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成功の秘訣
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山間部。
山頂付近でもなく、麓でもない。
山間部と表現するのが的確な、のどかな農村地帯、最近避暑地として開発され始めたある山路、一台の高級車が明らかな違和感を発しながら、見せびらかす様にゆったりと走行している。
季節は秋、厳しかった残暑が嘘のように朝晩の冷え込みが厳しくなってきたそんな時に事件は起きた。
最新の真っ黒ないかにも高そうな車を運転しているのは、有名実業家 事前似 潤 【じぜんじ じゅん】
この農村地帯に住む資産家 金本地 百治【かねもとち ももじ】の家を訪ねた帰りに拉致されたのだ。
犯行は当初非常にスムーズなものだった。
車通りの少ないすれ違いの出来ない幅の細い道で故障車を装い道を塞ぎ、言葉たくみに潤の車に乗り込み助手席から包丁で脅したのだ。
後は事前に偽名で借りているロッジに身を隠し、身代金を要求する計画だったのだが、故障知らずで名を馳せている、高級車が突如エンジントラブルを起こした事で、大幅に犯行計画の変更をしなくてはならない状況だった。
潤は包丁を持った相手をなるべく刺激しないようにそっと語りかけた。
「少し、いいですか?」
焦りを隠せない様子で、包丁の先端を震わせながら返事をしない相手に
「今までのあなたの様子を見た所、今回の件、事前に準備して計画していたものかと思います。」
少し間をおき続ける。
「こういった想定外の事態が起きた時は計画の中断を選択すべきかと思いますがどうでしょう?」
考えを巡らす中で潤の声がそれ程邪魔ではないようで、話を遮る様子は無い。
「今回の事で私は被害と呼べる程の事はまだあなたから何もされていません。このまま、勇気ある決断を下してくれるのなら、被害届け等出す気も有りませんし、死ぬまで話題に出す事もしないと誓います。」
潤は自分より少し若いであろう男の将来を案じるように話した。
「特に・・・」
説得を続けようとした潤の言葉を遮り、焦りと怒りが、混ざったような声で突然男が怒鳴り始めた。
「うるせぇーよ!!」
「これは俺の計画だっ!お前は黙って言う事を聞いてればいいんだよっ!!」
男は包丁を握ったまま、その手で潤の肩を殴りつけた。
しばらく無言の時間が流れた後、心を決めた事を自分に言い聞かせるように男は話し始めた。
「あんた程の有名人に手を出して無事で済むはずがねぇ。計画はここまでは順調に進んでたんだ、このまま行くさ。」
「このままこっちのドアから降りろ!」
男は潤のダークグレーのスーツを鷲掴み、助手席側に引っ張り始めた。
「騒いだりしたら直ぐに刺し殺す。分かったか?」
潤の左後ろの脇腹に包丁を立てながら耳に顔を近づけ囁くように言った。
潤は男を刺激しないよう、黙って深く頷いてみせた。
その後、誰とも出くわさないまま15分ほど歩き、男は集落の外れのある小屋なのか倉庫なのかわからないような場所に潤を連れて行った。
その建物には鍵がかかっておらず、中に入るとやはり小屋と倉庫が混ざったような状態で、大人が1人横になれるぐらいの休憩スペースと、農作業で使う様な器具が大小様々置かれていた。
男は潤に包丁を突きつけたまま、小屋の奥へと向かい、壁にかかっていた太めのロープを床に投げながら、こう言った。
「これで足を縛ってねっころがれ!」
こんな所で立て篭もる気なのかと思いながらも、それが表情に出ない様に気をつけながら、先程通り過ぎた休憩スペースまで移動し、男に言われた通り両足をキツく結び、寝転がった。
潤は男が次の指示を出す前に自分から両手を縛りやすい様に揃えて差し出した。
男は少し笑みを浮かべながら
「さすがに出来る男は違うね。」
と少し喜んでいる様な感じで潤の両手も縛りあげながら話し始めた。
「事前似 潤。大学在学中に起業し、様々な事業を手掛け、10年以上たった今でも、右肩上がりの成長を続けている企業のトップ。この前あんたが出てたテレビの特集見たよ。」
潤の様子を伺いながらさらに続ける。
「皮肉な事だろうが、あんたがそこで話していただろう?何事も事前の準備が大事だって。だから色々考えてたんだよ。
あんたみたいな金持ちから金をせしめる方法を、っとこれは先に貰っとくぜ。」
潤がいつも右腕につけている高級時計を素早く外し自分の左腕につけながら続けた。
「あんた何で両手に時計つけてるんだい?こっちがあればそっちの古臭い方はいらなさそうだが、価値があるものなのかい?そうは見えないが。」
