花交わし

nionea

文字の大きさ
上 下
26 / 35

26.山薔薇の色

しおりを挟む
 ずいぶんと重くなった荷車をひとまず、店壁沿いに止め、声をかける。
「赤さん」
「やぁ。いらっしゃい白さん」
「店前に荷車を止めといて良いか?」
「買い物の間だろ、構わんよ。で、今日は何合、おや、新顔さんだね…困った」
「?」
 自分の顔を見て首を傾げる女将に、貴冬は何を困らせているのか変わらず同じように首を傾げた。
「黒さんはもういるんだよね」
 女将の回答は更に貴冬の疑問を深める。
「氷冴尾と同じ長屋の者で貴冬というが」
「じゃあ冬さんだね。ん? 同じ長屋、冬…ああ。黒さんに聞いてるよお前さんがそうかい」
「木柴の事だ」
「ああ」
 黒さんが誰なのかが解らないために、延々続くかに思われた貴冬の疑問が氷冴尾の囁きでようやく晴れた。
「それで、今日は何合だい?」
「いや、俵で一つだ」
「おや、そりゃありがたいね」
 その後は、値段交渉に入ったので氷冴尾は一歩引いて見守った。
 結局、まだ古米というほどではないが、これから新米の出始める時期のために売れ残りそうだった一俵を買ってくれるのなら勉強しようという話になり、当初の予定よりも安く買えたらしい。
 別段声高に負けろと主張するでもないのに、よく下がるものだと感心しつつ、貴冬が支払いをしている間にさっさと俵を運び出す。
「氷冴尾。代わるから中に、女将が呼んでいる」
 元々開けておいた位置に載せるため、紐を外していると、貴冬が出てきて言った。
「ああ」
 答えて後を任せて店内に戻ると、
「あ、悪いね白さん。別に大したこっちゃないんだが」
 そう言いながら側に来いと手招きされた。
「なんだ?」
 近付いて、更に身を屈めて小柄な女将の口元に耳を寄せる。
「祝言は挙げないのかい?」
「…は?」
「黒さんから聞いてるよ。冬さんだろ? 白さんを追っかけてきたって」
「ああ…違うんだよ。あいつはそういうのじゃない」
「ん?」
「黒さんの思い違いだ」
 氷冴尾は溜息を吐いて、話がそれだけならもう行くな、と店を出ていく。
 数度瞬きをして、後を追うように表に出た女将は、
「またご贔屓にぃ」
と、定型的な挨拶をしつつ二人を見送った。
 車を引く氷冴尾を、後ろから荷を支えて押しつつ貴冬が見つめている。
(やっぱ白さん…どうもおぼこやなぁ)
 あんなに隠しもせずに熱を込めた視線を向けられているのに、いったい何が違うのだろうか。思い違いをしているのは確実に木柴ではなく氷冴尾の方だろう。
(ありゃ、黒さんの言う通り相当苦労するんじゃないかね冬さん)
 女将は、始終氷冴尾の方に意識の向いていた貴冬の態度を思い返すと、何やら可哀想にさえ思えた。二人の事は、今日会った印象以外全て木柴から聞いた話でしか知らない。だが、話半分くらいに考えていた話が、存外的を射ていたのだと理解した。
(実際見たとこ悪い男でなし。白さんの方も勘違いはしてそうだが好いちゃいそうだし。白さんをあのまんまにしとくくらいなら冬さんとくっついた方が良いような気もするしねぇ…ここは婆ぁが出張って、っても、あたしもあんまり色恋にゃ向いてないからねぇ、下手につついて藪蛇なんて事になっちまっても困るやね)
 とりあえず、貴冬の思いが氷冴尾に曲がって通じているらしい事くらいは木柴を通して伝えようかと決めた。のだが、今日、長屋単位で米を潤沢に買っていった結果、木柴が次に訪れたのは、職場の独り身を伴って来た十五日後だった。
 一方。
 女将がそんな事を考えているとは全く考えていない氷冴尾は、ぽつぽつと会話をしながらの帰路に少し苛立っていた。
(いつまで、ここにいるつもりなんだ)
 突然現れて、いつの間にか淡々と生活基盤を整えて、まるでずっとここに居るように見える。だが、そうやって貴冬が有能さを示す度に、犬狼の里の事が頭を過ぎるのだ。
 族長の傍流という血筋に、実務能力。そもそも、氷冴尾の世話役になっていたのも、上にも下にも信頼され、意見をまとめる能力がある事を買われていたからだろう。そして、そうした立場の者を氷冴尾は犬狼の里で貴冬以外に会っていない。
(戻らない訳にもいかないだろうに)
 はじめは、自分がまともに暮らせているのを確認すれば、帰るものだと思っていた。だから、必要以上には関わらないようにして、楽しく生活しているのだと示せばいい、そう決めて動いた。だが、貴冬はそんな氷冴尾を見て安堵したように笑いはしたが、帰りはしなかった。それでも、気が済めば帰るだろう、と思ってそのままにしていた。
 そして、日が過ぎ、月が過ぎようとしている。
(俺が言えばいいのか…)
 長屋に着いた。荷を下ろしたり精算をしている喧騒に紛れて、自身の部屋に入った氷冴尾は、戸に背を預けながら溜息を吐いた。
 犬狼の里にいた頃よりも一緒にいる時間は減っているはずなのに、丹野にいる間の方が貴冬の事を知る機会が多い。そうでなくとも、氷冴尾は彼に好意しか感じていなかった。今は、自分でも好きなのだろうと理解している。だからこそ、行き着くのだ。
(俺とは違う、里を放り出せるわけがない)
 何度目か解らないが、いっそ追って来ないでくれれば、言わないでいてくれれば、と考えて、自分勝手な思考に嫌気が差す。
「はぁ…」
 もう何度目かも解らない溜息を吐き、考えるのも動くのも億劫になって、足を洗ってさっさと寝てしまおうと上がり框に腰を下ろした。裸足の足を洗い桶に入れたところで、木戸の向こうから声をかけられる。
「氷冴尾。開けて良いか」
 長屋でわざわざこんな声を掛けるのは隣の千寿恵と貴冬くらいである。氷冴尾も、千寿恵がそうするので隣の木戸を叩く事はあるが、木柴の家など無言で木戸を引くのがほとんどだ。まぁ、そもそも夏場の間は大概の家が木戸を開けたままにしていたせいという事もあるが。
「…おう」
 本当は、開けるなと言いたい気もしたが、それでも口は肯定の返事をしていた。特に視線も向けずに足を洗う作業を続けていると、木戸を開け入ってくる足音がする。もっとも、足音は一歩入った所で止まり、木戸を閉める音を最後に、無音となった。
「?」
 足を洗い終えて手拭いを片手に顔を上げれば、立ったままの貴冬が顔を真左に向けていた。昨夜使っただけの竈には、特に目をひくものがあるとは思えない。
「米ならその棚に置いといてくれ」
「え? ああ解った」
 てっきり貴冬が手に持っている麻袋の件だと思って答えたが、反応が鈍い。傍らに手拭いを置いて、様子を伺ってみるが、氷冴尾には他に要件があるようには思えなかった。
「なぁ」
 棚前の貴冬に声をかければ、弾かれたように振り返る。
「鋏あるか?」
「鋏?」
「ああ」
 髪を切るやつだというのを伝えるつもりで、氷冴尾は自身の髪をつまみ上げる。
「切るのか?」
 僅かに眉を寄せて、貴冬が惜しいという顔をする。
「いい加減潮時だと思ってな」
 氷冴尾の『潮時』という言葉に、貴冬は肝がひやりとした。髪だけの事を言っているのではないと感じたからだ。
「前も言ったけど、上手くいかないとかお互い様だし。俺だっていつまでも気にしてない。もう今は楽しくやってる」
「ああ」
「いつまで丹野に居るつもりだ?」
 身構える間もなく氷冴尾の問いかけが続いた。
「…いつ」
 貴冬は、自分の顔がゆがむのを抑えられなかった。
「そう、だな…」
 とはいえ、決めていた事はある。断られれば丹野を出る、という事だ。氷冴尾の方が出て行く事だけは避けたいのだ。ここで楽しそうに生活しているのを、邪魔したい訳ではない。
 材木の販路は既に確立している。元々貴冬が担ったのは最初の窓口であって、虎猫の里だけでももう何の問題も無く取引できるだろう。今担っている仕事も、誰か代わりが居ないというほどのものではない。出ていこうと思えば多少の迷惑はかけるだろうが、問題というほどのものは無い。
「俺が、いらないと言うなら、何時でも」
 出て行くから、氷冴尾は残れ、と言いかけた言葉は声にならなかった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

