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2章 猫の休暇
2 癒し
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中心街のある高台を少し北へ、レカ川の河口を見下ろす緑豊かな落ち着いた雰囲気の通りにその店はあった。お昼どきということもあり、外に並べてあるテーブル席も人で溢れかえっていた。
「あそこ、席空いてるっ! あんた早く席とってよ」
弟は、姉の命令には絶対服従だ。行けと言われたら、速攻で行かないといけない。
「——なにこの匂い……炭火で魚を焼いてるの?」
速攻でレネが場所を確保している間に、アネタは辺り一帯に漂うイワシの焼ける香りに、鼻をヒクヒクと動かしている。
場所を確保し、メニューの片っ端から気になる料理を注文していく。
料理が運ばれると姉弟は脇目も振らず、黙々と魚料理を食べた。
昔から好物を目の前にすると、二人はいつもこうなる。
「あ~可愛い。君たち姉弟は魚を食べてる時が一番可愛い」
ボリスがうっとりとしながら二人を見つめ、妙なことを言っている。せっかくの美男が台無しになるほど、その表情は緩んでいた。
しかしレネとアネタはそんなボリスの様子など気にもせず、目の前にあるイワシの炭火焼きを食べることに集中していた。
レネはフォークとナイフを使うことも放棄して、両手でイワシの頭と尾を掴むと、そのままか齧りついている。
行儀の悪い食べ方をしているのにも関わらず、ボリスだけでなく周囲の客も、微笑ましく姉弟の食べっぷりを見つめていた。
その後も、イカのフリッター、魚介の煮込み料理などを満喫する。
「ああ、幸せだった~ちょっとあんた、手づかみで食べてたでしょ? ちゃんとこれで手を拭きなさいよ。生臭いんだから」
「そんなところはやっぱりアネタがお姉さんなんだね」
ボリスがまた、にまにまと口元を緩める。
食事も終わり、ようやく一息ついたレネは、ボリスへと視線を移した。
「ねえ、これからどうすんの?」
「そうだな……市場の方に行くとしてもまだお腹も落ち着かないし、どこかでゆっくりお茶でも飲まないか?」
ボリスは質問をしたレネではなく、アネタの方を見つめて提案する。
「賛成! デザートもまだだし」
同じ血が流れているはずなのに、姉弟でこんなにも体型が違うのは、甘いものに対する執着の差があるのかもしれないとレネは思う。
そもそも護衛中に甘いものなんて絶対に食べない。殺伐とした現場で嗜好品を食べている余裕なんてないのだ。
それに加えレネは身体を動かすのが仕事なので、いくら食べても太らない、というより太れない。
「なによ、その目は。あんたはもっと太らないといけないんだから、私に付き合いなさいよ」
そう言うとアネタは、同じ通りにあるオープンカフェへとスタスタと歩いて行った。
「前から訊いてみたかったんだけど、あんなの……どこがいいの?」
レネは先に行った姉の背中を見つめながら、隣にいるボリスへ尋ねた。
『あんなの』呼ばわりしていることがバレたなら、姉から半殺しの目に遭わされるだろう。
「ふだんは他人を癒してばかりだからねえ。私も癒されたいんだよ」
癒し手は他人を癒すことができても、自分の傷を癒すことはできない。
なるほど。ボリスが言っていることはもっともに聞こえる。
「私はアネタの姿を見ているだけで癒される。特に姉弟でいると可愛いの相乗効果だ」
「なに、それ……」
(アネタに癒されるのはわかるけど、相乗効果ってなんだ?)
姉の年上の恋人で、自分の仕事の同僚でもあるのだが、レネはこの男の考えていることがいまいちわからない。
ボリスはリーパの中でもちょっと浮いた存在だ。
いつも笑顔を浮かべながらも、強面の団員たち相手にズバズバとものを言って我を押し通す。
「ほらー早く来なさいよー」
先に行って空いた席を陣取っていたアネタが、手を振って呼んでいる。
また機嫌が悪くなる前に、二人は速足でアネタのもとへと行った。
「あたしは紅茶と……これ頼むけど、あんたは? ボリスは甘いの苦手だったよね?」
アネタが琥珀色の瞳で、まだ席についてもいないレネを見上げる。
「相変わらず姉ちゃんはせっかちなんだから。オレも甘いのは興味ねーけど、付き合ってやるよ」
口とは裏腹に、レネはこの平和な時間を大いに楽しんでいた。きっとボリスも同じ気持ちだろう。
いつも死と隣り合わせの仕事をしていると、日常生活でも気を緩めることができなくなってくるのだ。
アネタの締まりのない体型も、照れ隠しで怒ったふりをしているところも、レネにとってはすべてが癒しとなる。
姉にはずっとこのままでいてほしい。
それがレネの願いだ。ボリスも同じだろう。
ニコニコ笑ってベリーのプディングを頬張っているアネタには、きのう自分が負傷して意識不明になっていたなんて、絶対知られたくない。
ボリスも同じ思いから、アネタに会わせるまでに、レネから怪我の気配がなくなるよう万全を尽くしてくれた。
(たぶんオレらは上手くやれていると思う)
そっとボリスを盗み見るが、いつもは思慮深く見えるヘーゼルの瞳が台無しになるほど顔を弛緩させ、完全に休日モードに入っている。
(うん。大丈夫だ)
味見という名目で、三分の一ほどアネタによって奪われた葡萄のタルトを、レネは口いっぱい頬張った。
