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泡沫
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甘く、温もりにあふれた夢を見ていた気がした。
先程まで柔らかい日差しに当てられていた布団に包まれているような心地よい抱擁感。いつまでもその優しさに抱かれていたいという願いは到底かなうことなく、グラグラと揺れ続ける車輪が石ころを跳ね上げた衝撃で目が覚めた。
「……まだ夜か」
薄く開いた瞼からは温もりを目の当たりにすることは叶わず、出発時と大差ない曇天が続いていた。幌に取り付けられた、もとい開けられた窓から風景を確認してみるも、出発地点からそう遠く離れていない森林地帯の真っただ中のようだ。
目的地の到着は確か翌日の昼頃。景色から察するにまだ日を越したばかりだろうと当たりを決め再度眠ろうとするが、これをまた道端の砂利が妨げる。
舗装されていない道を使用している以上多少の凸凹があることは否めないが、それに加えていかにも年季が入ってますと言わんばかりの古びた馬車は、幾度もぎぃぎぃと不穏な悲鳴を啼き続けている。他の乗客らもその不安定さに皆寝顔を歪ませていたが、このご時世銭と快適性は天秤にかけるべくもなく、致し方なしと睡魔に身をゆだねていた。
かくいう自分自身も、『先祖返り』以降言って程度の銭を常備したことはなく、いつ野垂れ死んでもおかしくない状態が続いていた。そんな中いくら低クオリティとはいえでも少なくない馬車代を出して移動しているのかというと、この辺りで武装したゴブリンらが観測されたという噂が数日前からまことしやかに囁かれており、銭を惜しんで単身無防備に移動するよりもこうして国家からのお墨付きをもらった馬車を利用した方が、後ろから従軍している傭兵らよって守ってもらえるのである。
出発直後の頃はまだ道が均されていたためにある程度の揺れは許容できたが、ここまで来てしまっては当分寝ることもできないだろうと諦め、ポケットから古びた紙切れを取り出す。
「……おい坊主、それ『先祖返り』前の地図じゃねぇか。そんなの参考にもならないぞ」
「んなことは分かって……、おっさん大丈夫か?」
現在地を確かめようと地図を広げたところで、不思議がるような男の声が隣からかかった。あまりにも無遠慮なその物言いに一言文句を言ってやろうと、その隣人に視線を向けるも目に飛び込んできたその無残な姿に圧倒された。
男の体にはいたるところに包帯が巻き付けられていた。頭部に左目、わき腹に太もも、包帯のない部位にも大きくはないにしてもいくつも傷があるのかいたるところに血が滲んでおり、全身に羽織っている黒の外套にも赤黒く染まっていた。その姿にはまさに満身創痍といった言葉が適切で、息遣いもどこか荒く感じられる。
「おっさんってお前、俺はこれでもまだ20後半だぞ。まぁ、いささか死にかけではあるがな」
そういって快活に笑う男だったが、傷に障ったのか「いだだだだだだ!!」と腹を抱えて悶絶する。目元こそ心配させまいと笑っているようではあったが、その口元からは苦悶の表情が滲み出ている。
「おいおいあんたほんとに大丈夫――」
あまりの苦しみように手を差し出そうとしたところで、またもやガタンッと馬車が大きくはねたかと思うと、馬の雄たけびと荷物が転げ落ちたかのような音が荷台の前後から響き、馬車が停止した。
「……え?」
「……坊主、荷台から出るな。いいな?」
別に何かが見えたわけではない。ただ馬車が小石を跳ね上げて、馬がそれに驚き、御者と傭兵が転げ落ちただけとも考えられる。むしろその可能性の方が大いに考えられる。そうであってほしいとも思う。ただ、それでも、心の奥底でざわつくものが確かにあった。隣の男も同じように、いや、それ以上に感じ取っていた。自分たちを取り巻く危機的状況に。