ニケの宿

水無月
BL
危険地帯の山の中。数少ない安全エリアで宿を営む赤犬族の犬耳幼子は、吹雪の中で白い青年を拾う。それは滅んだはずの種族「人族」で。 しっかり者のわんことあまり役に立たない青年。それでも青年は幼子の孤独をゆるやかに埋めてくれた。 異なる種族同士の、共同生活。 ※本作はちいさい子と青年のほんのりストーリが軸なので、過激な描写は控えています。バトルシーンが多めなので(矛盾)怪我をしている描写もあります。苦手な方はご注意ください。 『BL短編』の方に、この作品のキャラクターの挿絵を投稿してあります。自作です。

小学生のゲーム攻略相談にのっていたつもりだったのに、小学生じゃなく異世界の王子さま(イケメン)でした(涙)

九重
BL
大学院修了の年になったが就職できない今どきの学生 坂上 由(ゆう) 男 24歳。 半引きこもり状態となりネットに逃げた彼が見つけたのは【よろず相談サイト】という相談サイトだった。 そこで出会ったアディという小学生? の相談に乗っている間に、由はとんでもない状態に引きずり込まれていく。 これは、知らない間に異世界の国家育成にかかわり、あげく異世界に召喚され、そこで様々な国家の問題に突っ込みたくない足を突っ込み、思いもよらぬ『好意』を得てしまった男の奮闘記である。 注:主人公は女の子が大好きです。それが苦手な方はバックしてください。 *ずいぶん前に、他サイトで公開していた作品の再掲載です。(当時のタイトル「よろず相談サイト」)

女神の間違いで落とされた、乙女ゲームの世界でオレは愛を手に入れる。

にのまえ
BL
 バイト帰り、事故現場の近くを通ったオレは見知らぬ場所と女神に出会った。その女神は間違いだと気付かずオレを異世界へと落とす。  オレが落ちた異世界は、改変された獣人の世界が主体の乙女ゲーム。  獣人?  ウサギ族?   性別がオメガ?  訳のわからない異世界。  いきなり森に落とされ、さまよった。  はじめは、こんな世界に落としやがって! と女神を恨んでいたが。  この異世界でオレは。  熊クマ食堂のシンギとマヤ。  調合屋のサロンナばあさん。  公爵令嬢で、この世界に転生したロッサお嬢。  運命の番、フォルテに出会えた。  お読みいただきありがとうございます。  タイトル変更いたしまして。  改稿した物語に変更いたしました。

龍神様の神使

石動なつめ
BL
顔にある花の痣のせいで、忌み子として疎まれて育った雪花は、ある日父から龍神の生贄となるように命じられる。 しかし当の龍神は雪花を喰らおうとせず「うちで働け」と連れ帰ってくれる事となった。 そこで雪花は彼の神使である蛇の妖・立待と出会う。彼から優しく接される内に雪花の心の傷は癒えて行き、お互いにだんだんと惹かれ合うのだが――。 ※少々際どいかな、という内容・描写のある話につきましては、タイトルに「*」をつけております。

