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 寒々しい暗闇の中で独りにされた令嬢は、普通怖がるだろう。
(完全に真っ暗闇ね…)
「ふふ」
(ここが黒真珠の君が消えた真相の場所)
「ふふふ、ふふ」
 アンネリザは、ただ喜んでいたが。
(でも、どうせなら灯りもくれた方が堪能でき…いや、違うか、ここは暗闇である事に意味があるのかもしれないわ。そうよ。考えてみればそんなに広い空間ではないわ。ここで灯りなんて自殺行為ね。つまり、黒真珠の君もきっと灯り無しでこの空間に居たのだわ! 堪能なさいってそういう事だったのね!)
 基本的に恋愛方面の感度が死んでいるアンネリザは、アヤメから妬心を向けられている事になど思い至らない。一応、好きも過ぎれば毒となる、というのは理解できるので、嫌がらせを含めた閉じ込めなのだろうとは解っている。だが、この状況を苦にしない自分にとっては完全なる好意だと捉えて問題無いと思っている節があった。嫌がらせをした人間にとって、された側が喜んでいたら嫌だろう、という意趣返しの思いも含んではいる。
 まずは空間の大きさを把握しようと手を伸ばしつつジリジリと足を広げてみた。
(奥に二歩、幅は…二歩より少し足りないから、長方形ね。天井は、爪先立って手を伸ばしても当たらないか)
 アンネリザは片方の靴を脱いでもう一度天井に向けて伸ばすが、当たらない。ひょいと跳んでみる。かつんと、靴の爪先が触れた。
(あまり高くはないのね)
 靴を履き直して、今度は手探りで壁を確認して回る。入ってきた側の壁は、積み上げられた石の並びとは違う上から下までを貫いた線があった。もっともどれほど押してもびくともしなかったが。
(外からしか動かないということかしら)
 続けて右の壁に手を伸ばし、ぺたぺたとあちこちを触って確認する。何もないので、更に右に移り、更に右へ移る。
「ん?」
 明らかに手触りの違う部分が有った。石ではなく鉄のようだ。
(取っ手かしら?)
 壁の左側、膝ほどの高さの位置に、指二本分ほどの幅で、アンネリザの手のひらほどの長さの鉄の板のようなものが石に埋まっていた。取っ手かと思ったが、鉄板は平で、表面に何か飾りのような彫金も施されていない、ぐっと押してみたりもするが、特に動く気配はなかった。
(何かの仕掛けかと思ったけど…)
 更に手探りを再開すると、今度は右側の膝あたりに鉄板を発見した。
(こっちには穴があるわね)
 左側と同じ大きさの鉄板の下の方には、親指よりも僅かに大きな穴が空いている。中に指を入れてみるが、空間があるだけのようだ。特に何かの装置があるわけでもない。
(でも、穴があるのだから何かしらの取っ手なのよねこれは…)
 穴に指を引っ掛けて、鉄板を引いてみる。さりっと擦れる音がした。
「動くわ!」
 喜々として更に力を加えると、鉄板は中央付近を軸に壁に垂直の角度まで回る。更に、右側の鉄板を動かしている時に、左側の鉄板付近から音がした。右側の鉄板がもう動かない所まで来たので、手探りで再び左の鉄板へ向かう。
「おぉ」
 おそらく回転して反転したのだろう。鉄板があった部分に半円状の取っ手が現れていた。
(ここに取っ手…取り合えず引っ張ってみれば良いかしら?)
 アンネリザは、とりあえず取っ手を握って前後左右に力を込めてみる。だが、取っ手そのものも動かないし、取っ手の付いた壁も動かない。
「んん?」
 しばらく考えてから、もう一度力を加える。次は、捻る動作だ。
「やった!」
 取っ手が直角に回転した。
(今、音がしたかしら?)
