24 / 37
16限目 一方、その頃……(前編)
しおりを挟む
「はあ~。やっと終わった……」
俺は机に突っ伏した。
周りには筆記用具、研修で渡された教本や資料が広げられている。
不意にシャラシャラと耳障りな音が聞こえた。
何事かと思ったら、研修の教官が朝からずっと下がっていたブラインドを上げる音だ。
外は真っ暗である。
時間はすでに19時を回っていた。
俺は今、新任教員研修を受けるため、県内にある研修施設にいる。
施設には、研修室や会議室はもちろん、宿泊施設、食堂、小規模な図書室もあって、泊まりがけの研修をするための諸々が揃っていた。
周りは山で、市街からも遠い。
コンビニも30分以上歩かなければならないほどの秘境だ。
ここでみっちりしごかれてこい、ということらしい。
本日の研修は『スクールコンプライアンス』だ。
一口にいうとそれまでだが、内容自体は多岐に渡る。
「教員の飲酒運転による事故」の例から始まり、「個人情報の管理・漏洩」「校費の横領」「生徒への体罰とセクシャル・ハラスメント」「虐待の通報義務違反」etcetc。
事例や先輩教員の経験を交えて話を聞く。
午前は座学講義があり、午後からは県内外の学校から集まった新任教員と一緒に、座学で学んだことに対する改善と課題について話し合い、最終的に発表する班別分科会が行われる。
予定は朝から晩までびっしり。
午前中の座学までは、こんな楽な研修ならいつまでも受けていたいと思ったものだが、思いの外ずっと椅子に座っているのも、なかなか辛い。
学校では授業中ずっと立っているのが辛いと思っていたが、やれ生徒側として座ってみると、それはそれで苦労があることに気付く。
1コマ1時間近く、子どもをずっと座らせている方が、よっぽど虐待ではないかと思う。
他の新任教員たちも疲れ切った顔をしていた。
きっと俺と同じことを思っていることだろう。
「玄蕃先生」
溌剌とした声に俺は顔を上げた。
ふんわりとしたボリュームのあるショートカット。
ややつり上がった瞳は鋭く、厚めルージュの唇には、どこか自信を窺わせた。
グレーのリクルートスーツがパリッと決めていて、教員というよりはやり手の保険外交員を思わせる。
同じ班のまとめ役を担った吉永美由紀先生である。
「お疲れ様でした」
声がはっきりしている。
口調にも、顔にも全く疲れを感じさせない。
班の中で積極的に発言し、最後には発表役まで担っていながら、いまだ溌剌としている。
今から朝から同じ講義を受けても、たとえ剣林弾雨の中でも、この人ならきっと立っていられそうな気がした。
「お疲れ様でした、吉永先生。ははっ……。元気ですね」
「それは鍛えてますから!」
ふん、という風に肘を90度に曲げて力を入れる。
残念ながら、その美しく鍛え上げられた筋肉は、リクルートスーツの袖に阻まれ、おめにかかることはできなかった。
「発表、素晴らしかったですよ」
「いえいえ。玄蕃先生が作った原稿も良かったですよ」
「も」か。
自分のことは否定しないのね。
まあ、自信があるのはいいことだ。
ちょっと俺にも分けてほしい。
「とってもまとまっていました。わかりやすかったし」
「ありがとうございます」
昔から原稿とか資料を作るのは、何故か得意だった。
文学部の友人が「小説家にでもなれば」と勧めるほどだ。
まさかその才能が、新任教員の研修で発揮されるとは思わなかったが……。
ぐぐっ……。
小さく腹音が鳴る。
1日目の研修が終わって、ようやく緊張が解けたのだろう。
我が胃袋はいきなり抗議の声を上げた。
ぷっと横で吉永先生が噴き出す。
どうやら聞かれてしまったらしい。
「面目ない」
照れ笑いを浮かべる。
「夕食にしましょうか? 腹が減っては戦はできぬと言いますしね」
と吉永先生は言う。
さすがは現国担当の先生だけはある。
でも、戦ってなんだ?
この人がいう戦場はどこにあるのだろうか?
