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1章 伯爵令息を護衛せよ
22 アンドレイの抱えていた想い
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◆◆◆◆◆
アンドレイは部屋に備え付けの椅子に座り、溜息をつく。一応扉の外でカレルが見張りに付いているが、今は部屋にデニスと二人っきりだった。
レネは意識こそ戻ったが、寒気が止まらないのでボリスに抱えられどこかに連れて行かれたままだ。ボリスは同じ団員なのに、カレルとロランドと比べレネへの接し方がまったく違う。
襲撃された後、アンドレイはまともにレネと喋ることができていない。
「船はちょうど明日の朝に出港する」
七日に一度ポリスタブからファロ行きの船が出ていたが、タイミングよく着くことができたようだ。
「なんだかあっという間だったね……」
虚空を見つめ、アンドレイは独り言のようにつぶやいた。
このままではレネに複雑な感情を抱えたまま別れてしまう。
ずっと護衛であることを隠していたことに関しては、まるで裏切られた気持ちになって悲しくなったが、アンドレイを悩ます問題の本質はそこではない。
この旅で、アンドレイは世間知らずのお坊ちゃまで、デニスから常に守られる立場にあり、なにもできない自分を心苦しく感じていた。
しかし、レネが現れて心境の変化が起きた。
レネは自分よりも年上で背も高いのに、なんだか放っておけない気持ちにさせる不思議な青年だった。
フードをとって綺麗な素顔を晒せば、周囲の人々は感嘆の声を上げる。
そんな時、いつもデニスは神経を尖らせていた。
いま思えば、初めてボフミルと会った時もそうだった。デニスに言われ、ブランケットでレネの身体を覆った時に、デニスはボフミルの視線に、レネの肌を晒したくなかったのだとい後で気付いた。
守られる存在は自分だけではないのだと思うようになると、アンドレイはなんだか気が楽になった。
食堂で酒を飲んでいたカレルたちに絡まれた後、デニスがレネに注意している様子を見て、「自分の方がしっかりしているから、レネを守らなければ」という気持ちが生まれた。
だから自分はカレルにも、あんなに強気になれたのだ。
レネと一緒にいれば、惨めな気持ちにならないで済む。自己本位な感情で、アンドレイはレネを必要としていたのだ。
そんなレネが、目の前で人を殺す姿を見て、アンドレイの立場は足元からガラガラと崩れていった。
まるで別人のような殺気を纏ったレネを見て、アンドレイは本能的な恐怖を感じた。
同じ、守られる側の人間だと思っていたのに、住む世界がぜんぜん違った……。
デニスとはまた違う、滑らかで俊敏な動き。回し蹴りを食らったボフミルや、喉を掻き斬られて死んだ男も、まさかレネからやられるなんて思ってもいなかっただろう。
アンドレイが目撃したレネの攻撃は、すべてが不意打ちだった。
皆、レネの姿に騙されていたのだ。
敵だけではなく、アンドレイやデニスさえも……。
しかし怪我をして、デニスに抱えられて戻ってきたレネを見た時に、アンドレイは胸がドクンと高鳴るのを感じた。
またこっち側に、レネが戻ってきた。
消毒の痛みに呻き声を上げるレネの身体を押さえながら、可哀想と共感しながらも気持ちが高ぶり、気付いたら泣いていた。
(あれはいったい……なんの涙だったんだろう?)
自分の涙がレネの頬に落ち、目尻を伝い流れていくさまを見て、なにか綺麗なモノを汚しているような罪悪感と、胸の奥がゾワゾワとする奇妙な気持ちが湧き上がって来た。
腕の中で意識を失い、されるがままになっている人形みたいなレネを抱いていると、自分にすべてが委ねられている錯覚がして、気持ちが高揚したのを今でも覚えている。
「おいアンドレイ、お前なに考え込んでるんだ?」
気が付いたら、デニスがこちらをのぞき込んで心配そうな顔をしている。
いつも自分の側にいるアイスブルーの瞳を見ると、アンドレイは少し心が落ち着いた。
「父上が知らないうちに護衛を付けてたのがちょっと悔しかったから……」
自分がこんなどす黒い思いを抱えているなど、デニスには知られたくなかったので適当に嘘を吐いた。
「伯爵はな、奥様の手前あまり表立ってお前を可愛がることができないのを、気に病んでおられるんだぞ。ロランドの話によると『馬車が襲撃された』とメストへとんぼ返りした御者から知らされ、すぐさま伯爵自らリーパ団に赴いて護衛を依頼なさったそうだ。急な依頼だったが、リンブルク伯爵からの直接の依頼を断るわけにもいかないから、たまたま居合わせたロランドとカレルが、そして休暇でちょうどジェゼロに向かっていたレネを護衛に充てたそうだ」
(父上が僕のためにそんなに裏で動いてくれてたの?)