 回転したところで取っ手にも壁にも変化は見られない。だが、壁の向こうで音が鳴ったように思った。しばらく耳を澄ましていると、ざりざりと音を立てて壁が動き出し、中央を軸に直角に回転して、止まった。
「わぁ…」
 押し込まれた隠し扉でも、取っ手の付いた壁でもなく。取っ手の付いた壁に向かって座っていたアンネリザの背後の壁だ。
 しかも、開いた壁の向こうには、十歩分ほど床が続き奥に不思議な灯りが輝いていた。
 興奮でくらくらする頭でふらふらと立ち上がり、壁の先へ向かう。アンネリザが奥に辿り着く頃には回転して開いていた壁がまた閉じてしまったが、今は目の前の不思議に心が捕らわれており、他の事には気が回らなかった。
「綺麗…」
 一瞬、顔ほどに大きな水晶球のように見えた。だが、近付いて見れば、無数の面が有る多面体だと解る。そして、何より不思議なのは、その多面体の水晶の中で、青白い炎のような光が揺らめいている事だ。
(何かしら、これ、初めて見るわ。本でも見た事ない…あ、でも、確か炎を閉じ込める宝石の話なら読んだ事が有るわね。炎といえば、赤いものと思っていたから、赤い宝石を想像していたけど、もしかしてこれの事なのかしら)
 自分が今途轍もなく貴重な物を目にしていると解って、アンネリザはしばらく惚けて見つめていた。
「あ…」
 ふと冷静さが戻り、慌てて背後を振り返るが、壁は既に閉ざされている。コレトーの小言が耳に響いたような気がした。
(気のせいよ。気のせい)
 軽く頭を左右に振って、目の前の光る石へそっと手を伸ばす。近付いても熱くないので、爪先で触れてみた。
(熱くない…触ったからって何かも起きない…おぉ)
 アンネリザは触っても大丈夫だと解ると、その光る石を両手でそっと持ち上げる。が、下の支柱も一緒に動いた。持ち上げてみて、とても軽い事が解ったので、アンネリザはその支柱を掴んだ。松明の様に掲げながら、得意満面になって辺りを照らして回り、元来た壁に向かう。
 だが、開閉に関わりそうな装置は見当たらない。
(戻れないのかしら? まぁ、それならそれで仕方ないか…朝になれば誰か探してくれるでしょうし)
 この不思議な光る石を一晩堪能するのも悪くない、とアンネリザは暢気に考えていた。本当は少し不安に思っていたが、そこを掘り下げてしまうと一晩ずっと不安に過ごさねばならなくなるので、しないのだ。
「あら…?」
 光る石が置いてあった奥に戻ってくると、石が置かれていた場所の下の敷物に文字が刺繍されている事に気付いた。
(詩かしら? これ、古いものね…言葉遣いが随分厳めしいわ)
 濃紺の地に金糸で刺繍されているらしい文字を指で辿りながら呟く。
「刻は伝えよ 麗しの乙女に 風の光る中 神には告げよ そのまにまに 褪せる衣の紅を」
 古い詩には約束事が多い。それを知らないと意味が解らないのがほとんどだ。ただ、古い伝説や伝承が好きなアンネリザはそれなりにその約束事を知っている。
(恋の歌ね…ん?)
 文字を辿っていた指が、ふと布の下の段差に触れた。もしや、と思い捲れば、木製の蓋が有る。
(さすが建築王の館!)
 秘密の部屋から仕掛け扉を経て、不思議な道具の安置された部屋、そして、隠された何か。アンネリザはその蓋の端にある穴に指をかけ、勢い良く持ち上げた。そこには真下に向かって穴が空き、一辺の壁に沿って鉄製の梯子がある。松明もどきを穴に差し込んで、中の様子を照らすが、光の届く範囲に底は見えなかった。
(黒真珠の君の部屋は三階だから、長ければ三階分かしら。でも地下まで続いている可能性もあるわよね。ずっと梯子を降りるなら松明は手に持つのではなくてどこかに括りつけたいわね)
 アンネリザは、シャツにスカートという格好に厚手の襟付きガウンを羽織っている状態だ。既に秋は深まり、北の方では冬が顔をのぞかせ始めた頃なので、ガウンを脱ぐと結構寒い。アンネリザは悩みつつもガウンの前を開け、スカートの中に松明もどきの支柱を捩じ込む。足元は照らせないが、これで両手は空くし、下に降りても光源を確保できるという訳だ。
(さぁ行くわよ!)
 アンネリザは伊達で庭師のアンジェの側にくっついていた訳ではない。虫も蛇も平気で触れるし、脚立や梯子での上り下りもお手の物である。せっせと手足を動かして、アンネリザはおそらく三階分の梯子を下りた。
(幅と段数から言ってやっぱりここは一階ね。そして、右と左に扉があるのだけど…)
 アンネリザは、頭の中で必死に今自分がいる位置を予測しようとした。黒真珠の部屋は棟の三階の端だ。隠し扉があった壁から、十数歩分歩いて下へ。
(まぁ、どっちでもいいか)
 どちらも建物の中というぼんやりした感覚しか解らなかったため、アンネリザはとりあえず右の扉のドアノブに手をかけた。そっとノブを回すと、すんなりと扉は開く。小さな室内は、積み上げられた木箱が並んでいた。
(ここは…納戸かしら?)
