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1章 伯爵令息を護衛せよ
15 狐
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◆◆◆◆◆
北に広がる牧草地を眺めながら、一行は日の暮れにはなんとか小さな羊飼いの村——ホスポダ村に辿り着くことができた。
村に一軒しかない宿屋は二人部屋しか空いておらず、病み上がりのアンドレイとお付きのデニスが泊まることになり、レネ、カレル、ロランドの三人は農家の小屋で寝泊まりさせてもらうことになった。
ふだん使われていないせいか、少し小屋の中は埃っぽい。軒下に積んである薪は、持ち主から自由に使っていいと言われていたので遠慮なく火を焚くことにした。
山間の村はこの季節になると気温が下がり、すきま風の入ってくる小屋で一夜を過ごすのは少し寒いのではないかと思っていたが、暖炉の火とブランケットがあればじゅうぶん暖かい。
デニスに自分たちの正体を打ち明けているカレルとロランドは、交代でアンドレイの泊まる宿を見張ることにしたようだ。今はカレルが見張りに行っているので、小屋の中はロランドとレネの二人っきりだ。
「ボフミルの奴、知り合いの所に泊まるってうまいこと、抜けていきやがった」
ロランドは仲間内だけになると、優男の皮を脱ぎ捨て話し方も変える。顔から笑みが消えると、ツンとした地の顔が出てくる。同僚たちはロランドのことを『狐』と仇名で呼んでいた。『猫』と呼ばれるレネはロランドに少しだけシンパシーを感じている。猟犬ばかりのリーパの中では、二人はちょっと毛色が違っているのだ。
「やっぱりボフミルがスパイなの?」
レネは暖炉にもらってきた薪を入れ、昼食を包んでいた油紙を出して、火打石で火をつける。
「お前に、あいつが仲間内で話してた会話を聞かせてやりたかったな」
ロランドは楽しそうにニヤニヤ笑う。
「ヨーゼフとか言う奴の仲間だったの? でも、なんだよその顔……」
こんな風にこの男が笑う時はろくなことがない。
「あいつはたぶん人攫いだ。坊ちゃまの命なんかより、お前がいくらで売れるかであいつの頭の中はいっぱいだったぞ」
「なんだよ人攫いって……オレなんか攫ってどうするんだよ。そんなことよりヨーゼフって奴のこと、なんかわかった?」
デニスにも人攫いに気を付けろと言われて、またこの話だ。
「ボフミルはヨーゼフたちの仲間だ。昨日、船小屋で落ち合ってた」
「やっぱりスパイだったんだ」
やたらと自分たちのことを訊いてくるので怪しいと思ってた。
「あいつらは、俺とカレルが伯爵の付けた護衛なんじゃないかって薄々気付いてるようだ」
「オレは?」
自分も護衛と疑われていないのだろうかとレネは気になった。
「誰も疑ってないから、お前はそのまま坊ちゃまと離れず行動するんだ。ヨーゼフは坊ちゃまを孤立させろとボフミルに命じていた。俺たちがいたから今日は手が出せなかったが、明日なにか物理的に仕掛けてくるかもしれない」
「いったいどうやって?」
アンドレイはデニスとずっと一緒に行動している。そこを引き離すのは難しい。
「わからん。でも、ボフミルはお前も狙ってる。お前と坊ちゃまが二人っきりの時が、あいつにとっての狙い目だから気を付けろよ。なにかあったら笛で合図しろ。ちゃんと持ってるか?」
リーパの団員は、なにかあった時に遠くの仲間に合図できるよう、小さな笛を各自で持ち歩いていた。