高級時計を外される時には大人しくしていた潤が口を開く。
「こっちは一応動いてはいますが、直ぐにズレてしまうもので、役には立っていません。ただ、亡き父から貰った記念の時計なのでゲン担ぎで外せないんですよ。これの価値は値段では無いんです。」
男はそれを聞いて自分の目利きの正確さを誇る様に自慢げに話した。
「そうか。しかし、あんたにはガッカリだなぁ。」
男は本当に残念そうに語り始めた。
「さっき見たって話をしたテレビで俺は
あんたに少し憧れたんだよ。やってる事は凄いし、言ってる事にも説得力が有る。だから実際どんなやつなのか楽しみでもあったんだよ。まあ、どんなやつでも実際会えはそうでも無い奴ばっかりなんだろうけどな。」
それを聞いた潤は怒りを見せるどころか逆に興味深々な様子でたまに振り返りながら潤の鞄をあさっている男に問いかけた。
「私のどこら辺が期待外れでしたかね?今後お会いする方につまらない男だと思われない為に、是非教えて頂きたいのですが。」
男は待ってましたとばかりに話し出す。
「職を失い毎日どうしようか考え込んでいた俺は強盗か誘拐身代金要求をするしかないと思いつめてたんだ。だが、どちらも成功する気がしなくてね。実行に移せなかったタイミングで、さっき言った、あんたが出てるテレビを見たんだよ。それで計画を実行に移す前に何が出来るか考えたわけ。結果、強盗は捕まるビジョンしか浮かばず却下、誘拐するなら、まずは間違いなく金持ちなやつを探さなきゃならない。しかも、普段何してるかわからない様な、厳重警備がされてる屋敷に閉じ籠ってる様な奴ではなく、ある程度調べれば行動が把握できる様な奴、まあ、有名人だよね。まず、きっかけをくれたあんたの行動パターンを探ってみようと始めたわけ。そしたら、あんた警備もつけず1人で運転してこんなひと気のない所に毎週日曜の午前中から正午過ぎにかけて行ってただろ?俺が調べ始めた3カ月前からずっとだ。しかも、あんな目立つ車で、あれは襲ってくれって言ってる様なもんだぜ。しかも、襲われた時に備えての事前準備をしてるだろうと警戒してたがそれも無さそうだ。だから、期待外れというか、拍子抜けと言うか、なんかもっと色々考えてる人だと思ってたもんでね。ところでこれは何だい?」
潤の鞄から鍵付きの宝石箱のようなものを取り出して、持ち上げて覗いたり、横に振ったりしている。
男がその箱の存在に気づいてからずっと何か言いたそうだった潤が、早口で説明する。
「それは開発したばかりの、まだ何の価値も無い試作品が入っているだけです。ただ、私にはそれが一番大事な物なので、それだけは残しておいて下さい。他は全て持って行っていいので、どうかお願いします。」
それを聞いた男は笑いながら答えた。
「あんた本当に駄目だね。さっきの言い方だと、いずれ価値が出てくる大事な物です、としか聞こえない。箱の鍵はどこだ?」
潤は男の意見に初めて反論した。
「会社に持ち帰り、データを分析した上で、改良し、初めて役に立つかも知れないという段階の試作品です。価値等ありません。悪い事は言わない。その箱には手を出さないで下さい。」
そう言った途端、男は怒りを露わにした。
「価値の有る無しを決めるのはお前じゃ無いし、お前に意見等求めてねぇ。お前は言われた通り鍵がどこにあるか教えればいいんだよ。」
そう言って先程まで置いていた包丁を再度手に取り、起き上がろうとしていた潤を再度あお向けの状態に倒してから首元に包丁の刃を近づけてきた。
しばらく黙り込み、出来うる限りの抵抗をみせたが、観念し、潤は重い口を開いた。
「鍵はありません。本当です!」
「有りませんが、言った通りにしてみて下さい。」
潤を疑いの目で見ながら、男は箱を手にした。
「鍵穴の下にスイッチが有るから押してみて下さい。それです、それ、そこの部分を強く押す。」
「そうしたら、鍵穴部分を強く押し込んで下さい。」
男は黙って言われた通りにすると、箱が空いた。中には銀色のバングルが2つ入っていた。
男は喜びながらも少し怒った様子で
「プラチナ?じゃないよな?さっきは価値が無いなんて言ってくれちゃって。価値もわからない奴だとバカにしてんだろ。どっからどうみたって装飾品じゃないかよ。これも貰ってくぜ。」
そう言うと、仰向けの潤を軽く蹴りながら、上着のポケットにバングルを2個ともしまい込んだ。
潤は諦めたようにこう忠告した。
「先程も言ったようにそれは試作品ですので身に付けて乱暴に扱うのだけはやめて下さい。また、まだ値のつく代物ではないので、売れなかったからといって捨てたり、安く売り払ってしまうぐらいなら、こちらでそれ相応の金額で買い取らせて頂きます。必ず我々の元に帰して下さい。」