思わぬ舞台裏を聞かされてアンドレイは驚いている。
「知らなかった……」
「伯爵はいつもお前を心配してらっしゃるんだぞ。だからもう少し素直になれよ」
アンドレイは改めて、自分の自己本位な行動を悔やんだ。
「レネにも怪我させてしまったね……」
モヤモヤした黒い感情がアンドレイの中に湧いてくる。
「あいつのことは仕事だから気にするな。護衛はな、護衛対象が怪我するくらいなら、自分が怪我する方がまだいいんだよ」
まるで「レネの気持ちを自分は理解している」とでも言いたげなデニスの言いように、アンドレイは納得できない。
デニスは、レネがリーパの護衛だと知ってから、態度を改めているような気がした。
「ねえ……どうしてレネが護衛だと知ってから、レネに対して冷たくするの? 今まであんなに心配してたじゃないか! カレルやロランドだって、レネがあんなに苦しそうにしても気にしてなかったし、ボリスさんくらいだよ、ちゃんと親身になって優しくしてるの」
レネが怪我をしたのに、なんでみんな素っ気ないのかアンドレイは納得いかなかった。
「別に冷たくはないじゃないか。腕の立つ護衛だとわかったのに、今までと同じだったら逆に失礼だろ」
デニスは「どう説明しようか」とでも言いたげな、面倒くさそうな、でもちょっと難しい顔をして語り始めた。
「俺もむかし騎士団にいたからわかるけど、傭兵の集団なんてなあんなもんだよ。いちいち仲間が怪我してオロオロしてたら身が持たないんだ。あいつらはちゃんとレネを一人の仲間として対等に扱ってるだけだ。あの外見に騙されてるけど、あいつは傭兵だぞ?」
説明を聞くと、同僚たちがレネに素っ気ない態度をとる意味が少し理解できた。
アンドレイも薄々感じていたのだ。カレルやロランドが、レネに対して湧いてくる「放っておけない・可哀想」という感情に蓋をして、わざと雑に扱っていたことを。
怪我をしたレネを見て髪をかき混ぜたり頭を叩いたりしていたのは、自分の感情を追い払うためだったのかもしれない。
(仲間として普通に接しようとしていただけなんだ……でも……)
「——でもボリスさんは……同じリーパなのに、レネにだけ優しくしてたじゃないか?」
ずっと引っ掛かっていたことをデニスにぶつける。
「そりゃ……お前、察してやれよ。ボリスさんはレネと仲間以上の関係なんだろ」
デニスにしては珍しく言葉を濁す。
「えっ? どんな?」
ちょうど噂をしていた所に、ボリスに支えられながらレネが戻って来た。
アンドレイは部屋に備え付けの椅子に座り、溜息をつく。一応扉の外でカレルが見張りに付いているが、今は部屋にデニスと二人っきりだった。
レネは意識こそ戻ったが、寒気が止まらないのでボリスに抱えられどこかに連れて行かれたままだ。ボリスは同じ団員なのに、カレルとロランドと比べレネへの接し方がまったく違う。
襲撃された後、アンドレイはまともにレネと喋ることができていない。
「船はちょうど明日の朝に出港する」
七日に一度ポリスタブからファロ行きの船が出ていたが、タイミングよく着くことができたようだ。
「なんだかあっという間だったね……」
虚空を見つめ、アンドレイは独り言のようにつぶやいた。
このままではレネに複雑な感情を抱えたまま別れてしまう。
ずっと護衛であることを隠していたことに関しては、まるで裏切られた気持ちになって悲しくなったが、アンドレイを悩ます問題の本質はそこではない。
この旅で、アンドレイは世間知らずのお坊ちゃまで、デニスから常に守られる立場にあり、なにもできない自分を心苦しく感じていた。
しかし、レネが現れて心境の変化が起きた。
レネは自分よりも年上で背も高いのに、なんだか放っておけない気持ちにさせる不思議な青年だった。
フードをとって綺麗な素顔を晒せば、周囲の人々は感嘆の声を上げる。
そんな時、いつもデニスは神経を尖らせていた。
いま思えば、初めてボフミルと会った時もそうだった。デニスに言われ、ブランケットでレネの身体を覆った時に、デニスはボフミルの視線に、レネの肌を晒したくなかったのだとい後で気付いた。
守られる存在は自分だけではないのだと思うようになると、アンドレイはなんだか気が楽になった。
食堂で酒を飲んでいたカレルたちに絡まれた後、デニスがレネに注意している様子を見て、「自分の方がしっかりしているから、レネを守らなければ」という気持ちが生まれた。
だから自分はカレルにも、あんなに強気になれたのだ。
レネと一緒にいれば、惨めな気持ちにならないで済む。自己本位な感情で、アンドレイはレネを必要としていたのだ。
そんなレネが、目の前で人を殺す姿を見て、アンドレイの立場は足元からガラガラと崩れていった。
まるで別人のような殺気を纏ったレネを見て、アンドレイは本能的な恐怖を感じた。
同じ、守られる側の人間だと思っていたのに、住む世界がぜんぜん違った……。
デニスとはまた違う、滑らかで俊敏な動き。回し蹴りを食らったボフミルや、喉を掻き斬られて死んだ男も、まさかレネからやられるなんて思ってもいなかっただろう。
アンドレイが目撃したレネの攻撃は、すべてが不意打ちだった。
皆、レネの姿に騙されていたのだ。
敵だけではなく、アンドレイやデニスさえも……。
しかし怪我をして、デニスに抱えられて戻ってきたレネを見た時に、アンドレイは胸がドクンと高鳴るのを感じた。
またこっち側に、レネが戻ってきた。
消毒の痛みに呻き声を上げるレネの身体を押さえながら、可哀想と共感しながらも気持ちが高ぶり、気付いたら泣いていた。
(あれはいったい……なんの涙だったんだろう?)
