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完結おまけ:とある兄弟の夕食
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キョートウ国ジンナ王家の男には、カシオ、フラ、リーグ、という冠の名前が多い。これはそれぞれに意味があり、カシオならばは英邁な、フラならば壮健な、リーグならば勇猛な、という具合だ。そのため、身内からはこの接頭音を取った形で呼ばれることが多い。
「クラット」
だからリーグクラットもクラットと呼ばれている。
「兄上? いかがされました」
「うん。ここ最近、お前には随分世話になったからな、夜はうちの宮に来ないか? 酒を開けよう」
「良いんですか?」
「ああ。都合が合えば、お前のお相手も連れておいで」
「はい」
軍部に出る前にカシオニアに声をかけられ、喜んで頷いた。兄が酒を開けようというなら、恐らく所蔵している高級酒だ。味は二の次な量を飲んで酔うための酒も嫌いではないが、美味い酒は大好物である。
(お元気そうだ)
去っていくカシオニアの背をしばし見送って、リーグクラットは軍部への道を歩き始めた。
驚いた事に一年近く片思いをしていたらしいカシオニアは、先日シィレーナの介入によって主に精神的にボロボロになっていた。数日後には憑物が落ちたようにすっきりとした顔をしていて、上手くいったのだと聞いた時には心からの祝福を贈った。
それに何かと話を聞けば、隠密なのに未だにじたばたと逃げ続けるエータに比べ、きちんと話し合う姿勢だったという。
(見習って欲しいものだな)
エータからすれば、そっちがカシオニアを見習え、と言いたいところだろうが。読心術など会得していないので訴えようがなかった。
そんな訳で軍部での訓練を終え、何処に立ち寄るでもなく宮に帰ってきたリーグクラットは、食事の用意がされている広間へ入る前にエータを呼び出した。昼間の会話から、嫌々ながらも呼び出されると確信していたエータは隠密服ではなく下男服姿である。
扉の開いていた室内に入ると、すでに料理が運び込まれた机の傍にカシオニアが立っているのが見えた。
「せっかくだから俺の酒も持ってきた。一緒に出してくれ」
「そうか」
「承ります」
頷くカシオニアではなく、横から声をかけられて、リーグクラットは酒瓶を渡しながらまじまじとその人物を見つめた。この場に居る黒髪に緑の眼をした兄よりも小柄な男、つまり彼が元隠密で兄の運命の相手ということだ。
(天井裏に居たというエータも気配を感じた事はない…隠密というのは本当に面白いな)
殺意や敵意が無いせいという事もあるのだろうが、すぐ側に居るのに気配を感じないという特異な存在に、思わず笑う。
「クラット」
名前を呼ばれて視線を向けると、珍しく不機嫌そうな兄と目が合う。不思議に思いながら近付けば、小さくつぶやくような声がする。
「スイは駄目だぞ」
「………はい」
変われば変わるものだと思う。カシオニアは昔から、弟妹が我侭を言えば自分よりもそちらを優先させる質だった。
(誰かに渡したくないと思う程のものに出会っていなかったというのもあるのだろうな)
リーグクラットが渡した酒とグラスを運んでくる元隠密に向けるカシオニアの見たこともないような視線に、目を逸らしたいような気恥ずかしさと、だがそれを上回る微笑ましさが湧く。傍らで所在無げに佇むエータを促して座らせ、自分も着席する。
気取ることのないただの家族の夕食が始まった。
「悪かった」
「いや、俺も飲ませたからな…」
カシオニアの謝罪にリーグクラットも自分も謝る側だな、と頬を掻いて盃を干した。
どちらも美味いから飲んでみろと、エータに酒を飲ませた結果、彼は今長椅子で潰れている。
「スイ、だったか、あんたも面倒かけたな」
「いえ」
「クラット………スイは駄目だ」
「え?」
席に戻ってきたスイにも詫び、普通に返事が返ってきたが、思いがけないところから声をかけられ戸惑う。今のは口説いた訳でも何でもないし、手を出す気もないぞ、という思いでカシオニアを見返すと、気まずそうな顔をしていた。
「ヤナギとお呼び下さい」
「ヤナギ?」
「ええ」
当のスイから言われ、名前を呼んだのがまずかったのかと気付き、知らざる兄の独占欲の強さに驚くやら感心するやらだ。
「そういえば、聞きたかったんだが」
食事も終わり片付けにスイが離れた隙を見て兄に声をかける。
「隠密ってのは経験豊富なもんじゃないのか?」
「は?」
「閨事。どうも、風呂から逃げる猫みたいな反応ばかりされるんだが、隠密ってそんなんじゃないよなと思って」
「…ば、かかお前は、何をいって」
「え?」
カシオニアは怒りなのか羞恥なのか解らない表情で顔を赤くし、声は出せずに口をぱくぱくと動かしている。
(そうそう、こんな顔をされるんだよ)
何故兄がそういう反応なのかと思いながら見つめていると、がっくりと首を落としたカシオニアに退室を促された。
「彼を連れて今日はもう帰れ」
「はぁ…解りました」
リーグクラットは酔い潰れたエータを抱え、離宮へ戻った。
