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警察署で

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 駅から歩いて数分の大きな警察署へ向かった。

 警察署は古い建物のせいか少し照明が暗かった。入口でどこへ行けばいいのか迷っていたら、遠くから言い争う声とハイヒールの足音が聞こえてくる。

「弟の足を引っ張ることになるのがわからないのか⁉」
「わたしのせいじゃないって言ってるでしょ! 本当に、あの女の幽霊が殺したんだってば!」
「そんなの誰が信じるんだ!」
「ひどい、パパはわたしを信じてくれないの⁉」

 薄暗い廊下から出てきたのは、昨日会ったばかりの姑の兄と――あの写真そっくりの派手な顔の女。
 姑の兄は私に気付くと、わめいている女を放置して近づいてきた。

「この度は……大変なことになりまして」
「そうですね」

 慇懃いんぎんなそぶりで頭を下げる姑の兄に、私は気のない返事を返す。
 昨日、二度と会うことはないと思って捨て台詞を吐いたのに、その翌日に顔を見る羽目になるなんて。
 私は大きくため息をついた。

「それで、そちらの女性は? あなたの娘さんですか?」

 姑の兄は苦虫を噛み潰したような顔になった。

「……ええ、まあ」

 なるほど、この男が写真を見て驚いたのは、自分の娘が写っていたからだったのだ。
 先ほどの『弟の足を引っ張る』という言葉から推測すると、この女の弟が町議員なのではないか。だからあの時写真を買い取りたいと言ったのだろう。

 姑の兄はにじり寄ってきて、ささやくような声を出した。

「あの、娘は昨晩、偶然・・泊まりに行ったらしいんです。親戚ですからよくあることで……」
「そうはいきませんよ。彼女と夫が一緒にホテルに入っていく写真もあるんですから」

 つまらない言い訳を私は即座に否定した。

 従姉妹いとこ相手に不倫。あの夫が愛していたのはどこまでも身内だけだった。バカバカしくて笑ってしまう。
 そんなに好きなら素直に従姉妹いとこと結婚していればよかったのに、実家の家事をさせるために好きでもない女と結婚するなんて、本物のバカだ。

 私は派手な顔の女にわざとらしい疑いの目を向ける。

「昨日会った夫は、とても元気だったんですけど……あなたが何かしたんじゃありませんか?」
「ふざけないでよ、使い捨て用の分際で!」

 不倫相手の女はわかりやすく激昂した。

「勘違いしてるんじゃないの、あの人があんたなんかと結婚したのは、叔母さんちの家政婦をさせるためなんだから!」
「嘘をつかないでください」

 そんなことはとっくに知っている。もはや傷つくほどの情も残っていない。
 でも私はわざと嘘だと言った。
 彼女はとてもプライドが高そうなので、煽れば何か面白いことを喋ってくれるかもしれないと思ったのだ。

 予想通り、女の眉間のシワが深みを増した。

「嘘じゃないわ!」
「やめなさい、こんなところで!」

 私の狙いを感じ取ったらしく、姑の兄が慌てて娘を止めようとする。でもそれで言うことを聞くような育て方はしていないだろう。
 不倫女は勢いよく大きな口を開いた。

「前の女だって、わたしのために田舎へ行かせたんだから! 子供ができた女よりも、私のほうを愛しているって! だからあんたも――」
「へえ、そう」

 あの妙な夢は、夢ではなかったのかもしれない。
 
 私が見たのは前妻の視点からで、夫やこの女は前妻の幽霊を見ていたとしたら。あの時の夫の態度や女の言った「流産」と辻褄は合う。

 前妻は夫の子を妊娠していたのだ。その状態であんな人たちに朝から晩までこき使われていれば、体調を崩すのは当たり前だと思う。まともに食事をとれていたのかも疑わしい。

 夫の浮気と自身の過労で身も心もボロボロになっているところに、流産の追い打ち――もう彼女には絶望しかなかった。

「よくわかりました」

 スマホをポケットから出し、見せつけるように録音の終了ボタンを押す。
 姑の兄の顔がサァーっと青ざめていった。
 女は何が悪いと言わんばかりの表情をしている。彼女にとって不倫は正しいことなのだろう。

「本当に申し訳ない、娘は今、気が動転しているんです」

 姑の兄は慌てて女の腕を引っ張り、私から距離を取った。無理もない、これ以上余計なことを喋ってくれては困るのだから。
 そのまま背を向けて去ろうとする姑の兄の肩を、私は力いっぱいつかんだ。

「待ちなさい」

 姑の兄は電気が流れたように飛び上がった。
 私は女の目の前に手を差し出し、口角を上げる。

うちの・・・マンションの鍵を返して。返さないのならこちらにも考えがあります」
「バカじゃないの、あんたに何ができるのよ」

 女は口をへの字に曲げてカバンを抱きしめた。やはり持っていたのか。
 どのみち鍵は替えるのだが、夫のマンションにいつでも行けるなどと思わせないよう、彼女から取り上げておく必要があった。

「……いや、返しておきなさい」
「えっ? パパっ!」

 姑の兄は素早く女のカバンを奪い取り、悲鳴を上げる女を無視して革製のキーケースを寄越してきた。中にはマンションの鍵と部屋用の小さい鍵が付いている。
 証拠を押さえられていることで自分たちの不利を悟ったらしい。私は姑の兄をほんの少しだけ見直した。

「あなたから慰謝料を取ることもできるんですよ」

 そう言うと、ようやく女は黙った。




「すみません、こちらへどうぞ」

 グレーのスーツの男性が私を呼んだ。机と椅子だけの殺風景な個室に入り、キイキイ鳴る椅子に腰かける。

「今回……その、旦那さんの亡くなった状況についてなんですが……」

 スーツの男性は言いにくそうだった。先ほどの話を聞いていたのかもしれない。

 夫が死んだときの状況はあの夢と一致していた。
 第一発見者はあの女。
 死因は心不全だが既往歴はなく、薬物も検出されていない。会社の健康診断では心臓に異常はなかったとのこと。ただ検査ではわからない部分で異常があった可能性もある、と男性は説明した。

 次に私の状況について聞いてきたので、死んだ舅のために夫の実家にいたことを話すと、スーツの男性は申し訳なさそうな表情になった。
 赤の他人ですらこんな反応をするのに、と私は夫に対する怒りを改めて感じていた。




 警察署を一歩出ると、車の走る音や人のざわめきがひっきりなしに聞こえてくる。
 湿り気を含んだ生暖かい風が心地よかった。山奥の村は夜になるとぐっと冷えこんでいたから。

 私はどうしても笑顔になってしまうのを抑えることができなかった。
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