(※ 後編に続く)
俺は机に突っ伏した。
周りには筆記用具、研修で渡された教本や資料が広げられている。
不意にシャラシャラと耳障りな音が聞こえた。
何事かと思ったら、研修の教官が朝からずっと下がっていたブラインドを上げる音だ。
外は真っ暗である。
時間はすでに19時を回っていた。
俺は今、新任教員研修を受けるため、県内にある研修施設にいる。
施設には、研修室や会議室はもちろん、宿泊施設、食堂、小規模な図書室もあって、泊まりがけの研修をするための諸々が揃っていた。
周りは山で、市街からも遠い。
コンビニも30分以上歩かなければならないほどの秘境だ。
ここでみっちりしごかれてこい、ということらしい。
本日の研修は『スクールコンプライアンス』だ。
一口にいうとそれまでだが、内容自体は多岐に渡る。
「教員の飲酒運転による事故」の例から始まり、「個人情報の管理・漏洩」「校費の横領」「生徒への体罰とセクシャル・ハラスメント」「虐待の通報義務違反」etcetc。
事例や先輩教員の経験を交えて話を聞く。
午前は座学講義があり、午後からは県内外の学校から集まった新任教員と一緒に、座学で学んだことに対する改善と課題について話し合い、最終的に発表する班別分科会が行われる。
予定は朝から晩までびっしり。
午前中の座学までは、こんな楽な研修ならいつまでも受けていたいと思ったものだが、思いの外ずっと椅子に座っているのも、なかなか辛い。
学校では授業中ずっと立っているのが辛いと思っていたが、やれ生徒側として座ってみると、それはそれで苦労があることに気付く。
1コマ1時間近く、子どもをずっと座らせている方が、よっぽど虐待ではないかと思う。
他の新任教員たちも疲れ切った顔をしていた。
きっと俺と同じことを思っていることだろう。
「玄蕃先生」
溌剌とした声に俺は顔を上げた。
ふんわりとしたボリュームのあるショートカット。
ややつり上がった瞳は鋭く、厚めルージュの唇には、どこか自信を窺わせた。
グレーのリクルートスーツがパリッと決めていて、教員というよりはやり手の保険外交員を思わせる。
同じ班のまとめ役を担った吉永美由紀先生である。
「お疲れ様でした」
声がはっきりしている。
口調にも、顔にも全く疲れを感じさせない。
班の中で積極的に発言し、最後には発表役まで担っていながら、いまだ溌剌としている。
今から朝から同じ講義を受けても、たとえ剣林弾雨の中でも、この人ならきっと立っていられそうな気がした。
「お疲れ様でした、吉永先生。ははっ……。元気ですね」
「それは鍛えてますから!」
ふん、という風に肘を90度に曲げて力を入れる。
残念ながら、その美しく鍛え上げられた筋肉は、リクルートスーツの袖に阻まれ、おめにかかることはできなかった。
「発表、素晴らしかったですよ」
「いえいえ。玄蕃先生が作った原稿も良かったですよ」
「も」か。
自分のことは否定しないのね。
まあ、自信があるのはいいことだ。
ちょっと俺にも分けてほしい。
「とってもまとまっていました。わかりやすかったし」
「ありがとうございます」
昔から原稿とか資料を作るのは、何故か得意だった。
文学部の友人が「小説家にでもなれば」と勧めるほどだ。
まさかその才能が、新任教員の研修で発揮されるとは思わなかったが……。
ぐぐっ……。
小さく腹音が鳴る。
1日目の研修が終わって、ようやく緊張が解けたのだろう。
我が胃袋はいきなり抗議の声を上げた。
ぷっと横で吉永先生が噴き出す。
どうやら聞かれてしまったらしい。
「面目ない」
照れ笑いを浮かべる。
「夕食にしましょうか? 腹が減っては戦はできぬと言いますしね」
と吉永先生は言う。
さすがは現国担当の先生だけはある。
でも、戦ってなんだ?
この人がいう戦場はどこにあるのだろうか?
(※ 後編に続く)
0
お気に入りに追加
116
あなたにおすすめの小説
校長室のソファの染みを知っていますか?
フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。
しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。
座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る
なりゆきで、君の体を調教中
星野しずく
恋愛
教師を目指す真が、ひょんなことからメイド喫茶で働く現役女子高生の優菜の特異体質を治す羽目に。毎夜行われるマッサージに悶える優菜と、自分の理性と戦う真面目な真の葛藤の日々が続く。やがて二人の心境には、徐々に変化が訪れ…。
マイナー18禁乙女ゲームのヒロインになりました
東 万里央(あずま まりお)
恋愛
十六歳になったその日の朝、私は鏡の前で思い出した。この世界はなんちゃってルネサンス時代を舞台とした、18禁乙女ゲーム「愛欲のボルジア」だと言うことに……。私はそのヒロイン・ルクレツィアに転生していたのだ。
攻略対象のイケメンは五人。ヤンデレ鬼畜兄貴のチェーザレに男の娘のジョバンニ。フェロモン侍従のペドロに影の薄いアルフォンソ。大穴の変人両刀のレオナルド……。ハハッ、ロクなヤツがいやしねえ! こうなれば修道女ルートを目指してやる!
そんな感じで涙目で爆走するルクレツィアたんのお話し。
幼なじみとセックスごっこを始めて、10年がたった。
スタジオ.T
青春
幼なじみの鞠川春姫(まりかわはるひめ)は、学校内でも屈指の美少女だ。
そんな春姫と俺は、毎週水曜日にセックスごっこをする約束をしている。
ゆるいイチャラブ、そしてエッチなラブストーリー。
蘇生魔法を授かった僕は戦闘不能の前衛(♀)を何度も復活させる
フルーツパフェ
大衆娯楽
転移した異世界で唯一、蘇生魔法を授かった僕。
一緒にパーティーを組めば絶対に死ぬ(死んだままになる)ことがない。
そんな口コミがいつの間にか広まって、同じく異世界転移した同業者(多くは女子)から引っ張りだこに!
寛容な僕は彼女達の申し出に快諾するが条件が一つだけ。
――実は僕、他の戦闘スキルは皆無なんです
そういうわけでパーティーメンバーが前衛に立って死ぬ気で僕を守ることになる。
大丈夫、一度死んでも蘇生魔法で復活させてあげるから。
相互利益はあるはずなのに、どこか鬼畜な匂いがするファンタジー、ここに開幕。
My Doctor
west forest
恋愛
#病気#医者#喘息#心臓病#高校生
病気系ですので、苦手な方は引き返してください。
初めて書くので読みにくい部分、誤字脱字等あると思いますが、ささやかな目で見ていただけると嬉しいです!
主人公:篠崎 奈々 (しのざき なな)
妹:篠崎 夏愛(しのざき なつめ)
医者:斎藤 拓海 (さいとう たくみ)
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる