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 5年前のゴールデンウィーク時期。
 皐月さつきさんが当時実家の喫茶店で働いていた夕紀さんに会いに、わざわざ広島まで泊まりに来てくれた。

 黒髪ショートでボーイッシュな服装が多かった夕紀さんとは対称的で、ウェーブがかった茶髪ロングヘアと白い長袖のシャツやふんわりとしたシフォンロングスカートがよく似合っていて、とても綺麗な人だった印象がある。

 水飛沫みずしぶきの上がる川の水と新緑……それから初夏の陽射ひざし。
 私が普段から目にする「変わり映えしない場所」に皐月さんが裸足で足を踏み入れた途端にそれが「幻想世界」に転換し、水飛沫が作る擬似的な虹を含めて私は皐月さんを「雨上がりの女神」と喩えた。

 そんな中学生の妄言を、皐月さんも夕紀さんも微笑みながら聞いてくれていて、私を馬鹿にしない姉妹の事が一層大好きになった。

 
 それから10ヶ月近く経った、高校入試を控えた2月下旬に…………皐月さんは転落死した。

 皐月さんのしらせが届いて、私達家族は夕紀さんと一緒に駆けつけ小さなお葬式を開いた。

 参列者の中に私と同い年くらいの小柄な男の子が立っていて……。
 夕紀さんはその少年を見るなり激昂した。

 錯乱状態だったのもあるけれど、夕紀さんは散々少年をなじり号泣していた。
 お父さんに抱えられ抑えられながらも叫ぶように言葉を続ける夕紀さんも勿論気の毒だったし、私も悲しかった。

 けれど私は、肩を落として後ろを振り返り背の高い男性と一緒に帰る少年の……頭にグルグルと巻かれた包帯が、とてもとても痛々しく見えて……
 夕紀さんを想う気持ちと同じくらい少年に対して切なく悲しくなって……。
 私は彼らが見えなくなるまで背中を見送り、以来その少年の幸せを願う為に想いをせるようになった。

 それが私の初恋だとハッキリ気付いたのは、大学入学して初めてそのエピソードを話した時真澄に「それは恋なんじゃないか?」と指摘されたのがきっかけなんだけど。

 
「亮輔の後頭部にさ、浅いけど切り傷があるんだ。髪を明るく染めて長めのヘアスタイルにしているのはそれを隠すのが目的だったりする。ウェーブヘアを好むのは遠野皐月の影響だよ」

「…………」

(あの日夕紀さんに詰られていた小柄の男の子が……まさかりょーくんだったなんて……)


「それにしても救急車ではなく俺を呼んでくれたのは大正解だよ」
「正直迷いました……嘔吐ではなくえずいていただけのようでしたから」
「もし救急車で搬送ってなったら、いやおうでも笠原の家に連絡を入れざるを得ないだろう。そうなると亮輔の心は更に傷付くからね。元々メンタルの弱い子だから、自殺未遂だって考えただろう」
「…………彼が今回みたいな事になるのは、初めてではないってことですよね……?」

 上原さんの対応を見るに、そんな気がしていて、私の言葉に上原さんは頷く。

「去年までは、よくあったんだよ」
「去年って……つい最近までこんな事が頻繁にあったんですか?!」
「君とお付き合いしてるって亮輔から聞かされた頃に一旦落ち着いたんだ。中学卒業してから去年まではあんな風にえずきまくったり、大声で叫んで暴れたりがしょっちゅうあったんだ。俺の目の前で包丁振り回した事もあったかな」
「…………」

(包丁を振り回す……だからりょーくんは私に包丁とキッチン鋏を隠して欲しいってお願いしてきたんだ……)

「だから、以前俺が住んでたこの部屋をあいつの中学卒業以降貸してやってるんだ。俺の目の届く範囲なら、今日みたいにいつでもすぐ駆け付けてやれるから」
「その度に上原さんが介抱されてたんですか?」
「いや、俺の知らないところでえずくケースの方が多くてね……あいつは我慢するっていうか、俺の前でだけ刃物振り回して暴れる極限状態になれたという方が正しいかな。そこまでなったのは片手で足りるくらいの数だよ」
「…………」

 サラリと返答してくれるその内容に背筋が凍る。

「えずく程度とあっても、それを目の当たりにした当時の女の子達は皆あまり良い顔しなかっただろうね。後から亮輔から聞いた話だと、最初は添い寝レベルで済んでいたのに相手から段々求められるケースが幾つかあったんだってさ。
 それで、いざセックスしようという甘い雰囲気になった途端急にトイレへ駆け込んでえずいていたみたいだから。
 なんていうかね……その、ボディタッチまでは普通に出来るんだけど本番ってなると吐きそうになっていたみたい」
「えっ……」

 上原さんの言葉に複数の意味で私は驚いた。

(上原さんはりょーくんがソフレしてた事を把握してたんだ……。
 そしてソフレのお相手の中には絵梨さんみたいな考えの人もいて「添い寝」のルールを飛び越えてくるケースもあったんだな……それはりょーくん、辛かっただろうな) 

 それだけでも充分な驚きではあったんだけど、1番の大きな驚きは私と一緒に居る中で吐きそうなくらい辛い表情をりょーくんがしてこなかった事だった。
 りょーくんはいつも私に優しい微笑みをかけながら触れてくれていたし、私を大事に扱ってくれていたし、昨日だって一昨日だってそうだった。
 
(初めてエッチした時のりょーくんはとても誠実で、それでいて嬉しそうで……幸せそうで……)

 まさかエッチそのものが、彼にとってそれ程苦痛な行為だと想像すらしていなかった。

「でも君とはきちんと出来てたみたいだね。
 さっき部屋に連れて帰った時にあいつめちゃくちゃ暴れてさ、勿論遠野夕紀と君が繋がってた事のショックが大きくて暴れてたんだけど……声が落ち着き出した頃になると、君に嫌われやしないかという事ばかり気にしていたよ」

 そこで思い出したのは、りょーくんが私に度々口にしていた「あーちゃんには嫌われたくない」というニュアンスの言葉だ。

「そんな……りょーくんの正体を知ったからといって……私は……」
「もしセックスの段階でえずく亮輔を見たとしても、君は嫌わずにそばにいてくれるんじゃないかって、俺は思っていたよ。実を言うと、コンビニで会う前から俺は君の素性を知っていたからね」
「ええ!!」
「村川氏にこの部屋を提供したのも俺だし、遠野夕紀さんに俺と亮輔の事を知られないようにしながら娘を通して村川氏も亮輔を間接的に監視したいという思いもあったんだ」
「……お父さんが……彼を監視?」

 そしてまた更に驚くポイントが増え、私の頭は混乱する。

「変な意味に誤解しないでね、好意的な意味だから。ただ、君が亮輔と交際する予想まではしてない筈だよ村川氏は」

 そのいぶかしげな言動に頭を困惑させた私を気にしてか、上原さんはすぐにニッコリと微笑んだ。
 そして少しの間何かを考えているような仕草をした後、カップに残ったコーヒーを飲み干した。

「これ、美味しいね。お代わりいただけるかな。
 その代わり、今まで君に内緒にしていた事を全部話してあげるから」

「知りたいです。私の知らない彼の……全てを」

 上原さんから何を聞かされたって、全部受け止める覚悟は出来てた。
 寧ろさっきのりょーくんを見てしまったら
何も知らないわけにはいかないんじゃないかと思う。
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