置いていた書類に目を通しはじめた。

(けっ……興味のないふりをして、本当は気になって仕方ねーくせによ)

 内心で毒づきながら、ドプラヴセは扉へと手を掛ける。
 これで『運び屋』の仕事は終わった。

 だが本当の仕事はここからだ。

 バルコニーに出て、外で待機していた護衛二人と植木を伝って、庭へとおり立つ。

「おっと、これから先へは行かせねえぜ」

 海岸線へと来た道を引き返そうとしていた時、屋敷から大勢の男たちがやって来て、逃げ出さないように三人を囲み込む。

「証拠隠滅は確実にってか……」

 刺客は十人以上いる。
 ここの領主の私兵だろう。

「さあお前らの出番だ。後はよろしく頼んだぜ」

 レネとゼラの纏う空気が、一気に変わる。
 ドプラヴセも思わず鳥肌が立つほどの殺気に、この二人の腕が金で雇う護衛としては最上クラスであることを知る。

(今さらだけど、ルカの代理だし当たり前だよな……)
 
 向かい合わせた背中の間にドプラヴセを挟むように、二人は敵と対峙し、次々と敵を倒していく。
 レネはやはりルカの弟子とあってか、太刀筋が似ている。

(——若干違う所があるとすれば、こちらの方が、迫力があるというところか……)

 ルカは、あまりにも簡単に人を殺すので、まったく現実味がない。
 たぶん殺された方も、自分が死んだと気付かないまま絶命しているだろう。
 その動きは暗殺者に近いかもしれない。
 
 それに比べ、こちらは殺意に溢れていて、凶暴で美しい獣のようだ。
 レネの場合は、相手に自分が雄として上だと見せつけるための殺意だ。
 
 いくら敵とはいえ、優しい心のままでは簡単に人を殺すことはできない。
 自分の心の中の葛藤を乗り越え、折り合いをつけた者だけが、実戦で敵を殺し生き残ることができるのだ。

 普段の温厚な姿を数日間見てきただけに、少し意外だった。
 護衛の仕事は依頼主に舐められたらやり辛い。
 レネはこの外見で、苦労しているはずだ。
 ということは……ドプラヴセにも見せつけるように、レネはわざとやっているのかもしれない。

(おもしれえ……)

 ますますルカの弟子への興味が湧いてきた。

 もう一方のゼラに目を向けると、バスタードソードをまるで片手剣のように軽々と扱い、こちらも圧倒的な迫力で、敵を斬っていく。
 バスタードソードは片手でも両手でも扱える剣として設計してある。
 それをゼラが片手で持つと長い手足のせいか、実際には視覚で感じる以上にリーチがあることに気付かない。

 間合いを見誤った男たちが次々と罠にかかって行く。
 そしてこの男、長身なのに恐ろしく動きが早く、バネのように力が強い。
 
 今は、護衛という制約に縛られ動きを制限されているが、もし自由にこの男が暴れたら、いったいどんな戦いを見せてくれるのだろうか?
 ドプラヴセは、ゼラの解き放たれた姿を見てみたいと思った。
 
 二人の戦いに気をとられている内に、ドプラヴセの所にも敵が襲いかかってきた。

「おっと、俺が戦えないとでも思ったか?」

 ドプラヴセは一瞬の動作でブロードソードを抜いて、男をいとも簡単に斬り捨てる。
『運び屋』という危険な仕事をしているのだ、腕に覚えがないと商売が成り立たない。
 護衛を頼むのも、このように大人数を相手に対処できないことがあるからだ。
 
「よしっ、片付けたらさっさと馬の所まで走るぞっ!」

 期待通りの働きぶりを示した二人と、ドプラヴセは急いで崖の坂道へと走った。


「——待てっ!」

 そこへ、三人を呼び止める男の声が響く。
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