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第三章:そんなの聞いてないっ!
2.街娘ミネルヴァ
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ギリットの家は、街の一部地域ではよくある造りの小ぶりなものだった。
家に入ってすぐが竈のある台所とダイニングが一体になった石敷空間で、ミネルヴァが座って居るのもこのダイニングにあるテーブルと椅子だ。ギリットが居たという一階の奥には板の間があり、彼はデザイン画などを描く作業室にしている。あとは、二階という名の屋根裏に寝室がある。ちなみに、ミネルヴァが向かおうとしていた裏手は存在せず、庭のように見えるのは裏手の家の敷地である。
仮に食事を外食で賄ったとしても、お湯を沸かす釜か薬缶くらいあった方が良いだろうし、それに伴う器具も要るだろう。考えれば必要そうなものはいくらでもありそうで、引越し祝いをと口に出したが、工房の人員からもあれこれと譲ってくれることになっているらしく、気を遣わなくても良いと言われてしまった。
(私にできることって何かないのかしら)
そう思いつつも楽しく会話をしていると、突然玄関の扉がドンッドンッと大きな音を立てる。ミネルヴァは肩をすくめて驚いたのだが、ギリットは振り向いて、今開けると声を張り上げるだけだ。
(あ、ノック…なの?)
ミネルヴァの中でノックと認識するには難しい、扉の下が蹴り飛ばされているような音だったのだが、どうやら本当にただのノックであったらしい。扉を開けたギリットがそのまま会話を始めた。
「助かった。運び込むのは、後で俺がやるから」
「何言ってんだよ。こんな量だぜ? そのために来たんだから遠慮すんなよ。ほら」
「あ、いや遠慮じゃなくてな」
「おい、もう良いからそこ退いてくれよ。腕がしびれる」
「いや、だから」
「あーはいはいそういうのはべ………グリッツのお嬢、様?」
ギリットを押し退けるようにして、入ってきた少年二人は、質素な椅子に腰掛けた、お忍び姿のミネルヴァを見て固まる。傷の目立つ湯釜がその手から滑り落ちて、ガコンッと床にぶつかった。
(工房の子達ね)
ミネルヴァは暢気にそう考えていたが、少年二人にとっては怪物に遭遇したくらいの衝撃である。だらだらと冷や汗をかいてギリットの腕を引き扉の外に連れ出すと、どういう事だと詰問していた。扉が閉まっていないのでミネルヴァにも全て聞こえていたが。
お嬢様が居るなんて聞いてない、こんな何もない場所でお嬢様に失礼だろう、そんな言葉がちらほらと聞こえてくる。ミネルヴァが、そろそろと揉めている集団に近付くと、通りに年季の入った生活用品が積まれた荷車があるのが目に入った。
(ああ、工房の人からの譲りもの)
つまり、これから引越し作業もとい、荷物搬入が始まるということだろう。
「リット。あの、私邪魔になるようならもう…」
帰りましょうか、と続けるはずだったのだが、言葉はすっと立ち上がった少年達によって止められた。
「お嬢様、どうぞそのまま」
「今、お茶なり、ご用意いたしますので」
「でも」
「大丈夫です」
「ご心配なく」
笑顔でミネルヴァを椅子へ戻した少年達は、ギリットに湯釜を渡して竈でお湯を沸かすように言い、荷台からポットやカップを探して、取り出し始める。
ギリットはミネルヴァに肩を竦めてみせると、竈でお湯を沸かし始めた。もっとも、置かれていた薪で果たしてお湯が沸くのに足りるのかは謎だったが。
少年達は外で、ギリットは内で、それぞれに動いているので、なんだか所在無い気持ちで、ミネルヴァはギリットに声をかける。
「何か、手伝いましょうか?」
「ん? ああ、じゃあちょっと火を見ててくれ。奥から薪になりそうな物をとってくるから」
「解ったわ」
役割ができたぞ、と嬉しそうにしながらミネルヴァは竈の前にしゃがみこむ。湯釜の底を舐めるようにちろちろと弱火が燃えていた。
(…お湯が沸くどころか、今にも消えちゃいそうね)
薪と呼ぶには細い木が火に当たるように、火かき棒でつついていると、背後から怯えたような声が聞こえる。
「え!」
「お嬢様!」
振り返ると、無事にポットやカップを探し出せたらしい少年達が顔を青くして立っていた。
「すみませんっ!」
「ギリットのやつどこに…」
「代わります。火の番なんてオレ…私がやりますので!」
「あ、気にしないで。その、ここにはお嬢様は居ないから」
「え?」
「はい?」
慌てふためく少年達に、ミネルヴァは自分は公爵令嬢ではなく街娘だと笑って説明してみせる。
戸惑う少年達の顔色はあまり変わらなかったが、街娘として振舞う事が要望なら聞き入れるのが正しい対応なのでは、という疑問を抱かせる事には成功した。
結果、火の番をするミネルヴァの後ろで、少年達はテーブルの用意を始める。本当にこれで良いのか、という疑問は拭えず、楽しげに首を揺らしているミネルヴァの後ろ姿にちらちらと視線を投げかけることは止められなかったが。
奥から出てきたギリットが、射殺さんばかりの視線を少年達から投げかけられるが、予想していた彼はシカトする。楽しそうに火はちゃんと燃えていると報告してくるミネルヴァに笑顔で礼を言って、奥からもってきた薪と木製のゴミを竈に投げ入れた。
家に入ってすぐが竈のある台所とダイニングが一体になった石敷空間で、ミネルヴァが座って居るのもこのダイニングにあるテーブルと椅子だ。ギリットが居たという一階の奥には板の間があり、彼はデザイン画などを描く作業室にしている。あとは、二階という名の屋根裏に寝室がある。ちなみに、ミネルヴァが向かおうとしていた裏手は存在せず、庭のように見えるのは裏手の家の敷地である。
仮に食事を外食で賄ったとしても、お湯を沸かす釜か薬缶くらいあった方が良いだろうし、それに伴う器具も要るだろう。考えれば必要そうなものはいくらでもありそうで、引越し祝いをと口に出したが、工房の人員からもあれこれと譲ってくれることになっているらしく、気を遣わなくても良いと言われてしまった。
(私にできることって何かないのかしら)
そう思いつつも楽しく会話をしていると、突然玄関の扉がドンッドンッと大きな音を立てる。ミネルヴァは肩をすくめて驚いたのだが、ギリットは振り向いて、今開けると声を張り上げるだけだ。
(あ、ノック…なの?)