男はムキになったように ポケットからバングルを取り出すと
「そう言われるとねぇ、余計にしたくなるもんだよ。あんた、人の気持ちとか考えた事ないんだろ?金持ちは良いよな、頭ごなしに指示出指示出してりゃいいんだろ。それじゃ誰もあんたの下で働きたいなんて思はないぜ。そんなんで良くあんたの会社もってるよな。結局、会社なんてのは人だ。立派な仕組みを作っていたって、なんか起きりゃあ、誰かが判断して行動しなきゃいけない。人が使えない奴の下につく事ほど苦痛な仕事はないし、そんな所じゃ人は育たないぜ。」
潤は意味深げな表情を浮かべながら、何かを決心したかの様に咳払いをして話始めた。
「事が大きくなる前にお話させてもらいますね。私はあなたを採用したいと思います。」
男は潤の唐突な発言に顔をしかめながらも、驚きの余り潤が身体を起こそうとするのを止める事もせずただ静観していた。
「まず、採用と言うのは、うちの社員になって貰うという事です。」
男は呆然としていた自分に気づき、平静を装うように潤の話を遮ぎった。
「待て待て待て、あんたどんだけ必死なんだよ。こんな事をした俺を社員として雇う?そんなの誰が信じんだよ。」
「百歩譲って本当に雇われたとしても、俺が受ける扱いなんて目に見えてんじゃねぇかよ。バカにすんのもいい加減にしろよ。」
男が手放していた包丁を取りに行く素振りを見せ、潤に背を向けた途端、男は急に奇妙な声を上げ両手と片膝を床に叩きつけた。
驚き、慌てふためいている男とは対照的に、何事もなかったかのように潤は男に言った。
「それは違うよ。それでは危ない。肘をついた方が良いよ。掌ではなく、肘。ついてごらん。」
男は潤の言った通り、掌ではなく肘を床につけた。
「初めて私の言った事を素直に受け入れてくれましたね。」
潤は男が痛みの余りそうせざるを得ない事を知っていながら、何食わぬ顔で続けた。
「御察しの通り、バングルです。体積を変えず、重さだけ自由に変えられる様に作らせた特注品です。どうです?ちょうど1つ80kgずつにしています。ちなみに重さのコントロールはこの腕時計で出来る様にしていて、直接龍頭を回したり、音声でも操作可能です。さっきの様に小声でもね。」
男は理解出来ないのか、納得が行かないだけなのか、とにかく怒った様子で
「ふざけんなよ。なんだよ、これ。とれよこれ。ふざけんな。」
潤は男を完全に無視して話を続けた。
「仕事の話を続けますね。何故君が採用なのかを説明します。」
「まず、君が以前の会社を辞めた理由。こちらがもっている情報が正しいか直接聞きたいので、何故やめる事になったのか話して頂いてもいいですか?」
潤の問いかけに男は更に逆上し
「お前に話す事なんてねーよ。早くこれを取らないとぶっ殺すぞ。」
男の怒り等一切気にしていない様子で淡々と潤は答える。
「わかっていないようですね。重さを自由に変えられると言ったでしょう。このまま床にめり込まして、両手首の骨を粉々にする事だって出来るんですよ。大体、今の重さでも何もできやしないでしょう?そんな状態で良く言えますね。」
「わかったよ。わかったから、動ける様にしてくれ。」
男が懇願してきたが潤は
「私は何故前職を辞めることになったのかを聞いているんです。動ける様にする?私を殺すと包丁を突きつけてきたあなたを?なんのメリットが有るんですか?少し考えて話して下さい。最後通告です。何故前職を辞めることになったんですか?」
男は立場が完全に逆転した事を理解し、潤の指示に従う事を決めた様で
「前職では工場で精密機械の製造をしていたのですが、そこの責任者がクズで従業員へのいじめが酷く、罵声を浴びせたり、遊び半分で暴力を振るってきたりと、やりたい放題で。まあ、それぐらいならまだ自分が我慢すればいいのですが、女性従業員への悪質な嫌がらせに我慢が出来ず、真っ向から否定し、揉めて辞めさせられたんです。あっちにも非があり、事が大きくなるのを避ける為、扱い的には自己都合の退職と言う事になりましたが。」
潤は何度もうなずきながら耳を傾けていた。
「まあ、大体こちらの資料通り。そんな君は私の考える一次試験突破といった感じかな。私の会社に欲しいのは自分で考えて更に行動に移せる人なんだよ。」
「はあ。」
気の無い返事を返すのがやっとな男に更に続ける
「旧知 越知流 【きゅうち おちる】33歳。前職の前の職、つまり大学卒業後すくに入社した販売の会社も上司と揉めて、5年で辞めているね。同じ様な事が理由かい?」
