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5. まだいた
しおりを挟むゆかりが帰り着いたのは夜八時を回った頃だった。
買い出し自体はすぐに終わったのだが、ランバートと鉢合わせするリスクを少しでも減らすために、最近出来たばかりの大型スーパーで時間を潰していたのだ。
夏も近付いてきた近頃、大分日の入りも遅くなってきたが、流石に八時となればもう辺りは暗くなっている。
家から少し離れた場所にある駐車場に車を停めたゆかりは、二階の窓に明かりが灯っていないことに気付き、やっと心の底から安堵し、胸を撫で下ろすことが出来た。
「たっだいまーっ」
店の勝手口を開けて、テンション高く言い放った。いつものごとくそれに対する返事はないが、気にする様子もなく中へ入っていく。
いつもならばとっくに夜ご飯を食べている時間だが、手持ち無沙汰な時間を埋めるために入った全国チェーンのカフェでケーキを食べて来たためあまり空腹は感じない。
というより、『おしばな』ではケーキも珈琲も半額以下で提供しているというのに、他店で高額な値段を出して同じ――むしろ逆に品質が低い――ものを注文してしまったことが悔やまれ、食欲が湧かないというのが本音だ。
買い物袋の中からいくつか取り出して業務用冷蔵庫の中に入れると、軽くなったそれを持って二階へと上がっていく。
作るのも面倒くさいから、今日は軽くお茶漬けで済ませるのもいいかもしれない。そんなことを考えながらいつも通り玄関の鍵を開けたゆかりは、暗闇からこちらを覗く二つの瞳を見つけ、戦慄した。
「わっ、ちょ、えっ!? 帰ったんじゃなかったの!?」
それがランバートのものだと気付き、驚きながらもリビングの明かりを付けると、ランバートは一瞬眩しげに目を細めると困ったように眉を下げた。
「まだ迎えが来ないんだ」
「だとしても、電気くらいつけて待ってたらいいのに」
「あまりあちこち触るのも悪いと思ってな」と言ったランバートは、ゆかりが部屋を出てから一歩も動いていないようだ。
半日もの間椅子の上から動かずにいただなんて、彼は本当に人間なのだろうか。
普通半日もあればお腹も空くし、喉だって乾く。ただ何もせずに座っていたというランバートに呆気にとられたが、テーブルの上に置いて来た彼用のお茶が空になっていることに気付いてほんの少しだけほっとした。
「あー……ご飯、食べる?」
「……すまない。それと、その……手洗いを貸してもらえないだろうか」
「……あ。うん。こっち」
気まずげに言われた内容を一拍置いて理解したゆかりはランバートをトイレへと案内し、ついでに念のために使い方も説明しつつ、やっぱり人間と同じだったのだと安堵した。
先にリビングに戻ってきたゆかりが真っ赤なケトルに水を入れていると、ランバートが戻ってきて早々深々と頭を下げた。
「すまないっ! 俺はっ、何ということを……!!」
「な、なに!? 何についての謝罪!? 何かやらかしたの!?」
「ご令嬢のっ、…………あの場が手洗いだとは知らなかったとはいえ押し入るような真似をして……」
「あー……」
どうやら彼はゆかりが籠っていた場所がトイレだと知って狼狽しているようだ。
頭を下げているため表情は窺えないが、真っ赤に染め上がった耳から察するに、ランバートは自身の行為を恥じ入っているのだろう。
ゆかりとしては、トイレにいたのは籠城するためであり、ズボンだって履いていたのだから、別にそこまで羞恥心は感じていなかった――というよりもそれどころではなかった――のだが、改めて指摘されると段々恥ずかしさが込み上げてくるのだから不思議だ。
「そ、そういえば、あのときのって魔法? ドアを通り抜けたやつ」
ランバートまでにはいかないが赤くなった顔を隠すために、ケトルを火にかけながら問いかける。
ランバートは頭を上げると「ああ」と頷いた。
「ただ、通り抜けたわけではなく、その空間に移動したというのが正しいが。……その、」
「もう謝らなくていいから。トイレもお風呂も、次から気を付けて」
せっかく話題を変えたというのに再び頭を下げようとするランバートに、ゆかりがぴしゃりと言い伏せる。
(空間を移動出来るってワープってことだよね。あーあ、あたしも使えたらいいのに)
そんな特殊能力が備わっていたら、ゆかりも遅刻せずに学校に通えていたかもしれない。いや、やっぱりギリギリまで寝て遅れることはあっただろうが、ワープや瞬間移動の類いは人類の憧れだ。
手際良く親子丼を作りながらそんなことを考えていると、それが手に入らない落胆が無意識に溜息となって口から出ていたようだ。ゆかりの後ろで作る様子を見ていたランバートがまたそわそわと落ち着きなくなる。
鎧を着込んだランバートが動くたび、ガシャガシャと音を立てて気が散ってしょうがない。
「もう出来るからさ、座ってなよ」
「い、いや、だが……」
「いいから!」
ランバートを椅子に座らせて親子丼、そしてお茶漬けを作る。
お茶漬けついでに煎れた緑茶をカップに注ぎ、完了だ。
「どうぞ。あ、今更だけど鶏肉食べられないとかないよね?」
「あ、ああ。大丈夫だ」
大丈夫だと言ったものの、ランバートはスプーンを握り締め、それを口に運ばずに、色々な角度から眺めている。
ゆかりがお茶漬けを食べながら様子を窺っていると、恐る恐るといった感じで一掬い口へ運んだ。
「んっ、美味い! これは卵と鶏肉……この白いのは?」
「お米だよ。ジャパニーズソウルフード」
「じゃぱ……?」
「ごめん。普通にお米」
見た目が外国人だからついつい英語が混じってしまう。ゆかりの知っている英語自体あまり多くなく、英語が伝わらなくても特に困ることなどないのだが、大したことを言ってないのに真面目に聞き返されるとむず痒くもある。
そのあと無心で親子丼を食べ終えたランバートだったが、まだ食べ足りなかったらしい。ゆかりのお茶漬けを羨ましげに見ていたため、ゆかりはもう一杯お茶漬けを作る羽目になったのだが、ランバートはそれも美味しそうに完食し、作ったゆかりを喜ばせた。
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