翌朝全裸でリーグクラットと寝台に寝ている状況に、頭痛を抱えたエータが再び全裸逃走を果たしたのは、まぁ、さもありなんな事態である。
□fin
「クラット」
だからリーグクラットもクラットと呼ばれている。
「兄上? いかがされました」
「うん。ここ最近、お前には随分世話になったからな、夜はうちの宮に来ないか? 酒を開けよう」
「良いんですか?」
「ああ。都合が合えば、お前のお相手も連れておいで」
「はい」
軍部に出る前にカシオニアに声をかけられ、喜んで頷いた。兄が酒を開けようというなら、恐らく所蔵している高級酒だ。味は二の次な量を飲んで酔うための酒も嫌いではないが、美味い酒は大好物である。
(お元気そうだ)
去っていくカシオニアの背をしばし見送って、リーグクラットは軍部への道を歩き始めた。
驚いた事に一年近く片思いをしていたらしいカシオニアは、先日シィレーナの介入によって主に精神的にボロボロになっていた。数日後には憑物が落ちたようにすっきりとした顔をしていて、上手くいったのだと聞いた時には心からの祝福を贈った。
それに何かと話を聞けば、隠密なのに未だにじたばたと逃げ続けるエータに比べ、きちんと話し合う姿勢だったという。
(見習って欲しいものだな)
エータからすれば、そっちがカシオニアを見習え、と言いたいところだろうが。読心術など会得していないので訴えようがなかった。
そんな訳で軍部での訓練を終え、何処に立ち寄るでもなく宮に帰ってきたリーグクラットは、食事の用意がされている広間へ入る前にエータを呼び出した。昼間の会話から、嫌々ながらも呼び出されると確信していたエータは隠密服ではなく下男服姿である。
扉の開いていた室内に入ると、すでに料理が運び込まれた机の傍にカシオニアが立っているのが見えた。
「せっかくだから俺の酒も持ってきた。一緒に出してくれ」
「そうか」
「承ります」
頷くカシオニアではなく、横から声をかけられて、リーグクラットは酒瓶を渡しながらまじまじとその人物を見つめた。この場に居る黒髪に緑の眼をした兄よりも小柄な男、つまり彼が元隠密で兄の運命の相手ということだ。
(天井裏に居たというエータも気配を感じた事はない…隠密というのは本当に面白いな)
殺意や敵意が無いせいという事もあるのだろうが、すぐ側に居るのに気配を感じないという特異な存在に、思わず笑う。
「クラット」
名前を呼ばれて視線を向けると、珍しく不機嫌そうな兄と目が合う。不思議に思いながら近付けば、小さくつぶやくような声がする。
「スイは駄目だぞ」
「………はい」
変われば変わるものだと思う。カシオニアは昔から、弟妹が我侭を言えば自分よりもそちらを優先させる質だった。
(誰かに渡したくないと思う程のものに出会っていなかったというのもあるのだろうな)
リーグクラットが渡した酒とグラスを運んでくる元隠密に向けるカシオニアの見たこともないような視線に、目を逸らしたいような気恥ずかしさと、だがそれを上回る微笑ましさが湧く。傍らで所在無げに佇むエータを促して座らせ、自分も着席する。
気取ることのないただの家族の夕食が始まった。
「悪かった」
「いや、俺も飲ませたからな…」
カシオニアの謝罪にリーグクラットも自分も謝る側だな、と頬を掻いて盃を干した。
どちらも美味いから飲んでみろと、エータに酒を飲ませた結果、彼は今長椅子で潰れている。
「スイ、だったか、あんたも面倒かけたな」
「いえ」
「クラット………スイは駄目だ」
「え?」
席に戻ってきたスイにも詫び、普通に返事が返ってきたが、思いがけないところから声をかけられ戸惑う。今のは口説いた訳でも何でもないし、手を出す気もないぞ、という思いでカシオニアを見返すと、気まずそうな顔をしていた。
「ヤナギとお呼び下さい」
「ヤナギ?」
「ええ」
当のスイから言われ、名前を呼んだのがまずかったのかと気付き、知らざる兄の独占欲の強さに驚くやら感心するやらだ。
「そういえば、聞きたかったんだが」
食事も終わり片付けにスイが離れた隙を見て兄に声をかける。
「隠密ってのは経験豊富なもんじゃないのか?」
「は?」
「閨事。どうも、風呂から逃げる猫みたいな反応ばかりされるんだが、隠密ってそんなんじゃないよなと思って」
「…ば、かかお前は、何をいって」
「え?」
カシオニアは怒りなのか羞恥なのか解らない表情で顔を赤くし、声は出せずに口をぱくぱくと動かしている。
(そうそう、こんな顔をされるんだよ)
何故兄がそういう反応なのかと思いながら見つめていると、がっくりと首を落としたカシオニアに退室を促された。
「彼を連れて今日はもう帰れ」
「はぁ…解りました」
リーグクラットは酔い潰れたエータを抱え、離宮へ戻った。
翌朝全裸でリーグクラットと寝台に寝ている状況に、頭痛を抱えたエータが再び全裸逃走を果たしたのは、まぁ、さもありなんな事態である。
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※完結済にした後も読んでいただいてありがとうございます。
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