菩提樹の猫

無一物

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5章 団長の親友と愛人契約せよ

16 交渉

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◆◆◆◆◆


「お前と引き換えに、ダミアーンを無傷で建物の外から出すことが先決だ。まあ気付いてると思うが、相手の本命はお前だ」

「いきなり殺されることはないね」

 こちらにとっては優位な展開だ。

「でも、犯されないように気を付けろよ。もしそうなったら無駄な抵抗はやめて諦めろ。無理矢理入れられると怪我するからな。大人しく耐えて助けが来るのを待てよ」

 生々しい内容を告げるロランドの少し灰色がかった翡翠の瞳は、今日も冷めていた。

「恐ろしいことをしれっと言うなよ……そうならないように気を付けるよ」

 いつもだったら「男相手にそんなことするわけない」と言い返すのだが、昨日のできごとを考えると、ロランドの言うことを否定できない。

「お前な、今回まだ役にも立ってないだろ? それどころか逆にハヴェルさんを心配させてるじゃないか。だからせめてここで挽回しろよ」

「そうだな」

 この一言がレネの心に火を付けた。
 ロランドは使用人として働いているのに、自分はまだ食べて飲んで、温泉に浸かることしかやっていない。

「俺たちはここまでだな」

 腕に覚えのあるラデクとロランド、そしてマチェイの用心棒たちは森から山小屋までの半分の距離で歩みを止めた。
 元々レネ一人で来るようにと言われているので、途中で見張りを立てている可能性が高い。
 よけいなことをしてダミアーンを救う機会を壊してはいけない。

「じゃあ、無事だったらすぐにダミアーンをこっちへ走らせるから保護してやってね」

 レネはすべてを知っているロランドと視線を合わせる。

「わかってる」

 そっけない返事と共に、さっさと行けとばかりに睨む同僚の冷たい視線が心地よい。
 ちゃんとレネの実力を把握して、信頼してくれている証だ。

「後は頼んだ」

(やっと自分が役に立つ時がやってきた)


 細い森の中の小道を歩いて行くと、目の前にレネが思っていたよりも規模の大きな山小屋が見えて来た。

(大きい……)

 この前、ズスターヴァ遺跡へ行く時に利用した猟師小屋くらいの規模を想像していた。
 やはり貴族が利用する施設だけあって、粗末な掘っ立て小屋ではいけないのだろう。
 正面の扉には見張りが立っている。
 レネの姿を確かめると、見張りは、中にいる人間へすぐに知らせた。

「——ダミアーンのことで交渉をしに来た。オレ一人しかいない。まずダミアーンが無事なのかここまで連れて来てくれ」

 そう叫び、レネは両手を上げて戦意がないことを知らせ扉の前に立つ。
 扉が開くと、中から複数人の男たちがレネの様子を窺っていた。

 入り口から少し離れた所で待っていると、中からサシャが顔を出した。

「やあレネ。今日も綺麗だね。昨日は途中で邪魔が入って残念だった……」

「ダミアーンは?」

 レネは挨拶に答えることもなく、ダミアーンの安否を尋ねる。

「元気だよ。レネも早く中へおいでよ」

 サシャは薄気味の悪い笑みを浮かべながらレネの手をとり建物中に引き入れようとするが、レネは身を躱し中に入るのを拒む。

「オレは遊びに来たんじゃないんだ。交渉しに来た」

「へえ。ダミアーンはレオポルトの指輪を盗んだんだ、交渉の余地はないんじゃないかな?」

(嘘だ)

