菩提樹の猫

無一物

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8章 全てを捨てて救出せよ

18 親友からの呼び出し

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◆◆◆◆◆
 

 歓楽街にある飲み屋の一角で、商人風の男たちが噂話に花を咲かせる。

「おい知ってるか? リーパの団長がさ、実の息子と美青年をめぐって決闘したんだとよ」
「はぁ?」
「なんで男相手に……。あの団長は若いころモテすぎて、女食いまくってたじゃないか……女に飽きたのか?」
「それも実の息子ってなんだよ?」
「いやそれがな……若いころの団長に瓜二つだってんだよ。あれは息子に間違いないって言ってたぜ」
「それになんだよ、美青年って……」
「俺見たよ……馬に相乗りしてたの。自分のマントに包んで、そりゃあ……もう大切そうに抱いてて、絵になるくらいお似合いだったぞ」

 先ほどから、ハヴェルは後ろの席で酒を飲んでいる男たちの会話に、聞き耳を立てていた。
 ハヴェルは「ちが~~~~う!!」と叫び出したくて、うずうずしていた。

 だが、男たちの言っていることはすべて事実だ。
 しかし、その美青年はバルナバーシュの養子だ。
 若いころ女を食いまくっていたのも事実だが、その美青年とは男たちが思っているような関係ではない。

 あれから三日経つが、親友はリーパの団長を辞任したままだ。
 隠居爺のような生活をしているので、そろそろ復帰した方がいいのではないかと思っている。
 以前預かっていた女の子が働く八百屋を、こっそり覗きに行くのが楽しいと言っていたが、あの男は本当に大丈夫なのだろうか?
 離れて暮らすレネの姉の所にも、近くに行く用事があれば必ず顔を出しているようだし、バルナバーシュが普通に家庭を持っていたら、子煩悩な父親になっていたのかもしれない。

 そして今日ハヴェルの家に、意外な人物が訪ねて来た。
 この前の決闘で立会人となっていたレオポルトの兄、ペリフェニー子爵だ。

 改まってペリフェニー子爵から相談を受ける。
 今回の決闘騒動は、レネを拉致監禁したレオポルトに一方的に非があると言ってきた。
 もちろん、ハヴェルもその通りだと思ったが、貴族が格下相手に下手に出ることはないと思っていたので、ペリフェニー子爵の態度は少々意外だった。

 今回の決闘は父であるバルチーク伯爵には知らせていないという。
 できるだけこの騒動を穏便に収めたいらしく、バルナバーシュにすぐにでも団長の地位に戻ってもらいたいと思っているようだ。

 確かに、バルナバーシュは貴族に決闘を申し込むために、組織に迷惑をかけないように辞任したのだ。
 その貴族がお願いだから戻ってくれと言ってきたら、辞任したままでいる理由がなくなる。
 ペリフェニー子爵はハヴェルに『直接謝罪をしたいので橋渡しをしてくれないか』と言ってきた。

 断るわけにもいかず、曖昧に返事はしたものの……。
 バルナバーシュが一度決めたことを簡単に撤回するとは思わない。
 さて、どうしたものかと悩んでいる。

(もうこうなったら、当たって砕けろだっ!)


◆◆◆◆◆


「どうした、急に呼び出して」

 ハヴェルからいきなり『屋敷に来い』との知らせがきた。
 バルナバーシュは部屋に案内されると、親友がなんだか申しわけなさそうな顔をしてこちらへやって来る。

 どうやら、案内された部屋には先客がいるようだ。

「バル、お前に会わせたい人がいるんだ」

「なんだ?」

 そこには、決闘の立会人として来ていたバルチーク伯爵の長男のペリフェニー子爵と、今回の騒動を起こした張本人のレオポルトがいる。
 それもレオポルトには手足に枷を付けて、口には轡まで付けているではないか。

 あの時レネが付けていたものとまったく同じだ。
 自分の知らない所で、なにが仕組まれているのか、バルナバーシュは身構える。

「バルナバーシュ卿、今日は貴殿に謝罪したく、ハヴェルさんに無理をお願いしてしまいました」

 金髪碧眼の美貌の貴族は、いったいなんのつもりでここに居るのだ?

 揺るぎない視線の中には、強い決意が感じられる。
 この兄は肝の据わり方が違うと、決闘で初めて会った時から感じていた。

「ペリフェニー子爵、どうか頭をお上げ下さい。それに弟君のその格好はいったいどうなさったのです……」

「卿、私のような卑しい存在にそんな敬称を使う必要なんてありません」

 ラファエルは暗い表情で自虐的な笑みを浮かべた。

「卑しいとはいったいどういうことです?」

 この青年の意図がさっぱり読めない。
 自分の片腕から陰で『脳筋』と呼ばれているバルナバーシュは、複雑な心理戦があまり得意ではない。だから相手の意図を汲み取ることも苦手だ。

「ご主人様、私は卑しい奴隷です。弟の代わりにどうか私をご主人様のお好きなようになさって下さい」

 とんでもないせりふを吐くと、いきなり上半身裸になり頭を床に付けて、服従の姿勢を取る。
 その背中に、貴族の子息にあってはならないものを見つけ、バルナバーシュは一瞬我が目を疑った。

「……っ!?」

(奴隷の焼き印!?)