秘花~王太子の秘密と宿命の皇女~

めぐみ
BL
☆俺はお前を何度も抱き、俺なしではいられぬ淫らな身体にする。宿命という名の数奇な運命に翻弄される王子達☆ ―俺はそなたを玩具だと思ったことはなかった。ただ、そなたの身体は俺のものだ。俺はそなたを何度でも抱き、俺なしではいられないような淫らな身体にする。抱き潰すくらいに抱けば、そなたもあの宦官のことなど思い出しもしなくなる。― モンゴル大帝国の皇帝を祖父に持ちモンゴル帝国直系の皇女を生母として生まれた彼は、生まれながらの高麗の王太子だった。 だが、そんな王太子の運命を激変させる出来事が起こった。 そう、あの「秘密」が表に出るまでは。

【完結】極貧イケメン学生は体を売らない。【番外編あります】

紫紺
BL
貧乏学生をスパダリが救済!?代償は『恋人のフリ』だった。 相模原涼(さがみはらりょう)は法学部の大学2年生。 超がつく貧乏学生なのに、突然居酒屋のバイトをクビになってしまった。 失意に沈む涼の前に現れたのは、ブランドスーツに身を包んだイケメン、大手法律事務所の副所長 城南晄矢(じょうなんみつや)。 彼は涼にバイトしないかと誘うのだが……。 ※番外編を公開しました(10/21) 生活に追われて恋とは無縁の極貧イケメンの涼と、何もかもに恵まれた晄矢のラブコメBL。二人の気持ちはどっちに向いていくのか。 ※本作品中の公判、判例、事件等は全て架空のものです。完全なフィクションであり、参考にした事件等もございません。拙い表現や現実との乖離はどうぞご容赦ください。 ※4月18日、完結しました。ありがとうございました。

【完結】運命さんこんにちは、さようなら

ハリネズミ
BL
Ωである神楽 咲(かぐら さき)は『運命』と出会ったが、知らない間に番になっていたのは別の人物、影山 燐(かげやま りん)だった。 とある誤解から思うように優しくできない燐と、番=家族だと考え、家族が欲しかったことから簡単に受け入れてしまったマイペースな咲とのちぐはぐでピュアなラブストーリー。 ========== 完結しました。ありがとうございました。

小悪魔系世界征服計画 ~ちょっと美少年に生まれただけだと思っていたら、異世界の救世主でした~

朱童章絵
BL
「僕はリスでもウサギでもないし、ましてやプリンセスなんかじゃ絶対にない!」 普通よりちょっと可愛くて、人に好かれやすいという以外、まったく普通の男子高校生・瑠佳(ルカ)には、秘密がある。小さな頃からずっと、別な世界で日々を送り、成長していく夢を見続けているのだ。 史上最強の呼び声も高い、大魔法使いである祖母・ベリンダ。 その弟子であり、物腰柔らか、ルカのトラウマを刺激しまくる、超絶美形・ユージーン。 外見も内面も、強くて男らしくて頼りになる、寡黙で優しい、薬屋の跡取り・ジェイク。 いつも笑顔で温厚だけど、ルカ以外にまったく価値を見出さない、ヤンデレ系神父・ネイト。 領主の息子なのに気さくで誠実、親友のイケメン貴公子・フィンレー。 彼らの過剰なスキンシップに狼狽えながらも、ルカは日々を楽しく過ごしていたが、ある時を境に、現実世界での急激な体力の衰えを感じ始める。夢から覚めるたびに強まる倦怠感に加えて、祖母や仲間達の言動にも不可解な点が。更には魔王の復活も重なって、瑠佳は次第に世界全体に疑問を感じるようになっていく。 やがて現実の自分の不調の原因が夢にあるのではないかと考えた瑠佳は、「夢の世界」そのものを否定するようになるが――。 無自覚小悪魔ちゃん、総受系愛され主人公による、保護者同伴RPG(?)。 (この作品は、小説家になろう、カクヨムにも掲載しています)

処理中です...