越知流は 名前と年齢を当てられた事にも驚いたが最初の会社を揉めて辞めたと知っている事に驚いた。こちらも書類上は自己都合による退職としかなっていないはずだからだ。
「何故、そんな事まで知っているんですか?確かに前々職もノルマに厳しい所で、ノルマを達成出来なかった店の従業員は厳しく当たられたり、ノルマに到達する様自腹を強要させられたり、それに対して従順でないと嫌がらせも始まったりで、まあ普通と言ってしまえば普通だったんでしょうが、なんか納得いかなくて。やり方に筋が通ってないというか、合理的では無いですよね。なので意見していた感じです。」
「そうですか、私も不合理、不条理、理不尽、それらのものに対してはあなたと同じとは言わないまでも近しい考え方をしていると言っていいと思います。だから、あなたを一次試験パスさせたんですけどね。」
越知流は何か聞きたい様な顔をして潤の話を聞いていたが、最後まで聞いてもその問いの答えが出ていない様ですかさず質問した。
「先程から言っている一次試験って何なんですか?受けた覚えもありませんし、話し振りからすると他にもその一次試験というのを突破した方がいるって事ですか?いったいどういう事なんです?」
潤が答える
「あなた最近借金しましたよね。正確に言うと少し強引に貸し付けられたと言った方がいいかもしれません。あれ、最近毎週日曜に私が通っている金本地 百治さんが大元で貸しているんです。他の候補者にも全員貸してます。利率がまともじゃない借金をさせないと誘拐なんてなかなか思い切れないでしょう。だからさ少し手間でも候補者全員に借金して貰いました。また、貸し付け工作と同時に金本地さんの家に毎週日曜の同じ時間に通い始め、私を狙ってくれるのを待っていた訳です。」
信じられないといった越知流はさらに疑問をぶつけた。
「もし、あなたの言っている通り該当者全員に借金をさせたとして、その人達の行動力が誤った方向に、つまりあなた以外の人に危害を加えてでもお金を得ようとしたらどう責任をとるつもりなんですか?」
潤はうなずきながら
「もちろんこちらが知っていた情報では出てこなかった裕福な知人がいる可能性もありますが、調べ得る中でそういったかたは事前に選考から外しています。またこちらの人選ミスで、可能性の低い他の誰かを狙う様な方が出た場合、当然そんな方は入社させません。責任は当然、その方自身に償って貰いますよ。こちらが背負うものですかね?こちらはあくまで誘導しただけで強制はしてません。ちなみに今までの4年間でそんな例外は出てません。何故ならそれ相応の準備をしてから臨んでいますからね。テレビで話した事は本当です。事前の準備はとても大切。めぼしい人材を見つけたら徹底的に調査、協力者の力を借りながら、対象の選択肢を狭め、ある程度行動を制限する。ちなみに越知流君の場合、逮捕され前科者として生きるか、私の元で成功を収められる様になるまで勉強するかの二択になります。どうします?」
直ぐに答えず迷っている様子の越知流に潤は続ける
「心は決まっているでしょう。あなたの悪い癖ですが、人の提案に素直に乗ることを良しとしない節があります。だからコントロールしやすかったんですがね。ここは即答で良いところですよ。」
越知流は諦めた様に少し笑いながら
「すいませんでした。よろしくお願い致します。」
潤は満足気に
「では越知流君に早速ミッションです。親族に真実を伝えず借金は解決出来たと上手く伝えて下さい。準備をしっかりして実行に移して下さいね。それが成功の秘訣です。」
「ちょっと電話させて貰いますね。」
そう言って潤は越知流から少し距離をあけた。
「申し訳ないが今回の選考は終了したから、旧知 越知流君以外借金は上手い事してくれ、就職先が見つかるまで様子見てやってくれ、いつもの様に再就職が困難な様なら、手助けしてやってもいい・・・・・ああ、任せるよ。よろしく頼む。後、来週・再来週辺りが選考実行されると予想していたので、スケジュール空けてただろう?あれ埋めといて構わない。悪いね、書類だけではまだ読み誤るな。次回からもう少ししっかり考慮して迷惑かけない様にするよ。今日も予定より早く終わってしまったね。越知流君と話してるから余り迎えを急がせなくてもいいよ。・・・・宜しく。」
越知流は近づいてきた潤の笑顔と言葉にゾッとした。今までの言動全て計算されており、事前準備の精度、求められる要求の高さ、それに応えれないとどういう事になるのかを覚悟させる為のものなのだと、自分の今後の人生に希望を抱き始めていた事に釘を刺されているのだと確信したからだ。
「後2週間もスケジュールを空けてしまっていたよ。もっと借入者リストに目を通しておかないとだね。 お聞きの通り少し予想が外れてしまった。迎えが来るまで少し話そうか?」