 そこにレオポルトが飛び出し、兄を二人の男たちの視線から隠すように覆いかぶさった。

「うううっーーーううーー」

「どけっ!!——ご主人様どうか弟をお許し下さい。代わりに私がどんな罰でもお受けします」

 必死で庇う弟を投げ飛ばすと、ラファエルは服従の姿勢を続けた。

(——この男は本気だ……)

「どうか……どうか……弟をお許しください」

 異様な気迫に押され、バルナバーシュは思わず息を飲む。
 隣ではハヴェルもあんぐりと口を開けて固まってしまっている。

 貴族が奴隷の焼き印を晒して謝罪するなんて、前代未聞だ。

「ペリフェニー子爵、どうかご自分を卑下なさらないで下さい。もう決闘は終わりました。それに本来ならば身分違いで決闘を申し込んだ私の方に咎があってもいいはずです。貴殿が謝罪なさる必要などないのです」

 バルナバーシュは優しくラファエルを起こすと、脱ぎ捨てた服を羽織らせた。
 レオポルトは、奴隷の焼き印まで見せて自分の代わりに許しを請うた兄を、涙を流しながら見つめている。

 これはただの芝居ではない……。

「もしよろしければ、お二人の間になにがあったのか私にお聞かせ願えますでしょうか? それと弟君の拘束を解いて頂けますか」

 バルナバーシュは膝を落してラファエルに一礼する。
 なんとかラファエルを椅子へ座らせることに成功するが、弟の拘束は罰だからと主張し解くことを許さなかった。

(——これはまるで治療時にも拘束を解くことを許さなかった、レネの時の再現ではないか)

「私は……幼いころに誘拐され、奴隷船に乗せられて南大陸のポーストの王族に買われました。両親は私をもう死んだ者として諦めていました。その間に両親の期待を一身に背負った弟は、私の代わりに頑張っていたのです。ところが……なんの因果か、ポーストの王族が私を連れてドロステアを訪問したのです。王に謁見するために王宮を訪れた時、私は元の身分を名乗り上げ、その後のやり取りで、私は実家に無事戻ることができました。そしてなに食わぬ顔で嫡男の座に返り咲き、弟の居場所を奪ってしまったのです。しかし弟は私に怒りをぶつけることなく、自分を蝕んでいったのです……」

「え……?」

 なんだ……この符合は……。

「そこに、弟の謹慎中に護衛に付けていたバルトロメイと、以前から執着していた美青年との意外な関係が明らかになり、自分の境遇とその美青年とを愚かにも重ね合わせてしまったのです」

「——そんなことが……」

 以前にもレオポルトに振り回された経験があるハヴェルも、神妙な顔をしている。
 自ら焼き印を晒し弟の代わりに謝罪する兄を、レオポルトは涙を流しながら、焼き印を隠すように庇っていた。
 本来なら憎み合っていてもおかしくないはずの兄弟が、こんなにもお互いを庇い合っているのが奇跡のようだとバルナバーシュは思った。

 しかし、その歪みが外側に向かい、レネまで巻き込まれる事態になってしまった……。
 あのままの状態が続けば、レネは間違いなく死んでいた。
 もしかしたら、レオポルトも一緒に死ぬつもりだったのかもしれない。

「バルナバーシュ卿、貴殿は決闘の前にリーパ護衛団の団長を辞任なさったと聞いていますが、元々こちらに非があるのです、どうかお戻りになって頂けませんか」

 一度奴隷として扱われると、先ほどのような卑屈な態度が抜けきれなくなるはずなのだが、この青年は今ではまるで別人のように、バルナバーシュを正面から見つめる。

 先ほどは許しを請うていたのに、今では団長に戻ってくれとお願いされている。
 さすが、次期バルチーク伯爵……一筋縄ではいかない男のようだ。

「しかし、一度辞任した身です」

 とは言ったものの、確かに……もしなにかあった時、リーパの名前が出てこないようにバルナバーシュは団長を辞任した。しかし、その心配もどうやらもうなさそうだ。

(そろそろ潮時だろうか……)

「バル……お前が辞任したままだとよけいに騒ぎが大きくなるぞ。今の所、リーパの団長が美青年を取り合って実の息子と決闘したって風に巷では噂されているだけだけど、お前がそのままだとバルチーク伯爵家の名前が表に出てくるのも時間の問題だ。伯爵閣下はまだ決闘が行われた事実をご存じではない。早く団長に復帰して話を丸く収めろ」

(噂の内容は聞き捨てならぬが、なるほど……辞任したままだとそういう影響もあるのか……)

「そうだな……」

「バルナバーシュ卿、どうかよろしくお願いします」

 ラファエルからも頭を下げられ、バルナバーシュも頷かないわけにはいかない。
 とは言ったものの、バルナバーシュはまだ吹っ切れていなかった。

 発言を撤回するのはなかなか難しい。
 バルナバーシュの重い腰を上げるには、決定的なあと一押しが必要だった。


 口約束だけはしてハヴェルの家から帰宅し、夕食後にレネが自室に訪ねて来る。
 三日経ってやっと血色も良くなり頬の丸みが戻ってきたようだ。

 夜中に部屋の中でルカーシュと二人、猫のようにドタバタと暴れまわっているのは知っている。
 たまにガシャンとなにかが割れる音がして安眠できない。
 もうそろそろ仕事に復帰しても大丈夫だろう。

「なんだ?」

「団長に復帰して下さい」

 猫みたいな黄緑色の目が見上げてくる。
 本人は気付いていないが、この瞳の前ではバルナバーシュの威厳など無力になってしまう。

「なんだよお前まで」

「——オレ……バルがいないリーパなんてイヤだっ!」

 そう言い捨てると養い子は走り去って行く。
 これが最後の決定打となった。
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