「持ってきてる」
細々とした道具を入れたポーチから笛を取り出すと、レネはそれを首から下げた。いつもは任務中ずっと身に着けているのだが、今は本来休みだったのでロランドから言われるまですっかり笛の存在を忘れていた。
「なんでボフミルを好きなようにさせてるんだよ? ヨーゼフたちと一緒にいるところを、とっととやっつけた方がアンドレイも安全なのに……」
レネは歯痒さに唇を噛み締めた。
「お前もわかってるだろ? 町や村で騒ぎを起こしたら役人たちが黙っておかない。敵も俺たちも、役人のいない街道沿いでことを起こすしかできないんだよ。ボフミルは泳がせとくから、お前は坊ちゃまから絶対離れるな」
町や村を一歩出れば、そこは監視の目の届かない無法地帯になる。自分の身は自分で守るしかなかった。
命が惜しい旅人たちは、自己防衛するか護衛を雇うしかない。だからリーパのような護衛専門の傭兵団という商売が成り立つのだ。
「オレは今さら護衛だって言っても信じてもらえないからいいんだけど、なんでロランドたちはアンドレイに護衛だって黙ってるんだよ。知ってるのはデニスさんだけなんだろ?」
レネは前々から気になっていることを質問した。
「俺もそこを疑問に思ったから、昨日騎士殿に訊いてみた。坊ちゃまは反抗期で、伯爵の言うことにことごとく反発しているらしい。家の中でも継母と弟とも上手くいってないらしく、騎士殿以外の人間を信用していないみたいだ。だから、俺たちが伯爵の付けた護衛だとわかったら絶対一緒に行動しないだろうと言っていた」
「えっ……アンドレイってそんな子なの? 素直な良い子に見えるんだけどな……」
思いもよらないことを聞き、レネは驚く。
「そうか? お前もカレルに啖呵切ってたの見ただろ。今でもあの状態なのに、父親が付けた護衛だとバレたら大変なことになるな」
ロランドは溜息をつく。
「でもあれはカレルが挑発するからいけないんでしょ。自分が命を狙われてるのに護衛を拒絶したりするかな?」
レネはアンドレイがそこまで物わかりの悪い人間には思えなかった。
「お前は人を護るのがどれだけ大変かわかってるけど、坊ちゃまは自分の騎士が悪い奴を全部やっつけてくれると簡単に考えてる。この前だって自分が狙われてたのに、そこまで取り乱してなかったろ?」
「確かに……最初に会った時もデニスさんが四人殺してたけど、ぜんぜん動じてなかった。どこかに隠れていて、戦うところを見ていないのかも。この前もオレと藪の中に隠れてたし」
血生臭い様子を見ていないので、まだ現実味がわかないのかもしれない。
レネは、アンドレイよりも幼い時に目の前で両親を殺されたが、いまだにその時の悪夢にうなされる。
できることなら、アンドレイには血生臭い光景を見せたくなかった。このままなにも起こらず、ポリスタブまで行けたらいいのにと、レネは願わずにはいられない。
「——このまま無事に進めればいいのに……」
「ヨーゼフは元傭兵だ。請けた仕事は命を懸けて絶対最後までやり通す。お前もわかってるだろ。変な望みは捨てろ」
ロランドは冷たく言い放つと、小屋の隅に敷き詰められた藁の上にごろんと横になった。
辺りが夜の静けさに包まれたころ、小屋の扉がいきなり開いた。
「おい、お坊ちゃまがお呼びだぞ。俺たちの中にお前を一人置いておくのが心配だから、今夜は宿の部屋で寝ろだと」
カレルが不機嫌そうな声で小屋に入ってきた。
「え……なにそれ? 二人部屋じゃないの?」
なぜアンドレイは、そんなことを言い出した?
