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165㎝の私

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「夕紀さん、来月のブレンドレシピを考えたので後で見ていただきたいんですけど」

 10月20日もあっという間に時間が過ぎてもう閉店時間直前。
 そのタイミングで朝香ちゃんが焙煎室に居る私に呼び掛けてきた。

「いいよ。今月のブレンド、すごく売れてるから私も楽しみ♪ 今お客さん居ないならレシピ見るけど」
「分かりました! すぐにレシピノート持ってきます!」

 丁度手がいたところだったので店内に顔を出したら、朝香ちゃんは急いでスタッフルームの中へと入っていった。

「朝香ちゃんは純粋に珈琲が好きなんだなぁ……」

 パタパタと小走りする彼女の背中を見つめながら私は思っている事そのままを呟く。

「幼い頃からお母さんの美味しい珈琲とお父さんのコーヒーカップに親しんでいたんだから、ある種英才教育ってやつよねぇ……」

 まだ高校生だった朝香ちゃんが珈琲店を手伝うって言い出した際、村川夫妻に相談したら「高卒から働かせてもらっても構わない」という返事だったんだけれど、私は敢えて彼女が将来他に就職する際困らないように大学進学を提案した。
 学生生活によって亮輔くんという運命的なパートナーと出会たのだし楽しく過ごしてはいるようだけど、将来の道が結局揺るがなかった彼女にとって今の働きっぷりはかなり負担を掛けてしまってるなぁと申し訳なく思う。
 学生アルバイトではなく正社員同等の給料を出している程、彼女の貢献度は高い。

 今月から、月限定のブレンドを彼女に一から任せてみることにした。
 自己研鑽けんさん手煎ていり焙煎を日常的にしている彼女のブレンド豆はお客様に好評で、私自身次のレシピを見せてくれるのが楽しみだった。

「まだ手煎りでのテスト段階なんですけど……」

 私は朝香ちゃんが持ってきたレシピノートに目を通しながら

「って事は、サンプルも手元にあるって事かしら?」

 と問うと、彼女は「待ってました!」と言わんばかりに密閉容器に入った焙煎豆をサッと私の目の前に出してきた。
 流石私のパートナーは仕事が早い。

「試しに淹れてみるわね」
「はい! お願いします!」
「初恵さん、まだ店の作業してるだろうから試飲持っていってもいいかしら?」

 豆は30gあるようだったので隣の八百屋を指差しながら朝香ちゃんに言うと

「私ので良ければ是非!!」

 と、にっこり笑ってくれた。私のパートナーはやっぱり可愛い。

「じゃあ、淹れるわね」

 静かに閉店作業をする朝香ちゃんを尻目に、私は早速電動ミルできペーパードリップでゆっくりと落としてみる。

「その豆、夕紀さんから頂いたロースターで焙煎してみたんです」

 掃除を終わらせた朝香ちゃんがハンドドリップ中の私の立ち位置まで駆け寄ってきた。

「誕生日プレゼント、早速使ってくれて嬉しいなぁ♪」

 10月末で21歳を迎える朝香ちゃんには、この度少し早めのプレゼントとしてチタン製の高級ハンドロースターを渡していた。
 普段彼女が行っているキッチン焙煎のお役に立てればと思ったのだけれど、こうして仕事に活用してくれるのは師匠としても姉としても嬉しい。

「頂いた直後は『もったいなくて使えない』って思っちゃいましたけどいざ使ってみると便利だし焙烙ほうろくよりも綺麗に焼けたんです」
「家庭でも使えるテスト用ロースターだからね。陶器製の焙烙ほうろくも良いんだけど、熱伝導の面で金属ロースターに負けちゃうの。まぁ、焙烙であれ小型ロースターであれ毎回キッチン焙煎する朝香ちゃんは偉いわよね。私なんてわざわざ家に帰ってまでやろうとは思わないから」
「去年のブーツもですけど、素敵なプレゼントありがとうございます!」
「どういたしまして」

 脳内で展開するニセモノ妹であっても、やはり「妹」にプレゼントを贈るのは幸せな事だ。
 
(ブーツもロースターも……出来る事なら皐月に贈りたかったんだよなぁ)

 実の妹に20歳の祝いも21歳の誕生日プレゼントも贈れなかったから。というよこしまな想いを含んでしまってはいるが、去年も今年もちゃんと朝香ちゃんの欲しがりそうなデザインや仕様にこだわって真面目に誠実に選んで手渡したつもり。


 サーバーに入ったコーヒーを軽く揺らしながら紙コップに注いでいく。
 今月は甘い香りだったけど、今回のはまた違った香りがする。

「秋が深まって紅葉も始まるじゃないですか。コクが深いけどクドくない感じを目指してみたんですけど……」

 私が香りや味を確かめているそばで朝香ちゃんが説明してくれる。

「紅葉を見に行った先で、家から持ってきたコーヒーを飲むイメージって事?」
「そんな感じです」
「なるほどね……」

 私は朝香ちゃんが構築したものを脳内に描きながら、出来上がったコーヒーを口に含んだ。

「どう……ですか?」

 10月のブレンドが好評だったからこそ、プレッシャーがかかっているのかもしれない。もっとリラックスすれば良いのに弟子の表情は硬くかなり緊張しているようだった。

「そうね……来週入ってくる新豆をサブに使ったら良いんじゃないかな。もっと後味スッキリして朝香ちゃんの思い描くイメージにより近くなりそう」

 だから私は「姉」とは別の「師」の顔をチラつかせながらそうアドバイスしてあげる。

「来週入荷する豆って、仕入れ値段が高くなってましたよね?」
「だからサブに使うの。入荷したら生豆なままめあげるから試してみて」
「ありがとうございます。もう一回やってみます!」

 すると弟子の顔はパアァっと明るくなった。

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