 ダミアーンがレオポルトに接近できるはずがない。
 伯爵が言っていたように、昨日の時点でダミアーンの服かなにかに指輪を仕込んでおいたのだろう。

「指輪はちゃんと戻って来たんだろ?」

「ちゃんと返してもらったが、それで済む問題ではない」

 サシャは口を歪ませて笑う。

「だからオレを交渉役に呼んだんだろ? ダミアーンをまずはここまで連れて来い。それとオレはレオポルト様としか交渉する気はない」

 きっぱりと告げる。

「君もけっこう言うね。おい、ダミアーンと、レオポルトを呼んできてくれ」

 サシャは後ろにいる男へ命令する。
 この広い三階建ての山小屋には、最低でも十人以上の男がいる。まずはダミアーンの身柄確保が最優先事項だ。

「昨日はあれからどうだった?」

 まるでなんでもないことのように訊かれると、被害者側としては怒りが湧いてくる。

「お陰様で悪夢に魘されたよ」

 多少のイラつきを込めて返す。

「残念だな……気持ちよくなってもらおうと思ったんだけどね……」

 そうこういっているうちに、中からダミアーンとレオポルトが姿を現した。

「レネっ!」

 腕を男に捕らえられたままダミアーンはレネの姿を複雑な心境で見つめる。
 自分のために来てくれて、嬉しい反面申し訳ない気持ちでいっぱいなのだろう。

「ダミィ、無事か?」

「うん。大丈夫」

 ぱっと見た限りでは、外傷もないし普通に歩いているから、なにも手を出されていないのだろう。
 レネはホッと胸をなでおろす。

「こんにちはレネ。ご機嫌いかがかな? 来てくれて嬉しいよ」

 レオポルトは欲望にギラギラと目を光らせながら、視線だけでレネの姿を捕える。

「こんにちはレオポルト様。今日はあなたとダミアーンのことでご相談に来ました」

「じゃあ、中でゆっくり座って話そうよ」

「いいえ、ここで済ませましょう。話は単純です。オレの身柄を引き換えに、ダミアーンを返してあげて下さい」
 喜色を浮かべる男の顔を見て、レネは観念した。

(やっぱりこれが正解なのか……)

「レネ……」

 ダミアーンがなんとも言えない顔をしてこっちを見ていた。
 きっとあの顔は、「甘い誘惑を断れない自分が悔しい」と思っている。
 レネとしては、そちらの方が扱いやすい。変な正義感でこの場に居座わられても困る。

「本当に君はそれでいいの?」

「ええ。元々ハヴェルに金で買われて来た身です。ダミアーンのために、マチェイさんがそれと同じ額でオレの身柄をハヴェルから買い取って、ここに行けと言われたので来たまでです」

「なるほど、話ができ過ぎてると思ってたけど、そういうことだったらありえるな」

 怪訝な顔で見ていたサシャが腑に落ちた顔をした。

(よし、信じてくれた)

 でき過ぎた話に、裏があると思われていたのだろう。疑われることは最初から予想済みだったので、前もって皆で打ち合わせをしてきた。この作り話はマチェイの入知恵だ。

「オレの代わりにダミアーンを解放してくれますか?」

「君が逃げないのなら自由にしてあげよう」

 そう言うとレオポルトはその手を掴むようにレネに差し出す。

「先にダミアーンを解放してください」

「わかった、彼を離してやれ」

 レオポルトに命じられ、ダミアーンを拘束していた男が手を離す。
 しかし金髪の少年は、心許ない顔でレネを窺う。

「ダミアーン、あっちに向かって全力で走れっ! 振り返るなっ!」

 いきなり大声で叫びだしたレネの真剣さに、ダミアーンも躊躇することなく走り出した。

「これでやっと、欲しいモノが手に入ったよ。さあ、おいで……」

 観念した顔で、レネはレオポルトの手を取った。

(よし、無事にダミアーンを逃がせた……)

 蛇の様な青灰色の瞳に縫い留められる。

「マチェイも馬鹿だな。いくら金髪碧眼だからといって、あと一年もすれば男臭くなる少年と君を交換するなんて……まあ男臭くなるのも見込んで飼っているのなら仕方ないけどね」

 サシャがブツブツとなにか言っているが、レネの頭には内容がいちいち入ってこない。それどころではないのだ。
 中に入ったホールには男たちが四、五人。

(他の部屋にもまだいる……)

 ゴロツキ風情だが、その中でも少し腕の立ちそうなのが一人いる。その男はレオポルトではなく、サシャの近くにいた。
 ここにはレオポルトの使用人らしき者たちの姿は一人も見当たらない。ただガラの悪い男たちが取り巻いている。
 そしてなにやら準備をしているようだ。

 たかが、愛人の受け渡しにここまでの人数を集める必要はあるのだろうか?
 貴族のお戯れにしては物々しい。
 今の状況は絶対おかしい。
 レオポルトはこの違和感に気付いていないのだろうか?
 ここへ来る前にリンブルク伯爵と交わした約束が、レネの頭を掠める。
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