山頂付近でもなく、麓でもない。
山間部と表現するのが的確な、のどかな農村地帯、最近避暑地として開発され始めたある山路、一台の高級車が明らかな違和感を発しながら、見せびらかす様にゆったりと走行している。
季節は秋、厳しかった残暑が嘘のように朝晩の冷え込みが厳しくなってきたそんな時に事件は起きた。
最新の真っ黒ないかにも高そうな車を運転しているのは、有名実業家 事前似 潤 【じぜんじ じゅん】
この農村地帯に住む資産家 金本地 百治【かねもとち ももじ】の家を訪ねた帰りに拉致されたのだ。
犯行は当初非常にスムーズなものだった。
車通りの少ないすれ違いの出来ない幅の細い道で故障車を装い道を塞ぎ、言葉たくみに潤の車に乗り込み助手席から包丁で脅したのだ。
後は事前に偽名で借りているロッジに身を隠し、身代金を要求する計画だったのだが、故障知らずで名を馳せている、高級車が突如エンジントラブルを起こした事で、大幅に犯行計画の変更をしなくてはならない状況だった。
潤は包丁を持った相手をなるべく刺激しないようにそっと語りかけた。
「少し、いいですか?」
焦りを隠せない様子で、包丁の先端を震わせながら返事をしない相手に
「今までのあなたの様子を見た所、今回の件、事前に準備して計画していたものかと思います。」
少し間をおき続ける。
「こういった想定外の事態が起きた時は計画の中断を選択すべきかと思いますがどうでしょう?」
考えを巡らす中で潤の声がそれ程邪魔ではないようで、話を遮る様子は無い。
「今回の事で私は被害と呼べる程の事はまだあなたから何もされていません。このまま、勇気ある決断を下してくれるのなら、被害届け等出す気も有りませんし、死ぬまで話題に出す事もしないと誓います。」
潤は自分より少し若いであろう男の将来を案じるように話した。
「特に・・・」
説得を続けようとした潤の言葉を遮り、焦りと怒りが、混ざったような声で突然男が怒鳴り始めた。
「うるせぇーよ!!」
「これは俺の計画だっ!お前は黙って言う事を聞いてればいいんだよっ!!」
男は包丁を握ったまま、その手で潤の肩を殴りつけた。
しばらく無言の時間が流れた後、心を決めた事を自分に言い聞かせるように男は話し始めた。
「あんた程の有名人に手を出して無事で済むはずがねぇ。計画はここまでは順調に進んでたんだ、このまま行くさ。」
「このままこっちのドアから降りろ!」
男は潤のダークグレーのスーツを鷲掴み、助手席側に引っ張り始めた。
「騒いだりしたら直ぐに刺し殺す。分かったか?」
潤の左後ろの脇腹に包丁を立てながら耳に顔を近づけ囁くように言った。
潤は男を刺激しないよう、黙って深く頷いてみせた。
その後、誰とも出くわさないまま15分ほど歩き、男は集落の外れのある小屋なのか倉庫なのかわからないような場所に潤を連れて行った。
その建物には鍵がかかっておらず、中に入るとやはり小屋と倉庫が混ざったような状態で、大人が1人横になれるぐらいの休憩スペースと、農作業で使う様な器具が大小様々置かれていた。
男は潤に包丁を突きつけたまま、小屋の奥へと向かい、壁にかかっていた太めのロープを床に投げながら、こう言った。
「これで足を縛ってねっころがれ!」
こんな所で立て篭もる気なのかと思いながらも、それが表情に出ない様に気をつけながら、先程通り過ぎた休憩スペースまで移動し、男に言われた通り両足をキツく結び、寝転がった。
潤は男が次の指示を出す前に自分から両手を縛りやすい様に揃えて差し出した。
男は少し笑みを浮かべながら
「さすがに出来る男は違うね。」
と少し喜んでいる様な感じで潤の両手も縛りあげながら話し始めた。
「事前似 潤。大学在学中に起業し、様々な事業を手掛け、10年以上たった今でも、右肩上がりの成長を続けている企業のトップ。この前あんたが出てたテレビの特集見たよ。」
潤の様子を伺いながらさらに続ける。
「皮肉な事だろうが、あんたがそこで話していただろう?何事も事前の準備が大事だって。だから色々考えてたんだよ。
あんたみたいな金持ちから金をせしめる方法を、っとこれは先に貰っとくぜ。」
潤がいつも右腕につけている高級時計を素早く外し自分の左腕につけながら続けた。
「あんた何で両手に時計つけてるんだい?こっちがあればそっちの古臭い方はいらなさそうだが、価値があるものなのかい?そうは見えないが。」
高級時計を外される時には大人しくしていた潤が口を開く。
「こっちは一応動いてはいますが、直ぐにズレてしまうもので、役には立っていません。ただ、亡き父から貰った記念の時計なのでゲン担ぎで外せないんですよ。これの価値は値段では無いんです。」
