彼の心配、彼女の事情

伊月千種

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彼女は何を隠しているのか

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 康正 こうせいが彼女の不審な動きを察知したのは付き合い始めて三か月ほど経った頃。

 きっかけは何だったか。確か彼女の金の使い方だ。

 持っているものも暮らしぶりも派手というわけではないし、給料だってそこそこの会社で働いている割に月末になると主食がもやしになっていることに気づいたとき。

 何か金のかかる趣味でもあるのかと思いきや、趣味は読書ときたもんだ。その割に部屋には数冊しか本がない上、デートで本屋に立ち寄ると一瞬消える時間はあるものの特に買い物をした様子もない。

 さらに彼女の部屋には二、三日前から約束をしていないと絶対に上がらせてもらえないし、金曜夜でも絶対に電話にもメールにも応じてくれないときがある。

 極めつけはたまたま見えてしまった彼女のスケジュール帳。やたら大きな赤文字で「魂参戦」と二日間にわたって書かれているのを見つけた時。

 試しにどちらかの日にデートの約束を取り付けようとしてみたら真顔で断られた。

 仕方なくその翌日にデートすると、やたら疲れた寝不足顔で現れた彼女。しかもデート中にも関わらず彼女のスマホにはひっきりなしに着信やら通知が。

 彼女が席を立ったとき、たまたまテーブルに置きっぱなしだった彼女のスマホの待ち受けに、友人らしき人物から「あのオーラスは神ってた」とか「チケツイまでして多ステしてマジ正解だったね」など暗号めいたメッセージが入っているのが見えた。

 一体彼女は何に参戦して何が神ってて何が正解だったのだろうか。

 本人に直接聞けば話は早いと思うものの、偶然とはいえ手帳もスマホも彼女に無断で見てしまっている。それが気まずくていまだに彼女には何も言えていない。


-----


「はい、今日もお疲れさん」

 カチンとジョッキを交わして苦くて美味い黄金色を喉に流し込む。ぶはっと息をついて、康正は目の前の枝豆に手を伸ばす。

「最近こっちに足伸ばすこと多いな?」

「こっちで新規が取れたからな。しばらくはフォローアップ」

 営業でたまに来る地元。今住んでいるところからも遠くはないので日帰りはできるのだが、一日の最後の営業先が地元の場合はいつも実家に泊まることにしている。

「ふーん。やり手営業マンは大変ですね」

 そしてそういう日には必ず地元で就職した幼馴染の久志と飲む。むしろ久志と飲むために実家に泊まっているという方が正しいかもしれない。

「で? 例の合コンで会った彼女は? どうよ?」

 久志がにやりと口の端を上げて話を向けてきたのに、康正は難しい顔で天井をにらんだ。

「うまく、いってる、けど?」

 たぶん、と言外に含ませる。

 表面上はうまくいっている。昨日だってデートした。翌日が金曜だけど仕事で会えないと話しても、彼女は満面の笑顔で「わかった」とだけ言っていた。

「そりゃ何よりだ。お前って昔から顔も頭もいいわりに女運がないというか、地雷女ばっかひっかけるから幼馴染として俺は心配で心配で……」

 大げさな身振りで仰々しく心配そうな顔をした久志は、次の瞬間には馴染みの居酒屋の女性店員に手を振っている。

「そっちは? 婚約中の彼女は?」

 軽くて手の早いこの幼馴染が婚約したと聞いた時にはあまりにも驚いて言葉が出なかった。この男は三十代後半になるまで遊び続けるものだと思っていたからだ。

 ところが実際には二十代半ばにして康正より先に結婚を考える相手に出会い、あっさりプロポーズ。地元の他の友人たちもこれには驚いていた。

「順調順調。今日は向こうも女子会だとかで電話してくんなってさ。俺の悪口大会でも開いてるんだろーな」

 言いながらも婚約者のことを語るときの顔は嬉しそうだ。その顔に、いい関係なんだな、と安心する。

「そういやお前ら付き合ってどれくらいだ? もう喧嘩した?」

 聞かれてとっさに首を振る。

「四か月かな。いや、そういやまだ喧嘩してないな。なんか向こうが割と冷静というか淡々としてるっていうか……」

 もともと一人で行動できる気質なのだろう。付き合い始めて間もないころ、康正の後輩のミスでとんでもなく忙しくなった時期があり、一週間ほどまともにメールさえできなかった時があったが彼女はまったく平気な顔をしていた。