そして思い知る。この世において、『先祖返り』の起きたこの世界において、安全なんてものはもうどこにも存在しないことを。
「なぁ! しっかりしろよおい!」
傭兵の仲間らしき男の声が後方から響き渡った。その震えた声に感化され脈拍が高まっていくのを、鼓膜からいやがおうにも感じてしまう。先ほどまでは肌寒くしか思っていなかった夜風が極寒の土地の冷気のように体温を急速に奪っていった。
今現在自分は死地に立たされているのだと本能による警告を受け止めながらも、なぜか僕の体は荷台の後方にある出入り口へと動き出していた。
「おいバカよせ! ――ぐッ‼」
よろよろと動き出した僕を引き留めようとした男は、拍子に全身に走った苦痛に身もだえした。そんな様子も視界に入っているにも関わらず、僕の体は出入口へと向かい、そこから荷台後方の傭兵らに声をかけた。
「あの、大丈夫ですか?」
「馬鹿野郎! 出てくるんじゃね――」
荷台の入り口から乗り出してきた僕に気づき、傭兵が怒号をもって引き返そうとしたその時、視界の隅で何かが投げ出された。
おそらくは未知の両端にある森林、その草むらから飛び出したそれは、そのまままっすぐ道を横断し、そして着弾。
途端、僕の視界いっぱいに赤黒い火花が咲き誇った。
「――ぎぃッ」
どさりと目の前にいた傭兵が地に倒れ伏した。その横には、先ほど馬車から落とされたのであろうもう一人の傭兵も横たわっている。頭部に石斧が突き刺さった状態で。
それと同時にがさりと草木の揺れる音が横の茂みから響いた。
それまでにどんどんとその音量を上昇させていた鼓動が、まるで周りの人間にその状況を知らしめるかのように、一回りも二回りも大きな大音量で、鳴り響いた。見てはいけないものが、あってはいけないものがそこにあると分かり切っているのに、首を横に向けることを拒むことができなかった。
どんな闇をも飲み込んでしまえそうな鬱蒼と生い茂った森林の暗闇の中に、揺れ動くいくつもの影を、僕の目は見逃さなかった。そして、その中の一人が先ほど傭兵らに突き刺さっていたのと同じような石斧を振りかぶっていることにも。
先程まで柔らかい日差しに当てられていた布団に包まれているような心地よい抱擁感。いつまでもその優しさに抱かれていたいという願いは到底かなうことなく、グラグラと揺れ続ける車輪が石ころを跳ね上げた衝撃で目が覚めた。
「……まだ夜か」
薄く開いた瞼からは温もりを目の当たりにすることは叶わず、出発時と大差ない曇天が続いていた。幌に取り付けられた、もとい開けられた窓から風景を確認してみるも、出発地点からそう遠く離れていない森林地帯の真っただ中のようだ。
目的地の到着は確か翌日の昼頃。景色から察するにまだ日を越したばかりだろうと当たりを決め再度眠ろうとするが、これをまた道端の砂利が妨げる。
舗装されていない道を使用している以上多少の凸凹があることは否めないが、それに加えていかにも年季が入ってますと言わんばかりの古びた馬車は、幾度もぎぃぎぃと不穏な悲鳴を啼き続けている。他の乗客らもその不安定さに皆寝顔を歪ませていたが、このご時世銭と快適性は天秤にかけるべくもなく、致し方なしと睡魔に身をゆだねていた。
かくいう自分自身も、『先祖返り』以降言って程度の銭を常備したことはなく、いつ野垂れ死んでもおかしくない状態が続いていた。そんな中いくら低クオリティとはいえでも少なくない馬車代を出して移動しているのかというと、この辺りで武装したゴブリンらが観測されたという噂が数日前からまことしやかに囁かれており、銭を惜しんで単身無防備に移動するよりもこうして国家からのお墨付きをもらった馬車を利用した方が、後ろから従軍している傭兵らよって守ってもらえるのである。
出発直後の頃はまだ道が均されていたためにある程度の揺れは許容できたが、ここまで来てしまっては当分寝ることもできないだろうと諦め、ポケットから古びた紙切れを取り出す。
「……おい坊主、それ『先祖返り』前の地図じゃねぇか。そんなの参考にもならないぞ」
