菩提樹の猫

無一物

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4章 見習い団員ヴィートの葛藤

8 そのうちわかるよ

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◇◇◇◇◇
 
 スッ……と周りの空気が冷える。
 向かい合う二人の目にはなんの感情も浮かんでいない。

 ヴィートは固唾を飲み込んで二人のその姿を見まもる。
 自分がゼラと手合わせした時でさえ、ビリビリと肌が痛くなるくらいの殺気だったのに、今はそれを通り越して、背筋がゾワゾワするほどの寒気を感じる。
 二人は剣を構えると、素早い動きで斬り合った。

(——なんなんだ……これは……)

 今までが単なる手合わせだったのがわかる。
 ゼラの繰り出す斬撃を、なんとかレネは避けようとしているが、腕や足から血が滴っている。
 どこから見ても、レネは劣勢だった。

 なにかとんでもないものを見せられている気がして、ヴィートは膝がガクガク笑っていた。
 隣で見ている他の見習いたちも、顔を引き攣らせたまま固まっている。
 しかし、レネは決して諦めていなかった。
 そしてあろうことか、自分の持っていたナイフを遠くに投げた。

「……は!?」

(なにやってんだ、あいつ……)

 ゼラが剣を振り下ろした一瞬の隙を狙って、ロングソードの間合いの中へ入り込む。
 相手の腰に抱き着きつくと、今度は腰の後ろ側に差してあるナイフを奪う。
 先ほどもレネは似たようなことをしていた。
 抱き着かれたら、ロングソードでは刃が長すぎて自分へ向かって刺したり斬ったりできない。

「っ!?」

 自分のナイフを奪われたことに気付いたゼラは、レネの腰を探るが、既にナイフは手の届かない所に打ち捨てられている。

(ナイフを奪われないように捨てたのかっ!)

 防具の上からなので刃は通らないが、抱き着いて背中に手を回したまま、急所の一つである腎臓を狙ってナイフで突く。

「ぐっ……」

 ゼラは、襟首を掴んでしがみつくレネを外そうとするが今度は上手くいかない。
 下半身を抱き込むように両足でしがみついているので蹴り技も使えなかった。

 その間もレネは背中への攻撃を止めようとしない。刃は通らないといっても、急所への衝撃は相当なものだ。
 ゼラは後ろへ手を回し、レネの両手首をそれぞれの手で捉えると、両目を見開いて渾身の力で自分の身体から剥がしにかかった。

「ぐぐぅぅぅぅぅッッッ……」

「……ゥゥゥああああああッ」

 力では流石にレネも敵わない。
 とうとうゼラの腰にしがみついていた手が離れる。

 カランと音を立て、レネの右手のナイフが地面に落ちた。
 レネはゼラの腹を蹴ってゼラから逃れた。

 後ずさりし間合いを開け、落とした自分のサーベルを器用に空中に蹴り上げ持ち直す。
 こうした一つ一つの動作が様になって美しく、ヴィートはいちいち目を奪われる。
 しかし……先ほどの攻撃で相当体力を使ったのか、肩がせわしく揺れて、細い顎からは血と泥混じりの汗がぽたぽたと滴っていた。

 ゼラも足元に落ちた自分の剣を拾い上げ、レネの方へと向かう。
 レネはサーベルの剣先をスッと伸ばし、その延長線上にあるゼラへ視線を向ける。
 ゼラも同じように、群青色の瞳でレネを見ていた。

 何者も入り込めないような、二人だけの濃密な空間。
 鍛練場とは思えないほど——そこには生と死の匂いがした。

 レネは、一瞬の動きでゼラの脇腹を狙う。
 少し遅れて、ゼラの剣も同じようにレネの脇腹に命中した。
 両者とも防具を着けていなかったら致命傷だ。
 ゼラは顔を顰めて歯を食いしばりなんとか足を踏み止め、仕留めた獲物を見下ろす。
 がくりと片膝をつき、サーベルを杖代わりに立ち上がろうとするレネの鳩尾に容赦なく蹴りを入れた。

「ぐはっ……」

 反動で倒れ、……それでもレネは身動みじろぎしている。
 ゼラが再び剣を構えた。

(ヤバいっ!)

 気が付いた時には身体が勝手に動いていた。
 ヴィートは咄嗟にレネの前に身体を入れて、ゼラの前に立ちはだかった。
 肩にカッと熱い衝撃が走り、ゼラの剣がヴィートの肩を掠ったのだと気付く。

「——馬鹿野郎っ! 殺されてぇのかお前はっ!」

 ぼんやりしていたら、団長に胸倉を掴まれ怒鳴られていた。

「こういう時はな、剣を喉元に突き付けて終わるのが様式美なんだよ。いきなり出てきたら手許が狂うだろうがっ!」

 首だけ捻って後ろを見たら、完全に気を失っているレネの顔を、ゼラが屈み込んで覗いていた。
 先ほどまでの狂気のような殺気は消えている。


◇◇◇◇◇


「どうして、あそこまでレネを追い詰める必要があるんだ……あいつはワザと痛めつけてた」

 膝の上に置いた拳を握りしめ、ヴィートは怒りを顕わにする。

「ヴィート、お前は団長たちがなぜあんなことをしていたかわからないだろ?」

 ボリスは、隣に椅子を引いてくるとそこに自分もヴィートと向き合う形に座った。

「実はね、ヴィートと初めて会った前々日に、レネは怪我を負って意識不明だったんだよ。そして昨日まで行っていた仕事でも、レネは盗賊の首領と一対一でやりあって剣を折られた。私はすぐ近くで見てたから全部覚えてるよ。殺される寸前でゼラが後ろから首領の首を切り落として、レネは助かったんだ」

 盗賊の話は聞いていたが、ポリスタブで自分と逢う前に、そんな大変なことがあっていたとは初耳だ。

(でも……)

「だからどうしたってんだよ」

 あいつのお陰で、レネが命拾いしたからって、あんなことしていい理由にはならない。

「次、レネは死ぬかもしれない」

 いつも微笑んでいる顔が、珍しく無表情で告げる。

「は?」

「鉄は熱いうちにって言うだろ。その時々で、自分が死ぬ可能性を一つ一つ潰していかないと、次は死が待っている。レネに生きていてほしいから、本気で相手にして、負けた原因を突き詰めていってるんだよ。——今回は両手剣の使い手で、レネより強い相手は団長かゼラしかいなかった。別にそれはレネだけじゃない。他の団員も同じ危険に晒されている。それがたまたま今回はレネで、たまたま相手をできたのが団長とゼラだったってだけだ」

「……」

「護衛の仕事は自分たちが生き残ることじゃないんだ。人を護るのが目的だ。自分が死んだら護衛対象も危険に晒すことになる。そうさせないために死んじゃいけないんだ。だからレネもしぶとかっただろ?」

 そういえば団長も同じようなことを言っていた。

『お前がそこで死んでたら、村人も、ボリスとベドジフも殺されてたんだぞっ! お前はどんな手を使ってでも相手を殺すのが役目だろっ!』

 その言葉を聞いた時、ゼラに押さえつけられ、団長から足蹴にされても、抵抗を続けていたレネが脱力したのを覚えている。
 それからというものレネは、斬られようとも、蹴られようとも、最後までゼラに食らいついていた。見ている方が耐えられなくなるくらい、その姿は凄絶だった。

「ヴィートもそのうちわかるよ。——そして一番辛い役が誰だったのかも」
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