甘酸っぱいさとバターの香りが口の中で広がる。仕事中には絶対食べることのない味にレネの眉尻は自然と下がる。
「君たちは、甘いものを食べてる姿も可愛いね」
上品に紅茶を飲みながら、ボリスは姉弟を見つめていた。
「あそこ、席空いてるっ! あんた早く席とってよ」
弟は、姉の命令には絶対服従だ。行けと言われたら、速攻で行かないといけない。
「——なにこの匂い……炭火で魚を焼いてるの?」
速攻でレネが場所を確保している間に、アネタは辺り一帯に漂うイワシの焼ける香りに、鼻をヒクヒクと動かしている。
場所を確保し、メニューの片っ端から気になる料理を注文していく。
料理が運ばれると姉弟は脇目も振らず、黙々と魚料理を食べた。
昔から好物を目の前にすると、二人はいつもこうなる。
「あ~可愛い。君たち姉弟は魚を食べてる時が一番可愛い」
ボリスがうっとりとしながら二人を見つめ、妙なことを言っている。せっかくの美男が台無しになるほど、その表情は緩んでいた。
しかしレネとアネタはそんなボリスの様子など気にもせず、目の前にあるイワシの炭火焼きを食べることに集中していた。
レネはフォークとナイフを使うことも放棄して、両手でイワシの頭と尾を掴むと、そのままか齧りついている。
行儀の悪い食べ方をしているのにも関わらず、ボリスだけでなく周囲の客も、微笑ましく姉弟の食べっぷりを見つめていた。
その後も、イカのフリッター、魚介の煮込み料理などを満喫する。
「ああ、幸せだった~ちょっとあんた、手づかみで食べてたでしょ? ちゃんとこれで手を拭きなさいよ。生臭いんだから」
「そんなところはやっぱりアネタがお姉さんなんだね」
ボリスがまた、にまにまと口元を緩める。
食事も終わり、ようやく一息ついたレネは、ボリスへと視線を移した。
「ねえ、これからどうすんの?」
「そうだな……市場の方に行くとしてもまだお腹も落ち着かないし、どこかでゆっくりお茶でも飲まないか?」
ボリスは質問をしたレネではなく、アネタの方を見つめて提案する。
「賛成! デザートもまだだし」
同じ血が流れているはずなのに、姉弟でこんなにも体型が違うのは、甘いものに対する執着の差があるのかもしれないとレネは思う。
そもそも護衛中に甘いものなんて絶対に食べない。殺伐とした現場で嗜好品を食べている余裕なんてないのだ。
それに加えレネは身体を動かすのが仕事なので、いくら食べても太らない、というより太れない。
「なによ、その目は。あんたはもっと太らないといけないんだから、私に付き合いなさいよ」
そう言うとアネタは、同じ通りにあるオープンカフェへとスタスタと歩いて行った。
「前から訊いてみたかったんだけど、あんなの……どこがいいの?」
レネは先に行った姉の背中を見つめながら、隣にいるボリスへ尋ねた。
『あんなの』呼ばわりしていることがバレたなら、姉から半殺しの目に遭わされるだろう。
「ふだんは他人を癒してばかりだからねえ。私も癒されたいんだよ」
癒し手は他人を癒すことができても、自分の傷を癒すことはできない。
なるほど。ボリスが言っていることはもっともに聞こえる。
「私はアネタの姿を見ているだけで癒される。特に姉弟でいると可愛いの相乗効果だ」
「なに、それ……」
(アネタに癒されるのはわかるけど、相乗効果ってなんだ?)
姉の年上の恋人で、自分の仕事の同僚でもあるのだが、レネはこの男の考えていることがいまいちわからない。
ボリスはリーパの中でもちょっと浮いた存在だ。
いつも笑顔を浮かべながらも、強面の団員たち相手にズバズバとものを言って我を押し通す。
「ほらー早く来なさいよー」
先に行って空いた席を陣取っていたアネタが、手を振って呼んでいる。
また機嫌が悪くなる前に、二人は速足でアネタのもとへと行った。
「あたしは紅茶と……これ頼むけど、あんたは? ボリスは甘いの苦手だったよね?」
アネタが琥珀色の瞳で、まだ席についてもいないレネを見上げる。
「相変わらず姉ちゃんはせっかちなんだから。オレも甘いのは興味ねーけど、付き合ってやるよ」
口とは裏腹に、レネはこの平和な時間を大いに楽しんでいた。きっとボリスも同じ気持ちだろう。
いつも死と隣り合わせの仕事をしていると、日常生活でも気を緩めることができなくなってくるのだ。
アネタの締まりのない体型も、照れ隠しで怒ったふりをしているところも、レネにとってはすべてが癒しとなる。
姉にはずっとこのままでいてほしい。
それがレネの願いだ。ボリスも同じだろう。
ニコニコ笑ってベリーのプディングを頬張っているアネタには、きのう自分が負傷して意識不明になっていたなんて、絶対知られたくない。
ボリスも同じ思いから、アネタに会わせるまでに、レネから怪我の気配がなくなるよう万全を尽くしてくれた。
(たぶんオレらは上手くやれていると思う)
そっとボリスを盗み見るが、いつもは思慮深く見えるヘーゼルの瞳が台無しになるほど顔を弛緩させ、完全に休日モードに入っている。
(うん。大丈夫だ)
味見という名目で、三分の一ほどアネタによって奪われた葡萄のタルトを、レネは口いっぱい頬張った。
甘酸っぱいさとバターの香りが口の中で広がる。仕事中には絶対食べることのない味にレネの眉尻は自然と下がる。
「君たちは、甘いものを食べてる姿も可愛いね」
上品に紅茶を飲みながら、ボリスは姉弟を見つめていた。
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