 そういうところも康正の今までの彼女とは大違いだ。

「へー。でも早いうちに一回ぐらい喧嘩しといたほうがいいんじゃね? けっこう本性見えるし」

「んー。まあ……」
 
 そうは言われても今のところ喧嘩のきっかけになりそうなものは見当たらない。そう考えながら記憶を手繰り、康正はふと思いついた。

「あのさ、彼女と付き合ってて、なんか変だなとか様子がおかしいなって思ったことある?」

「浮気か?」

「いや、そういうんじゃなくて……」

 久志のぞっとするような切り替えしに康正は勢いよく頭を振る。

「なんていうか……。魂って何だと思う?」

「宗教にでも目覚めたのか? 大丈夫か?」

「違う!」

 どこまでもかみ合わない会話に声を荒げ乱暴に頭をかく。

 女性店員が「鶏皮のからあげでーす」とお皿を持ってきたところで康正は一度仕切り直しでビールジョッキに手を伸ばした。

「えーっと、彼女がさ、なんか俺に隠してるっぽいんだよ。で、スケジュール帳に『魂』とか書いてあったり友達からのメールで『オーラ』がどうとかって、一体何なんだって思ってるんだけど……」

 女性店員が去ったあと、自分の中で整理をつけながらそこまで話し、そこで久志の顔が引きつっていることに気が付いた。

「お前それ、スピリチュアル系女子じゃね? また新たな地雷女引いてねえ? 大丈夫か? マジで」

 スピリチュアル……。

 言われてもなんだかピンと来ない。様子がおかしいとは思っているものの、そういうオカルトめいた言動があるわけでもない。

「でも別に占いにも興味なさそうだし、そういう系の番組が好きって話も聞かないし……」

 デートで神社仏閣の前を通っても特に反応していない。そんなことを思い出していると、しかし久志は引き気味の顔のまま「いやいや」と話を遮った。

「スピリチュアル系って結構自分たちの分野というかフィールドにこだわってるから。俺が前付き合ってたスピリチュアル系もさ、最初は隠してたけどだんだん本性現してきて、別れる直前には行く先々で店内とかも関係なく粗塩撒くは聖水飛び散らすは、やたらデカくて重い石を悪い気を浄化してくれるから持っとけとか強要してきたり、俺が仕事で悩んでたら高野山での修行を勧めてきたり散々だったぞ」

「お前も結構な地雷女引いてるじゃねえか」

 たまらず突っ込んだ康正に、久志は「もともとの分母の数が違う」と応じる。

「まあしばらく付き合って、あんまり気になるようなら直接聞いてみろよ。そこでまだ隠されるようだったら相当なもん隠してるってことだな。そしたら徹底的に暴くか、もう目をつぶるか覚悟決めれば?」

 言われて「そうだな」とつぶやく。

 浮気とかでなく、常識を逸した行動がないのであれば何を隠されていても文句は言わないでおこう。心の中でそう決めて、康正はジョッキを空にした。


-----


「人通り多いな」

 居酒屋を出て二軒目に行くか決めかねながら通りを歩く。週末の飲み屋街とはいえ、普段は地元の人間しかいないような場所だ。それなのに今日はやけに若い女性が通りを賑わしている。

「あー、あれだよ。なんかアイドルのライブだって」

「あ、なるほど」

 康正が子供のころに建設された近くの多目的イベント会場はミュージシャンのコンサートなどで使用され、そういう時は普段は閑散とした街が若者であふれかえる。

 康正も高校生のころに友人との付き合いで海外ミュージシャンのコンサートに行ったことがあるが、それ以来その会場には近づいていない。

「アイドルねー。よくわかんねーな」

 康正にも好きなミュージシャンぐらいはいるが、それだってライブに行こうと思ったことはない。芸能関係に疎い康正には遠い世界だ。

「でもアイドルファンってかわいい子多いよな。みんな気合入れた格好でライブ行くし。ほら、あそこの集団もさ、レベル高い」

 久志が軽く指さした方向をなんとなしに見ると、やたら派手な装飾が付いたうちわを持った女性集団がこちらに向かって歩いてくる。

 確かに彼女たちの誰もがデートに行くような可愛い服を着て気合を入れている。テンションの高いその集団の横を通り過ぎるとき、なんとなしに見た一人に目を奪われ、康正は思わず立ち止まった。

「真奈……?」

 立ち止まって呼びかけた康正に、その女性集団の中の一人が振り返る。

「こう……せい……」

 星やハートが装飾された派手なうちわを持った長い髪の彼女が驚きの表情で口元に手をやる。彼女の綺麗に彩られた指先に康正の視線がいく。

 昨日のデートで彼女はネイルをしていたっけ?

 そんなどうでもいい疑問が頭をかすめ、よくわからないもやもやを抱いたまま康正はいつもとはテイストの違うファッションをした彼女を見つめた。
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