「お前、坊ちゃまをからかって怒らせたんだろ……」
そう言うとロランドは起き上がり、解いていたアッシュブロンドの髪を革紐で結ぶ。
「猫を抱いて寝たら暖かいだろうな~って言っただけだぞ。ほら交代だ、お前も一緒に行ってこい」
拗ねた子供みたいにプイとそっぽを向くと、カレルはロランドがさっきまで転がっていた場所で横になる。
カレルはどうしてそんな冗談を言ってアンドレイを怒らせるのだろうか。
「あんた、これ以上アンドレイに嫌われてどうするんだよ?」
「お前のことを心配するようにわざと言ったんだよ。なにが起こるかわからんからな、宿の外で見張っとくよりお前が部屋の中で一緒にいた方が安心だろ?」
「へえ、そんなことまで考えてやってたんだ」
意外な答えに、レネは素直に感心する。
「おい、騙されるな。こいつは坊ちゃんをおちょくって遊んでるだけだ。ほら、行くぞ」
ロランドはレネの肘を掴み、さっさと小屋を出て行こうとする。
「あっ、ちょっと待ってってば!」
自分の荷物を掴んで、レネは急いでロランドの後を付いて宿へと向かう。
北に広がる牧草地を眺めながら、一行は日の暮れにはなんとか小さな羊飼いの村——ホスポダ村に辿り着くことができた。
村に一軒しかない宿屋は二人部屋しか空いておらず、病み上がりのアンドレイとお付きのデニスが泊まることになり、レネ、カレル、ロランドの三人は農家の小屋で寝泊まりさせてもらうことになった。
ふだん使われていないせいか、少し小屋の中は埃っぽい。軒下に積んである薪は、持ち主から自由に使っていいと言われていたので遠慮なく火を焚くことにした。
山間の村はこの季節になると気温が下がり、すきま風の入ってくる小屋で一夜を過ごすのは少し寒いのではないかと思っていたが、暖炉の火とブランケットがあればじゅうぶん暖かい。
デニスに自分たちの正体を打ち明けているカレルとロランドは、交代でアンドレイの泊まる宿を見張ることにしたようだ。今はカレルが見張りに行っているので、小屋の中はロランドとレネの二人っきりだ。
「ボフミルの奴、知り合いの所に泊まるってうまいこと、抜けていきやがった」
ロランドは仲間内だけになると、優男の皮を脱ぎ捨て話し方も変える。顔から笑みが消えると、ツンとした地の顔が出てくる。同僚たちはロランドのことを『狐』と仇名で呼んでいた。『猫』と呼ばれるレネはロランドに少しだけシンパシーを感じている。猟犬ばかりのリーパの中では、二人はちょっと毛色が違っているのだ。
「やっぱりボフミルがスパイなの?」
レネは暖炉にもらってきた薪を入れ、昼食を包んでいた油紙を出して、火打石で火をつける。
「お前に、あいつが仲間内で話してた会話を聞かせてやりたかったな」
ロランドは楽しそうにニヤニヤ笑う。
「ヨーゼフとか言う奴の仲間だったの? でも、なんだよその顔……」
こんな風にこの男が笑う時はろくなことがない。
「あいつはたぶん人攫いだ。坊ちゃまの命なんかより、お前がいくらで売れるかであいつの頭の中はいっぱいだったぞ」
「なんだよ人攫いって……オレなんか攫ってどうするんだよ。そんなことよりヨーゼフって奴のこと、なんかわかった?」
デニスにも人攫いに気を付けろと言われて、またこの話だ。
「ボフミルはヨーゼフたちの仲間だ。昨日、船小屋で落ち合ってた」
「やっぱりスパイだったんだ」
やたらと自分たちのことを訊いてくるので怪しいと思ってた。
「あいつらは、俺とカレルが伯爵の付けた護衛なんじゃないかって薄々気付いてるようだ」
「オレは?」
自分も護衛と疑われていないのだろうかとレネは気になった。
「誰も疑ってないから、お前はそのまま坊ちゃまと離れず行動するんだ。ヨーゼフは坊ちゃまを孤立させろとボフミルに命じていた。俺たちがいたから今日は手が出せなかったが、明日なにか物理的に仕掛けてくるかもしれない」
「いったいどうやって?」
アンドレイはデニスとずっと一緒に行動している。そこを引き離すのは難しい。
「わからん。でも、ボフミルはお前も狙ってる。お前と坊ちゃまが二人っきりの時が、あいつにとっての狙い目だから気を付けろよ。なにかあったら笛で合図しろ。ちゃんと持ってるか?」
リーパの団員は、なにかあった時に遠くの仲間に合図できるよう、小さな笛を各自で持ち歩いていた。
「持ってきてる」
細々とした道具を入れたポーチから笛を取り出すと、レネはそれを首から下げた。いつもは任務中ずっと身に着けているのだが、今は本来休みだったのでロランドから言われるまですっかり笛の存在を忘れていた。