自分の涙がレネの頬に落ち、目尻を伝い流れていくさまを見て、なにか綺麗なモノを汚しているような罪悪感と、胸の奥がゾワゾワとする奇妙な気持ちが湧き上がって来た。
腕の中で意識を失い、されるがままになっている人形みたいなレネを抱いていると、自分にすべてが委ねられている錯覚がして、気持ちが高揚したのを今でも覚えている。
「おいアンドレイ、お前なに考え込んでるんだ?」
気が付いたら、デニスがこちらをのぞき込んで心配そうな顔をしている。
いつも自分の側にいるアイスブルーの瞳を見ると、アンドレイは少し心が落ち着いた。
「父上が知らないうちに護衛を付けてたのがちょっと悔しかったから……」
自分がこんなどす黒い思いを抱えているなど、デニスには知られたくなかったので適当に嘘を吐いた。
「伯爵はな、奥様の手前あまり表立ってお前を可愛がることができないのを、気に病んでおられるんだぞ。ロランドの話によると『馬車が襲撃された』とメストへとんぼ返りした御者から知らされ、すぐさま伯爵自らリーパ団に赴いて護衛を依頼なさったそうだ。急な依頼だったが、リンブルク伯爵からの直接の依頼を断るわけにもいかないから、たまたま居合わせたロランドとカレルが、そして休暇でちょうどジェゼロに向かっていたレネを護衛に充てたそうだ」
(父上が僕のためにそんなに裏で動いてくれてたの?)
思わぬ舞台裏を聞かされてアンドレイは驚いている。
「知らなかった……」
「伯爵はいつもお前を心配してらっしゃるんだぞ。だからもう少し素直になれよ」
アンドレイは改めて、自分の自己本位な行動を悔やんだ。
「レネにも怪我させてしまったね……」
モヤモヤした黒い感情がアンドレイの中に湧いてくる。
「あいつのことは仕事だから気にするな。護衛はな、護衛対象が怪我するくらいなら、自分が怪我する方がまだいいんだよ」
まるで「レネの気持ちを自分は理解している」とでも言いたげなデニスの言いように、アンドレイは納得できない。
デニスは、レネがリーパの護衛だと知ってから、態度を改めているような気がした。
「ねえ……どうしてレネが護衛だと知ってから、レネに対して冷たくするの? 今まであんなに心配してたじゃないか! カレルやロランドだって、レネがあんなに苦しそうにしても気にしてなかったし、ボリスさんくらいだよ、ちゃんと親身になって優しくしてるの」
レネが怪我をしたのに、なんでみんな素っ気ないのかアンドレイは納得いかなかった。
「別に冷たくはないじゃないか。腕の立つ護衛だとわかったのに、今までと同じだったら逆に失礼だろ」
デニスは「どう説明しようか」とでも言いたげな、面倒くさそうな、でもちょっと難しい顔をして語り始めた。
「俺もむかし騎士団にいたからわかるけど、傭兵の集団なんてなあんなもんだよ。いちいち仲間が怪我してオロオロしてたら身が持たないんだ。あいつらはちゃんとレネを一人の仲間として対等に扱ってるだけだ。あの外見に騙されてるけど、あいつは傭兵だぞ?」
説明を聞くと、同僚たちがレネに素っ気ない態度をとる意味が少し理解できた。
アンドレイも薄々感じていたのだ。カレルやロランドが、レネに対して湧いてくる「放っておけない・可哀想」という感情に蓋をして、わざと雑に扱っていたことを。
怪我をしたレネを見て髪をかき混ぜたり頭を叩いたりしていたのは、自分の感情を追い払うためだったのかもしれない。
(仲間として普通に接しようとしていただけなんだ……でも……)
「——でもボリスさんは……同じリーパなのに、レネにだけ優しくしてたじゃないか?」
ずっと引っ掛かっていたことをデニスにぶつける。
「そりゃ……お前、察してやれよ。ボリスさんはレネと仲間以上の関係なんだろ」
デニスにしては珍しく言葉を濁す。
「えっ? どんな?」
ちょうど噂をしていた所に、ボリスに支えられながらレネが戻って来た。
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