菩提樹の猫

無一物

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1章 伯爵令息を護衛せよ

17 緊急事態

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◆◆◆◆◆

 村の外れにある農家の納屋で、ヨーゼフたちは再び集まっていた。

 男たちはそれぞれ、空き箱や用具の上に座って寛いでいる。
 ヨーゼフは、木箱の上へ座るボフミルに向かって声をかける。

「さっきここへ来る時に灰色の髪の男を見かけた。なんであいつがまだ一緒にいるんだ?」

「それが、ジェゼロの知り合いと行き違ってポリスタブに行ったので、このまま一緒に自分も行くと言ってました」

 目的地が一緒になるなんて、そんな都合のいい話があるかと思いながらも、ヨーゼフは月明りに光る妖しく美しい顔が、脳裏に焼き付いて離れなかった。
 姿を見た今ならば、ボフミルが執着するのも理解できた。

「明日は、ガキを始末してあの男も捕まえる」

 ヨーゼフの言葉を聞いて、ボフミルの顔が見る見るうちに明るくなった。

「お頭も、あれは高く売れると思ったでしょう?」

 ボフミルはいつもアンドレイたちの前で見せる人の好い笑みではなく、ニヤリと本性を表すようないやらしい笑みを浮かべる。

「ああ。想像以上だった」

 ヨーゼフは正直に答えた。

「おいおい、お頭が言うならよっぽどだな」

「男には興味ねーが、一度そのツラを拝んで見たいぜ」

 他の男たちも驚いたようにニヤニヤと顔を見合わせる。

「ガキだけ孤立させようにも、あんなに数がいると難しいな……」

 ヨーゼフはしばし思案する。
 あっち側も腕の立ちそうな男が三人いるとなれば、やはり数で攻めるしかないのかもしれない。

 ボフミルは目的の獲物を得るために、街道沿いの賊を金で雇って攫わせるので賊たちとは周知の仲だ。前回もボフミル経由で賊を雇って襲撃させた。
 今度はもう少し多めに集めさせて、襲わせよう。非戦闘員の息子とあの男は必ずどこかに逃げるはずだ。そこを自分たちが狙えば上手くいく。

「ボフミル、明日までに二十人くらい賊を集められるか?」

「そのくらいでしたら、なんとかなるでしょう」

 ヨーゼフは今までも、請け負った仕事をこなして生き残ってきた。だから今回もきっと上手くいくはずだ。

 
◆◆◆◆◆
 

 デニスとひと悶着あって部屋に戻ったのはいいが、目敏く首の傷をアンドレイに見つかり、なにがあったのかしつこく訊かれた。
 適当に話をごまかしたが「これ以上レネを傷付けないように」という子供っぽい理由で、デニスが止めるにも関わらず、アンドレイと一緒の布団で寝ることになった。

 同じ布団で寝ては、いざという時に動けないので、アンドレイを寝かしつけるとレネはそっと自分の寝床である長椅子の毛布に潜り込む。
 一連の行動を観察していたデニスからは「お前、本当に猫みたいだな……」と言われたが、猫を飼ったことのないレネはなにが猫っぽいのかさっぱり理解できなかった。
 

 一緒に行動しようと約束したわけではないので、朝からボフミルの姿はなかった。
 カレルとロランドを加えた五人で、ポリスタブに続く街道を北西に向かっていく。

 ここからが本番だ。
 襲ってくるならもう今日しかない。
 レネは改めて気を引き締め直した。

 ジェゼロからホスポダまでは高原になっていて、牧羊が盛んな土地だ。牧草地が広がる長閑な光景が広がっていたが、これから先は岩が切り立った険しい九十九折りの山道を、海に向かって下っていく。
 空を見上げると、カモメたちが飛び、かすかな潮の香りが鼻腔を駆け抜ける。

「うわー凄い、今までとぜんぜん景色が違うね。先の方に海も見える」

 アンドレイが感嘆する。すっかりいつもの調子が戻り元気になった証拠だ。
 

 レネは道の先に不穏な気配を感じた。

「——なにかいるかも」

 近くにいたロランドへ告げる。

「カレル気を付けろ!」

 ロランドが前方に向かって声を上げる。
 九十九折の急な曲がり角に差し掛かった時、向かい側から大勢の武装した男たちが襲ってきた。

「襲撃だ!」

 先に行っていたカレルが槍を構えて叫ぶ。
 デニスはすぐさま剣を抜くと、アンドレイを掴んでレネに渡す。

「お前たちは後ろに逃げろっ!」

 後ろに回り込まれたら危険だ、三人が敵と対峙している隙に、レネは急いでアンドレイの腕を掴んで走り出す。

 賊は全部で二十人くらいはいた。この前よりも数が多い。カレルとロランドの腕はリーパの中でもかなり上だから賊の相手だったら大丈夫だろうが、あの数でプロの傭兵まで混じっていたら厄介なことになる。