「なんでボフミルを好きなようにさせてるんだよ? ヨーゼフたちと一緒にいるところを、とっととやっつけた方がアンドレイも安全なのに……」
レネは歯痒さに唇を噛み締めた。
「お前もわかってるだろ? 町や村で騒ぎを起こしたら役人たちが黙っておかない。敵も俺たちも、役人のいない街道沿いでことを起こすしかできないんだよ。ボフミルは泳がせとくから、お前は坊ちゃまから絶対離れるな」
町や村を一歩出れば、そこは監視の目の届かない無法地帯になる。自分の身は自分で守るしかなかった。
命が惜しい旅人たちは、自己防衛するか護衛を雇うしかない。だからリーパのような護衛専門の傭兵団という商売が成り立つのだ。
「オレは今さら護衛だって言っても信じてもらえないからいいんだけど、なんでロランドたちはアンドレイに護衛だって黙ってるんだよ。知ってるのはデニスさんだけなんだろ?」
レネは前々から気になっていることを質問した。
「俺もそこを疑問に思ったから、昨日騎士殿に訊いてみた。坊ちゃまは反抗期で、伯爵の言うことにことごとく反発しているらしい。家の中でも継母と弟とも上手くいってないらしく、騎士殿以外の人間を信用していないみたいだ。だから、俺たちが伯爵の付けた護衛だとわかったら絶対一緒に行動しないだろうと言っていた」
「えっ……アンドレイってそんな子なの? 素直な良い子に見えるんだけどな……」
思いもよらないことを聞き、レネは驚く。
「そうか? お前もカレルに啖呵切ってたの見ただろ。今でもあの状態なのに、父親が付けた護衛だとバレたら大変なことになるな」
ロランドは溜息をつく。
「でもあれはカレルが挑発するからいけないんでしょ。自分が命を狙われてるのに護衛を拒絶したりするかな?」
レネはアンドレイがそこまで物わかりの悪い人間には思えなかった。
「お前は人を護るのがどれだけ大変かわかってるけど、坊ちゃまは自分の騎士が悪い奴を全部やっつけてくれると簡単に考えてる。この前だって自分が狙われてたのに、そこまで取り乱してなかったろ?」
「確かに……最初に会った時もデニスさんが四人殺してたけど、ぜんぜん動じてなかった。どこかに隠れていて、戦うところを見ていないのかも。この前もオレと藪の中に隠れてたし」
血生臭い様子を見ていないので、まだ現実味がわかないのかもしれない。
レネは、アンドレイよりも幼い時に目の前で両親を殺されたが、いまだにその時の悪夢にうなされる。
できることなら、アンドレイには血生臭い光景を見せたくなかった。このままなにも起こらず、ポリスタブまで行けたらいいのにと、レネは願わずにはいられない。
「——このまま無事に進めればいいのに……」
「ヨーゼフは元傭兵だ。請けた仕事は命を懸けて絶対最後までやり通す。お前もわかってるだろ。変な望みは捨てろ」
ロランドは冷たく言い放つと、小屋の隅に敷き詰められた藁の上にごろんと横になった。
辺りが夜の静けさに包まれたころ、小屋の扉がいきなり開いた。
「おい、お坊ちゃまがお呼びだぞ。俺たちの中にお前を一人置いておくのが心配だから、今夜は宿の部屋で寝ろだと」
カレルが不機嫌そうな声で小屋に入ってきた。
「え……なにそれ? 二人部屋じゃないの?」
なぜアンドレイは、そんなことを言い出した?
「お前、坊ちゃまをからかって怒らせたんだろ……」
そう言うとロランドは起き上がり、解いていたアッシュブロンドの髪を革紐で結ぶ。
「猫を抱いて寝たら暖かいだろうな~って言っただけだぞ。ほら交代だ、お前も一緒に行ってこい」
拗ねた子供みたいにプイとそっぽを向くと、カレルはロランドがさっきまで転がっていた場所で横になる。
カレルはどうしてそんな冗談を言ってアンドレイを怒らせるのだろうか。
「あんた、これ以上アンドレイに嫌われてどうするんだよ?」
「お前のことを心配するようにわざと言ったんだよ。なにが起こるかわからんからな、宿の外で見張っとくよりお前が部屋の中で一緒にいた方が安心だろ?」
「へえ、そんなことまで考えてやってたんだ」
意外な答えに、レネは素直に感心する。
「おい、騙されるな。こいつは坊ちゃんをおちょくって遊んでるだけだ。ほら、行くぞ」
ロランドはレネの肘を掴み、さっさと小屋を出て行こうとする。
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