男はそれを聞いて自分の目利きの正確さを誇る様に自慢げに話した。
「そうか。しかし、あんたにはガッカリだなぁ。」
男は本当に残念そうに語り始めた。
「さっき見たって話をしたテレビで俺は
あんたに少し憧れたんだよ。やってる事は凄いし、言ってる事にも説得力が有る。だから実際どんなやつなのか楽しみでもあったんだよ。まあ、どんなやつでも実際会えはそうでも無い奴ばっかりなんだろうけどな。」
それを聞いた潤は怒りを見せるどころか逆に興味深々な様子でたまに振り返りながら潤の鞄をあさっている男に問いかけた。
「私のどこら辺が期待外れでしたかね?今後お会いする方につまらない男だと思われない為に、是非教えて頂きたいのですが。」
男は待ってましたとばかりに話し出す。
「職を失い毎日どうしようか考え込んでいた俺は強盗か誘拐身代金要求をするしかないと思いつめてたんだ。だが、どちらも成功する気がしなくてね。実行に移せなかったタイミングで、さっき言った、あんたが出てるテレビを見たんだよ。それで計画を実行に移す前に何が出来るか考えたわけ。結果、強盗は捕まるビジョンしか浮かばず却下、誘拐するなら、まずは間違いなく金持ちなやつを探さなきゃならない。しかも、普段何してるかわからない様な、厳重警備がされてる屋敷に閉じ籠ってる様な奴ではなく、ある程度調べれば行動が把握できる様な奴、まあ、有名人だよね。まず、きっかけをくれたあんたの行動パターンを探ってみようと始めたわけ。そしたら、あんた警備もつけず1人で運転してこんなひと気のない所に毎週日曜の午前中から正午過ぎにかけて行ってただろ?俺が調べ始めた3カ月前からずっとだ。しかも、あんな目立つ車で、あれは襲ってくれって言ってる様なもんだぜ。しかも、襲われた時に備えての事前準備をしてるだろうと警戒してたがそれも無さそうだ。だから、期待外れというか、拍子抜けと言うか、なんかもっと色々考えてる人だと思ってたもんでね。ところでこれは何だい?」
潤の鞄から鍵付きの宝石箱のようなものを取り出して、持ち上げて覗いたり、横に振ったりしている。
男がその箱の存在に気づいてからずっと何か言いたそうだった潤が、早口で説明する。
「それは開発したばかりの、まだ何の価値も無い試作品が入っているだけです。ただ、私にはそれが一番大事な物なので、それだけは残しておいて下さい。他は全て持って行っていいので、どうかお願いします。」
それを聞いた男は笑いながら答えた。
「あんた本当に駄目だね。さっきの言い方だと、いずれ価値が出てくる大事な物です、としか聞こえない。箱の鍵はどこだ?」
潤は男の意見に初めて反論した。
「会社に持ち帰り、データを分析した上で、改良し、初めて役に立つかも知れないという段階の試作品です。価値等ありません。悪い事は言わない。その箱には手を出さないで下さい。」
そう言った途端、男は怒りを露わにした。
「価値の有る無しを決めるのはお前じゃ無いし、お前に意見等求めてねぇ。お前は言われた通り鍵がどこにあるか教えればいいんだよ。」
そう言って先程まで置いていた包丁を再度手に取り、起き上がろうとしていた潤を再度あお向けの状態に倒してから首元に包丁の刃を近づけてきた。
しばらく黙り込み、出来うる限りの抵抗をみせたが、観念し、潤は重い口を開いた。
「鍵はありません。本当です!」
「有りませんが、言った通りにしてみて下さい。」
潤を疑いの目で見ながら、男は箱を手にした。
「鍵穴の下にスイッチが有るから押してみて下さい。それです、それ、そこの部分を強く押す。」
「そうしたら、鍵穴部分を強く押し込んで下さい。」
男は黙って言われた通りにすると、箱が空いた。中には銀色のバングルが2つ入っていた。
男は喜びながらも少し怒った様子で
「プラチナ?じゃないよな?さっきは価値が無いなんて言ってくれちゃって。価値もわからない奴だとバカにしてんだろ。どっからどうみたって装飾品じゃないかよ。これも貰ってくぜ。」
そう言うと、仰向けの潤を軽く蹴りながら、上着のポケットにバングルを2個ともしまい込んだ。
潤は諦めたようにこう忠告した。
「先程も言ったようにそれは試作品ですので身に付けて乱暴に扱うのだけはやめて下さい。また、まだ値のつく代物ではないので、売れなかったからといって捨てたり、安く売り払ってしまうぐらいなら、こちらでそれ相応の金額で買い取らせて頂きます。必ず我々の元に帰して下さい。」
男はムキになったように ポケットからバングルを取り出すと