 レネは後ろ髪を引かれるような思いで来た道を戻ると、後ろからやってくる一台の幌馬車が目に入る。
 まだこの先で起きていることに気付いていない。このまま行くと巻き込まれてしまう。

「賊が出たぞっ、引き返せっ!」

 レネが大声で叫ぶと、幌馬車が停止し中から見知った顔が出て来た。

「アンドレイさん、レネさんッ、さあ、こっちに来て!」

 御者台からボフミルが顔を出すと、賊から逃れてきたレネたちに手を差し伸べる。

「ボフミルさんっ⁉」

 アンドレイが、助かったという顔をしてボフミルの方へ行こうとする。

「——待てっ、行くなっ!」

 ボフミルの手を取る前に、レネはアンドレイをひっぱって引き留める。

(クソっ……なんでこんな時にボフミルが出てくるんだっ)

「えっ……どうしてっ⁉」

 事情を知らないアンドレイは驚いた顔をしてレネを振り返る。

「あいつは敵だ、逃げるぞっ!」

 レネは混乱するアンドレイの腕を掴んだまま、幌馬車の横を通り過ぎようとした時——

「——おっと、逃がしゃあしないぜ、大人しくこっちに来てもらおうか」

 幌の後ろから剣を構えた男たちが立ちはだかる。

(挟まれたっ……最初からそのつもりだったのかっ)

 きな臭いなりゆきに御者は危険を察して、荷馬車を置いて逃げだしてしまった。
 レネは歯噛みすると、アンドレイを背中に隠し、改めて男たちを見遣った。

 全部で五人。そこら辺にたむろしている賊と違って、みな引き締まった体躯をしている。その中には、昨日すれ違ったヨーゼフもいた。

(クソッ……こっちが本体か)

 そうなるとデニスたちが対峙する賊よりも、いま目の前に対峙する男たちの方が何倍も厄介だ。

「また会ったな」

 ヨーゼフはそう言うと、感情のない空洞のような黒い目を細めて笑った。
 レネはこんな目をした男たちを何人も知っている。
 殺しを生業とする人間の目だ。

「凄げぇな、男でもここまでだと変な気になるな……」

 走った時にフードが落ちて露わになったレネの顔を見つめ、スキンヘッドの男が思わずつぶやく。

「だから言ったでしょ恐ろしく上玉だって」

 幌馬車の前方からレネたちの背後へと、ボフミルが間を詰めてくる。
 道の一方は岩壁、もう一方は崖になっている。整備された道以外には逃げようがない。

(アンドレイだけでも安全な場所にやらないとっ……)

 五人の男と比べ見るからに戦い慣れていないボフミルに、レネは振り向きざまに細い身体をバネのように使い、回し蹴りをお見舞いする。

「ぐおっ⁉」

 体重を乗せた重い蹴りを顎の下に食らったボフミルは、白目を剥いて仰向きに倒れた。
 続けざま、縦一列になっていた傭兵たちの一番前の男の喉を、腰のベルトに隠し持っていたナイフで掻き切った。声もなくこと切れた仲間を見て、傭兵たちは目を見合わせる。

「レネっ⁉ なんてことをっ!」

 庇護が必要だと思っていた人物のいきなりの凶行に、アンドレイは驚きの声を上げた。

「馬車の中に入って。振り落とされないように捕まってろ!」

 レネはアンドレイを引きずり幌馬車の前方に行くと、荷台の幌の中にその身体を押し込み、首から下げていた笛を力いっぱい吹く。

 ピィィィィィッ!
 これで気付くはずだ。

「行けっ!」

「レネっ……」

 御者台に残っていた鞭で馬の尻を叩くと、アンドレイを乗せた幌馬車は急発進して、賊と戦うデニスたちの方へと進んでいった。

「馬車が動き出した!」

 アンドレイが遠くへ離れていく。男たちが馬車に気をとられている隙に、レネは足元の死体から素早く剣を奪って構える。

 生け捕りにして金持ちに高値で売り付けてやろうとしていた獲物の思わぬ反撃に、傭兵たちは歯噛みした。

「——クソ野郎がッ……」

 しかし、細っそりとしたしなやかな身体と、猫のように蠱惑的な黄緑色の目は、血に飢えた傭兵たちの嗜虐心を刺激する。簡単に手折れそうな獲物に、いつの間にか仲間を殺された怒りが別のものに塗り替えられていた。

「けっ、少しおいたが過ぎたようだな」

「死んだ方がマシだと思うくらい嬲ってやる」

 目の前の美しい獲物が一瞬のうちにボフミルを気絶させ、仲間の首を掻き切ったことなど、男たちの頭の中からはすっかり抜け落ちていた。

 傭兵たちは徐々に間合いを詰め、レネに近付いて来る。
 もうさっきみたいな騙し討ちは使えない。
 レネは観念したかのように、傭兵たちと対峙した。
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