菩提樹の猫

無一物

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1章 伯爵令息を護衛せよ

18 デニスが目にしたものは……

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◆◆◆◆◆
 
 数は多いが、相手はここら辺を縄張りとする賊なのだろう。我流の戦い方は束でかかろうとも、戦うことを生業とする男たちには敵わない。
 三人の男たちはそれぞれの武器で賊たちを倒していく。三者とも容赦なく殺していくので、恐れをなした賊たちは攻撃の手を緩め始め、尻尾を巻いて逃げる者もあった。

(アンドレイたちは上手く逃げただろうか?)

 デニスは、剣に付いた血を払いながら、後ろへ逃がした二人のことが気になっていた。

「おいっ、ここにヨーゼフはいないみたいだぞっ」

 カレルの言葉を聞き、デニスの不安は高まる。

(主犯格の男が見当たらないということは、まさかアンドレイたちの方に行っているのでは⁉)

 ピィィィィィッ!
 離れた場所で笛のなる音がした。

「レネの笛だっ!」

 ロランドが小屋での約束を思い出し叫ぶ。

(まさか、アンドレイになにかあったのか⁉)

 嫌な予感がして、デニスは音のした方を振り向くと、無人の幌馬車がこっちに向かって走って来るのが見えた。

「御者がいない……このままだと曲がりきれない」

 いち早く反応したロランドが無人の幌馬車に向かって走っていく。

「……まさか、あれに坊ちゃんを乗せたんじゃ……」

 カレルが独り言のようにつぶやいたのを、デニスは聞き逃がさなかった。

「おいっ、じゃあアンドレイはあの馬車の中にいるのかっ⁉」

 早く止めないと、急カーブで止まりきれず岩壁にぶつかって馬車が大破してしまう。

「——誰か、助けてーっ!」

 幌の中からアンドレイが顔を出して、叫んでいるではないか。

「アンドレイッ!」

 我が主の姿を確認すると、デニスは暴走する幌馬車に向かって走っていく。先に走り出していたロランドが、御者台に飛び乗っているのが見えた。

「早く、馬を止めろっ!」

 瞬く間に追ってきたデニスの横を通り抜け、急カーブへと近付いていく馬車に向かって叫ぶ。

(間に合ってくれっ……)

 デニスは祈る気持ちで、走りゆく馬車を見つめた。

 ギギギギイィィィ……。
 馬の嘶きとともに、車輪の急停止した音が響く。

「止まったかっ……?」

 馬車が止まったのを確認して、デニスは急いで来た道を引き返す。

 アンドレイがヨロヨロと荷馬車から降りてデニスを探しだし、こちらを振り返り叫んだ。
 自分は助かったというのに、アンドレイの顔はまだ恐怖に彩られている。

「デニス、レネが……レネを助けてっ!」

 アンドレイが泣き叫びながらデニスに訴える。

(まさか、あいつが一人で……)

『アンドレイを裏切るなよ』

 昨夜、自分の言った言葉が、デニスの脳裏をよぎる。

(まさか……)

 考える間もなく、走り出した。
 デニスはちょうど馬車に向かっていたので、レネがいるであろう場所もそう離れていない。
 すぐにその現場へとたどり着く。

(——なんだ……これは⁉)

 想像もしていなかった状況に、デニスは息を飲む。
 そこには、傭兵であろう男たちが血を流して倒れていた。

 視線をずらした先には、カレルたちから聞いていたヨーゼフらしき男と……すさまじい殺気を纏った、美しい青年が対峙していた。

「……レネ」

 助けに来たはずのデニスが、二人の発するビリビリと肌を刺すような気迫に押され、身動きが取れなくなっていた。

(——次で決まる)

 二人の向かい合う姿を見た時、デニスの中の騎士の勘がそう告げていた。

 ヨーゼフが空気まで切れそうな重い一太刀を浴びせると、レネは攻撃を紙一重で躱し、その動力を活かしたままひらりと身を翻し素早く攻撃に転じる。
 レネの攻撃を剣の腹で受けると、ヨーゼフは鍔迫り合いの状態で身体を前に押し出し、体重を乗せて相手を押し倒そうとする。

 すかさずレネは斜めに身体をずらし、勢い余ったヨーゼフに足払いをかけて地面に倒した。
 うつ伏せで倒れたヨーゼフの背中に乗り上げると、取り出したナイフを首筋に当て、躊躇なく首を掻っ切った。
 頸動脈から噴き出す血がレネの白い頬を濡らす。

 それはまるで、最初から動きを決められた演武のように、迷いのない美しい動きだった。

「——お前は、いったい何者だ?」

 デニスは思わず口にする。

 ヨーゼフの死体の上に膝立ちで乗り上げたまま、レネは顔だけを上げて黄緑色の目でデニスを見上げた。
 先ほどの殺気は嘘みたいに消えている。

「すいませんが、デニスさん……ちょっと肩を貸してもらえますか……」

 目を落とすと、レネの左脇腹から血が滴り膝の方まで赤く染まっていた。

「お前っ⁉」

 二人の殺気に圧倒されてレネがそんな状態にあるなど、まったく気づきもしなかった。

「流石に、傭兵相手だったので無傷じゃ済みませんでした……」

 レネは青白い顔を歪ませると、まるで他人事のように笑った。

「アンドレイが心配している。早く戻るぞっ!」

「あっ……」

 横抱きにレネを抱き上げると、デニスはアンドレイの待つ方へと急いで歩きだす。
 意外と重いのかと思いきや、見かけ通りの頼りない軽さで、デニスの心に不吉な影が射した。

(死なせてたまるかっ!)
 
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