「そう言われるとねぇ、余計にしたくなるもんだよ。あんた、人の気持ちとか考えた事ないんだろ?金持ちは良いよな、頭ごなしに指示出指示出してりゃいいんだろ。それじゃ誰もあんたの下で働きたいなんて思はないぜ。そんなんで良くあんたの会社もってるよな。結局、会社なんてのは人だ。立派な仕組みを作っていたって、なんか起きりゃあ、誰かが判断して行動しなきゃいけない。人が使えない奴の下につく事ほど苦痛な仕事はないし、そんな所じゃ人は育たないぜ。」
潤は意味深げな表情を浮かべながら、何かを決心したかの様に咳払いをして話始めた。
「事が大きくなる前にお話させてもらいますね。私はあなたを採用したいと思います。」
男は潤の唐突な発言に顔をしかめながらも、驚きの余り潤が身体を起こそうとするのを止める事もせずただ静観していた。
「まず、採用と言うのは、うちの社員になって貰うという事です。」
男は呆然としていた自分に気づき、平静を装うように潤の話を遮ぎった。
「待て待て待て、あんたどんだけ必死なんだよ。こんな事をした俺を社員として雇う?そんなの誰が信じんだよ。」
「百歩譲って本当に雇われたとしても、俺が受ける扱いなんて目に見えてんじゃねぇかよ。バカにすんのもいい加減にしろよ。」
男が手放していた包丁を取りに行く素振りを見せ、潤に背を向けた途端、男は急に奇妙な声を上げ両手と片膝を床に叩きつけた。
驚き、慌てふためいている男とは対照的に、何事もなかったかのように潤は男に言った。
「それは違うよ。それでは危ない。肘をついた方が良いよ。掌ではなく、肘。ついてごらん。」
男は潤の言った通り、掌ではなく肘を床につけた。
「初めて私の言った事を素直に受け入れてくれましたね。」
潤は男が痛みの余りそうせざるを得ない事を知っていながら、何食わぬ顔で続けた。
「御察しの通り、バングルです。体積を変えず、重さだけ自由に変えられる様に作らせた特注品です。どうです?ちょうど1つ80kgずつにしています。ちなみに重さのコントロールはこの腕時計で出来る様にしていて、直接龍頭を回したり、音声でも操作可能です。さっきの様に小声でもね。」
男は理解出来ないのか、納得が行かないだけなのか、とにかく怒った様子で
「ふざけんなよ。なんだよ、これ。とれよこれ。ふざけんな。」
潤は男を完全に無視して話を続けた。
「仕事の話を続けますね。何故君が採用なのかを説明します。」
「まず、君が以前の会社を辞めた理由。こちらがもっている情報が正しいか直接聞きたいので、何故やめる事になったのか話して頂いてもいいですか?」
潤の問いかけに男は更に逆上し
「お前に話す事なんてねーよ。早くこれを取らないとぶっ殺すぞ。」
男の怒り等一切気にしていない様子で淡々と潤は答える。
「わかっていないようですね。重さを自由に変えられると言ったでしょう。このまま床にめり込まして、両手首の骨を粉々にする事だって出来るんですよ。大体、今の重さでも何もできやしないでしょう?そんな状態で良く言えますね。」
「わかったよ。わかったから、動ける様にしてくれ。」
男が懇願してきたが潤は
「私は何故前職を辞めることになったのかを聞いているんです。動ける様にする?私を殺すと包丁を突きつけてきたあなたを?なんのメリットが有るんですか?少し考えて話して下さい。最後通告です。何故前職を辞めることになったんですか?」
男は立場が完全に逆転した事を理解し、潤の指示に従う事を決めた様で
「前職では工場で精密機械の製造をしていたのですが、そこの責任者がクズで従業員へのいじめが酷く、罵声を浴びせたり、遊び半分で暴力を振るってきたりと、やりたい放題で。まあ、それぐらいならまだ自分が我慢すればいいのですが、女性従業員への悪質な嫌がらせに我慢が出来ず、真っ向から否定し、揉めて辞めさせられたんです。あっちにも非があり、事が大きくなるのを避ける為、扱い的には自己都合の退職と言う事になりましたが。」
潤は何度もうなずきながら耳を傾けていた。
「まあ、大体こちらの資料通り。そんな君は私の考える一次試験突破といった感じかな。私の会社に欲しいのは自分で考えて更に行動に移せる人なんだよ。」
「はあ。」
気の無い返事を返すのがやっとな男に更に続ける
「旧知 越知流 【きゅうち おちる】33歳。前職の前の職、つまり大学卒業後すくに入社した販売の会社も上司と揉めて、5年で辞めているね。同じ様な事が理由かい?」
越知流は 名前と年齢を当てられた事にも驚いたが最初の会社を揉めて辞めたと知っている事に驚いた。こちらも書類上は自己都合による退職としかなっていないはずだからだ。