 扉の前には何で荷物がないのだろうか、と完全に外に出て確認する。納戸側の扉は美しい絵画になっていた。
(扉が閉まったら開けられないわね…何か挟んで)
 側にあった箒を扉に挟み、納戸の中を確認する。埃っぽい空気ではあるが、放置されている感じではない。きちんと手入れされている場所だと解る。そして、きちんと手入れされている納戸ならば当然の事だが、扉には鍵がかかっていた。
(仕方ないわ。左側に期待しましょう)
 箒を元に戻して次は左側の扉を開ける。こちらもドアノブはすんなり回り、扉も問題なく開いた。
「ん?」
 納戸の隣ならば使用人室か再び納戸だろうかと考えていたのだが、そこには細い通路が続いている。扉から出ると、こちらのドアには外からもノブがある事を確認して、通路を歩き始めた。松明もどきを片手に通路を歩く。分かれ道はなく常に一本道ではあったが、右に左に、時に横を向かなくては通れない狭さになったりと、ひたすら続いた。
(今どのあたりかしら、全然解らないわ)
 暗闇に放り込まれてからアンネリザの体感では二時間ほど経っている。一時間以上は手探りで隠し部屋を探っていた時間だが、その時の疲労は松明もどき発見の興奮で吹き飛んだ。だが、細い通路を歩くうちにすっかり落ち着いてきてしまい、歩きながらも眠気に襲われていた。
 そのため、注意力が散漫になり、急に現れた足元の穴に片足が落ちる。
「っ! ………びっくりした…階段?」
 さすがのアンネリザの強心臓も、ドクドクと驚きを伝えてきた。
 そっと胸を押さえつつ、足下を照らして見ると、穴ではなく通路と直角方向に向かって下がっていく階段だった。松明もどきを突っ込んで目を凝らすと、十段ほどの長さのようだ。
 階段の先も気になる。だが、通路もまだ続いている。アンネリザは少し悩んだが、ひとまず通路を進む事にした。もっとも、数歩先の曲がり角で行き止まりになっており、階段以外に進む選択はなさそうだと解り、すぐに引き返したが。
 さすがに疲れた。そう思いつつも、まだ好奇心が勝っており、アンネリザは足元に注意しながら、階段を下りる。相変わらず人一人分の幅しかない細さで、十一段の急な階段を下りると、少々天井の低い通路が続いていた。
(私の身長で手が入るくらい…大半の男性は屈まないと通れないわね)
 真っ直ぐな一本道を重い足取りで、ぺたぺた歩くと、再び階段が現れた。
(ここで上りの階段はさすがに辛ぁい)
 ほんの十一段だが、腰掛けて休みつつ上ると、木の蓋が有る。構造からして押し上げなくてはならない。松明もどきを再びスカートに捻じ込み、両手を付けて思い切り押し上げる。
「あら?」
 木の蓋は想定外に軽かった。穴から少し遠くに飛んで行った木の蓋を意識しつつ、首を回すと、一間しかない小屋のようだ。簡易な寝台と丸い机と椅子が一脚。壁の棚にも打ち付けられた鋲にも何もない。
(庭師の小屋って感じだけど…使われてないのかしら。でも、使われてない割に綺麗よね。まるで今日荷物を全部出したみたいな………あ、裏の小屋!)
 アンネリザの入城にあたって飼われた三頭の山羊。その世話役が泊まっていた小屋は水仙の棟の裏にあった。
 実は、山羊はアンネリザが貰えることになったのだが、アケチ領まで連れて帰るのは大変なので、アリエーナに引き取ってもらう手はずで、今日の昼頃連れ出されたのだ。つまり小屋を使用する必要が無くなり、片されたのだろう。
(何だ、花の館の近くじゃない…駄目か)
 近くだと推理したが、残念ながら小屋には鍵がかかっていた。窓から外を見ても暗闇が広がっているだけで、よく解らない。
(まぁ、良いわ。朝になったら探されるでしょ。もう寝たいもの)
 アンネリザは寝台の下に松明もどきを転がし、寝台の上に倒れるように仰向けになって、あっと言う間にすやすやと眠りに就く。
 まさか、既に探されているとは思ってもみない、安らかな寝顔であった。
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