菩提樹の猫

無一物

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8章 全てを捨てて救出せよ

8 行方不明

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◆◆◆◆◆


(クソっ!)

 バルトロメイは、まさかこんなことになるとは思ってもいなかった。
 反対されるのがわかっていたので、レオポルトは自分に黙って、怪しい男たちを雇いレネを攫ってきてしまった。
 それも最悪の方法で。
 ドレイシー夫人の誕生会でペリフェリー子爵に相談できるとよかったのだが、レネ本人が現れそれどころではなかった。
 もしかしたら、青年に付きまとう弟を見て、ペリフェリー子爵も様子がおかしいと感じていたかもしれない。

「いいのか? シーツが血で汚れるぞ?」

「そんなのかまわない」

 レオポルトの寝室にレネを運びベッドの上にレネをそっと寝かせる。

「…くっ…っぁ……」

 なるだけ優しく寝かせたのだが、呻き声が上がる。
 その声を聞いてレオポルトの口元がいやらしく歪んだ。

(なんて奴だ……)

 シャツを脱がしてレネの怪我の状態を確認する。

「ああ……酷いな」

(必要以上にやられてる……)

 きっと意識を失うまで痛めつけられたのだ。
 白い肌は無残にも打ち身だらけになっていた。特に背中は酷く血が滲んだ箇所が数か所ある。
 この華奢で男臭さのない容姿のせいか、痛々しさが倍増して目を背けたくなる。

「なんてことだ……せっかくの綺麗な肌が……」

 流石のレオポルトも傷を見て蒼白になっている。こんなつもりではなかったのだろう。
 レネがどんな状態にあるか、暴力とは無縁のレオポルトはことの深刻さがわかっていない。
 額に手をあて熱を測る。

「ああ……熱が出てきた」

 バルトロメイは抱えている時からレネの身体の異常な熱さに気付いていた。
 打撲した箇所が熱を持って疼きだし、しばらく高熱にうなされるだろう。
 自分も何度も経験したことがあるので手に取るようにわかる。

(なんでレネがこんな目に遭わないといけないんだ……)

 いつも笑顔の印象しかないレネを、ボロボロに傷付けてまで自分のものにしようとしているレオポルトが憎らしい。
 こんな奴でも、護衛をしなければならない……バルトロメイの心は荒れ狂う。

(本当に守りたい人間はこいつじゃない……)

 レオポルトを一瞥した後、傷が疼いて来たのだろう意識を失ったまま小さく唸り声を上げるレネを見つめる。

 できる限り手を尽くそう。
 きっと行方不明になったレネを周りは血眼になって探すはずだ。
 この状態では「はいすいませんでした」とレネを返して済む問題ではない。

(早く手を打たなければ……)


◆◆◆◆◆


「仕事先にも顔を見せないとはどういうことだ?」

 バルナバーシュは執務室で頭を悩ませていた。

 家を出てからも、仕事だけは顔を出していたのに、今日になってレネが無断で仕事を休んだ。
 すぐ他の護衛を割り当てたが、今までこんなことは一度もなかったのに。
 ロランドにも事情を訊いたが、昨日レネは部屋に帰って来なかったらしい。

 いったいなにがあったのだろうか?

 ロランドがこの前話していたことが、バルナバーシュの頭に過る。
 ドレイシー夫人は、孫のレオポルトを目に入れても痛くないほど、可愛がっていると。
 レオポルトは、テプレ・ヤロでレネに執着していた、バルチーク伯爵の次男だ。
 テプレ・ヤロで誘拐未遂に遭い、しばらく自領で謹慎していたはずだが、最近メストに帰って来たらしい。

 数日前に、ドレイシー夫人の警備にレネを当たらせたこととなにかこの件が関係しているのだろうか?