「何故、そんな事まで知っているんですか?確かに前々職もノルマに厳しい所で、ノルマを達成出来なかった店の従業員は厳しく当たられたり、ノルマに到達する様自腹を強要させられたり、それに対して従順でないと嫌がらせも始まったりで、まあ普通と言ってしまえば普通だったんでしょうが、なんか納得いかなくて。やり方に筋が通ってないというか、合理的では無いですよね。なので意見していた感じです。」
「そうですか、私も不合理、不条理、理不尽、それらのものに対してはあなたと同じとは言わないまでも近しい考え方をしていると言っていいと思います。だから、あなたを一次試験パスさせたんですけどね。」
越知流は何か聞きたい様な顔をして潤の話を聞いていたが、最後まで聞いてもその問いの答えが出ていない様ですかさず質問した。
「先程から言っている一次試験って何なんですか?受けた覚えもありませんし、話し振りからすると他にもその一次試験というのを突破した方がいるって事ですか?いったいどういう事なんです?」
潤が答える
「あなた最近借金しましたよね。正確に言うと少し強引に貸し付けられたと言った方がいいかもしれません。あれ、最近毎週日曜に私が通っている金本地 百治さんが大元で貸しているんです。他の候補者にも全員貸してます。利率がまともじゃない借金をさせないと誘拐なんてなかなか思い切れないでしょう。だからさ少し手間でも候補者全員に借金して貰いました。また、貸し付け工作と同時に金本地さんの家に毎週日曜の同じ時間に通い始め、私を狙ってくれるのを待っていた訳です。」
信じられないといった越知流はさらに疑問をぶつけた。
「もし、あなたの言っている通り該当者全員に借金をさせたとして、その人達の行動力が誤った方向に、つまりあなた以外の人に危害を加えてでもお金を得ようとしたらどう責任をとるつもりなんですか?」
潤はうなずきながら
「もちろんこちらが知っていた情報では出てこなかった裕福な知人がいる可能性もありますが、調べ得る中でそういったかたは事前に選考から外しています。またこちらの人選ミスで、可能性の低い他の誰かを狙う様な方が出た場合、当然そんな方は入社させません。責任は当然、その方自身に償って貰いますよ。こちらが背負うものですかね?こちらはあくまで誘導しただけで強制はしてません。ちなみに今までの4年間でそんな例外は出てません。何故ならそれ相応の準備をしてから臨んでいますからね。テレビで話した事は本当です。事前の準備はとても大切。めぼしい人材を見つけたら徹底的に調査、協力者の力を借りながら、対象の選択肢を狭め、ある程度行動を制限する。ちなみに越知流君の場合、逮捕され前科者として生きるか、私の元で成功を収められる様になるまで勉強するかの二択になります。どうします?」
直ぐに答えず迷っている様子の越知流に潤は続ける
「心は決まっているでしょう。あなたの悪い癖ですが、人の提案に素直に乗ることを良しとしない節があります。だからコントロールしやすかったんですがね。ここは即答で良いところですよ。」
越知流は諦めた様に少し笑いながら
「すいませんでした。よろしくお願い致します。」
潤は満足気に
「では越知流君に早速ミッションです。親族に真実を伝えず借金は解決出来たと上手く伝えて下さい。準備をしっかりして実行に移して下さいね。それが成功の秘訣です。」
「ちょっと電話させて貰いますね。」
そう言って潤は越知流から少し距離をあけた。
「申し訳ないが今回の選考は終了したから、旧知 越知流君以外借金は上手い事してくれ、就職先が見つかるまで様子見てやってくれ、いつもの様に再就職が困難な様なら、手助けしてやってもいい・・・・・ああ、任せるよ。よろしく頼む。後、来週・再来週辺りが選考実行されると予想していたので、スケジュール空けてただろう?あれ埋めといて構わない。悪いね、書類だけではまだ読み誤るな。次回からもう少ししっかり考慮して迷惑かけない様にするよ。今日も予定より早く終わってしまったね。越知流君と話してるから余り迎えを急がせなくてもいいよ。・・・・宜しく。」
越知流は近づいてきた潤の笑顔と言葉にゾッとした。今までの言動全て計算されており、事前準備の精度、求められる要求の高さ、それに応えれないとどういう事になるのかを覚悟させる為のものなのだと、自分の今後の人生に希望を抱き始めていた事に釘を刺されているのだと確信したからだ。
「後2週間もスケジュールを空けてしまっていたよ。もっと借入者リストに目を通しておかないとだね。 お聞きの通り少し予想が外れてしまった。迎えが来るまで少し話そうか?」
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