「んなことは分かって……、おっさん大丈夫か?」
現在地を確かめようと地図を広げたところで、不思議がるような男の声が隣からかかった。あまりにも無遠慮なその物言いに一言文句を言ってやろうと、その隣人に視線を向けるも目に飛び込んできたその無残な姿に圧倒された。
男の体にはいたるところに包帯が巻き付けられていた。頭部に左目、わき腹に太もも、包帯のない部位にも大きくはないにしてもいくつも傷があるのかいたるところに血が滲んでおり、全身に羽織っている黒の外套にも赤黒く染まっていた。その姿にはまさに満身創痍といった言葉が適切で、息遣いもどこか荒く感じられる。
「おっさんってお前、俺はこれでもまだ20後半だぞ。まぁ、いささか死にかけではあるがな」
そういって快活に笑う男だったが、傷に障ったのか「いだだだだだだ!!」と腹を抱えて悶絶する。目元こそ心配させまいと笑っているようではあったが、その口元からは苦悶の表情が滲み出ている。
「おいおいあんたほんとに大丈夫――」
あまりの苦しみように手を差し出そうとしたところで、またもやガタンッと馬車が大きくはねたかと思うと、馬の雄たけびと荷物が転げ落ちたかのような音が荷台の前後から響き、馬車が停止した。
「……え?」
「……坊主、荷台から出るな。いいな?」
別に何かが見えたわけではない。ただ馬車が小石を跳ね上げて、馬がそれに驚き、御者と傭兵が転げ落ちただけとも考えられる。むしろその可能性の方が大いに考えられる。そうであってほしいとも思う。ただ、それでも、心の奥底でざわつくものが確かにあった。隣の男も同じように、いや、それ以上に感じ取っていた。自分たちを取り巻く危機的状況に。
そして思い知る。この世において、『先祖返り』の起きたこの世界において、安全なんてものはもうどこにも存在しないことを。
「なぁ! しっかりしろよおい!」
傭兵の仲間らしき男の声が後方から響き渡った。その震えた声に感化され脈拍が高まっていくのを、鼓膜からいやがおうにも感じてしまう。先ほどまでは肌寒くしか思っていなかった夜風が極寒の土地の冷気のように体温を急速に奪っていった。
今現在自分は死地に立たされているのだと本能による警告を受け止めながらも、なぜか僕の体は荷台の後方にある出入り口へと動き出していた。
「おいバカよせ! ――ぐッ‼」
よろよろと動き出した僕を引き留めようとした男は、拍子に全身に走った苦痛に身もだえした。そんな様子も視界に入っているにも関わらず、僕の体は出入口へと向かい、そこから荷台後方の傭兵らに声をかけた。
「あの、大丈夫ですか?」
「馬鹿野郎! 出てくるんじゃね――」
荷台の入り口から乗り出してきた僕に気づき、傭兵が怒号をもって引き返そうとしたその時、視界の隅で何かが投げ出された。
おそらくは未知の両端にある森林、その草むらから飛び出したそれは、そのまままっすぐ道を横断し、そして着弾。
途端、僕の視界いっぱいに赤黒い火花が咲き誇った。
「――ぎぃッ」
どさりと目の前にいた傭兵が地に倒れ伏した。その横には、先ほど馬車から落とされたのであろうもう一人の傭兵も横たわっている。頭部に石斧が突き刺さった状態で。
それと同時にがさりと草木の揺れる音が横の茂みから響いた。
それまでにどんどんとその音量を上昇させていた鼓動が、まるで周りの人間にその状況を知らしめるかのように、一回りも二回りも大きな大音量で、鳴り響いた。見てはいけないものが、あってはいけないものがそこにあると分かり切っているのに、首を横に向けることを拒むことができなかった。
どんな闇をも飲み込んでしまえそうな鬱蒼と生い茂った森林の暗闇の中に、揺れ動くいくつもの影を、僕の目は見逃さなかった。そして、その中の一人が先ほど傭兵らに突き刺さっていたのと同じような石斧を振りかぶっていることにも。
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