 コンコン。
 執務室にノックの音が響く。

「入れ」

「失礼します」

 ヴィートが中へと入って来た。

「お前に訊きたいことがあったんだ」

「なんでしょう?」

「レネが姿を消した」

「えっ!?」

 灰色の目が驚きに見開かれる。

「ドレイシー夫人の屋敷でお前はレネと一緒だったろ? なんか気になるところはなかったか?」

(——こいつは明らかになにか知ってる)

 動揺した表情を見て、バルナバーシュはそう確信した。

「まさか……あのレオポルトとか言う男に……」

 ヴィートは苦い顔をしてそうつぶやいた。

(やはりレオポルトが関係してるのか?)

「そのレオポルトとなにがあったんだ?」

「レネを見つけるとずっと纏わりついて居場所を聞き出そうとしていました。レネはなにも喋りませんでしたけど。俺から見ても、ちょっと異常なくらい執拗で……護衛の男に引き留められて渋々引き上げてましたけど」

「そうか……」

「団長……そのレオポルトの護衛をしていたのが、バルトロメイと言う男です」

「なんだと!?」

(今は貴族の護衛をしていると言っていたが、まさかレオポルトだとは……)

 思いもよらぬ運命のいたずらに、バルナバーシュは愕然とする。
 廊下からドタドタと足音が響くと、いきなり執務室の扉が開いた。

「おいっ、レネが行方不明って本当かっ!」

 柳色を基調とした上品な春の着こなしがすべて台無しになるような、そんな焦った男の登場に、ヴィートはどう反応していいのかわからず、目を泳がせている。

「ハヴェル……」

 昼間、親友が執務室に訪ねてくることなど、滅多にない。
 ハヴェルには、レネがそっちにいないかと朝から手紙を送っていたのだ。

「バル、レオポルトが数日前からうちの近所のドレイシー夫人の屋敷に滞在している。よからぬ輩が出入りしてたから、なにか嫌な予感はしてたんだ」

 自分からの知らせを聞いて、きっといても立ってもいられなくなったのだろう。
 だがこれを聞いたら親友はもっと打ちのめされるだろう。

「数日前、ドレイシー夫人の誕生会の警備にレネも参加していたんだ」

「——なんてことだ……」

 案の定、ハヴェルは眉間を押さえて俯いた。


 コンコン。
 そこへまた、ノックの音が響く。

「団長、先ほど団長宛てに手紙が届き、すぐ内容を確認するようにと」

 団員が封筒を差し出すと、後ろに控えていたルカーシュが手紙を受け取りバルナバーシュへと渡す。
 ハヴェルは、気配を消していたルカーシュの存在に今はじめて気付きおどろいているようだ。

「なんださっきから立て続けだな……」

 さっそくバルナバーシュは手紙の封を切り内容を読む。

(——やはり……)

「ハヴェル、お前の嫌な予感は的中したぞ……あいつはドレイシー夫人の屋敷にいるようだ」

「レオポルトはろくな奴じゃないっ! 早くどうにかしないと、レネは今度こそっ……」

 テプレ・ヤロでレオポルトのレネへの狼藉を目の当たりにしているせいか、ハヴェルの反応は著しい。

「気持ちはわかるが、ちょっと待ってくれ。相手は貴族だ。やり方を間違えると後で大やけどする」

 下手すると、レネはもう二度と帰ってこない可能性もある。

「団長っ……俺になにかできることはありませんかっ!」

 飼い主の危機に、元捨て犬も必死だ。

「お前も今すぐにでも飛び出して行きそうな顔をしてるが、早まるな。今はじっと待ってろ。お前はもう戻れ」

「…………」

 歯を食いしばりギッと反抗的な目で睨みつけると、ヴィートは執務室から出て行った。
 ヴィートが出て行くと、それぞれ昼の顔をした飲み仲間三人が残された。

「ルカーシュ、一つ頼まれてくれないか?」

「なんでしょうか」

 副団長の顔でルカーシュは応じると、ハヴェルはその変貌ぶりに驚きを隠せない様子で、しばらく二人のやりとりを眺めている。

 まだ最悪の状態の一歩手前だ。
 なんとか最善の方法を考え出せ。

 今までにない危機に、冷静さを装いながらも、バルナバーシュの心には血が滲んでいた。
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