ミネルヴァの中でノックと認識するには難しい、扉の下が蹴り飛ばされているような音だったのだが、どうやら本当にただのノックであったらしい。扉を開けたギリットがそのまま会話を始めた。
「助かった。運び込むのは、後で俺がやるから」
「何言ってんだよ。こんな量だぜ? そのために来たんだから遠慮すんなよ。ほら」
「あ、いや遠慮じゃなくてな」
「おい、もう良いからそこ退いてくれよ。腕がしびれる」
「いや、だから」
「あーはいはいそういうのはべ………グリッツのお嬢、様?」
ギリットを押し退けるようにして、入ってきた少年二人は、質素な椅子に腰掛けた、お忍び姿のミネルヴァを見て固まる。傷の目立つ湯釜がその手から滑り落ちて、ガコンッと床にぶつかった。
(工房の子達ね)
ミネルヴァは暢気にそう考えていたが、少年二人にとっては怪物に遭遇したくらいの衝撃である。だらだらと冷や汗をかいてギリットの腕を引き扉の外に連れ出すと、どういう事だと詰問していた。扉が閉まっていないのでミネルヴァにも全て聞こえていたが。
お嬢様が居るなんて聞いてない、こんな何もない場所でお嬢様に失礼だろう、そんな言葉がちらほらと聞こえてくる。ミネルヴァが、そろそろと揉めている集団に近付くと、通りに年季の入った生活用品が積まれた荷車があるのが目に入った。
(ああ、工房の人からの譲りもの)
つまり、これから引越し作業もとい、荷物搬入が始まるということだろう。
「リット。あの、私邪魔になるようならもう…」
帰りましょうか、と続けるはずだったのだが、言葉はすっと立ち上がった少年達によって止められた。
「お嬢様、どうぞそのまま」
「今、お茶なり、ご用意いたしますので」
「でも」
「大丈夫です」
「ご心配なく」
笑顔でミネルヴァを椅子へ戻した少年達は、ギリットに湯釜を渡して竈でお湯を沸かすように言い、荷台からポットやカップを探して、取り出し始める。
ギリットはミネルヴァに肩を竦めてみせると、竈でお湯を沸かし始めた。もっとも、置かれていた薪で果たしてお湯が沸くのに足りるのかは謎だったが。
少年達は外で、ギリットは内で、それぞれに動いているので、なんだか所在無い気持ちで、ミネルヴァはギリットに声をかける。
「何か、手伝いましょうか?」
「ん? ああ、じゃあちょっと火を見ててくれ。奥から薪になりそうな物をとってくるから」
「解ったわ」
役割ができたぞ、と嬉しそうにしながらミネルヴァは竈の前にしゃがみこむ。湯釜の底を舐めるようにちろちろと弱火が燃えていた。
(…お湯が沸くどころか、今にも消えちゃいそうね)
薪と呼ぶには細い木が火に当たるように、火かき棒でつついていると、背後から怯えたような声が聞こえる。
「え!」
「お嬢様!」
振り返ると、無事にポットやカップを探し出せたらしい少年達が顔を青くして立っていた。
「すみませんっ!」
「ギリットのやつどこに…」
「代わります。火の番なんてオレ…私がやりますので!」
「あ、気にしないで。その、ここにはお嬢様は居ないから」
「え?」
「はい?」
慌てふためく少年達に、ミネルヴァは自分は公爵令嬢ではなく街娘だと笑って説明してみせる。
戸惑う少年達の顔色はあまり変わらなかったが、街娘として振舞う事が要望なら聞き入れるのが正しい対応なのでは、という疑問を抱かせる事には成功した。
結果、火の番をするミネルヴァの後ろで、少年達はテーブルの用意を始める。本当にこれで良いのか、という疑問は拭えず、楽しげに首を揺らしているミネルヴァの後ろ姿にちらちらと視線を投げかけることは止められなかったが。
奥から出てきたギリットが、射殺さんばかりの視線を少年達から投げかけられるが、予想していた彼はシカトする。楽しそうに火はちゃんと燃えていると報告してくるミネルヴァに笑顔で礼を言って、奥からもってきた薪と木製のゴミを竈に投げ入れた。
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